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ガッカリ記念 [2009年12月11日(金)]
妹のリクエストでロクシタンのチェリーブロッサム練り香水を買ったのは、昨年香港へ向かっていた機内。

チェリーブロッサム、グリーンティー、ローズ2つの4つセットで4千円程でした。


日本のロクシタンでは一つ1500円だから、安い。
グリーンティーは自分用にしたけどチェリーブロッサムを妹に、ローズは母と友人にあげたら・・・

息子が激怒
なんであげちゃったの?って・・・

そう、息子は良い香り大好き男。
「じゃあさ、次に香港行く時また買おうか?」等となだめていたのですが、今年の香港旅行はインフルエンザ流行のため取り止める事に・・・

もう近所のスーパーだろうが香港だろうが感染リスクは変わらない状況だったけど、それでも夫が「この状況で有給使って海外行く気になれない」と言ったので広島旅行に変更。
国内旅行した時に罹患しても後ろめたさはないのだそうで・・・まぁ、分からないでもない・・・

なので、「香港取り止めガッカリ記念」として1500円出してチェリーブロッサムを買いました。


息子は喜び、当然「今度はローズ!」
と、張り切っております
posted at 21:35 | 旅の思い出 | この記事のURL
大和ミュージアム [2009年11月27日(金)]
広島旅行では、広島駅から快速で30分の呉にも足を伸ばしました。
目的は、戦艦大和の10分の1の模型が展示されている「大和ミュージアム」。


スクリューは4つ!

私は戦艦に興味は無く「宇宙戦艦ヤマト」すら観た事がないけど、それでもシアターで観たCG映像で大和が大海原を航行する姿には感動しました。
そういえば松本零士さんは名誉館長のお一人です。

当時の日本での最高技術の集大成といわれ、その建造方式は近代日本の発展の要である「作業の高効率化」の始まりだったそう。
今日「トヨタ方式」と呼ばれる「ジャストインタイム・システム」が確立したのがこの大和建造だったと知り、感心してしまいました。

3千人もの乗組員を乗せたままアメリカ空軍の猛攻撃に遭い、1945年4月沈没。
今でも東シナ海で眠り続けている事、生存者の方の体験記や仲間を想って涙を流す姿に胸が一杯になりました。

ミュージアムには船をテーマにした科学館もあり、子連れで遊ぶのにも最適。
息子は10分の1の大和の模型も気に入り、周りをぐるぐる・・・とても楽しく過ごしました。

屋上テラスからは隣接する海上自衛隊の退役潜水艦「てつのくじら」がバッチリ見えます!


こちらも見学しました。
とても大きな潜水艦だけど、狭さ・圧迫感に苦しくなり、昼夜の区別が付く様に夜間は赤色灯で過ごしている事、またプライベート空間の狭さにもビックリ。
自由や息抜き・娯楽の無い世界で任務に就く方々を心から尊敬します。
posted at 12:24 | 旅の思い出 | この記事のURL
世界遺産航路 [2009年11月13日(金)]
宮島の厳島神社とその周辺、それから原爆ドーム。
広島にある二つの世界遺産を結ぶ「世界遺産航路」に乗船しました。
宮島の桟橋から海を20分程航行し、本川に入りそのまま北上。
原爆投下の目印となった相生橋から元安川に入り原爆ドームの前を通ったところで下船です。

厳島神社は海の上に建つ神社ですが残念ながら満潮ではなくて、幻想的な雰囲気は味わえず。
今度行く事があれば、絶対満潮時に行きたいです。


子連れのため神社自体をゆっくり見る事もできませんでしたが、息子は潮が引いて海草や蟹、貝殻が見える様子を喜び、波打ち際まで行きました。

緑色は海草です

船からのアクセスをした原爆ドームは、人類の負の遺産。


私は写真を撮りましたが、すぐ近くで男の子が母親から「これは写真を撮るものではない」と叱られていました。
「たくさんの人が亡くなった場所なのだから・・・」と。それはそうだけど、だったら広島のどこでも写真は撮れない。
例えば広島を流れる川は被爆した人たちが大勢、水を求めてたどり着き亡くなった場所でもある。
こう考えるのは屁理屈なのかな・・・

世界遺産航路は片道1900円、と少し高いけど「ここだけのもの」なので絶対に乗ろうと決めていました。
原爆ドーム発宮島行きも運航され、往復割引もあります。
ご興味のある方はこちらからどうぞ。
posted at 11:43 | 旅の思い出 | この記事のURL
広島ノスタルジア [2009年11月11日(水)]
父の転勤に伴って幼い頃に3年程住んでいた広島へ、旅行に出掛けて来ました。
私が「立って、歩いて、話し始めた」故郷ですが、断片的な記憶がいくつかあるだけです。

10歳の頃家族で再訪して以来で、四半世紀以上ぶりでした。

故郷とはいえ、ほとんど覚えていないので残念ながら「懐かしさ」はありません。
駅に降り立っても、平和公園や宮島に行っても「初めて訪れる場所」とほとんど変わりがない。
だけど幼い頃の写真や8ミリビデオテープの舞台です。

そんな私の心に残っているのは、広島カープ。
住んでいた時に初優勝をし街の盛り上がりを目の当たりにした両親がカープファンになり、これが私の中にも確実に残ってしまいました。
1996年だったか優勝争いをしたのを最後に、近頃は応援する気持ちを押入れの奥の方へしまってあります。
私が住んでいるのはドアラの球団の街なので肩身が狭いし、カープってば弱いし・・・

今回、ドアラ球団ファンで野球好きの夫の希望で旧市民球場と新球場のマツダスタジアムを見に行きました。

旧市民球場は平和公園の「原爆の子の像」に供えられた千羽鶴を保管展示してあるのを何気なく見に入ったら、スタンドへも入る事ができて予想外で嬉しかった


マツダスタジアムは残念ながら中へは入れませんでしたが、周りを歩いてグッズショップへ行きました。

posted at 20:15 | 旅の思い出 | この記事のURL
MoMAでの後悔 [2009年11月07日(土)]
ニューヨークにある近代美術館 Museum of Modern Art(通称MoMA)のお土産屋で、欲しかったけど買わなかったものがあります。

それは、花瓶。



花が重みで垂れてきて恰好がつかなくなってしまうのを回避できそうな、素っ晴らしいデザイン
これがモダ〜ンなア〜トなのねっ!

でも重たいし、どちらを買おうか迷った事もあり購入せず。

・・・とても後悔しました。

でもMoMAストアを見ると載ってるんですよね、コレが!!
花瓶の画像もMoMAストアからお借りしました。

いつでもネットショッピングできるんだと思うと後悔も薄れます。

MoMAのチケット

MoMAでの一番の目当ては、モネの睡蓮。
街や館内を歩いて疲れていたので、しばらく絵を眺めながら休憩しました。
posted at 23:09 | 旅の思い出 | この記事のURL
ソールズベリ〜バース [2009年10月14日(水)]
ロンドンから参加した日帰りバスツアーの続きです。

ストーンヘンジを後にし、次は最寄の街ソールズベリに向かいました。
ここではまず昼食。
パイ生地にひき肉とマッシュポテトの入ったコーニッシュ・パスティでした。
パスティは元は炭鉱で働く人たちのお弁当として作られたもので、今ではイギリスの手軽なランチとして人気があるみたいです。


画像は他所様のブログから拝借したものですが、私が食べたのは付け合せがグリンピースやニンジンソテーでした・・・う〜ん、イギリス・・・

昼食後はイギリス一高い塔のソールズベリ大聖堂へ。内部では著名人のお墓も見たけど、トイレの流れが悪かった事くらいしか覚えていません

ソールズベリ大聖堂

お次はバースへ。Bath,と綴るお風呂を語源とした街です。
ローマに支配されていた時に造られたお風呂の遺跡ローマンバスと遺跡から発掘されたものを展示している博物館、それから近くのバース寺院を見学しました。
ローマンバスは今もお湯が入っています。手を入れてみると生ぬるく、澱んでいました。

ローマンバスのパンフレット

バース寺院

参加したのは週に一度催行される日本語ツアー。
ガイドは日本語の堪能なマン島出身の男性で、ガイドらしく知識が豊富な方でした。

ストーンヘンジ→ソールズベリ→バースを一日で周って結構ハードだったけど、個人で行くには大変そうなストーンヘンジを見に行けて車窓からのどかな風景も楽しめたので参加して良かったです。
posted at 12:57 | 旅の思い出 | この記事のURL
ストーンヘンジ [2009年10月13日(火)]
ストーンヘンジを見たくて、ロンドンから参加した日帰りバスツアー。

乾燥したヨーロッパの空気で喉がヒリヒリしてるのにのど飴もなく、仕方がないからスーパーで買った甘〜いファッジを食べまくりの車中。
ファッジはキャラメルそっくり!何がどう違うのか良く分かりません・・・
当時はトイレが近くて、ストーンヘンジまで2時間以上の道のりは辛かった着いた途端トイレに駆け込みました

1979年の英仏映画「テス」のラストシーンで主人公テスが石に横たわっていたストーンヘンジですが、現在は柵に囲まれ外から眺めるのみ。
なんでも19世紀頃見物客が殺到して、倒されたり壊されてしまった石もあったとか・・・
劇中では絶望感・悲壮感の溢れたシーンだったけど「テスごっこ」してみたかったな。

1986年には世界遺産に登録されて保護・研究がされています。
イギリスらしいどんよりした空に何とも神秘的なストーンヘンジ。


とにかく、実物を見てみたかった。

周りを歩いて石を眺めるだけの場所と言ってしまえばそれまでなんだけど、今でも行けて良かったと思っています。

posted at 12:14 | 旅の思い出 | この記事のURL
イライラB&B [2009年10月12日(月)]
ロンドンからストーンヘンジへの日帰りバスツアーに参加した時は、集合が早朝のヴィクトリア・コーチステーションだったのでヴィクトリア駅周辺のB&B街に泊まりました。

B&Bはベッド&ブレックファストの意味でお安く泊まれる朝食付きの宿泊施設ですが、立地も良くバス・トイレ付きのツインだったので一泊65ポンド。日本からFAXでわざわざ予約しました。

テレビを観ながら湯沸しポットを使うとブレーカーが落ちてしまう、トホホなB&B・・・
レセプションに用事を言うと、別段忙しそうでもないのに「Just a minute」と待たされる。
仕方がないから部屋で待っていても、用事を済ます気配は無〜し!
しびれを切らしてレセプションに行くと、テレビでフットボール観てる

朝食も、開始時間に食堂に行っても閉まってる・・・開くのを待っていたら従業員が鍵を持って「たった今この場所に着きました」状態で中に入り、それから作り始めている。
急ぐ気配は全然無し

・・・と、かなりイライラさせられたB&B体験でありました。
こういう時、日本は何事もきちんとしているんだなぁと改めて思います。

ヴィクトリア・コーチステーションからは空港バスも出ているので便利でしたが、もし次にB&Bに泊まるならばもっとイナカが良いかも?

空港バスチケット
posted at 19:55 | 旅の思い出 | この記事のURL
ロストバゲージ遭遇記 [2009年09月16日(水)]
10年程前、初めてソウルへ行った時に遭遇したロストバゲージ。

国際線で初めてJALを利用したのが、そもそもの原因だった・・・と思っています。
出発空港で受け取った荷物預かり票には小さくNARITAの文字。JALの拠点空港?それが記されているの?と勘違いした私
ここでTo NARITA と書いてあれば気がついたかもしれません。
JALが成田便とソウル便をほぼ同じ時刻に運行していたので、成田便と思い込んだ係りの人が「本日成田へご出発ですね?」とか何とか確認する様な事を何も言わなかったのが悪いし、当時の金浦空港を識別する3レター・コード「SEL」の文字がどこにも見当たらなかった事を気にしなかった私のミスでもあります。
でも搭乗券はきちんとソウル行き・・・不思議。

少し前にヨーロッパへの乗り継ぎで来たばかりだった金浦空港に到着
初めてのソウルの街が楽しみ!とウキウキしていたのに、

私のスーツケースは出てきませんでした・・・そう、成田へ行っちゃってました・・・

この時の同行者が幸いにも母だったので、化粧品や着替えを少しは借りる事ができました。
これが一人だったり夫が一緒だったら、と考えると・・・ゾッとします。
市庁近くのホテルへチェックイン後、直ちにロッテデパートや乙支路入口駅辺りをウロウロして必要なモノを買いました。
初めての街に来た感激はなく、疲労

スーツケースは二日目の夜にホテルに届きました。
そして空港で帰国便搭乗直前に放送で呼び出され、身の回り品代金としてJALから三千円が渡されました。

これを教訓に今では「本日○○○へご出発ですね」の言葉や、荷物に付けられる3レター・コードを必ず確認する様になりました。
3レター・コードを見せながら「では、お荷物を○○○までお預かり致します」と言ってくれる丁寧な人に当たった時は安心して出発できます。
posted at 14:31 | 旅の思い出 | この記事のURL
WTCを偲んで [2009年09月11日(金)]
2001年アメリカ同時多発テロの3ヶ月前にニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)に行きました。
その時「ここはさすがにセキュリティチェックが厳しいな」と感じましたが、まさかあの様なテロが起こるなんて想像できませんでした。

展望室へのチケット

屋上からの景色 手前はブルックリンブリッジ

ブルックリンブリッジはこの日の午前中に途中まで歩いて渡り、WTCの写真を撮影した場所。

ブルックリンブリッジにて撮影

展望室から地上へ降りた後はツインタワーズを見上げる広場でアイスクリームを食べたり、地下のショッピングモールをウロウロしたり、隣接の駅で行き交う人々を眺めたりと平和に過ごしました。

地上から見上げたツインタワーズ

テロや戦争のニュースは歴史的背景を知らなかったり、現地の「普段の様子」が想像し難い未知の場所だったりすると、やはり他人事になってしまいます。
自分の不勉強を恥じるより前に、何より「知らない場所」である事はどうしようもありません。

でも「知っている場所」であったWTCが崩れていく様子を見た時は、今までに味わった事のなかった恐怖を感じて背筋が凍りました。
posted at 12:16 | 旅の思い出 | この記事のURL
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