この春、高1になった元天然受験生『あねごろう』
あねごろうの奇行の数々をこっそり全国に向けて発信中!
時々おとうちゃんも登場します♪

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大脱出? [2008年12月27日(土)]
このブログの本来の主旨を忘れ

夫暴露ブログ化していたが

久々あねごろう(受験生)の登場

=====

先日あねごろうにクリスマスプレゼントとして

流行のタイトな感じのコートを買ってあげた。

世間はまだ冬物20%OFFとかなのに

半額ってのがあって

デザインも凝ってるし

裏が取り外しできたり機能も充実。

あまり迷うことなく購入したのだが・・・。


翌日の塾、授業を終えてもなかなか出てこないあねごう

きっと解らないところを先生に聞いてるのね

期待して待っていた。

やっと出てきたあねごろう

『何か質問でもしてたん?』

と聞いたところ・・・

『このコートなかなか着れなくて、
先生とA子ちゃんに着せてもらってた(;´∀`)』


『ええっ?なんで(;・∀・)?』

『ファスナーが下りなくて

「仕方ない。おまえ、このままかぶれ!」って

先生がムリヤリ頭からスポッと被らせてくれて、

A子ちゃんと2人で引っ張っり下ろしてくれた』

『ええ(;゚∀゚) ?随分迷惑かけちゃったね;』

『うん、ホント助かったよ〜。(´∀`)』


でも、なぜ被らなきゃ着れないように

脱いでたんだこの子・・・(汗)



お願いしま〜す↓

〜追記〜

さらに事情を追求したところ

実は脱ぐ時に、なかなかファスナーが下りず

困ったあねごろう人が来ないうち

そのまま脱出したとのことだった。

更に、A子ちゃんは友達でもなんでもなく

たまたま居合わせた被害者だったらしい。


posted at 08:30 | あねごろう的な日々 | この記事のURL
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『とら』との思い出(最終) [2008年12月24日(水)]
とらの訃報を聞いた猫嫌いの夫。

帰ってくると、私を慰めるどころか、

いきなり自分がボロボロ泣き始めた。

『とら・・・とら・・・とらぁ・・・。
病院へ・・・連れて行けば・・・よかった・・・。』



(; ゚∀゚)

私は意味が判らなかった。

一度でもとらに触れたこともなければ

家に入ろうとするとらを傘を使ってバリアーしていた夫。

餌をあげていることを快く思っていなかった夫が

目の前でとらの死を悲しんで涙している。

この人、絶対変だ。

夫の変わり身の早さに

可笑しくなて、私はちょっとだけ笑っていた。

で・・・。

どんな慰めの言葉より

一緒に泣いてあげることが

優しさなのだと、夫は教えてくれた。


ということにしておこうと思った。




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posted at 13:00 | 家族ネタ | この記事のURL
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『とら』との思い出C [2008年12月22日(月)]
義父によって作業小屋で発見されたとらは

もう天国へと旅立っていた。

義父はとらを自分の果樹畑の敷地に埋めてくれるという。

一年以上ご飯をあげて可愛がった私たちのところから

姿を消して、義父のところへやってきたとら。

以前、命を助けてくれた義父なら

また助けてくれると思ったのか。

それとも、命を救ってくれた義父に

最後の挨拶をしにきたのか。

私は、とらのことだから

意味があってのことだろうと思った。

帰ってきた子供たちはとらの訃報に涙し

私はとらを医者に診せなかったことを後悔した。

悲しみが深すぎて頭がおかしくなりそうだった。

夜になり、一旦平静を取り戻した私達は夫の帰りを待っていた。

一緒に悲しんでくれないのはわかっている。

でも、そんな夫でも早く帰ってきてもらいと思った。

やがて、夫が帰ってきた。

実家に寄ってきたらしく、とらのことを聞いてきたようだ。

すると・・・。




つづきます

よろしくにゃ↓
posted at 12:00 | 家族ネタ | この記事のURL
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『とら』との思い出B [2008年12月21日(日)]
明らかに体調が悪そうになったとらは

二日ほど姿を見せなくなった。

心配した私たちは夜道を捜し歩いた。

でも、とらを見つけることはできなかった。

すると3日目の朝、とらはひょっこり現われた。

・・・帰ってきてくれた・・・。

私は軽くなってしまったとらをしっかり抱き、そのぬくもりを確かめた。

戻ってきたことに安心したが、体調は更に悪化していた。

医者に連れて行きたい。

でも、夫が承知するはずがない。

私は葛藤していた。

だが、それからまたすぐとらは居なくなってしまった。

そして・・・。

数日し、恐れていたことが起ってしまった。

帰宅した私に、義父が待っていたかのように駆け寄ってきた。

『おどろかないで聞けよ・・・』その言葉に

私の心臓は一瞬ドクンとなった。



続きます



よろしくにゃ↓
posted at 10:50 | 家族ネタ | この記事のURL
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『とら』との思い出A [2008年12月19日(金)]
とらは毎朝玄関の前にやって来てご飯を待つようになり

その黄色く丸い姿が、家の中から擦りガラス越しに透けて見え

私はなんとも幸せな気持ちになった。

日中はこども達が散歩する後をちょこちょこついて歩き

振り回されても、大人しく付き合ってくれた。

夫は相変わらず気持ち悪がってよけて歩いていたが

そんな夫へも、とらは擦り寄っていった。

その時はまだ、さほど年をとった猫には見えなかったので

この幸せはもう少し続いてくれると思っていた。

とらがやってきて季節が一周し、二度目の夏が近づいていた。

一旦は肥満気味にまで太ったとらが

毛のつやがなく、少し痩せた感じになった。

徐々に食欲が落ちてきたが、

猫だって体調が悪い時ぐらいあるだろう。

それぐらいに思っていた。

普段は与えたことのない値段の張るネコ缶を食べさせると

とらは喜んで食べてくれた。

でも、それも徐々に受け付けなくなった。



つづくにゃ


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posted at 11:30 | 家族ネタ | この記事のURL
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『とら』との思い出@ [2008年12月18日(木)]
私は無類の猫好きで

実家では猫が家族の一員だった。

それに対し夫の家、特に義母は動物が一切苦手で

夫は猫や犬に触れて育つ環境ではなかった。

ある日、1匹の猫が現われた。

やせ細って毛が抜け落ち、今にも死にそうな野良猫。

近くに住む義父はそれを気の毒に思い

食事の残りを置いておくようになった。

すると、さすが野良猫。野生の生命力で奇跡的に回復した。

その話を聞いた私は、その猫を譲り受けた。

譲られたというより、正しくは餌でおびき寄せた。

最初は警戒して近くにさえ来なかったが

餌を置いておくと食べてくれる。

時間をかけてちょっとづづ距離を短めていった。

やがて手から餌をもらうようになり

人のそばでも安心して食べるようになった。

私はその猫を『とら』と名づけた。

全身が黄色っぽいトラシマだったからだ。

夫がとらを苦手なので、家に上げることはなかったが

どこで遊んでいても、私の車が見えると駆けて戻ってくる。

ちゃんと車の色や形を認識していて

お客さんの車には反応しなかったので

たいしたもんだなあと感心していた。

私が外で草花の手入れをしていると

いつの間にかやってきて脇にゴロ寝する。

名前を呼ぶと返事をする姿が可愛くて

私にとってはもう家族同様だった。



つづきます


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posted at 12:50 | 家族ネタ | この記事のURL
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夫への強行手段A [2008年12月17日(水)]
旅行の写真をメンバー全員分焼いてあげたのに

半年以上放置した夫に呆れた私は、強行手段にでた。


<前の記事はこちら>


強行手段決行から数日して夫が妙な顔をして帰ってきた。

『悠作(仮名)が、困惑した顔で今日来たんだよ。

「写真・・わざわざありがとうございました。」って』


数日前、私は写真の入った封筒

切手を貼って投函したのだった。


宛先は職場の住所で悠作さんあて

差出は職場の住所で旦那名

1階から2階郵便

半年以上前の旅行の写真を送ってきた夫を

悠作さんは、なんとも不振な目で見ていたそうだ。


それからというもの、夫は旅行に

カメラを持って行かなくなった。

自己防衛にでたに違いない。



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posted at 14:00 | 夫ネタ | この記事のURL
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夫への強行手段@ [2008年12月16日(火)]
は物事を先延ばしにするタイプ。

世の中の人間、みんな少しぐらいそんな面があるのは分かっている。

だが・・・・。

====

夫は職場の部署ごとの慰安旅行以外に

年に一度、気の合った同僚と旅行に出かける。

皆さんにさしあげるつもりで、沢山写真を撮ってくるのだが

一向に現像に出さない

時間の経過しすぎた旅の写真をもらっても、嬉しさ半減だと思うので

私は気を使って、写ってる人の枚数分現像して

封筒に分け、皆さんの名前を書いて夫に渡した。

それが、翌日になっても、1週間経っても鞄に入ったきり。

聞くと、忙しくて行けなかったとか

行ったら席をはずしていてとか言う。

早く渡してくれなくちゃ、急いだ意味がない。

それがやがて、1ヶ月経ち、半年が過ぎた。

いくらんなんでも同じ建物にいて半年すれ違うことはないだろう。

渡す気ないんじゃんと思った私は強行手段にでた。

つづきま〜す



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posted at 10:45 | 夫ネタ | この記事のURL
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夫、パリジェンヌにA [2008年12月12日(金)]
16年前の新婚旅行中の出来事です

<前の記事はこちら


あまり身長が高くないは  

つり革がいっぱいいっぱいだったのかもしれない。

電車のブレーキ弾みで、こともあろうに

パリジェンヌタックル

動転したは、前日添乗員に教わった


唯一記憶に残っていた言葉を

とっさにパリジェンヌ発した

『メルシーボクー!!!』 


『・・・・・。』


『メルシーボクー』が大変ありがとうだと気付くのに

そんなに時間はかからなかった。

その時、パリジェンヌのその美しすぎるお顔

世界のナベアツ『3』の時の顔のように

ゆがんだのを、私は見逃さなかった・・・。




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posted at 11:20 | 夫ネタ | この記事のURL
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夫、パリジェンヌに@ [2008年12月11日(木)]
昨日、久々に新婚旅行を思い出したので

ついでにもう一発  <前の記事はここから>

イタリアの次にフランスのパリを訪れた。

は方向感覚がよく、まるで現地人のように

路線図を手がかりに行きたい所へ

スイスイ連れて行ってくれた。

パリのメトロはお洒落で、

息が詰まりそうな日本の地下鉄とは違っていた。

乗ってくるお客ももちろんパリジェンヌ

ちょっと混んでいたので

私を座らせ、つり革につかまっていた

ブレーキがかかり電車が停止した時

事件は起きてしまった

次回へ続きま〜す


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posted at 10:00 | 夫ネタ | この記事のURL
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イタリア語で訴える夫A [2008年12月10日(水)]
おとうちゃん大ピンチ前の記事

換金した全財産を露天商に渡してしまった夫は

片言のイタリア語でこう叫んだ

『チョトー、マーテーー
『チョトー、マーテーー
『チョトー、マーテーー
『チョトー、マーテーー


おい。それはれっきとした日本語だぞ。

でもなぜか通じたようで

返してもらうことができた。

騒がれたら商売にならないということだろうが

夫は自分の言葉が通じたと今でも思っている。


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posted at 11:24 | 夫ネタ | この記事のURL
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イタリア語で訴える夫@ [2008年12月09日(火)]
夫ネタが続きますが・・・

結婚した16年前はバブルの気配が残っていて

新婚旅行といえば海外というカップルも多かった。

私たちも例外ではなく、とりあえずヨーロッパってノリ

イタリアへ渡った。

露天商が絵ハガキや小物を大きく広げていて

異国情緒たっぷりのいい雰囲気。

そこで記念に何かを購入した

そこで事件は起った。

当時のイタリアの通貨はリラだったのだが

ドルと違って日本円を約10倍に置き換えればいいという

簡単な計算だったため、『6,000リラ』と言われたところに

60,000リラ払ってしまったのだ。

桁を逆に置き換えて、10分の1のはずが、10倍。

分かりやすく言えば600円の商品に6万円払った計算。

というか、リラに換金してるんだから

計算する必要はないはずなのだが


その露天商人、顔色が変わってお金をすぐさま

自分のエプロンに押し込めてしまった。

おとうちゃん大ピンチ

長くなったので続きます


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posted at 20:35 | 夫ネタ | この記事のURL
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夫への不信感。 [2008年12月09日(火)]
前回、生涯妻に愛される方法を書いたが

15年前の自分の時のこと(お産)を思い出した。

夕方陣痛がきた私は、夫の車に送られ夜9時過ぎに病院へ到着。

案内された病室は6人部屋。

もう消灯が過ぎていたため暗闇で

声も出せず時間の経過と戦うことに。

診察していただくと、午前3時くらいに生まれるでしょうと。

あと4、5時間我慢すればいいのか・・・と覚悟を決めたところで

夫が普通に帰っていった。(おまえはタクシーか)

誰のお蔭で苦しんでると思ってるの?

誰の子供を産もうとしてると思うの?

と思うとなんだか腹が立ってきたが、怒ってる余裕はなかった。

予定通り夜中の3時にあねごろうが生まれ

看護士さんが

『時間も時間だし、朝になってから連絡しますか?』

とおっしゃたが

『いいえ。今すぐたたき起こしてください。』

と言い切った。

それが、いまだに心の奥にあって

いざとなったら私を見捨てていなくなる男なんだ

って目で見てしまう。

・・・という残念な結果に終わった夫だった。


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生涯妻に愛される方法 [2008年12月04日(木)]
PTA主催の講演会に地元では有名な芸能人を講師に招いて

興味深い内容のお話を聴いた。

『生涯妻に愛されつづけるために』

という演目ではないが。。。

男性は結婚後、多少の波があっても生涯のことは好きなのだそうだ。

一方、ある出来事を境に好き度が下降し

どのほぼ例外なく下降の一途をたどるのだそうだ。

ふ〜ん。

それを食い止めることができる方法


それは、ある出来事妻の出産の前後一年を献身的に尽くすことだそうだ。

なるほどね。

まだ手遅れでない方はぜひ実行してご報告ください。


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posted at 19:16 | 夫ネタ | この記事のURL
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超高速の貧乏 [2008年12月03日(水)]
あねごろう貧乏ゆすり超高速

『ゆすり』というより、まるで超音波

我が家のダイニングテーブル

カントリー調で足掛けがついているのだが

そこがよく震源地になる

斜め向かえに座っていても床から椅子へと確実に伝わってくる

なんだかおしりがシビレるなあと思うと、それである

まるでナマズでも飼っているようだ。



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心の傷(最終) [2008年12月03日(水)]
きっと心の傷になって残っているんだろうと思いきや・・・
<前の記事はこちら>

かあちゃんパソコンに入れるなんてアホじゃねえの』

と、薄ら笑い(しっかり憶えてました)


おとうちゃ〜ん

笑われてますよ〜


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心の傷(つづき2) [2008年12月02日(火)]
焦った私はとにかく<以前の記事はこちら>

必死×クリッククリッククリックッ

を試みたが、画像データが重すぎて消えない

当時小学1年生のあねごろう

その一部始終固まったまま見ておりました。


〜あれから9年〜

現在中学3年生になったあねごろう

当時のことを聞いてみた。(やめろっちゅうの)


<つづく>


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心の傷(つづき) [2008年12月02日(火)]
事件は起こった
<前の記事はこちら>


なんの罪もない幸せな母娘が見つめる目の前で

かわいい小学生の娘が作った

かわいいお花の罫線をあしらった便箋の上


巨大なエ○画像

突如として現れたではないか

焦りましたとも・・・

おとうさんめぇ←実際は激怒しているので実名ですが

そして更なる悲劇が・・・


<つづく>


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心の傷(耐えられない方は見ないでください) [2008年12月01日(月)]
あねごろう小学1年生の時

当時流行のアフロ犬の画像をネットから取り込んで

オリジナル便箋を作っていた。

当時、パソコン初心者の私は

画像を取り込んだものの、保存した先が分からなくて

あらゆるアイコンをクリッククリック

おかしいねえ〜などと言いながら

二人で楽しく作業していたその時

事件は起こった

<つづく>

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