私は福岡に住んでいましたが、関係がゼロだったのではなく……私の父が人命に携わるような仕事をしていましたので、震災直後から2週間ほど神戸に行っていました。
携帯
もなく、ほとんど連絡も取れない状態に、やはり不安でした。
無事に帰ってきたときは、ホッとしました。
私自身は歯科医院に勤めていたのですが、震災から九州の親戚に身を寄せているという、ご家族が診察にいらっしゃいました。
保険証がない状態でしたが、「後で見つかったときに知らせてくれれば」と、院長が保険診療をしたところ、大変喜ばれまして。
後で保険証が見つかり、「仕事のものしかないけれどお礼に」と、笑顔で
たくさんのキッチン用品を関西から持ってきて下さって、私たちスタッフも嬉しかったです。
9月の
”防災の日” と同じく、決して忘れてはいけない日でしょう。
先日の千島列島での地震の折、各所の避難命令に従った人がほとんどいなかったそうです。
新聞で読んだのですが、避難しようという子どもに「来るわけない、うるさい」と叱った親までいたそうで、憤りを感じました
大自然の力を自分で勝手に判断する、おこがましいことだと思います。
無駄なことかもしれません。しかし避難して、「津波は来なかった。よかったね」と笑顔で言えれば、それでいいのでは……と思います。
昨日私は、所用で埼玉北部に出かけていました
約2年半ぶりに訪れたその場所は、偶然にも新潟県中越地震のときにいたところでした。
下から突き上げるような揺れ、グラグラにたわむ信号機
……そこでは震度5を観測したそうです。
そのことを思い出しながら、ほとんど変わっていない景色を見た途端に、私の全身に鳥肌が立ってしまったのです。次から次に、身体の中を何かがうごめくような感じで、1分くらい動けませんでした。
地震のときは「主人は大丈夫かしら?(別行動だったので)」や「電車が止まってしまって、無事に帰ることができるのかな」とかいろいろ考えてしまってわかりませんでしたが、本当は怖かったのだと、初めて気づきました。
我が家では、念のために非常持ち出し品を準備しています
大地震の一端を経験したことを無駄にしないためにも、賞味期限など時折のチェックは忘れないようにしています
最初に揃えるのは大変かもしれませんが、揃えてしまえば管理するだけですから(それも半年〜1年に一度くらい)、ぜひぜひオススメします
DHCさんには
栗駒深層水をはじめ、防災にも役に立ちそうな食品がたくさんあります。
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……絵文字にあるだけでも、こんなに
「まさか」のときに、みんなで乗り越えましょう
お家でおひとりだったお母様にお電話されて、お母様も
とても心強かったと思います。私も福岡西方沖のときに
したのですが、全然繋がらなくて、本当に不安になりました。
ときどき家族と連絡の仕方や待ち合わせ場所など、話しあう
機会が大切ですね
備えあれば憂いなしですから、時折チェックで