今から読書タイムです〜『言魂』〜 [2008年11月19日(水)]


『言魂』



石牟礼 道子・多田 富雄/藤原書店


作家 石牟礼 道子さんと、免疫学の泰斗 多田 富雄さんとの

往復書簡集です。

作家 重松清さんの書評を読むと、真摯な態度で読まなくては…

と言う気持ちになります。


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[掲載]2008年8月3日 asahi.com(朝日新聞社)
[評者]重松清(作家)
■ずしりと重く、ゆたかな言葉の往復

 『苦海浄土』の作者と免疫学の泰斗との往復書簡集である。分厚い本ではない。余白をたっぷりとって組まれた言葉の数も決して多くはない。だが、読み手は、交わされる言葉一つひとつの持つずしりとした重みと、凜(りん)とした芯、そして豊かなふくらみに圧倒されるはずだ。

 往復書簡を交わすさなかに『苦海浄土・第二部』を完成させた石牟礼道子さんは、〈言葉のなかった長い世紀のゆたかな沈黙〉を信じる。人間の持つ〈あらゆる天性とゆたかな感受性〉が沈黙の中にたくわえられていた頃、〈人間たちの表情は、今よりもふかぶかとしていたのではないでしょうか〉。

 一方、脳梗塞(のうこうそく)に倒れたうえに前立腺がんにも冒された多田富雄さんは、〈日常とは本能的な死との戦いです〉と言う。〈苦しみが日常になっているから、もうそれに耐えることも日常になったのです〉。そんな自分をじっと見つめる〈極限の私〉がいる。〈何が自分を生きさせているのか。何故に耐えているのか、生きる力の元はどこにあるのか、どうして自殺しないのかなど、不思議に自分を凝視しているのです〉

 往復書簡とは「読む」と「書く」の往復でもある。おそらくお二人は、自身の手紙を書くことと同等の――もしかしたらそれ以上の誠実さで相手の言葉を読んできたはずだ。ゆえに多田さんの言葉には石牟礼さんの言葉が溶け込み、石牟礼さんの言葉は多田さんの言葉と共鳴する。〈ゆたかな沈黙〉は多田さんのものでもあり、石牟礼さんもまた自らの〈極限の私〉のまなざしを感じつつ多田さんに返信するのである。

 2006年節分に多田さんが書き上げた第1信から、2008年3月に〈何とぞまだ死なないでいて下さいませ〉と石牟礼さんが締めくくる第10信まで、お二人の言葉の数々は、生と死、苦しみとよろこび、生命と魂……さまざまな命題をはらみながら、二重奏として読み手の胸に響く。それは、老いを迎え、死を見据えたお互いのいのちが奏で合う言葉の魂――「言魂(ことだま)」の交歓なのだ。
 
Posted at 14:25 |  本 | この記事のURL