自分の体験から引き出せないことに関して人から指摘されても、
何がおかしくて間違っているのか理解できないから、
どうにも自覚しようがない…というところだろう。
だから、「何怒ってるんだ、悪いのはオマエだろ」と、
こういう言葉が出てくるわけだ。
相手が自分の非に気付き、改めるのを期待して、
根気強く「空気の読めないことの非」を指摘し続けるのも良いが、
自分自身が磨り減ってしまってはいけない。
僕達がアン・サリバンになる必要は、全く無いのだ。
空気の読めない人々とは逆に、相手が何を思い、
何を考えているのか気にしすぎてしまい、延々と悩んでしまう、
そんな方も世の中には数多くいる。
僕自身も、KYな部分、考えすぎてしまう部分、その両方があると思うが、
どちらかといえば「考えすぎてしまう」ほうの人間だ。
人に迷惑をかけないよう配慮することはもちろん大切なことだが、
周りの考えや感情を気にしすぎて萎縮してしまったり、
行動に踏み切れないのは勿体無いことだ。
人生、ときにはある種の傍若無人さが必要になるときがある。
まだまだ若輩者ではあるが、僕は本当にそう思う。
空気の読めなさは、見方を変えれば
彼らの「絶対的な長所」でもある
そこに学ぶことも、きっとあるはずだ。
誤解なきように述べておくが、
僕自身は正論に則った立場から
空気の読めない人々を「断罪」するつもりは一切ない。
こうした人々の存在や思考回路を念頭に置きつつ、
そこからある種の大胆さや勇気や気楽さを学び取ることができれば、
ちょっとだけ毎日が楽しくなるんじゃない
という提案である。
空気の読めない人々の迷惑行為に腹が立つこともあるが、
それでも、世の中というものは案外と寛大なもので、
こうした人々が堂々と生きていることを許容している。
寛容な世の中に倣って、
ときには繊細な気配りを発揮し、ときには大胆に行動し、
危うきにはなるべく近寄らず、雨が降れば傘をさし、
降りかかる火の粉は軽やかに振り払う。
そういう人に、僕はなりたい。
…とりとめもない長文・乱文失礼いたしました
最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました
※注:この文章は、特定個人の批判ではなく、
あくまで個人的体験から導き出した
一般論的見解として書いたものです。
お気になさらないでください
わざわざフォローのコメントありがとうございました
嬉しいです