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塩の栄養学 [2009年10月26日(月)]
P.62第5章 理論より

 私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである

P.195 マックス・ゲルソン『ガン食事療法全書』より
 塩の栄養学的役割は、昔から論議されて来た。塩はただ調味料や刺激剤であるだけで、少量なら無害だが、大量なれば多分、有害でいずれにせよ栄養上は無くてもいいものだとしてきた人もいる。自然な食物の中に含まれているものでないということからそう判断できる、と言うのがその根拠だった。これに対し塩は栄養上不可欠で、食物中に含まれている塩化ナトリウムの量だけでは、正常な人間の必要量には不足だ、と説く人もいる。
 この両説の信奉者はそれぞれの立場を擁護するために、それぞれに理由を挙げて来た。
ウォルファイスナーは塩はビタミンに比すべきもので、これを長く完全に絶つのは食物以上に出来ないことだとした(しかし完全な♂亦fちなどは、どちらにせよ不可能だ。食物の中には自然に塩化ナトリウムが含まれているのだから)。
 ウォルファイスナーはさらに「…普通の食品中には充分な量の塩が含まれていないので、これを補えるのは調理用の塩だけである。だからこれは人為的に付け加えねばならない」とも述べた。ただ、この説に則(のっと)っても人間の必要量を満たすにはどれだけの食塩を追加すべきかと言う量の問題に関しては、見方は1つではない。
 ヨーロッパ人の平均摂取量は1日10〜15グラム、米国では10〜12グラム、またアジアやアフリカの食塩摂取量は全くまちまちである。生理学者はみな、これらの量は人間の必要量をはるかに超えていると言う。言葉を換えて云えば、人間は味付けのために塩を使っているのであり体の必要量を満たすためではないと生理学者はみな考えている、と言うことになる。
 ブンゲは塩の必要量を知るためいくつかの実験を、1901年に行った。彼はたくさんの肉を食べる動物には塩は少量必要であるのに対し、植物食の動物はずっと多くの塩が必要だ、と云うことを発見した。そして人間でも同じような関係が発見できると信じた。つまり、同じように彼は肉食の遊牧民は塩の必要量が少なく、農業人種の黒人ではそれが非常に大きいため塩が貨幣のような働きをしている部族もある、と言うことを発見した。
 ブンゲは実験から菜食主義者のように食事から大量のカリウムが摂られる場合には、体は大量の塩を体外に排出するのだ、と結論を下した(1901年の彼の古典的実験による。ただ、彼の結論は正確だったが、その理論は必ずしも議論の余地の無いものではない)。
 アブデルハルデンも、菜食主義的な部族に塩の必要量が高くなるという見方ではブンゲと同じ考えかたちに立ち、カリウム摂取が多ければ塩が大量に体外に排出される。だからその分、塩の必要量は増えるのだとしている。
 ブンゲは塩のバランス≠保つには、1日4〜5グラムの食塩が必要だと考えた。ヘルマンスドルフは博士論文でこれに反論し、人間は1日15グラムの塩を摂っても、体で使える量は1〜2グラムだけだとした。また塩断ちの結果を試すには、彼自身が断食を自分の体で実験した時にも、彼は2グラムだけの塩を摂った。
 これらの見解はしばしば臨床にも応用されて来たものだが、いくつかの点で偏(かたよ)った見解に思える。私が扱った何千人の患者での実験でも、また私自身の体での体験からも、塩の必要量は子供時代からなれた味覚の働きと関連があるのが判った。もし「全ての人間も動物も、ことに人間に似たサルなどがみなアルコールを必要とし、アル中になり得るものだ。だから、ここからしてアルコールは人間の栄養として不可欠なのだ」と説いたならばどうだろう?塩が実際に広く使われているということを根拠にして、塩は不可欠だというのも、この説と同じように正しくは無いのだ。
 塩を使わない部族もいると、ホーマーが書いているし、サルスティウスも塩を使わなかったヌミディア人のことを伝えている。だが、これ以外の世界中の人々は太古から塩を使って来た。しかし、そうだとは言え、塩の利用が人間にとってプラスになったとは、いまだに証明されていない。結局のところ今日に至っても、いまだ原因が確かめられていない退化病なるものは、昔からずっと在った。だから我々(医師)は不合理な生活方法がどこまでこう云う病気の原因になっているのかも、判断できない。
 ただ読者の興味のためにだけ付け加えれば、こんにでも無塩の暮らしをしている部族はある。ヴルゴック教授は、定住のキルギス人の間には結核がひどく多いのに遊牧のキルギス人には滅多に無い、と報告している(註142)。そして、後者は塩を使わないが前者の農民は塩が自由に帰るのでロシアの農民同様に使っている、と言う。そしてキルギス人が教授に語ったところでは、パンと塩を摂ると視力が衰えることに彼らは気付いていると、と言う。遊牧民お場合は塩を使うと狼の匂いを嗅ぎ分ける能力が衰える、と言う。教授はまた、シベリアの漁労部族や狩猟部族は塩を際立って嫌う、と報告している。北極探検家のナンセンは、歓迎しないエスキモー(現イヌイット)の客を追い返すのに彼らの塩嫌いを逆用して塩の効いた食べ物を勧めていた。スタンレーやリビングストンも、塩を知らない部族のことを報告していて、彼らに初めて塩を摂らすと、ある種の中毒症状を起こした、と言う(アルバート・シュイバイツアのレポートも参照)。
註142:アルツェツイツング

 私は健康な看護婦が数ヶ月間、塩抜きの食事を摂った後で普通の家庭の食事を食べると、まず最初に下痢と吐き気を起すのを観ている。これは習慣的な塩の摂取が、体にどれほどの大きな影響を与えているかを教えている。6ヶ月も塩抜きの食事をした看護婦は、塩に対し少年が最初に煙草を吸った時と同様な反応を起こさざるを得なくなると信ずるようになる。
 アルコール・煙草、それに人間の栄養としての塩の価値を認めるのは、国民的・宗教的ないしは政治的動機とさえ結びついたものであり、医学的立場とは無関係なものである。だから栄養上から塩の意味を論ずる場合には、人種論的な見地は除外するのが正しい。また動物の世界の例を引用して、塩の摂取は自然≠ナあるとか、必要なものだと説くのはやめるべきである。
 私は自然な栄養≠ニ云う言葉遣いは避けて来た。この言い方は食事の明らかな欠陥を補う場合には避けねばならない。1つの食事形態が自然か否かと云うことは、それが病気の治療に役立つ食事か否かと云うこととは無関係であり、実際の臨床で決定的なのは、後者の物差しだけである。
 中部インドやデカン高原などの広大な地域は動物の宝庫だが、ここでは塩が手に入らない。同じような場所はいたるところにあるに違いない。猿が塩の要求を全く示さない、という事実は特に注意に値しよう。そして捕らえられた猿だけが人間の食物を与えたえられるが、彼らはそうすると人間の食物を食べるようになり、同時に酒や煙草も、焼肉さえも受容れるようになる。
 G.リードイン博士によると、ホメオパシイ(同毒療法=病気を起すのと同じ物質を微量に用いることで治療する療法)の創始者ハーネマンは、弟子たちと塩に関する実験をした。彼らはこの実験で通常に摂っている量よりずっと大量の塩を何週間にも何ヶ月にもわたって摂った。そしてその有害な結果がリードリン博士の本(註143)には書かれている。
註143:G.リードイン『塩』P.ローレンズ編(1924年)

 塩抜きの食事=iここで言う塩抜き≠ニは食物に余分な塩を加えないと云う意味である)に対する反論をウォルファイスナーが列挙しているが、要点は次のようなものだ(註144)。
註144:塩だけではなく、果物の酸も代謝のそのような変化に関係することを、ここで知っておくべきだろう。

 野菜を多く摂る食事では体には塩の追加が必要である。食事中には塩そのもの≠ニしての塩分が充分な量、入っていないからだ。体の中で野菜の中の炭酸カリウムは塩素やナトリウムと結び付き、塩化カリウムや炭酸ナトリウムを形成させ、これが塩素とナトリウムを体外に排出させる。だからこれを補うために塩素とナトリウムを補わねばならない−つまり、塩を加えよ!
 ウォルファイスナーは同じ本でブンゲの有名な実験も紹介しているが、ブンゲはカリウムをナトリウムの3141倍も含んでいるジャガイモを常時食べることは塩化ナトリウムを加えてはじめて可能になる、としたのだった。
 この本には、奇妙なことに次のようなことも同時に書かれている。
a)リンゴはカリウムをナトリウムの100倍も含んでいる。しかし、塩なしでもリンゴはたくさん
 食べていいし、塩のものを食べずに、リンゴだけ食べる日があってもいい。
b)定説では胃液中の塩酸は塩の摂取に依存していると云う。だから塩不足だと塩酸不足が起き、食欲や消化などに影響する。塩不足によって塩酸が作られなくなってしまうからだ。
c)ウォルファイスナーは結核患者の汗には、最大1%の汗が含まれている。だから発汗は体から塩を奪う(註145)と言っている。
註145:『医学の世界』誌(1929年1821ページ)

d)さらに体のイオン状態は腎臓がコントロールしている。そして発熱やほとんどの感染症の場合は、患者に塩を与えても尿中の塩の排出量は低下するとも書いている(ここからは健康な腎臓自体が塩の体外排出量をコントロールする必要がない、ことになる。なぜならば健康な腎臓自体が塩の体外排出慮をコントロールしているからである。さらにロス・コエヴェスティーによれば、病んだ腎臓でも尿1リットルあたり5グラムの塩を排出できると言うから、こういう場合でも5グラムの塩の摂取は許されることになる)。
 上記の議論は私しの患者でも主張する人がいて、彼らは塩に栄養価値を認め、塩が食欲・渇きなどに与える影響を嬉しがる人々である。彼らに対しては医者も時にはこの議論を考慮に入れねばならないように迫られる。
 ウォルファイスナーの最初の議論に関して言えば、彼には好ましくないと映ったものこそ、私が特に望ましいと考えるものである。つまり塩化ナトリウムの体外排出の増加がそれである。もしブンゲの立場にたって言うのならば、菜食主義的食事で体内の塩の蓄積が食い潰されるとするならば、私の食事療法が達成ししようとする目的は、まさにそれなのだ。塩の排出が盛んになるほど私の食事はいくつかの点で、より効果を挙げる。私には私の療法が狙う体内の塩素とナトリウムの減少を塩を与えて補うと言うのは、糖尿病の患者に砂糖を与えて増加している彼らの尿中の糖分排出をいっそう補ってやるのと同様に不都合なことに思える。
 「どんな風に処方された人間の食事処方でも、たとえ塩抜きのものでも、ナトリウムの量が少なすぎて生命を維持できないと言う例はない(注146)。
註146:A.T.ショール『ミネラル代謝』誌(121ページ)

 ジャガイモを食べるには塩が必要だと云う議論や、ナトリウムよりもカリウムを百倍も含むリンゴでも、糖別な美食狂い外には塩をつけずに食べると言う例は前述した(これは習慣や味覚の影響の大きさを示している。農民はリンゴに塩をつける人を笑う。しかし彼ら自身が、ジャガイモには塩をつけているのだ)。
註147:エイメル『医学の世界』誌(1930年24号)

 胃液中の塩酸と塩の摂取の関係はよく知られている。しかし、塩酸が塩の摂取に依存していることが証明されているわけではないし、私の経験では逆である(註148)。ローズマンによると、正常な人間の胃液には400〜500ミリグラムの塩酸がある。そしてph(ペーハー=アルカリと酸性を測る濃度)は0.97〜0.080である、もし我々(医師)が胃液の産出のコントロールを問題にするならば、それが行われている特別な器官−つまり、胃のこととは別に胃液を造るのに関わっている体全体、とくに肝臓のことが問題になる。その他の現象にもかかわっているように、体全体という視点がここにも関わっているからである。
註148:A.シュバイツァ博士『アフリカ ランバレネ病院からの手紙』より(1954年)
塩の栄養学A [2009年10月26日(月)]
P.62第5章 理論より

 私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。

P.201
 シュバイッツア博士の次のような文章は、食事が人間に与える影響を語っていて、非常に興味深い(註148)。
註148:A.シュバイツァ博士『アフリカ ランバレネ病院からの手紙』より(1954年)

 「私は今年起きたことで印象的なことはと尋ねられたならば、現在、文明化されつつある場所に建つこの病院で起きた1つの出来事を指摘せずに入られない。
 私たちはこの地域の土着民に対して、初めての盲腸炎手術を行わざるを得なかった。白人にはしょっちゅう起きるこの病気が、この国の黒人には起きなかったのかと云う事実がなぜなのか、確信を持って説明をすることが出来ない。ただ言えることはまだ例外的なケースなのだが、これが起きたのは多分、食事の変化が原因だろうと思えると言うことである。多くの土着民、とくに大きなコミュニティ(生活圏)に住む者は、今では以前のような生活をしていない−かつて彼らは果物と野菜、バナナやカ(キャッ)サバ、イグナム、タロイモ、サツマイモ、その他の果物などだけを食べていた。しかしいまはコンデンスミルク、缶入りバター、肉や魚の保存食、パンを食べ始めている。
 ガンと云うもう1つの文明病がこの地域でいつから現れたかは、盲腸炎の場合のように正確には言えない。以前はガンがまったく無かった、とも断言できない。腫瘍を全部検査して、悪性か否かを確かめる顕微鏡検査は、ここでは数年前から始まったばかりだからだ。しかし1913年からの私の体験は、以前にもガンがあったとしても究めてまれだったが、次第に増えていると言うことは出来る。もちろん、ヨーロッパやアメリカの白人ほどに多いと言うわけではない。
 ガンの増加と土着民の塩の摂取の増加は明らかに関連付けられる。以前は奥地まで持ち込まれる海水から採る少量の潮しか得られなかった。また、運搬手段もごく少なかった。塩は海岸に住む部族の販売人から隣接の上流の部族に運ばれ、そこから順次さらに上流の部族に運ばれていた。しかし、それぞれの中継地の部族が自分のものを取り、余った分を上流に回すだけだったし、途中の土地では酋長がその土地を通過することに対して高い通行税をかけた。こんな仕組みだったから、120マイル以上もの奥地に塩が届くのは、まれなことであった。私がここに来て以来、見知っているこの土地の老人によれば「以前はここには塩は皆無だった」と言う。
 1874年に白人が到来し、交通手段を持ち込んでから状況が変わった。ヨーロッパの塩も数ポンドの袋詰めで持ち込まれた。でも私がランバレネに来た当時、塩は貴重品で報酬などの最も一般的で、かつ高額の支払い手段だった。川や未開の森を旅行する者は誰でも、金は持たず塩(それとアメリカから輸入した煙草)を持って行き、それで黒人のポーターのバナナを買ってやった。次第に塩の消費は増大したが、今日では白人ほど黒人は塩を使わない。私たちの病院の患者の食事では、ひと月に数グラムの塩しか使わないが、それでも患者たちは満足している。
 そこでこの国でガンが前には全くまれで今でも少ないのは、以前から塩がほとんど無く、今でも摂り方が少ないということと関連付けていいだろう。私たちの病院では、ガン患者がまだ1人も観られないのも面白い。
 白人に感染症が次第に増えているのも指摘せねばなるまい。結核は常に起きていたとしても、以前にもいま(1958年現在)と同じように多かったかどうかには、疑問がある。私の観るところでは、第1次大戦後に結核は増えた」
 クレメル(註149)の実験は、塩は食品中に自然に含まれているものだけに制限した食事を数ヶ月続けても、患者の胃酸値はノーマルだったと言うことを明確に示した。断塩のため食欲が落ちることも無く、一般的に特に重病患者の場合は治療開始前に比べ食欲は向上した。
註149:『医学の世界』誌(1930年11月号)

 患者で治療によっては汗で少量の塩が排泄されても、全く問題にしないでいい。と言うのは、治療によりすぐに汗は減るし、全く出なくなるのもすぐだからだ。ストラウスは粘液の分泌の減少と共に、このことを断塩食の保水効果のためと正確に指摘した。そしてこの減少から彼は、断塩はそう言う病気(気管支関連病・膣の織物・膿など)に効果的だとした。
 健康な腎臓は、ともかく全身のイオン状態をコントロールするから、塩を制限する必要はないと云う最後の議論は、余りに広く唱えられ過ぎている。しかし、これは腎臓の働き以外に塩化ナトリウムの排泄に影響を持つ重要な要素のことを、余りに無視した議論である。重要な要素とはホルモン・内臓神経組織の緊張・循環系のコントロールと云ったもののことである。
 病んだ腎臓も尿1リットル当たり5グラムの塩を排出できると言う事実は、塩の摂取量を問題にする際に特別な意味は持たない。しかし腎臓に集中する物質の中で、塩素イオンのことは特別な意味がある。
 腎臓は尿中物質を血液中に比べ40〜80倍に濃縮する能力を持つが、尿酸は25〜50倍、糖分(糖尿病の場合)は30〜50倍に濃縮する。しかし塩素は2〜5倍にしか濃縮できない(註150)。ここ40年来(1958年現在)、腎臓病における塩分制限の効果についての臨床データが集められて来た。そしてごく最近、厳しい塩制限−ストラウスの云う厳格な制限(1日当たり2.5グラム以下)≠窿mルディンの第3段階≠ヘ、ほぼ通常の塩抜き食に相当する。「病んだ腎臓は過剰な塩素で過度に刺激されたり、過重な負担をかけられることがなくなると、驚くほど短期間に回復する。…そしてそれ以前の塩の多い食事の時より、断塩食の方が余計に塩を排出する!(註151)」
註150:リヒトウイッツ『臨床科学』(1930年501ページ)
註151:ノルディン−サロモン『栄養ハンドブック』(1920年 912ページ)

 しかしノルディンは、そう云う断塩食も腎臓病を治せない、経常的な刺激を取り除くことだけが治る条件をつくる、と指摘した。
 私の食事にもしばし同じようなことが言える。断塩が色々の病気を治すのに役立つのではない。しかし、これは私の食事療法の重要なプラス要素の1つである。塩を排出することで、悪影響がある刺激を取り除ける。さらに発熱で健康な腎臓の塩分排出能力がウォルファイスナーの云うように低下し、その後も塩を摂るにもかかわらず、いまの能力が低下したままだとすればどうか。ここからは体は医者が体自体に任せていいほど上手く体内の塩をコントロールする、と言う結論は出せないはずである。発熱時には体は与えられた量の塩を取り入れられない、と云う結論が出せるだけである。塩を一時的に徹底的に制限すること(断食−つまり栄養摂取の拒絶)が感染症のような急性病にも正しい処置なのは、この理由による。また病んだ腎臓が5グラムの塩を排出できるとしても、それが5グラムの塩を与えるべきだ、と言う理由にはならない。逆に腎臓その他の器官に余力を残してやることで、他の全ての病気の場合も腎臓病の場合のような、似たような効果を目指すべきだと言うことになる。さらに心臓病・ガンなどにもそうである。
胃液中の塩酸のもとは何かと言う問題を最初に調べた1人は、多分、C.ベルナールである。彼は静脈にフェロシアン化ナトリウムと乳酸鉄を注射した。これらの物質は紺青反応を遊離後の存在下で起こした。注射後に胃の粘膜が青くなったのだ。しかし、基底部の腺の壁細胞は、そうはならなかった。
 塩酸の最終的な源は、疑いなく血液中の塩分である。塩素は塩酸を分泌する胃の壁細胞の中でイオン化塩素となり胃の中に分泌され、そこで遊離の水素と結びつき、遊離の塩化水素となる。塩化水素はそれ自体の形で分泌されてはならない。静脈血が胃の粘膜から去って行く時には、塩酸分は低下し、重炭酸ナトリウム分は上がる。
 結論として、動物体内の全ミネラル代謝は、まだ充分に調べられていないことを強調しておかなければならない。だから我々(医師)は塩素とナトリウムの役割、その両者それぞれの個別の役割のことも、また塩化ナトリウムとして両者が結びついた時の役割も、さらに他のものと結びついた時の役割も、断定的には何も言えない。我々(医師)は健康な体あるいは病んだ体の中では、ある種の関係や条件がどうなっているかと言うことを確かめるだけで満足しておくより無いのだ。 
塩の栄養学B [2009年10月27日(火)]
P.62第5章 理論より

 私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである
                         マックス・ゲルソン『ガン食事療法全書』より
P.206
 ホフマン博士は、ウォーターマンの画期的な研究に言及して、次のように言っている。
 「この研究は細胞が自分の置かれた環境条件の中の塩分の変化に対し、どんな電気的な変化を示すかを明らかにした。そのような状況下での細胞の分極化現象の中で、ウォーターマンは組織中での一番最初の変化、つまり一連のアブノーマル(異常)なプロセス(状況、経緯)を発見するための物差しを見つけた。その他の全ての点では、器官がまだ完全にノーマル(正常)な状態を維持していると見える時点でこれらが発見できるのだった」
 メイヤーによれば「バランスが崩れると、塩は細胞代謝のトラブルの1つのもとになる」。
それゆえに「食べた食物の種類と、これら全ての器官のコントロール機能と協調が、血液中の塩の量や他のものに対する比率を決める要素に、部分的になる(註152)」
註152:O.E.メイヤー・ゲッチンゲン

 そこでガン化のプロセスをスタートさせるものを議論する上では、全ての議論にミネラルのアンバランスと云う問題が深甚な意味を持って来ることになる。この事について、もう少しメイヤーから引用して紹介しよう。
 「ガンになりやすい人でも、実際にガンになる率は低いと云うことを念頭に置くと、食物がガンを起す重要な寄与因子だ、と言うことになる。しかしこれは既にガンになってしまった患者も、特別な食事にすれば治癒すると主張することとは、全く別のことである。また、大多数の医学の専門家は我々同様にそう言う臨床体験を持たないから、彼らが『特別な食事をガン治療のベースにする正当性はない』と主張することとも、また別のことである」
 しかし、それに対しホフマンは「しかし、この結論には私は全く賛成できない。反対に私はガン患者の食事は病気の推移に大きく影響する、と考えている。食物の摂り方とそれによる栄養物質の科学的組成のコントロール次第でガンの進行は進みもすれば、遅れもする(註153)」
註153:F.L.ホフマン『ガンと食事』(1937年347ページ)

 臨床的に私は次のようなことに気付いて来た。断塩食で体をクリーンにすることは、全身のナトリウム・塩素・水分を減らす。そして負の電気的ポテンシャル(潜在能力・電位維持力)の低下とともに、これは細胞の浮腫をなくす。これがつまり負の電荷にチャージ(補給)されるカリウム・グループのミネラルと正の電荷にチャージされるヨード物質の活性化のための道を開く。この変化により、ガン細胞は代謝率を上げざるを得なくさせられるらしい。私見ではミネラルの代謝は復活して来た他のプロセスと一緒になって、ガン細胞を死滅させるのに決定的な役割を果たす。ガン細胞は発酵でしか生きられない。だからこの新しく、かつ急激な変化に適応できない。そして崩壊し死滅する。代謝のこの部分は肝臓の働きによって適切に維持され、常に再活性化されていかねばならない。そこでほとんど全ての主要な機能、最蓄積されたミネラルの代謝と言う機能、体の解毒作用などが、治癒力の向上のためには不可欠で、これらがみな肝臓の働きに集約的に、かつ最終的にはかかっていると言っていいだろう。
 塩はガンの成長促進要素だから、患者の食事では制限せよと説いている人もいる(註154)。F.ブルメンタールとF.ヘッセは1935年にこれと反対の意見を発表し、塩の少ない食事はガンにむしろマイナスになる、とした。
註154:同書(410ページ)

 また低タンパク質、高カリウムの食事はアルカローシス(体をアルカリ性に傾け、様々な合併症)を招くので、ガンを成長させるとした専門家もいる。彼らは「ガンは全てアルカローシスと結びついている」と協調した。有名な栄養学者R.ベルク(註155)はこの見方に強く反発し「アルカローシスを生むような食事はガンを成長させるかもしれないが、しかしこう云う意見は全て、まだ理論の域を出ていない」とした。
註155:『国民の栄養』誌(1934年9巻119号)

 ガンにおけるナトリウムとカリウムの役割に関しては解明されている事実からは、まだ判然としてはいない。従来の研究者の発見や結論は、概して究めて我々(医師)を失望させるものでしかない。
 私見では「ガンとは特別な1つの病気ではなく、決まった症状を示したり、同じように成長したりするものではない」と、ある程度までは言えると思う。ガンとは「ただ1つの異常な状態」なのだ。そして背後原因は、肝臓が毒されたことでは見つけられるといった病気である。生物学的な発見では判然としなかったり、多くの発見が全く矛盾しあっていたりする理由も、多分そのためである。ガンは肝臓、つまり最近は生命の平衡輪(バランスゴイール)≠ニ呼ばれているものの病気である。肝臓とは多かれ少なかれ、大部分の代謝が集中している場所である。そして肝臓を源泉として他の期間は病理学的な影響を受け、ダメージを受ける。
 膨大な数の観察の中には、正確と見えるがしかし研究室の実験ではそれが裏付けられていない、といった観察がある。ウォーターマンは「ガン患者の血漿中のナトリウム含有量は変化しない」事を発見、ベネディクトとセイスは「ガン患者の血漿中には正常な量のナトリウムがある」と結論を出した。ピットとジョンソンはガン患者とそれ以外の患者の血漿と疱疹の滲出液を調べ「ガン患者もそれ以外の患者も、これらの液体中のナトリウム量は同じだ」と言うことを発見した。フライ教授は1926年の(英国ガン評論)誌で「腫瘍をもつネズミの血液中のナトリウムは、腫瘍の成長時には他のネズミよりも25%多く、退縮時には60%多い」と指摘した。マーウッドは「塩はガンのおおもとの原因だ」と言うまでにいたっていた。

●ガンにおける断塩食の役割
 断塩食の主な目的は、体中の組織から塩素や有害物質と共に体に蓄積されたナトリウム・塩素・水を追い出すことである。
 排出されにくい全ての有害物質、その他の物質は病んだ組織、特に肝臓と膵臓を刺激する。結核やガンその他の大病の場合に2,3日断塩食をすると塩の排出が増え、高い排出レベルが8日から10日、ないしは2週間続く。それが病状の好転と照応するのは、もともと患者の体がそういう状態になっていたせい、と思われる。そしてこれを過ぎると断塩食でも、排出レベルはノーマルに近いようになる。しかし時には2,3日の間は塩と水が高いレベルで排出される現象がこの間に起き、後にそれが1日だけ続くといったことが起こる。こう云ういわゆる好転反応(フレアー・アップ)′サ象は、吐き気・下痢・神経の乱れを伴って起きるが、これは多分胆汁がたくさん分泌され、内臓の神経が刺激されるために起きる現象である。患者は好転反応(フレアー・アップ)≠ェ起きた後では、そのたびに気分もよくなり、精神的にも改善される。

(断塩食の勧め)
a)浮腫や皮下組織への塩素とナトリウムの異常な蓄積のある腎臓病
b)心臓・腎臓の機能不完全
c)慢性病、特に結核、ガンなどにおけるカリウムの欠乏とナトリウムの蓄積
d)体をクリーンにする。
 どの程度までやるかは病気の程度にあわせて、なされねばならない。また回復期にも体の解毒は続けねばならない。