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諸悪の根源・朝日 [2007年11月13日(火)]
まだ言うか11万人!!


。。。昨日、たまたま午前の家事の一休みにテレビを観たら、沖縄の県民大会の事を放送していた。


ナレーションでもテロップでも、11万人と言っていた。
でもそのテロップで笑えたのが11万の後にカッコして主催者発表とあった。


あほくさ。


そうまでして、目標5万を大きく下回った1万5千人という事実を隠したいのかね??
NステのキャスターFは、自分を育ててくれた諸悪の根源・朝日の捏造11万報道を、『数に何の意味があるのか』と開き直ったコメント吐いたそうで。
意味がないならなぜ捏造する?
見苦しいぞ。





沖縄のメディアは左翼が圧倒的に多いそうだ。
しかも偏向した左翼がね。


沖縄の人たちはそんな左翼の情報しか目にすることが出来ない。


偏向した左翼どもは、自分達の思想のためにこんなにも悲しい沖縄戦を利用しているのよ。



高校生も『私たちのおじいおばあが、嘘をついているというのですか?』なんて言ってないで、いくらメディアが真っ赤っ赤とはいえ、自分で調べる事はできる。

冤罪のまま亡くなられた方々をどう思うのよ?

自分達の主張のためなら無実の人間を人非人呼ばわりしていいわけ?


マスコミの情報を鵜呑みにするのではなく、沖縄の人たちも勉強したらどうよ。
ヤマトンチューのアホのあたしでさえ勉強してるんだからさ。
Posted at 10:57 | エートス | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
政治が歴史に介入するな!! [2007年11月09日(金)]
今のこの国の歴史の教科書じゃ、子供に、学校で習う歴史はテストのために存在すると教えるしかないわねぃ嘆かわしい。。。





我がブログでも何度か取り上げました沖縄の『集団自決』に関する歴史教科書問題


私の世代は、軍命令があったと教わってきた。

なので私も社会人となって自分で色んな事勉強するまで鵜呑みにしていた。

だって、学校がウソを教えるなんて微塵も思っていなかったから。

しかし今回、軍命令はなかったという事実が判明した為、教科書から削除されたのです。

私自身は単なる一介の主婦ですから、自分だけで真実を調べ上げるなんていうのは到底ムリだし、まだまだ勉強不足のところはありますが、それでも、

軍命令があったという確証を何ひとつ見た事がない。

いやいや!!軍命令はあったんだよ!!と、確固たる史料をお持ちの方がいらっしゃるのなら、ぜひとも見せていただけると有難いです




ではなぜ、集団自決に関して軍命令があったという証言が出て来たのか。


集団自決を強要したといわれる梅澤裕少佐は

『戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用できるようにするために、島の長老達から軍命令だったと証言するように頼まれ、それに従った』

と証言してる。

そう。軍協力者ということでなければ、ただの自殺扱いとなり、戦傷病者戦没者遺族等援護法に当てはまらず、遺族年金がもらえないのです。

元来、天然資源があるわけでもなく、産業が発達しているわけでもない沖縄。
そこで、梅澤少佐、赤松大尉が、戦後の村の困窮を見かねて『命令書を作成してきなさい。そうすればサインをしてあげます。』と、軍命令の書類を作成したというわけなのです。

この時に頼んだ人たちが、良心の呵責に耐えかねて、本当のことを証言し始め、確証たる史料もないため、削除に至ったのです。


ところが、軍命令があったということが証明できないとなるや今度は軍関与と、問題点をすり替えてきた

軍関与となれば、沖縄は戦地だったのですから、軍が関与してくる事は何かしらある。


こうして、こないだのデタラメ・11万人集会が決起された。


私もちょっとの間この数字に騙されちゃったけど、テイケイ鰍フ社員が集会の新聞記事を拡大し、ひとつひとつチェックして数えたら、実数は2万人以下だった。
熊大生が1週間かけて調査した結果でも1万3千人。
どっから11万て数字が出てくるのかねー


このニュースを見て、渡嘉敷島の集団自決で生き残った方に元中隊長が

『渡嘉敷からは何人参加したか?』と聞いたら、

『渡嘉敷島からは誰も行ってません』と返事が返ってきたそうだ。

まさに集団自決のあった当の渡嘉敷島から誰一人として参加していない。


これらの事実からも、軍命令があったのかなかったのかは、サルでもわかるんじゃないの


歴史に政治が介入するなんて、そんなバカな事があっていいわけないだろう!!

歴史を塗り替えていいのか??

歴史を歪めていいのか??



こないだの県民大会で代表の高校生が『本当のことを知りたい』って言ってたよ。


私も本当のことが知りたいだけなのよ。
Posted at 14:21 | エートス | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)
騙されるとこだった!! [2007年10月31日(水)]
いや、正式にはこの1ヶ月、騙されていた!!


普段からマスコミの話は鵜呑みにしないよう気をつけているのにこれだもの


こないだの沖縄の県民大会。


どこのマスコミも

11万人が訴えやら島挙げて抗議やら報道していましたが

大嘘じゃないか!!!!!



実際は、県警調べで4万人、航空写真分析で2万人。


県警が正式に発表すれば、地元マスコミや運動家などから猛烈な反発が起こる。
県警までもがそれを恐れているという実態。


嘆かわしい。。。


ただ、そんなデマを流すということは逆に、真実ではないと言っちゃってるようなもん。


単細胞だな運動家ってヤツは。


冷静に見ている沖縄県民の方が大多数だと言う事に安心しました。
Posted at 11:38 | エートス | この記事のURL | コメント(4) | トラックバック(0)
ではなぜ集団自決は起きたのか。 [2007年10月04日(木)]
私達は、今の価値観を当時に当てはめて判断してはいないだろうか?


当時の日本人が、どのような気概を持って先の大戦を戦ってきたか、本当に理解しているだろうか?





なぜ沖縄で、一般市民が集団自決をしたのか。


そもそも、集団自決という言葉は戦後に使われるようになり、当時は一般市民でさえ玉砕と言っていた。


太田司令官が沖縄県民の協力について、海軍次官に宛てた有名な電文がある。
ご存じない方の為に原文のままご紹介します。


沖縄県民の実情に関しては
県知事より報告せらるべきも
県にはすでに通信力なく、
第三二軍司令部又通信の余力なしと
認められるに付緊急通知申上ぐ。

沖縄島に敵攻略を開始以来、
県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりき。
然れども県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、
残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に
家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以て
軍の作戦に差支えなき場所の小防空壕へ避難。
雨風に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。

しかも若き婦人は率先、軍に身を捧げ、
看護、炊事婦はもとより、砲弾運び、
挺身斬込隊(ていしんきりこみたい)すら申し出るものあり。

所詮、敵来りなば老人子供は殺さるべく
婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、
親子生別れ娘を軍衛門に捨つる親あり。

看護婦に至りては軍移動に際し衛生兵
既に出発し、身寄り無き重傷者を助け、
作戦の大転換あるや自給自足、夜の中に
遥に遠隔地方の住民地区を指定せられ、
輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。
糧食六月一杯を支ふるのみなりという。

沖縄県民斯く戦へり。

県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。

牛島司令官へ
「敵戦車群は我司令部洞窟を攻撃中。
一一日、二三時三〇分、玉砕す」

日本帝国海軍少将

太田 実






この電文からも、

玉砕という言葉を使っていたということからも、

サイパン玉砕の悲劇を認識していたから、政府は沖縄県民の避難について検討し、
台湾へ2万人、九州へ8万人疎開させる決定をしたものの、県民の郷土愛や軍への信頼感が強く、疎開作業はなかなか進まなかった。。。ということからも、
当時の沖縄県民の戦意というものを、うかがい知る事ができるのではないか?





自決命令を出したとされ、懊悩のうちに亡くなった元大尉の隊員が、実にわかりやすい発言を残してくれてます。。。。。


『今の考えの風潮にはないかもしれませんが
あの当時、日本人なら誰でも、心残りの原因になりそうな
或いは自分の足手まといになりそうな家族を排除して
軍人として心置きなく雄々しく戦いたいという気持ちはあったでしょうし
家族の側にも、そういう気分があったと思うんです。

つまり、あの当時としてはきわめて自然だった
愛国心の為に自らの命を絶ったという面もあると思います。

むしろ、私が不思議に思うのは
そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを
何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして
その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか。

わたしにはそのことが理解できません。』






民間人の住む都市を次々と空爆し、あからさまな国際法違反を犯す敵国に対し、
捕まれば残虐に扱われたのち殺されてきた人々を見て、潔く死ぬといった価値観のある当時の日本人としては、自然の成り行きだったのではないか?


集団自決に、誰が犯人ということはないと思う。


あえて首謀者を上げるなら、民間人をも殺しまくり、それゆえ玉砕へと追いつめた鬼畜アメリカだと、私は思っています。
Posted at 09:43 | エートス | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)
『集団自決』修正 [2007年10月03日(水)]
前にもこの事について少し書いたのですが。。。


沖縄戦での住民集団自決は、確かにあった凄惨な悲劇。
紛れもない事実です。


ただ、こんなにも大々的な出来事を、『軍が関与』となると、必ず、誰がいつ命令した、という史料があるものです。


それが一枚もない。


こういうことは、史料をもって検証されるのです。


もう30年以上前に、『軍命令だったという話は全くの嘘』と実証されている。





まず、自決命令という言葉が初めて出てくる文献が、昭和25年に発行された『沖縄戦記・鉄の暴風』という書物。


のちに曽野綾子さんが、この執筆者に取材してみると、執筆当時、まだ戦後の混乱期で、交通の便も悪く、現地には行けなかった、代わりに2人の証言者、それも又聞きの話を取材した。


そうです。現地取材など一切しないで、この本は作られ、出版されたのです。


しかも運悪く、ベストセラーとなってしまった


この書物の中で、命令を下したとされる大尉は、極悪人として罵倒され続けた。

慰霊祭の為に島を訪れたこの元大尉を、抗議団が待ち構え、帰れのシュプレヒコール。


事実は違う。集団自決の命令は下さなかった。


と言っても、耳を傾けるわけがない抗議団。


この元大尉は懊悩のうちに亡くなり、その元部下の多くも、沈黙を守り続けていた。
その一人に曽野綾子さんが理由を尋ねると、


軍命令はなかったと、隊員が証言すると、遺族が年金を受け取れなくなってしまう。


そう仰ったそうです。。。





遺族年金とは??

戦後、戦傷病者戦没者遺族等援護法の設立で、戦傷病者や戦死者遺族に年金が支給される事になった。


これを受けて、厚生省援護局が現地で聞き取り調査を行ったとき、現地の人々で


集団自決は軍命令だった


との証言が上がった。


のちに、これは遺族が、自らの意思で自殺したとなると年金がもらえないから、『軍命令』で死んだとなれば戦死扱いになる、そんな都合でやむなく言った嘘だと、自ら撤回している。


しかし、すっかり『軍命令』は一人歩きし、反日、何が何でも旧日本軍は悪と刷り込ませたい悪意に満ちた輩に利用され、とんでもない事態を招いている。


こないだの沖縄県民大会での高校生の演説を、痛ましい思いで見た。

何にも知らない、これからの子供らを、自分達のイデオロギーの為に洗脳するなんて、許せない。


事実を無視した抗議行動は広がっている。
まさに『従軍』慰安婦問題を見ているようです。


被害者がこうだ!と言えば、事実などどうでもいいのですね?


そういう人は、冤罪のまま亡くなられた方々をどう思う?
無実の人間を犯罪者に仕立て上げ、それで自分達は満足なのか?


文科相は、11万人を超える抗議にあったら、史料に基づく検証を無視して歴史を修正してしまうのか?!
Posted at 10:11 | エートス | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
乙女のまま潔く死にます [2007年08月20日(月)]
張るだけ.net。


ダメじゃん。
今日が何の日か載せてなくて
頼りっきりにはできんの〜┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ〜


大東亜戦争時、沖縄の ひめゆりの塔 は誰もが知っていますが、意外と知られていないのが、

北のひめゆりといわれる樺太・真岡郵便局電話交換手の女子職員9人の自決です。


日本政府から終戦交渉の仲介を依頼され、日本に降伏の意思があることを知っていながら8月9日に日ソ中立条約を一方的に破って宣戦布告してきた卑怯なソ連。


8月15日。
戦争は終わった。
でも実態は、ソ連によって侵略されていた。


62年前、終戦5日後の今日、樺太の真岡に、ソ連軍は上陸した。

ぞくぞくと本土へ引き上げる住民がいる中、なぜ彼女達も引き上げなかったのか。

本土に引き上げるには、本土との電話のやり取りがいる。

その必要性や使命感を持っていたのでしょう。
兵隊に『私達は兵隊さんと一緒に最後までとどまる事に決めました』と語ったそうだし、
自分の母親に『これ、私の形見』と、自分の貯金通帳や写真を渡していたそうですから、最期まで任務を遂行する、と覚悟を決めていたのですね。





郵便局にも砲撃を浴び、捕虜となれば陵辱されるいよいよという時、同じ樺太の泊居局に

『いま、みんなで自決します』

と連絡が入ったという。

局長の制止も聞かず

『乙女のまま潔く死にます。みなさん、さよなら。。。』

と最後の言葉を告げて。





半世紀前の日本人てすごかったんだなー!!


だらだらと一日を終わらせ、権利は主張するけど義務は果たさない今の日本人からは想像もつかない!!


『四島一括返還』を国是としてきたわが国。


こうして一般市民もが守ろうとした四島を、今や日本政府は四島返還の原則を破棄するかのような動きを見せている


麻生外相など北方四島を面積で二等分するなんて考えている(▼へ▼メ)


当時の日本人がどんな思いで先の大戦を戦ってきたのか、
どんな思いをしてきたのか、


そう思ったらそんな考えは浮かばない。


アホの見本だな、今の日本人て。
Posted at 13:31 | エートス | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
お人よし日本人 [2007年08月09日(木)]
私が勉強している限りでは、戦争とは、外交の最終手段。

話し合いで折り合いがつかなかった場合にやむなく用いられる手段。

しかし、先の大戦はそんな誠実な元に踏み切られたものではなかった。





東京裁判で唯一の国際法の専門家だったインドのパル判事が

『ハルノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクといった小国でも、アメリカに立ち向かうだろう』

と仰ったように、日本に対して死ね!と言わんばかりの内容だったし、
アメリカは日本の外務省暗号だけじゃなく、海軍の作戦用暗号Dの解読にも成功していて、日本の作戦などアメリカには筒抜けだった。


ルーズベルトは何もかも知っていた。
反戦の空気の強い自国民に納得させるため、日本から先に手を出すよう仕向けたのです。

これは、ロバート・B・スティネットという方が、一次資料を元に本を出しています。
ただ、日本の外務省もこの失態を公式に認めなかった。
だから誤った認識が今だはびこっているのですけどね。



日本が負けたのは、日本人が誠実な国民だったから。
何の資源もないこの国、欧米の圧倒的な物量にかなわなかったから。





あの大戦に、アメリカに正義はありません。





情報戦て重要ですよね。
その情報戦。今だ日本はヘタクソだし。

まだ学生の頃、東京裁判の映画を観て、

『戦争犯罪ってどっちの国でも行われてたことでしょ?
戦勝国は清く戦争してたってわけ?
なんで日本だけ裁かれてるの?』

と思っていました。

が、それ以上突っ込んで勉強するわけでもなく。。。
でも今はこの裁判はおかしいと、世界的に言われていますよね。

子供が生まれて、よい事も悪い事も、正しく子供たちに伝えたいと、今は自国の勉強をするのが楽しくて仕方ありません。

今、私は39度熱があって、娘も39度熱出して午前中に保育園から帰ってきました。

めっちゃ苦しいです

でも、この大戦を戦ってきた方々の事を思えば、こんな風邪、へでもないです。
Posted at 14:54 | エートス | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
鬼畜米 [2007年08月09日(木)]
広島への原爆投下から3日後の今日、午前11時2分。
2発目の原子力爆弾・通称『ファットマン』が長崎に投下された。


今度はプルトニウム型。





日本全国の主要都市を焼き払い、敗北寸前の日本に対して広島・長崎への原爆投下は戦略上無意味なのに実行された。


それは、共産主義勢力への威嚇のために。

そして何よりもその破壊力、人体に及ぼす影響を確かめたいが為に。。。





東京大空襲など民間人合わせて60万人も虐殺したアメリカ。





単なる民間人大虐殺じゃん。





うちのじ様なんぞ『日本はこの仇を絶対取らなきゃならん!!』と鼻息荒くしていた。
ま、仇とる前に自分が死んじまったけどね=3





この屈辱を、決して私達は忘れません。





リメンバー・ナガサキ!!

合掌。
Posted at 14:22 | エートス | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
それぞれの思い [2007年08月08日(水)]
62年前の今日は、ソ連が奇襲攻撃をしてきた日か〜。。。


8月って今の日本の礎となった大東亜戦争当時の事を、どうしても考えさせられるな〜。


リンクしてある貼るだけ.netのお陰で、今日が何の日かを思い出させてくれる。知らなかったことまで教われる。





私のおばあちゃんのお兄さんは、シベリア抑留を経験している。

私の知るそのお兄さんは、身長が160にも満たないと思われる小柄で、猫背。
喋らなかったらロマンスグレーと言う言葉がぴったり当てはまる器量の良いじ様であった。


本当は、昔の人にしては身長が180もあったそうだが、シベリア抑留中に、氷の張る湖に3日間入れられ、背が縮んでしまったのだと聞いた。


私の夫側の伯父も、シベリア抑留を経験している。
この人はもともと小柄で、田舎のお坊ちゃん育ち。
肉体労働がきつくてよく、仮病を使って休ませてもらったという。
腹が痛いと言うと、ソ連兵は『こっちへ来て腹を温めろ』と、焚き火の前へ連れて行ってくれたそう。
『ソ連兵は優しかったど。』と言っていた。


階級や、任地先、ただ敵をやっつけることだけを思って戦ったかそうでないかによって、戦争体験者の考えも色々だ。



良いも悪いも、本当のことを知りたい。
子供らにも本当のことを教えていきたい。
それには残念な事に、今の日本では、学校で教わる歴史は必ずしも正しくないから、テストの為だけに勉強しておけ、と子供には言っておくしかない。


私の夢は、子供らがもう少し大きくなって、学校で歴史の勉強が始まったら、教科書どおりに日本中を巡ること。


それには。。。今から貯金に勤しまねば
Posted at 13:55 | エートス | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)
アメリカの無差別殺戮 [2007年08月06日(月)]
私には広島に身内もいなければ、知人もいない。
夫側にも。


それなのに、なんだろう。
この、腹の底からフツフツとドス黒く湧き上がってくるもの。
心臓をバクバク言わせるもの。。。。。





白人じゃないから。
核兵器の威力を、人体実験したかったから。。。
当時のソ連を脅したかったから。。。。。


死者十数万人。


60年以上経った今でも、後遺症にさいなまれる人や、同胞に被爆者だと差別される人がいる。


62年前の今日、午前8時15分、何の警告もなしに、ウラニウム爆弾「リトル・ボーイ」は広島の相生橋に投下された。。。


第一次大戦時、あまりの戦場の悲惨さに欧米諸国は戦時国際法を作る。
兵隊は殺していいが一般人を傷付けてはならない。。。など。


なのに一般市民の住む広島に核兵器は落とされた。




明白な国際法違反、戦争犯罪である。
でもこのことでアメリカはいまだに裁かれていない。


日本人はこの屈辱を決して忘れてはならない。


リメンバーパールーハーバー??


ふざけるなっ!!


リメンバーヒロシマ!!
Posted at 10:03 | エートス | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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