食べること大好き、でも太りたくない男が
料理やお菓子を作ったり、身体を動かしたりしながら、
日々思ったことをタラタラと綴るブログです。

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【KY】空気の読めない人々【マイペース】[2008年07月07日(月)]
行きつけのDHCブログを読んでいて、ちょっと考えてしまうのが
空気の読めない人々の存在についてである。

こうした人々を観察していると、
自分の感覚や価値観だけを基準として
ものを言ったり、考えたり、行ったりすることがよく分かる

自分の言ったこと、やったことが、相手の心に
どのような影響を与えるか、全く気にも留めないのである。

そして、何よりの驚きは、自分というものを
少しも疑いもしない精神的態度である。

いわゆる「空気が読めない人々」は、しばしば

「私は間違っていない、間違っているのはあなたのほうだ
という具合に相手を貶したり、

たとえ自分が間違っていたとしても、
「自分なりに一生懸命だったんだからいいじゃないか
などと、過剰なまでの言い訳と自己弁護を繰り広げたりする

                

人は、自分の体験から学び得たフィルターを通してしか
他の人を理解できないものだ。

家族や、ごく一部の気の合う人…といった
狭く居心地のいい人間関係の中で過ごす時間があまりにも多すぎると、
そのフィルターが未完成なまま
いわゆる「イイ大人」と呼ばれる年齢になってしまうのである。

空気を読む ―― つまり、相手の感情を慮る ―― という行為は、
相手を観察しながら、自分のこれまでの人間関係で得た教訓を
一瞬のうちにフル動員して、その感情を推し量るものだ。

味わってきた「人間関係」が狭く、心地良いものであればあるほど、
そこから導き出される推量は、
自分勝手で的外れなものになりがちである。

「他人は自分とは違うんだ」という、
どう捻じ曲げようにも変えられない事実を、
理屈ではなく現実のものとして思い知らされてはじめて、
他人を慮ることについて本気で考えるようになる。

空気の読めない人々は、自分のワガママがまかり通る場所で
長い年月を過ごしてきたため、「自分と他人との違い」を
真剣に受け止めることができず、したがって相手に譲歩することも、
自分に非があったとき素直に認めることもできない。

確かにメーワクではあるのだが、
ある種、お気の毒な人々だといえよう

                

視点を変えて考えてみると。

世の中には、本当に色んな人がいる。
僕やあなたの理解を飛び越えた価値基準で生きている
『トンデモ』な人々は確かに存在する。

皆が常識や法規に従い、素直で明るく思いやりのある人々であれば
警察も法曹関係者も、オマンマ食い上げである。

世の中の大部分の人は、それなりに思慮分別のある常識人であるため、
僕達は当然のように、目の前の相手もそうだと思い込んでしまいがちだ。

実際にそういう「トンデモな人」に出くわしてはじめて、
人間の多様性というやつを思い知らされる…という次第である。
やりきれない憤りとともに

全くもって気に入らない話ではあるが、
「世の中には、こちらの話の通じない人間がいる」という事実を
頭の片隅においておいたほうが良いと思う。

(続く)

※注:この文章は、特定個人の批判ではなく、
   あくまで個人的体験から導き出した
   一般論的見解として書いたものです。
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コメント
>>ナナシサソRさんへ
「幸福な人々」とは関わりたくない、同感ですねぇ。
可能であれば関わらないのが一番ですが、
天災のように避けようがないケースもあり、
これは難しいところであります。
( ´_ゝ`)

>>よつばさんへ
宗教絡みの方は、マジで人の話聞いてくれませんね。
教義にどっぷり漬かっているから、
「自分の信じている宗教が正しくて、他は間違い」と
最初から決め付けてかかりますからね

>>さとさんへ
仰るとおりです。
僕にしても、1から10まで正しいわけではないですし、
知らず知らずのうちに人の気持ちを
無視していることだってあるかもしれないです。

だからこそ、一方的に「人を裁く」と言うよりは、
ひとつの教訓と提案として、こういう話を
させて頂いた次第でございます。


Posted by:ナッチ→皆様へ  at 2008年07月08日(火) 20:58

おはようございます

じっくり読み入りました。

確かにこんな人居ますね。

でも、たまに思うのです。
自分も考え方によっては、そっち側になるかもしれない。
自分でも気付かないうちに、意固地(?)になってそうなってしまう危険性もあるのかなって。

文章力ないので思うように、伝えられないのですが。。。
Posted by:さと  at 2008年07月08日(火) 10:12

よくわかります

私、十数年トンデモな友人と付き合っていました。
その友人は宗教にどっぷり浸かってる一家の子で、
考えや価値観が独特でした。

初めは変わった子、不思議な子くらいの違和感だったのですが、
年を追うごとに濃くなっていって・・
変・・絶対変・・違う・・無理!!
となりました

でも、その子は自分にすごく自信を持っていて
最後まで私の辛さが解ることはありませんでした

こっちが迷惑と思ってるのに
その子はすごく良いことをしているカンジで・・
物言いも、「〜してあげてる」といったカンジで・・
カチンとくることが多かったです

本当に、そういう人と触れてみてはじめて
「通じない人がいる」ということがわかります
Posted by:よつば  at 2008年07月08日(火) 09:26

そうした「幸福な人々」とは、これはできるだけ関わりたくない、と私は考えて止まないのであります。
(*´∀`*)
Posted by:ナナシサソR  at 2008年07月08日(火) 08:48

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