『自分のことを話す』 [2010年10月12日(火)]
アレ?この人、最近何かしら自分のことを話してくれるようになった

そんなドキドキが
息子さんのことや、夕飯のこと。本当に他愛のない話だけれど、今までコレってなかったよ?と、そう思うと大きな変化を思う

だんだんと、壁がなくなって来たのかも?
私としては変わっていないけれど、たぶん誰かしらから聞いている私像があったとは思う・・・

声をかけていいかな?から、私を探り始め。そして、話してもいいかな?になったのかも

本当に他愛のない、そんな話の心地よさを思う

実際のところ、その他愛のない話をただ淡々と話している私達。スゴいね!と評価することもなく、ただ共感しているだけかな?

どこか、つまらないリアクションなんじゃないかと思わなくもないけれど・・・

そんなことがあったんだ
○○なのが嬉しかったんだ
きっとみんなも○○だったのかなあ?

ただ、ソレだけで受けとめるストーリーは“日常のなんてことのないと思えるもの”が“特別なもの”を思わせてくれるのかも

話を聞いている私に彼女の日常は“とても穏やかに、幸せを感じるもの”に思えるし。私にもそのおすそ分けが届く気がする

子供の成長や、楽しんでいる顔を見ることの嬉しさって、きっと親の醍醐味だろうね

もちろん、私にとって姪のそういう姿でさえ感動的だもんね

何かができるからスゴい。ってコトじゃなくて・・・
できるようになるまでの日々や。できるようにはならないけれど“続けている努力”とか。そういうものを見つけられるようになったのって、姪たちが来てくれたからの気がする
察知 [2010年10月11日(月)]
ブログを綴り始めて3年と3カ月が経とうとしている。自分でも時々読み返すことがあって・・・

『こんなこと考えていたんだ』とか『こんなことでつまづいていたっけ』とか、あらためて実感したり&このとき本当は・・・を思い出したりすることがある

本音をかいている日と、どこか“キモになる部分”を避けている日と。がある

そんな中で。
ここで連絡をくれたか〜な、存在がいる

誰がどう・・・じゃなくって。

本当にその時々のところでの、誰か〜
というか『その人』のトコロでの一報

『お前、ヤバいだろ?』だったり。
『このあとヤバくなるだろ?』だったり。

本当にその時々で、そのポイントでのヒント?をくれるその人からのアクションがある・・・

そして今日。
『溜めて読んだら&今、離れていたからこそ?こう読んだんだけど?』な言葉が

《離れることで見える何か》は、あるんだろうね・・・友人が見る私ってコトだけでなく。私が離れて、やっと見えるものもあるのかも

そんなことに気付かせてくれる人からの『いっつもそうじゃん』は、痛いけれど。それでも受け取れる

なんか、近ごろみんなに心配かけてばっかりだなぁ・・・

ストーカー事件も影を潜めつつも、終わった訳じゃなくて。助けてくれるみんながいるから、影を潜めたんだよね・・・

ありがとうございます

こんなにも、支えてくれる人がいて。助けてくれる人もいる

同じようにできないなあ・・・と思いながらも。それでも、少しだけでも&直接じゃないにしても。誰かに何かを
ずるい。 [2010年10月09日(土)]
会った人が出した話題。
触れて欲しくないところをえぐられる

『欲しい』と思っていたものが、本当に欲しいものだったのか分からなくなっている

『いらないもの』のリストに入らないから、欲しいものだったような気がしているのかも知れない。なんて思ってしまう

そして、手に入らないなら『実はいらないものだった』ってコトにしようとしているんじゃないかとも思う・・・

何に自信がなくとも“晴れオンナ”なのと“感のよさ”だけには自信がある

にもかかわらず自信がなくなっているのは、ズルさのせいだここで、ちゃんと向き合っておかないと、このズルさに負ける。いつものパターン・・・

来週の占いを見て、愕然。
クリスタルガラス?柔らかい豆腐?そんな“ギリギリ”のトコロで、その触れられたくないことと向き合わなくては・・・

ルール40『またいだゴミは降ってくる』
しごと。の“し” [2010年10月01日(金)]
素敵な話を聞いた
何でこんな話になったのか、本当に思い出せない

『今の若い人達は覚える前に辞めるんだよな』なんてボヤいたのをきっかけに『だいたいどれくらいで1人前になりますか?』と聞いてみたら、最低3年と・・・

そして、愚痴になるかと思いきや素敵なお話を

『しごとの“し”ってのは四つあるんだ。俺はそう思ってる』と始まり・・・

最初のステップは《私》ごと。
次のステップは《死》ごと。
そしてやっと《仕》ごと。となり。
更には《志》ごと。になる・・・

うん。分かる・・・

死にものぐるいでやる時期を経て、やっと仕えることができるようになる。そして、そうなると志を持って更にできるようになる

まだまだ、覚えることもたくさんあるし。
いつになっても《死》ごとではあるけれど

でも、仕えられている部分もあるし。
志しを持てる部分もある

いったいどれだけの時間がかかったのか〜と思うと、痛いけれど

それでも、そのステップを持ち合わせていることの嬉しさはある

少なくとも《私》だけの事としてのものではなくってる。そんな仕事へのやりがい?楽しみ?を持てるトコロまで頑張れているのは、最初に育ててくれたみなさんのお陰です

そして、後輩の頑張り具合をemiちゃんが“見えるよ”って伝えてくれた

今までたくさんのヒントをくれた人もいるわけで。
本当に。みなさんにありがとうございます
“年配”って・・・ [2010年09月22日(水)]
外線を取ったら『着信がありましたが〜』と

なんやかんやと確認をしつつ。
「相談した者の名前は分かりますか?」と聞いてみたら。その答えは『名前は分かりませんが、年配の女性でした』と、やけにキッパリ・・・

うん〜
確かにあのコーナーで一番年上かもしれん・・・

でも。
“年配”って、私もあと数年で言われてしまうのか???と思わずにはいられない

この人の言葉の選び方がどうの〜は別として。
この人にとっては《年配の女性》だということ。

コレって、いったいなにが基準なんだろう?

年齢を貼り出しているわけじゃないから、年齢そのものではない。その人に“見える年齢”がどうなのかが気になる・・・

ふと。口を半開きで話す(閉じないで話すって感じかな?)女性を思い出した。あれ、今の私と同じ歳ってコトだ

可愛らしく映っていたはずのものも、ある時期を越えるとそぐわなくなったり。逆に痛々しくなったり〜に映るのかも・・・

私の周りのover40女性陣って、みんなミゴトに“格好いい”って感じで。可愛さがウリの人って、いないわ

でも、格好いい姿の中に『うほ。可愛い』が隠れていて。とても素敵なのである

格好いい中に可愛いは存在するけれど、可愛いには格好いいがないように思えてきた・・・となると。とある時期から格好よさが魅力になるのかも?

そしてさ、おばあちゃん。って言われる時期になると格好よさもいいけれど、可愛さもたまらなくなる

やっぱり生き方が見えるのかも?

コレから、それぞれの年齢の時期に。

@かとさんのような笑みをしたい(笑)
AMyコーチのような潔さを持ちたい(笑)
BMMさんのように人生を楽しんでいたい(笑)

母のように「自分の記録との戦いだからね〜」ってゴールを目指し続けていたいなあ・・・

でも、こう思い浮かべる人達がたくさんいて。
その格好よさが、年齢の作る勲章だと思うと《年配》って言葉が屁でもない(失礼)気がしてきたから不思議
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