退院して1週間が経ちました。
少しは精神的にも落ち着いてきたかな?
ふと、妊娠中のことを思い出したりすると
「ああ、もう、いないんだ・・・
」とか、
「こんなのひどい
」
と涙することもありますが
だんだんと回数も減って来ました。
入院初日、先生のお話をきいて、主人も母も自然分娩したいという
私の希望に、やっと納得してくれました。
やはり、素人の言葉より断然説得力があるのでしょう。
子宮を取ったからといって、危険を回避する以外、何のメリットもないこと。
出血のリスクはあるけど、充分な輸血を準備するとのこと。
前回が帝王切開で初分娩になるので、もし子宮破裂など起こった場合は
摘出に切り替えることなど。。。
私の血液はちょっとだけ変わってて「不規則抗体」とか言うのがあるようで
Rh+のなかに、極たまにRh−が混ざるのだそうです。
そのため、ピタリと一致するのは難しく、相性の良いのから
選んで輸血する。勿論、拒絶反応などのリスクは無いとはいえないけど。。。
まずは、子宮口を広げるため「棒」を入れて本数を増やしていく。
2〜3日かけて十分に広がったところで、薬で陣痛を起こして出産。
という流れ。。。
の予定だったのですが、
いきなり昼間6本。
夕方の入れ替えで17本!?
入れ替えも痛いってもんじゃありません。
一気に3センチ強制的に広げられてしまいました。
ここで、かなりの出血を予想していましたが
新たな出血はほとんど無く、先生も
「コレなら絶対下から産めるよ。頑張ろうね」と励ましてくださいました。
看護師さんも「授かりものだからしっかり産んであげようね」
と励ましてくださって、不安が消えていきました。
病気から守ってやることは出来なかったけど、
お母さんとしてあなたをしっかり産むからね、見ててね。と
赤ちゃんに話しかけたりしながら・・・。
深夜、棒の刺激で、自然に陣痛が始まって出血。
十分に広がって棒が抜けるまでいたくてたまらなかったけど
棒が抜けてからは、無我夢中でした。
陣痛で熱が出て、悪寒と喉の渇きと痛みと一緒くたでした。
奇胎が出てきて、赤ちゃん、ついで胎盤、最後にまた奇胎。
バキュームで残った奇胎を吸い取り・・・終了。
4時間5分のお産でした。
195g 21cm の男の子。
なぜ、死んでしまったのか分からないくらい
綺麗な赤ちゃんでした。
O
に似てました。
胸板の厚いところも、長い指、足の形、眉毛・・・
どこを見ても、私たちの子でした。
とってもとっても愛おしかった。
パパが呼ばれて30分くらい親子3人で過ごしました。
胸に抱きしめて、赤ちゃんの重さを感じていました。
当初3000ccは予想されていた出血でしたが、430ccで済んだのです。
お陰で、輸血せずに済みました。
私を心配して、赤ちゃんが守ってくれたんだと思います。
自分は生きて生まれることが出来なかったのに。
今回、手術でなく、自然分娩で、生むことができてよかった。
これから、一緒に生活はできないけれど、
「あなたはまぎれもなく、私の子だよ。」という実感を
より強く感じることが出来る気がします。
何から、何まで、赤ちゃんに感謝
です。
その日の午後、霊安室で可愛い棺に入れられ、
赤ちゃんは私のもとを去っていきました。
パパとO
とおばあちゃんで火葬してきてくれ、
小さな小さなお骨が取れて、今、そばに居ます。
名前を付け、家族みんなで話しかけています。
Oも、「Oの弟、骨になっちゃった。」と落胆しています。
もう少し大きくなったら、何があったのか、
いのちの尊さを教えて行きます。
それにしても、頑張ってきただけに打ちのめされました。
でも、すべての出来事には理由があるのでしょう。
この子が、自らの命を持って私たちに教えようとした様々のこと。
まだ、全ては分からないけど、
折に触れて「ああ、そういうことなんだね」と気づくかもしれない。
そんな時に彼の声を聞き逃さないように心の中で
しっかりと耳を傾けていたいと思ってます。
最後の不妊治療で授かった命でした。
夫の強い希望もあり、今後不妊治療はしません。
でも、私には「子宮」が残った。
これは、「夢と希望」です。
この子が「戻りたい」と思ったときに、いつでも戻れるように
まずは、自分の心と体を1日も早く健康に、
毎日充実した幸せな日々を送っていなければと思います。
今回、支えてくださった、医師・看護師の皆様、
このブログをたずねて心配してくださった皆様、
自分も辛いのに、私を気遣ってくれる家族、
本当に有難うございました。