日本語版に寄せて@ [2009年10月02日(金)]
マックス・ゲルソン―Max Gerson 著者
1881年ドイツ生まれ。医学生時代に自分の偏頭痛を食事制限でコントロール出来る事を発見する。
ミュンヘン大学病院結核専門部・部長を務めた後、1933年、ニューヨークでアメリカの医師免許を獲得。
以後20年間に渡り、末期ガン患者の治療に努める。ノーベル賞医学博士シュバイツァとは生涯の友人で、1959年のゲルソンの死に際し、シュバイツァは次のように彼を讃えた。
「私はゲルソンの中に医学史上で最も傑出した1人の天才を見る。彼の基本的な考えの多くは、ゲルソンの名前を冠せずに受け入れられて来ている。だが彼は自分に不利な状況の中で不可能と思えることを達成した。彼が残した遺産は人々に注目することを迫り、やがて彼に正当な地位を与えるものになろう。彼の治療で治癒した人々がゲルソンの考えの正しさを証明するものになっている。
日本語版に寄せて 1989年7月 ゲルソン研究所 シャーロッテ・ゲルソン
日本の読者に対して心から歓迎の意を表し、同時に本書の翻訳と言う困難で時間のかかる仕事に取り組んで下さった翻訳者に深甚な感謝を述べたい。我々の最大の願いはゲルソン博士の仕事が日本でも知られるようになることである。これにより多くの命が救われ、病気に罹(かか)るのも防げるようになるはずである。
ゲルソン博士は、半世紀以上にわたる実績を残してきた。そして彼は最後の15年間の臨床の中では、末期ガンの患者もひどい心臓病や糖尿病、その他一般的には不治の病≠ニされてきている多くの病気も治すことが出来た。彼が、そう言う自分の療法を極めて詳細に紹介したのが本書である。本書で彼は、実際に治った患者の実例を読者の前に提示することで、自分の療法の効果を証明することを主な狙いとした。どんな治療法でも効果が期待できないとされた末期<Kン患者50人の実例を紹介しているのもそのためで、彼らはゲルソン博士の治療で治ったのだった。
研究と教育を目的としたゲルソン研究所が創立されて、10余年になる。そして我々の追跡調査で本書の患者のうち12人ほどの人がいまだに元気に生活しているのが把握されている。本書で紹介されていない人々の中にも、良好な健康状態を維持している人々はたくさんいる。彼らはみな35年から45年もの昔に、末期ガンでゲルソン博士の療法を受けた人々だった。本書の50人の中には最初から、その後35年も45年も生きるとは期待できない年齢になっていた人々が多かったのは言うまでもない。
ゲルソン博士は亡くなる少し前に、本書の50人とは別の100人の実例を出版しようと準備していた。彼らも、医学的に末期ガンと証明されていた患者だった。ただ残念ながら、この仕事は1959年3月の博士の死によって、未完に終わった。
1977年我々はメキシコにゲルソン療法のクリニックを開設した(アメリカでは医師に対する規制が厳しく、ガン学会が公認していない代替療法を実施する医師は、医師免許を取り上げられてしまうためである)。このクリニックの開設以来、我々も多くの末期♀ウ者を治してきた。患者たちはまずクリニックで医師の指導下でゲルソン療法を始め、その後、自宅でこの療法を続けるやり方を習得して退院して行く。その療法とは、本書で書かれているのと正確に同じ療法である。
ただ小さないくつかの追加療法が今では付け加えられて、これが治癒効果をさらに高めるのに役立っている。ゲルソン博士の死後の新しい研究でわかったオゾン療法、カリウムとインスリンを同時に使う静脈注射、痛みを和らげる粘度とひまし油を組み合わせたパックをとらす方法、それにリトリール(アンズのタネからとれる成分。=アミグダリン)などがそれである。そしてこれらの追加療法は体から有害物質を排出させて体を解毒しつつ、体そのものを立ち直らせると言うゲルソン療法の基本的な考えと合致するものである。我々は有害な薬や対処療法はまったく用いない。
最近6ヶ月の間に我々は、1977年以後メキシコのクリニックで治療を受けた多くの患者にアンケートを送り、約35%の患者から回答を受けた。多くの患者、特に通常の療法ではなんの手も打てなかった末期患者たちが立派に回復しているのを見るのは嬉しいものである。ゲルソン療法が転移した悪性黒色腫、リンパ腫、膀胱ガン、肺ガン、前立腺ガン、それに肝臓への転移も起きた結腸ガンなどには、特に効果的なこともわかった。また脳腫瘍、膵(すい)臓ガン、肝臓への転移も伴った乳ガン、さらに特に治療の難しいタイプの多くのガンの患者たちが驚くほどたくさん治っているのがわかり、我々は大変嬉しくなった。さらに嬉しいのは、リューマチ性関節炎、紅斑性狼瘡、若年性糖尿病を含む糖尿病、慢性潰瘍性結腸炎、心臓および循環系の病気などなど、多くの病気に効果が高かったことだった。
ゲルソン博士と同じように我々も、療法の効果は結果によってだけ判断されるものと考えている。回復した患者を紹介することに我々が力を入れるのも、そのためである。
2年ほど前(1987年)、1人の上院議員が通常の療法以外の療法で、考えられないほど多くのガン患者が治っていることを知り、そういった療法に関心を持った。これらの患者が末期ガンの患者ばかりだったからだ。それで彼は専門の医学者、研究者、医者たちを特に任命しての調査プロジェクトを発足させた。アメリカの上院はこういう専門家で組織されておらず、科学的な問題を判断できないからだった。そしてこれらの専門家グループが米国議会の技術評価曲(OTA)の手で任命され、同時にアメリカ医学協会が公認していない代替療法に関する基準も設定された。それはどんな代替療法でも、12人から20人の治癒した患者の実例を提出し、それがみな通常の療法では治るとは考えられなかったケースばかりであること、しかもその治療法によってガンが完全に治癒していること、と言う基準だった。
ゲルソン研究所は容易にこの基準をクリアできた。アメリカで第1級の病理学者に生検のスライドを提出したし、我々の提出した患者は専門家の厳格な審査をパスできるものばかりだった。さらにこの後でカリフォルニア大のアメリカの第1級の放射線科の専門家がX線写真を審査した。こういう厳格な審査基準は当初は診断にも、また末期で治癒不能≠ニされた点に関しても、一点の疑いも無いことを期すために設けられた。提出した実例の患者たちは、少なくとも4〜10年は良好な健康状態でかつガンの再発が全く無い人々ばかりであった。彼らは転移した悪性黒色腫、進行性のリンパ腫、膵臓ガン、骨に転移を起した前立腺ガンなどの患者であった。
この審査はまだ終わらない。最終的な再検討≠ツまり長期的に回復しているケースでの再検査は完璧には出来るものではない。治った患者をどうやってチェックできるのか?ガンがなくなっている者の生検などはしようにも出来ない。患者はMRI(磁気造影検査装置)の前に体を丸ごと提出して検査されなければならないが、これには巨額の費用がかかる。そのため、まだこの最終段階の審査が終わっていない。しかし、OTAの1人の委員は我々の提出した資料にいたく心を揺さぶられ、それを公表しようと提案している。ただ、まだこれは公表されていない。
一方、世界的なスケールでゲルソン療法は普及し始めている。6年前(1983年)、オーストリアの外科医がゲルソン・クリニックに見学に来て、いたく感銘して帰国後、同じ療法を始めた。法律および医療上の問題があり彼は正確なゲルソン療法がやれなかったので、修正版ゲルソン療法を患者に実施している。しかし、それでも目覚しい効果を上げている。
1989年6月、私は西ドイツのケルンのセミナーに呼ばれた。セミナーには多くの医師その他の関係者が参加したが、この中には既にゲルソン療法を実施して効果を上げている医者もいた。また、ゲルソン療法を詳しく習いにメキシコのクリニックに来訪したことのある人々もいた。
ゲルソン博士の本書に関しても、既にイタリア語版で出版され、つい先日はフランス語版の翻訳書の出版が決まった。
一方メキシコのゲルソン療法の医師たちはいま、クリニックを退院後の患者のフォロー・アップ的に指導する体制を準備中で、これが出来ればゲルソン療法を受けた患者のその後が完全に把握できるようになる。そしてこの種のレポートが医学専門誌に発表されれば、ゲルソン療法の効果は世界的に広く認識されるようになるに違いない。
ゲルソン研究所は、ガン治療に関するあらゆる新領域に関し研究を進めている。患者たちに最新かつ最も進んだ医療を与えるためである。しかしゲルソン療法の栄養的アプローチを基礎にしない限り、どう云う新しい療法を加えても効果が無いことは既に判然としている。また我々の新しい研究を世界中の会員に季刊の『ヒーリング・ニュースレター』を通じて紹介している。
最近は一般の医学界も正しい栄養の大切さにやっと気付くようになってきた。また世界の人々も正しい食事のことを教えられ、脂肪や塩を少なくし、化学物質や農薬の無い食品をと言う時代になっている。しかし未だ食事や栄養が治療の手段として認められるようになるには、若干の時間がかかりそうである。だがゲルソン博士はそれを半世紀以上も前に指摘していたのだった。
我々は本書が多くの人々の健康と幸せの増進に役立つことを期待している。
1881年ドイツ生まれ。医学生時代に自分の偏頭痛を食事制限でコントロール出来る事を発見する。
ミュンヘン大学病院結核専門部・部長を務めた後、1933年、ニューヨークでアメリカの医師免許を獲得。
以後20年間に渡り、末期ガン患者の治療に努める。ノーベル賞医学博士シュバイツァとは生涯の友人で、1959年のゲルソンの死に際し、シュバイツァは次のように彼を讃えた。
「私はゲルソンの中に医学史上で最も傑出した1人の天才を見る。彼の基本的な考えの多くは、ゲルソンの名前を冠せずに受け入れられて来ている。だが彼は自分に不利な状況の中で不可能と思えることを達成した。彼が残した遺産は人々に注目することを迫り、やがて彼に正当な地位を与えるものになろう。彼の治療で治癒した人々がゲルソンの考えの正しさを証明するものになっている。
日本語版に寄せて 1989年7月 ゲルソン研究所 シャーロッテ・ゲルソン
日本の読者に対して心から歓迎の意を表し、同時に本書の翻訳と言う困難で時間のかかる仕事に取り組んで下さった翻訳者に深甚な感謝を述べたい。我々の最大の願いはゲルソン博士の仕事が日本でも知られるようになることである。これにより多くの命が救われ、病気に罹(かか)るのも防げるようになるはずである。
ゲルソン博士は、半世紀以上にわたる実績を残してきた。そして彼は最後の15年間の臨床の中では、末期ガンの患者もひどい心臓病や糖尿病、その他一般的には不治の病≠ニされてきている多くの病気も治すことが出来た。彼が、そう言う自分の療法を極めて詳細に紹介したのが本書である。本書で彼は、実際に治った患者の実例を読者の前に提示することで、自分の療法の効果を証明することを主な狙いとした。どんな治療法でも効果が期待できないとされた末期<Kン患者50人の実例を紹介しているのもそのためで、彼らはゲルソン博士の治療で治ったのだった。
研究と教育を目的としたゲルソン研究所が創立されて、10余年になる。そして我々の追跡調査で本書の患者のうち12人ほどの人がいまだに元気に生活しているのが把握されている。本書で紹介されていない人々の中にも、良好な健康状態を維持している人々はたくさんいる。彼らはみな35年から45年もの昔に、末期ガンでゲルソン博士の療法を受けた人々だった。本書の50人の中には最初から、その後35年も45年も生きるとは期待できない年齢になっていた人々が多かったのは言うまでもない。
ゲルソン博士は亡くなる少し前に、本書の50人とは別の100人の実例を出版しようと準備していた。彼らも、医学的に末期ガンと証明されていた患者だった。ただ残念ながら、この仕事は1959年3月の博士の死によって、未完に終わった。
1977年我々はメキシコにゲルソン療法のクリニックを開設した(アメリカでは医師に対する規制が厳しく、ガン学会が公認していない代替療法を実施する医師は、医師免許を取り上げられてしまうためである)。このクリニックの開設以来、我々も多くの末期♀ウ者を治してきた。患者たちはまずクリニックで医師の指導下でゲルソン療法を始め、その後、自宅でこの療法を続けるやり方を習得して退院して行く。その療法とは、本書で書かれているのと正確に同じ療法である。
ただ小さないくつかの追加療法が今では付け加えられて、これが治癒効果をさらに高めるのに役立っている。ゲルソン博士の死後の新しい研究でわかったオゾン療法、カリウムとインスリンを同時に使う静脈注射、痛みを和らげる粘度とひまし油を組み合わせたパックをとらす方法、それにリトリール(アンズのタネからとれる成分。=アミグダリン)などがそれである。そしてこれらの追加療法は体から有害物質を排出させて体を解毒しつつ、体そのものを立ち直らせると言うゲルソン療法の基本的な考えと合致するものである。我々は有害な薬や対処療法はまったく用いない。
最近6ヶ月の間に我々は、1977年以後メキシコのクリニックで治療を受けた多くの患者にアンケートを送り、約35%の患者から回答を受けた。多くの患者、特に通常の療法ではなんの手も打てなかった末期患者たちが立派に回復しているのを見るのは嬉しいものである。ゲルソン療法が転移した悪性黒色腫、リンパ腫、膀胱ガン、肺ガン、前立腺ガン、それに肝臓への転移も起きた結腸ガンなどには、特に効果的なこともわかった。また脳腫瘍、膵(すい)臓ガン、肝臓への転移も伴った乳ガン、さらに特に治療の難しいタイプの多くのガンの患者たちが驚くほどたくさん治っているのがわかり、我々は大変嬉しくなった。さらに嬉しいのは、リューマチ性関節炎、紅斑性狼瘡、若年性糖尿病を含む糖尿病、慢性潰瘍性結腸炎、心臓および循環系の病気などなど、多くの病気に効果が高かったことだった。
ゲルソン博士と同じように我々も、療法の効果は結果によってだけ判断されるものと考えている。回復した患者を紹介することに我々が力を入れるのも、そのためである。
2年ほど前(1987年)、1人の上院議員が通常の療法以外の療法で、考えられないほど多くのガン患者が治っていることを知り、そういった療法に関心を持った。これらの患者が末期ガンの患者ばかりだったからだ。それで彼は専門の医学者、研究者、医者たちを特に任命しての調査プロジェクトを発足させた。アメリカの上院はこういう専門家で組織されておらず、科学的な問題を判断できないからだった。そしてこれらの専門家グループが米国議会の技術評価曲(OTA)の手で任命され、同時にアメリカ医学協会が公認していない代替療法に関する基準も設定された。それはどんな代替療法でも、12人から20人の治癒した患者の実例を提出し、それがみな通常の療法では治るとは考えられなかったケースばかりであること、しかもその治療法によってガンが完全に治癒していること、と言う基準だった。
ゲルソン研究所は容易にこの基準をクリアできた。アメリカで第1級の病理学者に生検のスライドを提出したし、我々の提出した患者は専門家の厳格な審査をパスできるものばかりだった。さらにこの後でカリフォルニア大のアメリカの第1級の放射線科の専門家がX線写真を審査した。こういう厳格な審査基準は当初は診断にも、また末期で治癒不能≠ニされた点に関しても、一点の疑いも無いことを期すために設けられた。提出した実例の患者たちは、少なくとも4〜10年は良好な健康状態でかつガンの再発が全く無い人々ばかりであった。彼らは転移した悪性黒色腫、進行性のリンパ腫、膵臓ガン、骨に転移を起した前立腺ガンなどの患者であった。
この審査はまだ終わらない。最終的な再検討≠ツまり長期的に回復しているケースでの再検査は完璧には出来るものではない。治った患者をどうやってチェックできるのか?ガンがなくなっている者の生検などはしようにも出来ない。患者はMRI(磁気造影検査装置)の前に体を丸ごと提出して検査されなければならないが、これには巨額の費用がかかる。そのため、まだこの最終段階の審査が終わっていない。しかし、OTAの1人の委員は我々の提出した資料にいたく心を揺さぶられ、それを公表しようと提案している。ただ、まだこれは公表されていない。
一方、世界的なスケールでゲルソン療法は普及し始めている。6年前(1983年)、オーストリアの外科医がゲルソン・クリニックに見学に来て、いたく感銘して帰国後、同じ療法を始めた。法律および医療上の問題があり彼は正確なゲルソン療法がやれなかったので、修正版ゲルソン療法を患者に実施している。しかし、それでも目覚しい効果を上げている。
1989年6月、私は西ドイツのケルンのセミナーに呼ばれた。セミナーには多くの医師その他の関係者が参加したが、この中には既にゲルソン療法を実施して効果を上げている医者もいた。また、ゲルソン療法を詳しく習いにメキシコのクリニックに来訪したことのある人々もいた。
ゲルソン博士の本書に関しても、既にイタリア語版で出版され、つい先日はフランス語版の翻訳書の出版が決まった。
一方メキシコのゲルソン療法の医師たちはいま、クリニックを退院後の患者のフォロー・アップ的に指導する体制を準備中で、これが出来ればゲルソン療法を受けた患者のその後が完全に把握できるようになる。そしてこの種のレポートが医学専門誌に発表されれば、ゲルソン療法の効果は世界的に広く認識されるようになるに違いない。
ゲルソン研究所は、ガン治療に関するあらゆる新領域に関し研究を進めている。患者たちに最新かつ最も進んだ医療を与えるためである。しかしゲルソン療法の栄養的アプローチを基礎にしない限り、どう云う新しい療法を加えても効果が無いことは既に判然としている。また我々の新しい研究を世界中の会員に季刊の『ヒーリング・ニュースレター』を通じて紹介している。
最近は一般の医学界も正しい栄養の大切さにやっと気付くようになってきた。また世界の人々も正しい食事のことを教えられ、脂肪や塩を少なくし、化学物質や農薬の無い食品をと言う時代になっている。しかし未だ食事や栄養が治療の手段として認められるようになるには、若干の時間がかかりそうである。だがゲルソン博士はそれを半世紀以上も前に指摘していたのだった。
我々は本書が多くの人々の健康と幸せの増進に役立つことを期待している。
まえがき [2009年10月03日(土)]
まえがき マックス・ゲルソン
私の治療の実績を知った多くの医者や研究者から、私はこれまでに、悪性腫瘍の個々のケースの治療法を教えて欲しいと求められたり、そのための文献を求められたりしてきた。しかし個人的な手紙のやり取りなどでは、私がなぜそう言う治療法を指示するのかと言う理由も、その治療法の説明も完全には出来がたい。
この本を私が書き、その中で私の30年以上にわたるガンの治療体験や治療法の処方箋を公(おおやけ)にすることにしたのも、そのためである。
ポアンカレは『科学と仮説』の中で次のように書いている。
「家が石で建てられるのと同様に、科学は事実を材料として建てられるものである。しかし事実をただ集めただけでは、科学とは言えない。石をただ集めてきただけでは家と呼べないのと同様にである」
生物学の世界では事実が互いに相殺しあったり、逆に通常以上の機能を発揮し、時には過度に機能を発揮してしまったりと言うこともあり得る。したがって個人は、その問題を自分で解決しなければならないと言う負担を背負わされることになるが、その場合に問題解決のための手段を提供するのが科学である。
我々医師は症状を発見したり、それを検査したり、治療したりするための訓練を受けていて、それに慣れている。
ところで医者の教科書では、症状は1つ1つの器官に現れるものだとして記述されている。本書でも、目に見えたり検査器具やX線で判別できる限りの症状について記述してある。しかし私は、こういう症状を病気が表面に現れたものとして理解しているわけではない。そうではなく、肉体部分の代謝状況を示すしるしであり、生体活性に関係する諸要素の深くかつ高度な仕組みの状況を表すものと捉えている。
この要素はミネラルの働きや細胞中の電気的活性、酸化作用に関わる酸化酵素の働きなどなどと云ったもののことである。また、代謝の状況が改善される場合も逆に一層悪くなる場合も、それは症状や何かの信号を通じてはっきり認識できる。この代謝の状況がよくなるか悪くなるかは、そのまま病気の治癒能力に反映され、よくなる場合は治癒能力は向上し、逆の場合は低下する。
私の治療方法は主として、肉体の栄養状態の改善を武器とする治療法である。この領域で発見されたこと、およびその応用法の具体的な内容の多くは、既に科学的な研究によってその確かさが確認されている。本書で紹介した個々の症例は、従来明らかにされて来た事実を単独にか、あるいは組み合わせて応用したその結果として、いい結果が得られたものに過ぎない。
私はこのような治療経験からガンになった肉体に対しては、従来云われてきたよりももっと長期にわたって肉体の解毒作用を集中的に促し、かつこれを続行することが必要だと云う点に気付いた。最近は世間の人々もガンと言う難病に関心を高め、これを警戒し、有効な治療法を求めての絶えざる研究に注目するようになって来ている。本書は、まず第1には医者のために書いたものだが、しかしガンを巡る主要な問題点は、素人の知的な読者にも理解してもらえるように意図して書いた。いくつかの章は別々の時に執筆した。そんなわけで、同じことを繰り返し述べている箇所も少なくない。
医学の歴史を見ると医学の考え方そのもの、および実際の医療技術に革新をもたらしたような医学の改革者たちが、苦渋の道を歩んだという実例が実に多い。お解りだろうが、それまで自分が続けてきた治療法を喜んで変えようと言う医者は、きわめて少ないものである。大部分の医者は自分が習ったとおりのことや、教科書に書いてある治療法を、多かれ少なかれ操り人形のように繰り返しているだけなのだ。
そもそもの出発点においては、医者は何よりも患者のために役立ってやりたい、と思っている。しかし彼は、医学界に認められていない治療法を自分の患者に実際に使うことには足踏みする。科学、芸術、技術の歴史は、新しい考えはどんな考えも、激しい抵抗に出会って来たことを教える。そして改革者で自分の考えが生前に世間に受け入れられるのを、自分の目で見られた者は残念ながら少ない。
文化の領域での発展が何世紀にもわたる長い期間をかけて、極めて遅々としか進まない1つの理由は、このような事情により、発展が力によって抑えられるためである。
この点でいえば、私はむしろ幸運な立場に恵まれて来たと言える。なぜなら私の患者の90〜95%がガンがうんと進んだ末期患者で、彼らには冒すべきどんなリスクももう残っていないのだった。公認されているどんな治療法でも、効果が上がらなかったとか、最初から「手術不能」とされたと言うのが、彼らだった。私の治療法がいい結果になるにせよ、失敗に終わるにせよ、事態の推移を充分に観察するには、患者たちにも、もうしばらくの辛抱の時間が必要なのである。
私の治療の実績を知った多くの医者や研究者から、私はこれまでに、悪性腫瘍の個々のケースの治療法を教えて欲しいと求められたり、そのための文献を求められたりしてきた。しかし個人的な手紙のやり取りなどでは、私がなぜそう言う治療法を指示するのかと言う理由も、その治療法の説明も完全には出来がたい。
この本を私が書き、その中で私の30年以上にわたるガンの治療体験や治療法の処方箋を公(おおやけ)にすることにしたのも、そのためである。
ポアンカレは『科学と仮説』の中で次のように書いている。
「家が石で建てられるのと同様に、科学は事実を材料として建てられるものである。しかし事実をただ集めただけでは、科学とは言えない。石をただ集めてきただけでは家と呼べないのと同様にである」
生物学の世界では事実が互いに相殺しあったり、逆に通常以上の機能を発揮し、時には過度に機能を発揮してしまったりと言うこともあり得る。したがって個人は、その問題を自分で解決しなければならないと言う負担を背負わされることになるが、その場合に問題解決のための手段を提供するのが科学である。
我々医師は症状を発見したり、それを検査したり、治療したりするための訓練を受けていて、それに慣れている。
ところで医者の教科書では、症状は1つ1つの器官に現れるものだとして記述されている。本書でも、目に見えたり検査器具やX線で判別できる限りの症状について記述してある。しかし私は、こういう症状を病気が表面に現れたものとして理解しているわけではない。そうではなく、肉体部分の代謝状況を示すしるしであり、生体活性に関係する諸要素の深くかつ高度な仕組みの状況を表すものと捉えている。
この要素はミネラルの働きや細胞中の電気的活性、酸化作用に関わる酸化酵素の働きなどなどと云ったもののことである。また、代謝の状況が改善される場合も逆に一層悪くなる場合も、それは症状や何かの信号を通じてはっきり認識できる。この代謝の状況がよくなるか悪くなるかは、そのまま病気の治癒能力に反映され、よくなる場合は治癒能力は向上し、逆の場合は低下する。
私の治療方法は主として、肉体の栄養状態の改善を武器とする治療法である。この領域で発見されたこと、およびその応用法の具体的な内容の多くは、既に科学的な研究によってその確かさが確認されている。本書で紹介した個々の症例は、従来明らかにされて来た事実を単独にか、あるいは組み合わせて応用したその結果として、いい結果が得られたものに過ぎない。
私はこのような治療経験からガンになった肉体に対しては、従来云われてきたよりももっと長期にわたって肉体の解毒作用を集中的に促し、かつこれを続行することが必要だと云う点に気付いた。最近は世間の人々もガンと言う難病に関心を高め、これを警戒し、有効な治療法を求めての絶えざる研究に注目するようになって来ている。本書は、まず第1には医者のために書いたものだが、しかしガンを巡る主要な問題点は、素人の知的な読者にも理解してもらえるように意図して書いた。いくつかの章は別々の時に執筆した。そんなわけで、同じことを繰り返し述べている箇所も少なくない。
医学の歴史を見ると医学の考え方そのもの、および実際の医療技術に革新をもたらしたような医学の改革者たちが、苦渋の道を歩んだという実例が実に多い。お解りだろうが、それまで自分が続けてきた治療法を喜んで変えようと言う医者は、きわめて少ないものである。大部分の医者は自分が習ったとおりのことや、教科書に書いてある治療法を、多かれ少なかれ操り人形のように繰り返しているだけなのだ。
そもそもの出発点においては、医者は何よりも患者のために役立ってやりたい、と思っている。しかし彼は、医学界に認められていない治療法を自分の患者に実際に使うことには足踏みする。科学、芸術、技術の歴史は、新しい考えはどんな考えも、激しい抵抗に出会って来たことを教える。そして改革者で自分の考えが生前に世間に受け入れられるのを、自分の目で見られた者は残念ながら少ない。
文化の領域での発展が何世紀にもわたる長い期間をかけて、極めて遅々としか進まない1つの理由は、このような事情により、発展が力によって抑えられるためである。
この点でいえば、私はむしろ幸運な立場に恵まれて来たと言える。なぜなら私の患者の90〜95%がガンがうんと進んだ末期患者で、彼らには冒すべきどんなリスクももう残っていないのだった。公認されているどんな治療法でも、効果が上がらなかったとか、最初から「手術不能」とされたと言うのが、彼らだった。私の治療法がいい結果になるにせよ、失敗に終わるにせよ、事態の推移を充分に観察するには、患者たちにも、もうしばらくの辛抱の時間が必要なのである。
訳者あとがき [2009年10月04日(日)]
訳者あとがき 今村 光一
本書は「ガンの食事慮方の父」とこの世界の専門家たちが呼んでいるゲルソンの古典的名著の全訳であるL。ただ原書には付録が2つあり、1つはゲルソン研究所の現所長シャーロッテ・ゲルソン女子(ゲルソンの3女)の書いた「慢性病治療とゲルソン療法」。もう1つはゲルソン自身が「ガン治療30年」と題して行った講演の要録である。いずれも貴重なものでぜひ訳出したかったが、紙幅の関係でやむを得ず割愛した。
食事療法なんて初耳と言う読者が多そうだが、ゲルソン療法をベースにしたこの療法は、今では(1989年)メキシコや西ドイツを中心とするヨーロッパ諸国、それにイギリス、オーストリア、アメリカの一部などではかなり盛んに行われ、読者が信じそうも無い成果を上げている。昨年(1988年)、私は1ヶ月にわたりこれらの病院を視察し、ガンをこの療法で克服して数十年経つガンの勝利者(向こうではキャンサー・ヴィクターと呼んでいる)≠スち多数にも会って来た。イギリスのブリストルがんセンターなどでは、10年前に余命3ヶ月と宣告されたブローン女子と言うガン患者自身が創設した施設で、女史は私の訪問時にも元気な姿で患者の指導に当たっていた。また、ここの職員にはガンの勝利者≠ェ何人もいる。同国にはブリストルを中心に同じ療法を実施する施設が今(1989年)では20ほども出来、現代医学に批判的なチャールズ皇太子が、大いに肩入れしている。
私は数日後には、カリフォルニアで開かれるガン食事・栄養療法会議に出席するために渡米するが、この会議にはレーガン前大統領の主治医≠ナ、西ドイツのリーダー、ニーベル博士なども出席する。
エッ、お医者さん!?…ぱくッ!
ブログテーマ[ゲルソン道場]|自律神経免疫療法(刺絡 ...
マックマーレイはその2年前にのどに腫瘍ができたが、 前にも紹介したレーガン前大統領の主治医、西ドイツのニイベル博士の治療を受けた。 そしてガンは影すらなくなった。 博士が指示した治療はレトリルと食事療法とビタミン類、ミネラル類などで、 ...
ameblo.jp/drfutan/theme-10011137772.html - キャッシュ - 類似ページ
ゲルソン的な総合食事療法(食事療法と栄養物質の利用を組み合わせた療法)だけが、目下はガンを最も確実に治す療法である。早い話し、3年ほど前に私自身が書いた食事・栄養療法の本を手引きに、自分でガンを克服した患者が日本にもかなりいる。レーガン前大統領が元気なのも同じ理由による(その後レーガン氏は老人性痴呆症を患い、老衰から来る多臓器不全により死去)。このあとがきで書きたいことはたくさんあるが、限られた紙幅なので、読者の起こしそうな1つの大きな疑問にだけ答え、その他は希望者に訳者から送る詳細な資料で応えたい。
読者が起こす最大の疑問は、なぜそんないい療法がいままで広く知られずに来たのか、と言うことであろう。これは一言で言えば、現代医学がパスツールによって狂わされて、100年来、間違った医学になったためで、医学思想の問題である。そして狂った医学だけが繁盛する中では、医学者の頭も世間の人の頭も、ゲルソン的な考え方は全く理解できなくなった。これを説明するために私はよく46,77,85,88と言う数字を挙げる。
1946年、ゲルソンも出席して開かれた米上院のガン問題調査委員会は、ゲルソンの治療実績に驚き、ゲルソン的なガン療法の研究に補助金の支給を決めた。しかし、これをパスツール的な思考しかできない当時のアメリカ・ガン学会は横槍を入れて潰した。ノーベル賞を2度受賞して有名なポーリングも、これはガン治療の進歩を妨げた最も不幸な出来事だと書いている。
1977年、2年間の審議で500ページを超える大レポートを出した米上院栄養問題特別委は、「現代医学は栄養の問題に盲目的の医学だ。医学革命が必要で、そのためには医者の再教育が不可欠だ」と提言し田。しかし長く続いたパスツール路線は医学会、製薬会社、病院、それに保険当局と言う4者の利益関係から白い巨頭の癒着の構造を生み出し、その中ではこの提言も現実のものには未だならない。
そんな中で85年、アメリカ国立ガン研究所(NCI)のデヴィタ所長は、「分子生物学的に見ても抗ガン剤でガンが治せないことは、理論的にハッキリした」と米議会で証言した。「農薬を使うと農薬の効かない新種の害虫が発生するのと同じように、ガン細胞は自らのアンチ・ドラッグ・ジェーン=アンチ・ドラッグ・ジーン(反抗ガン剤因子=反抗ガン剤遺伝子)の働きで、抗ガン剤の効き目を打ち消してしまうのが判った」と所長は語った。
この問題は88年の日本ガン学会でも、ガン細胞の抗ガン剤耐性の問題として大問題にされた。
そこに88年、NCI自身が数千ページの「ガン病因学」と言うレポートでこう断言した。
「抗ガン剤を使うともとのガンの他に新たなガンが何倍にも増える…」
抗ガン剤とガンを治せないだけではなく、ガンを増やす薬なのだ!
だからNCI自身、今ではガンの栄養療法の研究に力を入れている。
シャーロッテ女史の前書きにあるように、「いまアメリカ議会の委員会は、結局は従来の3種の神器療法(抗ガン剤、放射線、手術だけを迷信的に信心≠オている通常の療法≠謔閨A自然の理にかなったゲルソン的な療法こそ正しい両方だ)とするレポートを発表する予定である。
46年に徒党に過ぎない当時のガン学会に数で潰された天才ゲルソンが、シュバイツァの言ったように正当な地位を与えられる日は、もう、すぐ近くに来ていることを、46,77,85,88と言う数字が象徴的に教えていると言えよう。
私はいま、多くのガン勝利者からアンケートを集めているが、この中には本書の症例35のジョージ・ゲムソン氏からのものもある。40余年前27歳で発病し、ゲルソン療法でガンが治っただけでなく、子供も生まれたと言う人物である。同氏は46年にゲルソンが10人のガン勝利者を伴って米上院の委員会に出席し証言した時にも同席した歴史的な人物である。遠い日本にこんな歴史的な人物がアンケートを寄せてくれたことに、日本でのゲルソン療法元年を私は感じる。
なお、いま世界の食事・栄養療法専門家は父≠フゲルソン療法をベースにしつつも、それぞれが独自な研究を追加して効果を上げている。前出のブリストルやニイベル(=ニーベイ)博士などもそうである。その観点からすると、ゲルソンのビタミン類などに関する指摘には、若干の誤解を招く余地も無いとは言えない。しかし、これらの疑問には前述した訳者からの資料で応えることにする。
また、医学上の発見についても、現代では既に判明している事柄もあるのだが、歴史的経過の観点に立ち、当時の記述をそのまま使用した。
ブリストル・ガン・センターの療法は『ガン栄養療法入門』(B・キッドマン著 今村光一 訳 小社刊)参照のこと。またこの本には日本の食品でアレンジしたゲルソン式食事の詳しい献立もつけてある。
アンケートを集めた今村光一著『ガン勝利者の証言』(仮題)は、3月ごろ主婦の友社より刊行予定。
食事療法の日本の患者が効果的に自分で実施する上で必要なさまざまなガイドとなる資料案内は、72円切手を貼り、ご自分の宛名を書いた返信用封筒を同封の上訳者の事務所(訳者紹介参)にお求めください(なお、資料をよく読んで理解なされる前に、電話等でお問い合わせ下さっても、お答えしきれません)。
〔医師の方へ〕患者が食事・栄養療法の効果を上げるためには助言、血液検査、栄養物質の注射、点滴窓の面で、この療法に理解のある医師の協力が必要です。しかし、まだ、そう言う医師は我が国ではごく限られていて、多くの地域でそう言う医師を患者が求めています。関心のある医師、その他の関係者の方々は今村事務所にお申し出ください。資料提供や外国の栄養療法病院、研究機関などの紹介、日本の病院の連絡等のお世話をします。
1989年7月15日
第2版付記
初版出版後、亜麻仁油(289ページ参照)についての問い合わせが多かったので、ここに付記する。
亜麻仁油は、ゲルソンが糖尿病心臓病等に用いて効果があったもので、1950年代から、ガンにも用いるようになった。同じ頃、ゲルソンとも親交のあったドイツのブードヴィッヒ博士が、ガン治療に亜麻仁油を使い始め、以来30余年で1千例以上を治癒させている。
ゲルソンは他の脂肪は全く禁じておきながら、亜麻仁油だけを唯一の例外的脂肪としてガン患者に勧めた。ゲルソン病院では、現在も同じように使用し、生のままサラダにかけたり、ポット・チーズの許された患者には、そのチーズに混ぜたりしている。
現在、対ガン効果のある唯一の脂肪として、日本の学者も含め現代医学会が注目し始めた脂肪に、アルファ・リノレン酸がある。これは第3の脂肪≠ニさえ呼ばれ始めているが、このアルファ・リノレン酸を最も多く含むのが、実は亜麻仁油である。
註:亜麻仁油の詳細につきましては、拙事たる当ブログに今村光一氏の翻訳された医者
も知らない亜麻仁油¢O文を無断掲載させていただいております。興味をもたれた方は、
ご通読下さい。
「この世の中、オギャーと生まれてきた以上は、ウギャーと云う言わないは別にして、ゼッチに死なない命は御座いません。大切なことは、どのような最後を迎えるかだと信じております。
私が知る限り、今村光一氏はヘビー・スモーカーで肺ガンに罹(かか)ってもなお、病室にP.Cを持ち込み、最後まで記事を書きながら逝かれたそうです。
また、丸元淑生氏も食道ガンにより御逝去なさいました。
食事療法や栄養療法を啓蒙されていらした方々が、自らの病名を公開された勇気と、その裏側にある思い(最後は死亡診断書≠ネくして認められません。また、自らの体を実験台にされた作品=諸々の事情により未発表)や無念を私なりに受け止めさせて頂き、ここに記させていただきます。
両氏の鎮魂を込めて、合掌…。
本書は「ガンの食事慮方の父」とこの世界の専門家たちが呼んでいるゲルソンの古典的名著の全訳であるL。ただ原書には付録が2つあり、1つはゲルソン研究所の現所長シャーロッテ・ゲルソン女子(ゲルソンの3女)の書いた「慢性病治療とゲルソン療法」。もう1つはゲルソン自身が「ガン治療30年」と題して行った講演の要録である。いずれも貴重なものでぜひ訳出したかったが、紙幅の関係でやむを得ず割愛した。
食事療法なんて初耳と言う読者が多そうだが、ゲルソン療法をベースにしたこの療法は、今では(1989年)メキシコや西ドイツを中心とするヨーロッパ諸国、それにイギリス、オーストリア、アメリカの一部などではかなり盛んに行われ、読者が信じそうも無い成果を上げている。昨年(1988年)、私は1ヶ月にわたりこれらの病院を視察し、ガンをこの療法で克服して数十年経つガンの勝利者(向こうではキャンサー・ヴィクターと呼んでいる)≠スち多数にも会って来た。イギリスのブリストルがんセンターなどでは、10年前に余命3ヶ月と宣告されたブローン女子と言うガン患者自身が創設した施設で、女史は私の訪問時にも元気な姿で患者の指導に当たっていた。また、ここの職員にはガンの勝利者≠ェ何人もいる。同国にはブリストルを中心に同じ療法を実施する施設が今(1989年)では20ほども出来、現代医学に批判的なチャールズ皇太子が、大いに肩入れしている。
私は数日後には、カリフォルニアで開かれるガン食事・栄養療法会議に出席するために渡米するが、この会議にはレーガン前大統領の主治医≠ナ、西ドイツのリーダー、ニーベル博士なども出席する。
エッ、お医者さん!?…ぱくッ!
ブログテーマ[ゲルソン道場]|自律神経免疫療法(刺絡 ...
マックマーレイはその2年前にのどに腫瘍ができたが、 前にも紹介したレーガン前大統領の主治医、西ドイツのニイベル博士の治療を受けた。 そしてガンは影すらなくなった。 博士が指示した治療はレトリルと食事療法とビタミン類、ミネラル類などで、 ...
ameblo.jp/drfutan/theme-10011137772.html - キャッシュ - 類似ページ
ゲルソン的な総合食事療法(食事療法と栄養物質の利用を組み合わせた療法)だけが、目下はガンを最も確実に治す療法である。早い話し、3年ほど前に私自身が書いた食事・栄養療法の本を手引きに、自分でガンを克服した患者が日本にもかなりいる。レーガン前大統領が元気なのも同じ理由による(その後レーガン氏は老人性痴呆症を患い、老衰から来る多臓器不全により死去)。このあとがきで書きたいことはたくさんあるが、限られた紙幅なので、読者の起こしそうな1つの大きな疑問にだけ答え、その他は希望者に訳者から送る詳細な資料で応えたい。
読者が起こす最大の疑問は、なぜそんないい療法がいままで広く知られずに来たのか、と言うことであろう。これは一言で言えば、現代医学がパスツールによって狂わされて、100年来、間違った医学になったためで、医学思想の問題である。そして狂った医学だけが繁盛する中では、医学者の頭も世間の人の頭も、ゲルソン的な考え方は全く理解できなくなった。これを説明するために私はよく46,77,85,88と言う数字を挙げる。
1946年、ゲルソンも出席して開かれた米上院のガン問題調査委員会は、ゲルソンの治療実績に驚き、ゲルソン的なガン療法の研究に補助金の支給を決めた。しかし、これをパスツール的な思考しかできない当時のアメリカ・ガン学会は横槍を入れて潰した。ノーベル賞を2度受賞して有名なポーリングも、これはガン治療の進歩を妨げた最も不幸な出来事だと書いている。
1977年、2年間の審議で500ページを超える大レポートを出した米上院栄養問題特別委は、「現代医学は栄養の問題に盲目的の医学だ。医学革命が必要で、そのためには医者の再教育が不可欠だ」と提言し田。しかし長く続いたパスツール路線は医学会、製薬会社、病院、それに保険当局と言う4者の利益関係から白い巨頭の癒着の構造を生み出し、その中ではこの提言も現実のものには未だならない。
そんな中で85年、アメリカ国立ガン研究所(NCI)のデヴィタ所長は、「分子生物学的に見ても抗ガン剤でガンが治せないことは、理論的にハッキリした」と米議会で証言した。「農薬を使うと農薬の効かない新種の害虫が発生するのと同じように、ガン細胞は自らのアンチ・ドラッグ・ジェーン=アンチ・ドラッグ・ジーン(反抗ガン剤因子=反抗ガン剤遺伝子)の働きで、抗ガン剤の効き目を打ち消してしまうのが判った」と所長は語った。
この問題は88年の日本ガン学会でも、ガン細胞の抗ガン剤耐性の問題として大問題にされた。
そこに88年、NCI自身が数千ページの「ガン病因学」と言うレポートでこう断言した。
「抗ガン剤を使うともとのガンの他に新たなガンが何倍にも増える…」
抗ガン剤とガンを治せないだけではなく、ガンを増やす薬なのだ!
だからNCI自身、今ではガンの栄養療法の研究に力を入れている。
シャーロッテ女史の前書きにあるように、「いまアメリカ議会の委員会は、結局は従来の3種の神器療法(抗ガン剤、放射線、手術だけを迷信的に信心≠オている通常の療法≠謔閨A自然の理にかなったゲルソン的な療法こそ正しい両方だ)とするレポートを発表する予定である。
46年に徒党に過ぎない当時のガン学会に数で潰された天才ゲルソンが、シュバイツァの言ったように正当な地位を与えられる日は、もう、すぐ近くに来ていることを、46,77,85,88と言う数字が象徴的に教えていると言えよう。
私はいま、多くのガン勝利者からアンケートを集めているが、この中には本書の症例35のジョージ・ゲムソン氏からのものもある。40余年前27歳で発病し、ゲルソン療法でガンが治っただけでなく、子供も生まれたと言う人物である。同氏は46年にゲルソンが10人のガン勝利者を伴って米上院の委員会に出席し証言した時にも同席した歴史的な人物である。遠い日本にこんな歴史的な人物がアンケートを寄せてくれたことに、日本でのゲルソン療法元年を私は感じる。
なお、いま世界の食事・栄養療法専門家は父≠フゲルソン療法をベースにしつつも、それぞれが独自な研究を追加して効果を上げている。前出のブリストルやニイベル(=ニーベイ)博士などもそうである。その観点からすると、ゲルソンのビタミン類などに関する指摘には、若干の誤解を招く余地も無いとは言えない。しかし、これらの疑問には前述した訳者からの資料で応えることにする。
また、医学上の発見についても、現代では既に判明している事柄もあるのだが、歴史的経過の観点に立ち、当時の記述をそのまま使用した。
ブリストル・ガン・センターの療法は『ガン栄養療法入門』(B・キッドマン著 今村光一 訳 小社刊)参照のこと。またこの本には日本の食品でアレンジしたゲルソン式食事の詳しい献立もつけてある。
アンケートを集めた今村光一著『ガン勝利者の証言』(仮題)は、3月ごろ主婦の友社より刊行予定。
食事療法の日本の患者が効果的に自分で実施する上で必要なさまざまなガイドとなる資料案内は、72円切手を貼り、ご自分の宛名を書いた返信用封筒を同封の上訳者の事務所(訳者紹介参)にお求めください(なお、資料をよく読んで理解なされる前に、電話等でお問い合わせ下さっても、お答えしきれません)。
〔医師の方へ〕患者が食事・栄養療法の効果を上げるためには助言、血液検査、栄養物質の注射、点滴窓の面で、この療法に理解のある医師の協力が必要です。しかし、まだ、そう言う医師は我が国ではごく限られていて、多くの地域でそう言う医師を患者が求めています。関心のある医師、その他の関係者の方々は今村事務所にお申し出ください。資料提供や外国の栄養療法病院、研究機関などの紹介、日本の病院の連絡等のお世話をします。
1989年7月15日
第2版付記
初版出版後、亜麻仁油(289ページ参照)についての問い合わせが多かったので、ここに付記する。
亜麻仁油は、ゲルソンが糖尿病心臓病等に用いて効果があったもので、1950年代から、ガンにも用いるようになった。同じ頃、ゲルソンとも親交のあったドイツのブードヴィッヒ博士が、ガン治療に亜麻仁油を使い始め、以来30余年で1千例以上を治癒させている。
ゲルソンは他の脂肪は全く禁じておきながら、亜麻仁油だけを唯一の例外的脂肪としてガン患者に勧めた。ゲルソン病院では、現在も同じように使用し、生のままサラダにかけたり、ポット・チーズの許された患者には、そのチーズに混ぜたりしている。
現在、対ガン効果のある唯一の脂肪として、日本の学者も含め現代医学会が注目し始めた脂肪に、アルファ・リノレン酸がある。これは第3の脂肪≠ニさえ呼ばれ始めているが、このアルファ・リノレン酸を最も多く含むのが、実は亜麻仁油である。
註:亜麻仁油の詳細につきましては、拙事たる当ブログに今村光一氏の翻訳された医者
も知らない亜麻仁油¢O文を無断掲載させていただいております。興味をもたれた方は、
ご通読下さい。
「この世の中、オギャーと生まれてきた以上は、ウギャーと云う言わないは別にして、ゼッチに死なない命は御座いません。大切なことは、どのような最後を迎えるかだと信じております。
私が知る限り、今村光一氏はヘビー・スモーカーで肺ガンに罹(かか)ってもなお、病室にP.Cを持ち込み、最後まで記事を書きながら逝かれたそうです。
また、丸元淑生氏も食道ガンにより御逝去なさいました。
食事療法や栄養療法を啓蒙されていらした方々が、自らの病名を公開された勇気と、その裏側にある思い(最後は死亡診断書≠ネくして認められません。また、自らの体を実験台にされた作品=諸々の事情により未発表)や無念を私なりに受け止めさせて頂き、ここに記させていただきます。
両氏の鎮魂を込めて、合掌…。
第1部 文明がガンをつくる時代 第1部を始める前に [2009年10月05日(月)]
P.62第5章 理論より
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.9〜P.19は目次のため、割愛させて頂きました。
P.20
本書は、ガン、それも末期ガンにさえも効果的な治療法があるということを伝えるものである。それを知るためには、読者も現在、公認されているガン治療法の世界で、どんなことが起きているかを知っておく必要がある。
医学の歴史を振り返ってみると、多くの医者がいかに後生大事に、自分の手馴れた治療法に執着し、自分の治療法を変えてしまいそうなことに、どれだけアレルギー反応≠示してきたかがわかる。
公認の治療法とは別のガンの治療法を世間に公表することには、大きな困難が伴う。また非常に強い反応が起きることもよく知られている。しかし慢性病、特にガンの治療に関して、多くの医者が持っている根深い悲観主義を一掃すべき時機はもう熟したはずである。
もちろん何世紀にもわたってきたこの悲観主義を、一挙に根こそぎにするのは不可能である。医学を含む生物学の世界が、数学や物理学の世界のように正確なものでないことは、誰でも知っている。
私は現代の農業や文明が、我々の生命に対してもたらしてきた危険を全て一掃し、修復することはすぐには不可能だろうと心配している。私は人々が人間本位の立場から1つの考えにまとまり、古来のやり方によって、自分の家族と将来の世代のためにできるだけ自然で精製加工していない食品を提供するようになることが、最も大切なことだと信じている。
一般的な大病やガンの予防、そしてガンの治療に必要な有機栽培の果物や野菜を入手することは、今後(1958年)はいままでよりなお難しくなりそうである。
現時点での政府の統計によれば、アメリカ国民の6人に1人がガンで死ぬことになると言う。国民が全てガンで死ぬか、それとも自分たちの行き方や栄養条件を根本的に変革する知恵・勇気・意思を持つかの、いずれかの道を選択しなければならない時が遠からず来よう。なぜならば「ガンとは生き方と結びついた現象である…(註1)」からである。
J・グリーンスタイン『ガンの生化学』〔1954年版 598ページ〕
我々(医師を含めた全ての人)には、再び本当の主婦が必要な時代が来る。本当の主婦とは、料理の時間の節約に熱心な主婦ではない。家族全員のために、特に家族の健康の増進と維持のために喜んで尽くそうとする主婦である。
そうなれば子供は人工栄養ではなく、自然な母乳で育てられ、白血病のような死病にかかったり、知恵遅れになったりすることなく成長できよう。この2つの病気、白血病と知恵遅れは、現在(1958年)急増中の問題である。
今後の世代の未来のために、我々(治療に当たる医師の義務として)は農業と食品保存のやり方を変えねばならぬ局面に現在いたっていると、私は思う。そうしない限り、我々は年々、精神障害のための施設を増設したり、病院が退化病患者で溢(あふ)れるのを目にしなければならなくなる。こういった病人は、病院をいくら拡張しても追いつけない速さで、いま、増加している。
70年前、アメリカに白血病等なかった。50年前、肺ガン等は病院でもめったにお目にかかれず、解剖例でもぶつかることはほとんどなかった。肺ガンの事例があればそれは必ず論文にかかれるほど、そういったケースはまれだった。しかし、いまはどうだろう。状況は、なんと悪いほうに変わってしまったことだろうか。
実際に治療を施(ほどこ)すということは苦労のいるものである。病院での治療でも、自宅療養でも、それは変わりない。どちらにしても、週日誰かが看護しなければならない。生命も危なく、弱りきった患者と言う、病状が進んでしまったケースでは、特にそうである。家族は社会生活をある程度犠牲にし、献身的な気持ちでこの人間的な役割を果たさなければならない。家族の、病人に対する検診の度合いが現代生活の中では低下してきているのも、ハッキリしている。
以上述べたことは、本書の内容を理解してもらうための警鐘≠ニして書いたものである。
本書では50の治療例に関する事実や証拠を前面に出し、理論や解説は簡略にしてある。
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.9〜P.19は目次のため、割愛させて頂きました。
P.20
本書は、ガン、それも末期ガンにさえも効果的な治療法があるということを伝えるものである。それを知るためには、読者も現在、公認されているガン治療法の世界で、どんなことが起きているかを知っておく必要がある。
医学の歴史を振り返ってみると、多くの医者がいかに後生大事に、自分の手馴れた治療法に執着し、自分の治療法を変えてしまいそうなことに、どれだけアレルギー反応≠示してきたかがわかる。
公認の治療法とは別のガンの治療法を世間に公表することには、大きな困難が伴う。また非常に強い反応が起きることもよく知られている。しかし慢性病、特にガンの治療に関して、多くの医者が持っている根深い悲観主義を一掃すべき時機はもう熟したはずである。
もちろん何世紀にもわたってきたこの悲観主義を、一挙に根こそぎにするのは不可能である。医学を含む生物学の世界が、数学や物理学の世界のように正確なものでないことは、誰でも知っている。
私は現代の農業や文明が、我々の生命に対してもたらしてきた危険を全て一掃し、修復することはすぐには不可能だろうと心配している。私は人々が人間本位の立場から1つの考えにまとまり、古来のやり方によって、自分の家族と将来の世代のためにできるだけ自然で精製加工していない食品を提供するようになることが、最も大切なことだと信じている。
一般的な大病やガンの予防、そしてガンの治療に必要な有機栽培の果物や野菜を入手することは、今後(1958年)はいままでよりなお難しくなりそうである。
現時点での政府の統計によれば、アメリカ国民の6人に1人がガンで死ぬことになると言う。国民が全てガンで死ぬか、それとも自分たちの行き方や栄養条件を根本的に変革する知恵・勇気・意思を持つかの、いずれかの道を選択しなければならない時が遠からず来よう。なぜならば「ガンとは生き方と結びついた現象である…(註1)」からである。
J・グリーンスタイン『ガンの生化学』〔1954年版 598ページ〕
我々(医師を含めた全ての人)には、再び本当の主婦が必要な時代が来る。本当の主婦とは、料理の時間の節約に熱心な主婦ではない。家族全員のために、特に家族の健康の増進と維持のために喜んで尽くそうとする主婦である。
そうなれば子供は人工栄養ではなく、自然な母乳で育てられ、白血病のような死病にかかったり、知恵遅れになったりすることなく成長できよう。この2つの病気、白血病と知恵遅れは、現在(1958年)急増中の問題である。
今後の世代の未来のために、我々(治療に当たる医師の義務として)は農業と食品保存のやり方を変えねばならぬ局面に現在いたっていると、私は思う。そうしない限り、我々は年々、精神障害のための施設を増設したり、病院が退化病患者で溢(あふ)れるのを目にしなければならなくなる。こういった病人は、病院をいくら拡張しても追いつけない速さで、いま、増加している。
70年前、アメリカに白血病等なかった。50年前、肺ガン等は病院でもめったにお目にかかれず、解剖例でもぶつかることはほとんどなかった。肺ガンの事例があればそれは必ず論文にかかれるほど、そういったケースはまれだった。しかし、いまはどうだろう。状況は、なんと悪いほうに変わってしまったことだろうか。
実際に治療を施(ほどこ)すということは苦労のいるものである。病院での治療でも、自宅療養でも、それは変わりない。どちらにしても、週日誰かが看護しなければならない。生命も危なく、弱りきった患者と言う、病状が進んでしまったケースでは、特にそうである。家族は社会生活をある程度犠牲にし、献身的な気持ちでこの人間的な役割を果たさなければならない。家族の、病人に対する検診の度合いが現代生活の中では低下してきているのも、ハッキリしている。
以上述べたことは、本書の内容を理解してもらうための警鐘≠ニして書いたものである。
本書では50の治療例に関する事実や証拠を前面に出し、理論や解説は簡略にしてある。
第1章私の治療の秘密 [2009年10月06日(火)]
P.62第5章 理論より
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.23
私の治療に、秘密なんてもちろん無い!それなのにこんな言葉を本章のタイトルにしたのは、医者たちからいつも同じ言葉で質問されるからであり、しかも彼らは質問する時、大概は顔に不信感を現しながら質問する。
肉体の全ての内臓、器官、組織の代謝には、調和が保たれていなければならない。この調和こそは生命の究極のミステリーであり、これが健康と命の継続と言う形で表現されているものである。「それぞれの生命の姿は、生物学的な実体である」この実体の目的はただ1つで、それは食物の助けを自分に適する形で借りて成長し、子孫を作ることである(註2)」
註2:J.F.ウィッシュフューゼンから引用
どんな場合でも代謝に乱れが生ずると、それが病気の始まりになる。
W.コラスは、次のように書いている。
「永遠の生命なるものは、何百万年にもわたって自分を発展させてきたものであり、今後も永遠に発展して行くものである。生命にはその全ての部分が大切であり、どの部分も特別な特権を持っているわけではない。内的な平衡が崩れてはならないからである(註3)」
コラスはまた、次のようにも言っている。この提言は悪い結果をもたらした主な犯人は、科学や技術だと言うことを我々に教えてくれる。科学や技術の役割は物事を「適度に単純化」するものだから、そうなってしまった。
「対処療法はそれを土壌、植物、動物あるいは人間のいずれに適用した場合も、本質的には有害なもので、医療に応用される場合も同様である」
「それぞれの部分は大切である。しかし究極的な秩序を持った全体はもっと大切である(註4)」
註3、4:W.コラス博士『人間の栄養の働き』の前書き参照。
歴史的に見ると、人間は新しい考え、理論、技術や科学の新発見に、やすやすと振り回されてきた。そして、それを人間は医療の基本として利用してきた(註5)。それゆえに人間は、自然から大きく離れる結果になった。
註5:ジェンガー師『科学技術の失敗
こういうことから考えて我々(医師)は、医学理論をより自然に近づく方向に、振り戻してみることが必要である(第7章参照)。
医師の大部分がガンの効果的な治療と言う考えに、なぜ否定的な態度をとるかと言う理由をよく考えてみて、私は次のような結論に達した。
第1に、我々医者はガンを不治の病と信ずるように教育されて来ていること。第2には、理論や仮説を含め、従来なされてきたガンの新治療法なるものが、みな失敗に終わって来たからである。しかし食事療法などが失敗に終わって来たのは、そのやり方に大きな誤りがあったからだ。従来のやり方は、食物中の1つの特定の要素だけを使い、その効果を観察し、次にまた別の要素で試すと言うやり方だった。このやり方が、大きな間違いだったのだ。
私も数十年前には同じような食事全体の処方箋をガンにも応用し始めた。この処方箋は私が結核治療の体験の中で、長年かけて作り上げてきた処方箋である(拙書『肺結核の食事療法』1934年 参照)。
食事のもたらす反応や変化を外から観察するために、私は、尋常性狼瘡と呼ばれる皮膚の結核性の病気を選んだ。それから後に、ガンの治療職を工夫する時にも、患者の皮膚疾患に注目して、食事の効果を観察するようにした。
その結果、結核と同じ食事療法では、腸のガンの治療には役立たないとわかった。腸のガンには、もっと集中的な治療法が必要なのだ。私の結核の治療法とガンの治療法は同じものではない。しかし、私は同じようなやり方で2つの治療法を生み出した。
私の基本的な考えは、当初から次のようなものであり、これは今(1958年)も全く同じである。
ノーマル(正常)な肉体は、全ての細胞の働きを正常に保たせる能力を持っている。だから、この能力は異常な細胞の形勢やその成長を防ぐものでもある。したがってガンの自然な療法の役割とは、肉体の生理をノーマルなものに戻してやるとか、出来る限りノーマルに近いものに戻してやることに他ならない。そして次に、代謝のプロセスを自然な平衡状態の中に保たせるようにするのだ。
正常な肉体には生来、この他にもガンを抑え、破壊させる能力が備わっている。しかしガン患者の場合はそれがしかるべき働きをせず、小さなガン細胞が何の抵抗にも遭わずに、勝手に増殖してしまうような状態になっている。
では、ガンの力を抑える力とは、どんな力なのか?私はこの力は酸化酵素の働きと、この酵素がよく働き続けられるような条件が存在することによって生まれるものだと考えている。
最もよく知られている酸化酵素はアルギナーゼ、カタラーゼ、キサンチン脱水素酵素、エステラーゼ、尿素酸化系、シスチン脱硫酵素、チトクロームC、チトクローム酸化酵素、アミノ酸酸化酵素、フラビンである。これら全ての働きが胎児や肝臓ガン患者の中では、健康者の肝臓、あるいは回復中の肝臓の場合に比べて大いに低下している。
正常な組織とガン組織との代謝の違いを最初に発見したのは、オットー・ウォーバーグ(註6)で、彼はこれを細胞呼吸と嫌気性糖分解の比率で示した。
彼によれば嫌気性糖分解を細胞呼吸で割った場合、正常な組織ではこの数式の値はゼロ、胎児的な組織では0.1、両性の腫瘍では0.45〜1.45、そしてガン組織ではこれが12までも上がるとした。
註6:O.ウォーバーグ『腫瘍の代謝』(1930年)
このこととは逆に、胎児や肝臓ガン患者の肝臓の中では、アルカリフォスファタ―ゼや脱アミノ酸酵素類の働きは、正常な肝臓より高くなっていることを示している。最も広く説かれている見方は、胎児の肝臓やガン化した肝臓組織は、胚組織とか、より原始的でより未分化な組織のそれによく似た酸化パターンを示すと言う見方である。
原始的な生命形態の中では、細胞の大部分エネルギーが嫌気的状態、あるいは発酵と言う形で作られていることが知られている。そして高等な動物になると、嫌気的な発酵によってエネルギーが作られる割合が低下し、酸化によるエネルギーの生成が高まり、両者が共存する形になって、肺呼吸を通じて取り入れられる酸素がますます多く利用されるようになる。これに対し人間でも、ガン組織は発酵によってエネルギーを作ると言う原始的な形にドンドン逆戻りして行く。そしてこの結果として、体全体がより毒され、病気に対する防衛力(免疫)と治癒力も低下する。
もっとも望ましいガン療法とは、体全体の酸化システムの働きを正常に戻させることである。もちろん、これを完全にやることはかなり難しい。しかし、そうするためには
(1)体全体から有害物質を追い出し体をクリーンにする。
(2)カリウム・グループに属する必須ミネラルを不足させないようにする。
(3)体の中で酸化酵素が働きを取り戻し、自分でしっかりと働くようになるまでは、酸化酵素 を連続的に体に注ぎ込む(青葉野菜や子牛の肝臓ジュースはそのためのものである)。
こうすることで体の酸化システムの状態は、正常に近いところまで戻り、そうなると発酵システムによって生存しているガン細胞は、生きられなくなる。
栄養は1口に言って、外的要素である。しかし刺激物にならない程度の弱い毒性をもつ食物を食べることも、体の中にある傾向を残す。その傾向とは、病気前期とみなしていいものである。
「しかし餌は2−アセチル・アミノ・フルオレンで、ガンを起こさせたネズミの肝ガンには、何の影響もないように思える。食物がガンを起こしたり、逆に防いだりするように働くものかどうか、またどのようにしてそのように働くのかは判らない」。だが、ホグブームとシュナイダーは正常な肝細胞中のミトコンドリアと肝ガンのネズミのそれの間では、科学的な違いが見られることを報告している。
またネンバームとシルバーストーンは同血系繁殖をさせたネズミで、興味深い観察結果を報告している。
2人はこのネズミに自然発生した肝ガンで、食物の影響を調べた。これによると、餌中の脂肪分を2%から20%に増やしたら、肝ガンの発生率が37%から53%に高まった。またリボフラビンの摂らせ方を少なくすると、ガンのできるのも減った。この結果は多分、カロリー摂取を減らした効果に違いない。なぜならカロリーを減らすと、この種のネズミでガンの成長が抑えられることが確かめられているからである。食物の影響に関する実験では、人為的に起こしたネズミの肝ガンでは、米の餌でさらにガンが増殖した。しかし、自然発生の肝ガンではそれも増殖せず、代わりにカゼインを余分に摂らせると増殖したと言う例もある。
さらにメチオニンがネズミの肝ガンの増殖要素になったと言う実験もある。そしてこの実験からは、食硫アミノ酸は通常の組織の成長のために不可欠なものであるが同時に、ガンの成長にも同じように不可欠なのだと結論付けられている。繰り返して言えば、正常な生理的成長とガンの成長の間には、違いが無いと言うことである!(註7)」
註7:M.A.スペルヴァーグ『肝臓病』(1954年136ページ)
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.23
私の治療に、秘密なんてもちろん無い!それなのにこんな言葉を本章のタイトルにしたのは、医者たちからいつも同じ言葉で質問されるからであり、しかも彼らは質問する時、大概は顔に不信感を現しながら質問する。
肉体の全ての内臓、器官、組織の代謝には、調和が保たれていなければならない。この調和こそは生命の究極のミステリーであり、これが健康と命の継続と言う形で表現されているものである。「それぞれの生命の姿は、生物学的な実体である」この実体の目的はただ1つで、それは食物の助けを自分に適する形で借りて成長し、子孫を作ることである(註2)」
註2:J.F.ウィッシュフューゼンから引用
どんな場合でも代謝に乱れが生ずると、それが病気の始まりになる。
W.コラスは、次のように書いている。
「永遠の生命なるものは、何百万年にもわたって自分を発展させてきたものであり、今後も永遠に発展して行くものである。生命にはその全ての部分が大切であり、どの部分も特別な特権を持っているわけではない。内的な平衡が崩れてはならないからである(註3)」
コラスはまた、次のようにも言っている。この提言は悪い結果をもたらした主な犯人は、科学や技術だと言うことを我々に教えてくれる。科学や技術の役割は物事を「適度に単純化」するものだから、そうなってしまった。
「対処療法はそれを土壌、植物、動物あるいは人間のいずれに適用した場合も、本質的には有害なもので、医療に応用される場合も同様である」
「それぞれの部分は大切である。しかし究極的な秩序を持った全体はもっと大切である(註4)」
註3、4:W.コラス博士『人間の栄養の働き』の前書き参照。
歴史的に見ると、人間は新しい考え、理論、技術や科学の新発見に、やすやすと振り回されてきた。そして、それを人間は医療の基本として利用してきた(註5)。それゆえに人間は、自然から大きく離れる結果になった。
註5:ジェンガー師『科学技術の失敗
こういうことから考えて我々(医師)は、医学理論をより自然に近づく方向に、振り戻してみることが必要である(第7章参照)。
医師の大部分がガンの効果的な治療と言う考えに、なぜ否定的な態度をとるかと言う理由をよく考えてみて、私は次のような結論に達した。
第1に、我々医者はガンを不治の病と信ずるように教育されて来ていること。第2には、理論や仮説を含め、従来なされてきたガンの新治療法なるものが、みな失敗に終わって来たからである。しかし食事療法などが失敗に終わって来たのは、そのやり方に大きな誤りがあったからだ。従来のやり方は、食物中の1つの特定の要素だけを使い、その効果を観察し、次にまた別の要素で試すと言うやり方だった。このやり方が、大きな間違いだったのだ。
私も数十年前には同じような食事全体の処方箋をガンにも応用し始めた。この処方箋は私が結核治療の体験の中で、長年かけて作り上げてきた処方箋である(拙書『肺結核の食事療法』1934年 参照)。
食事のもたらす反応や変化を外から観察するために、私は、尋常性狼瘡と呼ばれる皮膚の結核性の病気を選んだ。それから後に、ガンの治療職を工夫する時にも、患者の皮膚疾患に注目して、食事の効果を観察するようにした。
その結果、結核と同じ食事療法では、腸のガンの治療には役立たないとわかった。腸のガンには、もっと集中的な治療法が必要なのだ。私の結核の治療法とガンの治療法は同じものではない。しかし、私は同じようなやり方で2つの治療法を生み出した。
私の基本的な考えは、当初から次のようなものであり、これは今(1958年)も全く同じである。
ノーマル(正常)な肉体は、全ての細胞の働きを正常に保たせる能力を持っている。だから、この能力は異常な細胞の形勢やその成長を防ぐものでもある。したがってガンの自然な療法の役割とは、肉体の生理をノーマルなものに戻してやるとか、出来る限りノーマルに近いものに戻してやることに他ならない。そして次に、代謝のプロセスを自然な平衡状態の中に保たせるようにするのだ。
正常な肉体には生来、この他にもガンを抑え、破壊させる能力が備わっている。しかしガン患者の場合はそれがしかるべき働きをせず、小さなガン細胞が何の抵抗にも遭わずに、勝手に増殖してしまうような状態になっている。
では、ガンの力を抑える力とは、どんな力なのか?私はこの力は酸化酵素の働きと、この酵素がよく働き続けられるような条件が存在することによって生まれるものだと考えている。
最もよく知られている酸化酵素はアルギナーゼ、カタラーゼ、キサンチン脱水素酵素、エステラーゼ、尿素酸化系、シスチン脱硫酵素、チトクロームC、チトクローム酸化酵素、アミノ酸酸化酵素、フラビンである。これら全ての働きが胎児や肝臓ガン患者の中では、健康者の肝臓、あるいは回復中の肝臓の場合に比べて大いに低下している。
正常な組織とガン組織との代謝の違いを最初に発見したのは、オットー・ウォーバーグ(註6)で、彼はこれを細胞呼吸と嫌気性糖分解の比率で示した。
彼によれば嫌気性糖分解を細胞呼吸で割った場合、正常な組織ではこの数式の値はゼロ、胎児的な組織では0.1、両性の腫瘍では0.45〜1.45、そしてガン組織ではこれが12までも上がるとした。
註6:O.ウォーバーグ『腫瘍の代謝』(1930年)
このこととは逆に、胎児や肝臓ガン患者の肝臓の中では、アルカリフォスファタ―ゼや脱アミノ酸酵素類の働きは、正常な肝臓より高くなっていることを示している。最も広く説かれている見方は、胎児の肝臓やガン化した肝臓組織は、胚組織とか、より原始的でより未分化な組織のそれによく似た酸化パターンを示すと言う見方である。
原始的な生命形態の中では、細胞の大部分エネルギーが嫌気的状態、あるいは発酵と言う形で作られていることが知られている。そして高等な動物になると、嫌気的な発酵によってエネルギーが作られる割合が低下し、酸化によるエネルギーの生成が高まり、両者が共存する形になって、肺呼吸を通じて取り入れられる酸素がますます多く利用されるようになる。これに対し人間でも、ガン組織は発酵によってエネルギーを作ると言う原始的な形にドンドン逆戻りして行く。そしてこの結果として、体全体がより毒され、病気に対する防衛力(免疫)と治癒力も低下する。
もっとも望ましいガン療法とは、体全体の酸化システムの働きを正常に戻させることである。もちろん、これを完全にやることはかなり難しい。しかし、そうするためには
(1)体全体から有害物質を追い出し体をクリーンにする。
(2)カリウム・グループに属する必須ミネラルを不足させないようにする。
(3)体の中で酸化酵素が働きを取り戻し、自分でしっかりと働くようになるまでは、酸化酵素 を連続的に体に注ぎ込む(青葉野菜や子牛の肝臓ジュースはそのためのものである)。
こうすることで体の酸化システムの状態は、正常に近いところまで戻り、そうなると発酵システムによって生存しているガン細胞は、生きられなくなる。
栄養は1口に言って、外的要素である。しかし刺激物にならない程度の弱い毒性をもつ食物を食べることも、体の中にある傾向を残す。その傾向とは、病気前期とみなしていいものである。
「しかし餌は2−アセチル・アミノ・フルオレンで、ガンを起こさせたネズミの肝ガンには、何の影響もないように思える。食物がガンを起こしたり、逆に防いだりするように働くものかどうか、またどのようにしてそのように働くのかは判らない」。だが、ホグブームとシュナイダーは正常な肝細胞中のミトコンドリアと肝ガンのネズミのそれの間では、科学的な違いが見られることを報告している。
またネンバームとシルバーストーンは同血系繁殖をさせたネズミで、興味深い観察結果を報告している。
2人はこのネズミに自然発生した肝ガンで、食物の影響を調べた。これによると、餌中の脂肪分を2%から20%に増やしたら、肝ガンの発生率が37%から53%に高まった。またリボフラビンの摂らせ方を少なくすると、ガンのできるのも減った。この結果は多分、カロリー摂取を減らした効果に違いない。なぜならカロリーを減らすと、この種のネズミでガンの成長が抑えられることが確かめられているからである。食物の影響に関する実験では、人為的に起こしたネズミの肝ガンでは、米の餌でさらにガンが増殖した。しかし、自然発生の肝ガンではそれも増殖せず、代わりにカゼインを余分に摂らせると増殖したと言う例もある。
さらにメチオニンがネズミの肝ガンの増殖要素になったと言う実験もある。そしてこの実験からは、食硫アミノ酸は通常の組織の成長のために不可欠なものであるが同時に、ガンの成長にも同じように不可欠なのだと結論付けられている。繰り返して言えば、正常な生理的成長とガンの成長の間には、違いが無いと言うことである!(註7)」
註7:M.A.スペルヴァーグ『肝臓病』(1954年136ページ)
現代文明とガン [2009年10月06日(火)]
P.62第5章 理論より
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.28
ご存知のように現代の文明は、ほとんど全ての人間に病気の前段階のような状態をもたらしている。それは人により、多少の程度の違いがあるだけである。中には、前ガン状態の人もいるのだと言っていい。そして政府(アメリカ))の統計で言えば、そう言う人が6人に1人いる計算になる(1958年現在)しかもこの比率は過去25年来急上昇していて、人類は年々ガンを増やしていると言う結論になる。
ある時、ベルリン医学協会で私が自分の結核治療実績を報告することになっていた直前、H.ゾンデクは私に最も有名な生物学者でハレ大学の教授E.アブデルハルデンと、食事の影響に関して論じ合ってみるようにと勧めた。教授は栄養の観点に注目した生物学の専門家だったのだ。短い議論のあとで教授は、次のようなことを言った。
「1つ一つの栄養的要素に関して、あれこれと探究することは不可能だ。それより必要なのは、あなたがやって来たような単純な栄養的な基礎研究で、それによりこれをベースにしてそこに、あれこれと他の栄養的要素を追加しながらその結果を観察して行くことで、治療効果を上げられる。そしてそう言う効果が上げられれば、私はそのやり方を少しでも変更しよう等とはしないだろう。医師の場合だって話は同じで、人間が説明できることは本等に少ない。しかし、ことの善し悪しはその結果だけが決めるものだ」
「栄養はまず第1には、外的要素ではある。しかし年々不自然な方向に変化してゆく栄養が、人間の中に病気の前段階と言うような状態をもたらしている(註8)」が私ならこの言葉に付け加えて言いたい。「人体が変化に適応してとる適応反応は、ごくゆっくりとしたペースでしか進まない。これに対し、日々にもたらされる有害な影響は、そのレベルが低いため、人体はこれに防衛反応を起こさない。しかし防衛反応を起さない体の中には、有害物質が次第に蓄積されて、やがてガンが成長を始める(註9)」のだと。
註8:シーグムンド教授『腫瘍患者の治療』(1953年277ページ)
註9:L.ウィッケンデン『日常の有害物質』(1955年)
1952年にドイツで開催された国際ガン会議で、私は2度目の講演をした。そしてこの講演のあとW.コラス教授は、私に、自分の近著『人間の栄養状態』(1952年)を手渡してくれた。本には「貴方の学説『不治の病は治せる』に感謝をこめて」と言う献辞が書かれてあった。
残念ながら、栄養の問題は、現在の学問や知識の立場からは充分に理解されていない。それゆえに、私の治療法にも何か秘密があるように見える。とは言え、アブデルハルデンその他の科学者の前出のような言葉は、実際の治療の上での問題解決にとても役立つ言葉である。私は、医術も医学上の問題の議論も共に医学の世界の未解決な2問題なのであり、我々(ことに医師)の役目は、この事実を認めて、いい治療結果を挙げることに全力を尽くすことだと思う。
正常な肉体の中では全ては生きていて、とくに基礎的なものはミネラルによって作られている。そしてこれらが正の電荷を持つカリウムやカリウムグループのミネラルをイオン化したり活性化したりしている。
これに対し止んだ肉体―とくにガン患者では、狩生、右派活性化されておらず、逆に負の電荷を持つナトリウムやナトリウムグループのミネラルが、イオン化されている(本書第3、第14〜16章では、ミネラル類の持つ生体内での電気的特性が説かれている。これはそれぞれのもつ無機の電気化学的な電気的性質とは違ったものである。ただ著者の表現には時折、無機の電気化学の立場から書いているものも混じる。そのあたりは注意深く読んでいただきたい。なお、無機の電気化学的立場と生体内での違いに関しては、140ペ−ジで解説している=訳者註)。そしてこれがスタートになって、諸々のアブノーマルな状態が生まれて行く。治癒のためには何より肉体から有害なものを追い出し、肉体にイオン化されたミネラルや自然な食品で活性を与えなければならない。そうすれば基本的な器官も再び正常に働くようになるのだ。
治癒の過程で体は一種の炎症反応を起こす。これは肉体が大きく変わって行く時の反応である。この時には体は異常な物質やなれない物質(細菌、ガン細胞、傷跡なども含む)に対して極めて感じやすくなったり、アレルギーを起こしたりする。そして、そのガン細胞がより悪性であればあるほど、この現象が効果的に現れるのが私の治療法であって、私はこれを「自分の治療法の最終効果、ないしは秘密だ」と思っている。幸い、ベルクマンなどの学者が現在(1958年)このアレルギー的反応の特徴を明らかにしている(註10)。
註10:第17章参照
機械的な治療法やある種の刺激療法等で、過去、こういう効果を挙げることは出来なかった。そしてドイツのA.バイエル(註11)、H.ランベルト、バッファローのO.セロウリイ(註12)その他の医者は、退化病やガンの治療には成功しなかった。
註11:シーグムンド教授『日常の有害物質』(1955年)
註12:K.F.ハウグ『発熱と充血が腫瘍に及ぼす影響』
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.28
ご存知のように現代の文明は、ほとんど全ての人間に病気の前段階のような状態をもたらしている。それは人により、多少の程度の違いがあるだけである。中には、前ガン状態の人もいるのだと言っていい。そして政府(アメリカ))の統計で言えば、そう言う人が6人に1人いる計算になる(1958年現在)しかもこの比率は過去25年来急上昇していて、人類は年々ガンを増やしていると言う結論になる。
ある時、ベルリン医学協会で私が自分の結核治療実績を報告することになっていた直前、H.ゾンデクは私に最も有名な生物学者でハレ大学の教授E.アブデルハルデンと、食事の影響に関して論じ合ってみるようにと勧めた。教授は栄養の観点に注目した生物学の専門家だったのだ。短い議論のあとで教授は、次のようなことを言った。
「1つ一つの栄養的要素に関して、あれこれと探究することは不可能だ。それより必要なのは、あなたがやって来たような単純な栄養的な基礎研究で、それによりこれをベースにしてそこに、あれこれと他の栄養的要素を追加しながらその結果を観察して行くことで、治療効果を上げられる。そしてそう言う効果が上げられれば、私はそのやり方を少しでも変更しよう等とはしないだろう。医師の場合だって話は同じで、人間が説明できることは本等に少ない。しかし、ことの善し悪しはその結果だけが決めるものだ」
「栄養はまず第1には、外的要素ではある。しかし年々不自然な方向に変化してゆく栄養が、人間の中に病気の前段階と言うような状態をもたらしている(註8)」が私ならこの言葉に付け加えて言いたい。「人体が変化に適応してとる適応反応は、ごくゆっくりとしたペースでしか進まない。これに対し、日々にもたらされる有害な影響は、そのレベルが低いため、人体はこれに防衛反応を起こさない。しかし防衛反応を起さない体の中には、有害物質が次第に蓄積されて、やがてガンが成長を始める(註9)」のだと。
註8:シーグムンド教授『腫瘍患者の治療』(1953年277ページ)
註9:L.ウィッケンデン『日常の有害物質』(1955年)
1952年にドイツで開催された国際ガン会議で、私は2度目の講演をした。そしてこの講演のあとW.コラス教授は、私に、自分の近著『人間の栄養状態』(1952年)を手渡してくれた。本には「貴方の学説『不治の病は治せる』に感謝をこめて」と言う献辞が書かれてあった。
残念ながら、栄養の問題は、現在の学問や知識の立場からは充分に理解されていない。それゆえに、私の治療法にも何か秘密があるように見える。とは言え、アブデルハルデンその他の科学者の前出のような言葉は、実際の治療の上での問題解決にとても役立つ言葉である。私は、医術も医学上の問題の議論も共に医学の世界の未解決な2問題なのであり、我々(ことに医師)の役目は、この事実を認めて、いい治療結果を挙げることに全力を尽くすことだと思う。
正常な肉体の中では全ては生きていて、とくに基礎的なものはミネラルによって作られている。そしてこれらが正の電荷を持つカリウムやカリウムグループのミネラルをイオン化したり活性化したりしている。
これに対し止んだ肉体―とくにガン患者では、狩生、右派活性化されておらず、逆に負の電荷を持つナトリウムやナトリウムグループのミネラルが、イオン化されている(本書第3、第14〜16章では、ミネラル類の持つ生体内での電気的特性が説かれている。これはそれぞれのもつ無機の電気化学的な電気的性質とは違ったものである。ただ著者の表現には時折、無機の電気化学の立場から書いているものも混じる。そのあたりは注意深く読んでいただきたい。なお、無機の電気化学的立場と生体内での違いに関しては、140ペ−ジで解説している=訳者註)。そしてこれがスタートになって、諸々のアブノーマルな状態が生まれて行く。治癒のためには何より肉体から有害なものを追い出し、肉体にイオン化されたミネラルや自然な食品で活性を与えなければならない。そうすれば基本的な器官も再び正常に働くようになるのだ。
治癒の過程で体は一種の炎症反応を起こす。これは肉体が大きく変わって行く時の反応である。この時には体は異常な物質やなれない物質(細菌、ガン細胞、傷跡なども含む)に対して極めて感じやすくなったり、アレルギーを起こしたりする。そして、そのガン細胞がより悪性であればあるほど、この現象が効果的に現れるのが私の治療法であって、私はこれを「自分の治療法の最終効果、ないしは秘密だ」と思っている。幸い、ベルクマンなどの学者が現在(1958年)このアレルギー的反応の特徴を明らかにしている(註10)。
註10:第17章参照
機械的な治療法やある種の刺激療法等で、過去、こういう効果を挙げることは出来なかった。そしてドイツのA.バイエル(註11)、H.ランベルト、バッファローのO.セロウリイ(註12)その他の医者は、退化病やガンの治療には成功しなかった。
註11:シーグムンド教授『日常の有害物質』(1955年)
註12:K.F.ハウグ『発熱と充血が腫瘍に及ぼす影響』
第2章 ガンその他の退化病の本当の原因@ [2009年10月07日(水)]
P.62第5章 理論より
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.31
ガンは慢性的な退化病である。ガンが進んだ状態では、主要な臓器や器官はみなやられている。
唱歌器官とその付属器官、肝臓、膵臓、循環器系糖(細胞交換のサポート役もしている)。腎臓や胆汁分泌系(主要な毒素排出器官)、網内皮系やリンパ系(免疫器官)、中枢神経系や代謝や運動刺激に関連する内臓の神経系など、全ての器官の働きに問題が生じ、その結果代謝の全体が狂ってくる。
現代(1958年)において、病気の本質を理解するために「全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)」を問題にした最初の1人は、ニコラス博士である。博士は患者の気持ちの持ち方、栄養、体内の有害物質、細菌、偶発的要素、遺伝など、全ての要素を1つに結びつけた立場で問題にし、これを病気の背後の原因と考えた。そして「我々がみんな病んでいるのも不思議ではない…科学も神の自然な法を侵害するにいたっては、もはや科学ではない(註13)」と書いた。
註13:『テキサス州銀行報告』(1952年5月号)
彼はこの文章では、退化病一般のことにもガンのことにも触れなかった。だが、博士は急性の病気および慢性病を理解する上で、進んだ見方を示したのである。
ガンの研究者には、「ガンは生き方と結びついた現象だ」とか、「ガン細胞は肉体と別個に生きているものではない」とか、「ガン細胞は生きた体と離れて存在する別のシステムではない」といった意見を述べている人もいる。
ガンは肉体全体と結びついて存在する肉体の一部なのだ。そして全ては基本的な自然の法則に従って配列されていて、そこではダイナミックな力が結び合わされ、しかるべく機能する肉体の中に調和のとれた形で配列されている。
ビタミンは酵素と一体となって働くので、副酵素と言う呼び方もする。そして酵素は細胞中の他の条件が正常に活動している時だけ、働く。また酵素は活発に働くホルモンと結合して、適切なミネラル状態の時に働く。
以前からガンは、日々慢性的に、有害物質が体、とくに肝臓に蓄積されて、肉体が多かれ少なかれ正常な代謝機能を失った場合に発生する、と言われて来た(註14)。体内では、全ての器官が互いに依存しつつ協働して働いている。そしてそのことが最も大切であり、病気とは、このバランスが崩れたことと考えることが大切なのだ。
註14:L.ウィッケンデン『日常の有害物質』(1955年)
だから病気の治療には全ての器官の働きの狂いを一緒に問題にし、このような全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)から対処しなければならない。およそ私の臨床経験からも、このやり方こそが治療を成功させるための、最も確実な方法だったと言っていい。また相対的な代謝のトラブルの大部分は、肝臓に集中的に現れるものである。とは言え、肝臓自体の生物学的機能も、他の主要な器官が適切に機能し、かつ協力的に機能しているか否かにかかっている。
昔のパラセルサスの著作の中には全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)と言う考え方が、きわめて深い意味で展開されているし、その他にもずっと昔の多くの医者たちは、同じ立場に立っていた。
全体≠ニ言う考えを自然のプロセスの実体として注目しなければならないのは、生物学の世界だけに限らない。芸術、哲学、音楽、物理学の世界でも同じであり、有識の学者たちは皆、自分たちの研究や仕事の分野に、同じものが生きていることに気付いてきた。
いくつかの例を挙げよう。
ヘンリー・ドラモンドの哲学的著作『精神的世界における自然法則』(1883年)などもそうである。彼自身の言葉で言えば「物質の世界と精神の世界の連続性」が、彼の基本的見方だった。これは物理的な無機の力が、植物や動物の有機の世界へと変容して行く時の、連続した一貫性を意味している。人間の場合には細胞の生命の中での、電気的なポテンシャル(潜在能力)が際立っている。そしてそれはとくに、神経組織の中に集約されていて、最終的には創造的な進歩や、偉大な業績を可能にする人間の精神的期間≠ニなっている。
物理学の世界でのアインシュタインの最初の大きな業績が『空間と時間の相対性』と言う著作だった。最初はこの理論は幻想的なものとしか受け取られなかったが、後には広く受け入れられるものとなった。アインシュタインはさらに1歩進めて、光の変態と光電効果の問題を扱い、最後は重力、磁力、電気を1つの基礎的物理システムの中に一緒に含めて論じようとした。そしてこれを彼は、『統一場の立場』と呼んだ−だがこれは証明することが極めて難しいものであった。
芸術の世界で例を挙げれば、シェイファー・サイマーンの仕事もそう言う例であった。彼は芸術を、古臭い理性の原理の狭い枠から開放した立場から説明し、芸術とは人間の頭脳の働きに内在する想像力の力≠フことだと言うことを示した。そしてその力とは肉体、精神、情緒、理性の成熟へと向かって発展するものだとも説明した。彼は『男、女、ビジネス、専門的職業等の中にも、必ず創造的な可能性なるものが1つの実体として姿を見せている』と語った。そしてこれは肉体の持つ全ての力と一緒になって、そうなっているものであった。彼は『子供の教育において、子供に内在する芸術的能力を展開させる』ために芸術を活用した。そしてこれは、人間の創造的本質に基礎をおいた文化の基盤を作るために、決定的な要素になり得るものであった(註15)。
註15:シェイファー.サイマーン『芸術的活動の秘密』(1950年)」
マサチューセッツ工科大学のスウガクキョウジュ、N.ウィナーは書いている。
「科学研究の世界には純粋な数学理論、統計学、電気工学、神経生理学と言った違う角度から、それぞれ探求されている世界がある。そしてそれぞれの角度からの研究によって、1つ一つの概念にそれぞれの名が付けられていて、重要な研究が3重、4重になされている。しかし、それ以上に重要な研究で、他の研究分野での研究結果がその研究分野には取り入れられないがために、まだ遅れさせられてしまっているものがある。ある1つの分野では、その研究は既に古典的なものとさえなっていると言うのに、それが別の分野に取り入れられることが無いのだ(註16」」
註16:N.ウィナー『サイヴァネティクス』(1953年8ページ)」
医学も、人体の自然な生物学的ルールの全体性とはかけ離れたものになってきた。研究も治療も、多くの専門分野に分化されすぎたためである。医学が一点集中式で極度に専門化され過ぎたために,人体のどの部分も、最終的には肉体全部の一部なのだということが、忘れ去られて行く。
医学の教科書には皆、単一の生理学プロセスを追求し、その結果を過度に高く評価する記述しかない。純粋な医学研究も治療研究も、また実際の治療も、病気の症状だけを問題にするものになってきた。体の中の全ての機能を1つに結び付けて理解して、生物学的な全体性をノーマルに立て直そうとする古来の治療法などは、病院でも隅に追いやられてしまっている。とくに生理学や病理学の研究の世界では無視されるようにすらなった。その結果として、ついに我々は、全体性なるものを思考の中でも考えなくなり、治療の上でも問題にしない風潮になった。
最先端のガンの専門研究者は、すべからく、J.グリーンスタイン的な考え方の持ち主になった。彼は「悪性腫瘍の悪性さ≠サのものを直接的に研究することが重要だ(註17)」と言っている。彼の本はガン患者におけるその他の器官、とくに肝臓の生理機能の変化の実例をよく集めた著作であるにもかかわらず、このようなことを彼自身は書いている。
註17:J.グリーンスタイン『ガンの生化学』(1954年版598ページ)
私は全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)を重視することによって、ガンの真因が判るようになると考えている。またそれが実際の治療にも役立つ、とも思っている。1つ一つの、小さな症状そのものだけを観察する動物実験ではなく、実際の治療において、そう考えているのだ。
栄養の観点から観察すると、「植物も動物も人間もえいえ印の大自然のサイクルの一段ペンでしかない」と言ったような自然なスタイルの生活をしている人々は、ガンにならないと言う事実が何世紀にもわたって明らかにされてきている。これに反し、食事をますます大規模に近代化させてきた世界では、比較的短期間にガンを含めた退化病の犠牲になるようになった。
最近の医学的観察で、ガンと一番無縁なことで有名なのは、フンザの人々である。彼らはヒマラヤ山の斜面に住み、自分たちの土地で獲れる自然な推移火で育てた食べ物だけで生きている。外部からの食べ物は個々ではまったくタブーである(現在のフンザはハイウェイが開通し、流通や観光の面でも改善されています)。エチオピア人もよく似ている。彼らも、自然な農業と独自の生活習慣で生きている(これもまた、飢餓や疫病の流行により、2009年9月末現在では、麻薬(チャット)とコーヒー栽培の他に加工業への模索を続けております)。このようなことから、彼らのようなタイプの農業ならば、ガンにも、また多くの退化病にもならないことが証明されているように思う。
近代文明が人間にもたらしているダメージは、土壌の進化からスタートしている。化学肥料は土壌の中のミネラル成分を追い出し、土壌中の虫類がいなくなってしまうことと一緒に、微生物相を変えてしまった。機械化農場の表層土の流出が頻繁に起きるようになったのも、この結果である。そしてこれはまず最初に作物を伸び悩ませ、次に作物を退化させることになった。農場には有害な物質(殺虫剤)がまかれて、土壌をますます有害な土壌にし、さらにそれが農作物や果実に吸収される。
我々(読者。ことに農業関係者)はこう言う事態やその他の多くの観察結果から、土壌および土壌の中に育つ全てのものを自分たちに縁遠い存在としてではなく、自分たちの外部代謝なのだと考えねばならない。そしてその外部代謝は、人間の内部代謝に不可欠な物質を供給するものに他ならない。だから土壌は適切に世話されねばならず、劣化させたり、有害な土壌にしてはならない。もしもそんなことをすれば深刻な退化病を生み出す原因になり、現にそれが人間にも動物にも急速に増加しているのだ。土壌には活動−成長と急速と言う自然なサイクル−や自然な肥料が必要である。その肥料は土壌から奪い取った物質を、もう1度土壌に返してやるものでなければならない。これが土壌の流出をも防ぐ最上の防衛策であり、土壌微生物相を健全に維持し、土壌の生産性と生命を護る方策に他ならない。このようにして、生産された作物を一部は生きたナマのままで、一部は料理したての食物として、食べねばならない。それが「生命が生命を生む(ライフ・ビゲッツ・ライフ)」ことである。エスキモー(現イヌイット)でも、缶詰食品や不自然な食品が入って来た地域では、退化病やガンになるようになっていると言うレポートは、無視できない意味を持っている。
中央アフリカのランバレネに、40年前に病院を建てたアルバート・シュバイツァ博士は、1954年10月の私への手紙で次のように書いてきた。
「多くの土着民、特に大きなコミュニティ(集落)に住んでいる土着民たちは、今では以前とは違った生活をしている−彼らは昔はバナナ、カサバ(キャッサバ、カッサバ)、イグナム、タロイモ、サツマイモ等ほとんど野菜や果物だけを食べていた。しかし今(1954年)はコンデンス・ミルク(練乳)、缶入りバター、肉や魚の燻製などを食べ、パンを食している」
博士がこの地区の土着民の盲腸炎の手術に初めて出会ったのは、1954年だった。博士の手紙はさらに続く。
「…この地域で、ガンその他の文明病がいつから現れたかは、盲腸炎ほどにはハッキリ判らない。なぜなら顕微鏡検査は、ここではホンの数年前から始まったに過ぎないからだ。…しかしガンが増え始めたことと、土着民が塩をたくさん使うようになったことが、無関係ではないことは明らかだ。…興味あることは、我々の病院では、以前はガンなど1例もなかったと言うことである」
サリバリー博士は、ナバホ・インディアン(先住民族)に関して「私の病院では23年前に3万5千人の入院患者があったが、ガンはわずか66例だった」と、語っているこの地域のインディアン(先住民族)のガンの死亡者は、1千人に1人だが、文明的な食事を部分的に取り入れている地域のインデイアン(先住民族)は500人に1人がガンで死んでいる。
南アフリカのバンツー族では、20%の者が原発の肝臓ガンを起す。彼らの食事は主に安いデンプン質、トウモロコシ。粉食などで、発酵させた牛乳をたまに摂り、肉類は祝い事の時だけ食べる。
ギルバート、ギルマンの両博士は、バンツーの食事で動物実験をした結果、彼らの食事がガンの原因だと指摘した。実験動物の大部分が肝臓に障害を起こし、20%は後に肝硬変になったのだった。またバンツー族の肝臓から抽出したものを、ネズミの背中に塗ると、ネズミにはガン、または良性の腫瘍が起きたと言う。
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.31
ガンは慢性的な退化病である。ガンが進んだ状態では、主要な臓器や器官はみなやられている。
唱歌器官とその付属器官、肝臓、膵臓、循環器系糖(細胞交換のサポート役もしている)。腎臓や胆汁分泌系(主要な毒素排出器官)、網内皮系やリンパ系(免疫器官)、中枢神経系や代謝や運動刺激に関連する内臓の神経系など、全ての器官の働きに問題が生じ、その結果代謝の全体が狂ってくる。
現代(1958年)において、病気の本質を理解するために「全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)」を問題にした最初の1人は、ニコラス博士である。博士は患者の気持ちの持ち方、栄養、体内の有害物質、細菌、偶発的要素、遺伝など、全ての要素を1つに結びつけた立場で問題にし、これを病気の背後の原因と考えた。そして「我々がみんな病んでいるのも不思議ではない…科学も神の自然な法を侵害するにいたっては、もはや科学ではない(註13)」と書いた。
註13:『テキサス州銀行報告』(1952年5月号)
彼はこの文章では、退化病一般のことにもガンのことにも触れなかった。だが、博士は急性の病気および慢性病を理解する上で、進んだ見方を示したのである。
ガンの研究者には、「ガンは生き方と結びついた現象だ」とか、「ガン細胞は肉体と別個に生きているものではない」とか、「ガン細胞は生きた体と離れて存在する別のシステムではない」といった意見を述べている人もいる。
ガンは肉体全体と結びついて存在する肉体の一部なのだ。そして全ては基本的な自然の法則に従って配列されていて、そこではダイナミックな力が結び合わされ、しかるべく機能する肉体の中に調和のとれた形で配列されている。
ビタミンは酵素と一体となって働くので、副酵素と言う呼び方もする。そして酵素は細胞中の他の条件が正常に活動している時だけ、働く。また酵素は活発に働くホルモンと結合して、適切なミネラル状態の時に働く。
以前からガンは、日々慢性的に、有害物質が体、とくに肝臓に蓄積されて、肉体が多かれ少なかれ正常な代謝機能を失った場合に発生する、と言われて来た(註14)。体内では、全ての器官が互いに依存しつつ協働して働いている。そしてそのことが最も大切であり、病気とは、このバランスが崩れたことと考えることが大切なのだ。
註14:L.ウィッケンデン『日常の有害物質』(1955年)
だから病気の治療には全ての器官の働きの狂いを一緒に問題にし、このような全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)から対処しなければならない。およそ私の臨床経験からも、このやり方こそが治療を成功させるための、最も確実な方法だったと言っていい。また相対的な代謝のトラブルの大部分は、肝臓に集中的に現れるものである。とは言え、肝臓自体の生物学的機能も、他の主要な器官が適切に機能し、かつ協力的に機能しているか否かにかかっている。
昔のパラセルサスの著作の中には全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)と言う考え方が、きわめて深い意味で展開されているし、その他にもずっと昔の多くの医者たちは、同じ立場に立っていた。
全体≠ニ言う考えを自然のプロセスの実体として注目しなければならないのは、生物学の世界だけに限らない。芸術、哲学、音楽、物理学の世界でも同じであり、有識の学者たちは皆、自分たちの研究や仕事の分野に、同じものが生きていることに気付いてきた。
いくつかの例を挙げよう。
ヘンリー・ドラモンドの哲学的著作『精神的世界における自然法則』(1883年)などもそうである。彼自身の言葉で言えば「物質の世界と精神の世界の連続性」が、彼の基本的見方だった。これは物理的な無機の力が、植物や動物の有機の世界へと変容して行く時の、連続した一貫性を意味している。人間の場合には細胞の生命の中での、電気的なポテンシャル(潜在能力)が際立っている。そしてそれはとくに、神経組織の中に集約されていて、最終的には創造的な進歩や、偉大な業績を可能にする人間の精神的期間≠ニなっている。
物理学の世界でのアインシュタインの最初の大きな業績が『空間と時間の相対性』と言う著作だった。最初はこの理論は幻想的なものとしか受け取られなかったが、後には広く受け入れられるものとなった。アインシュタインはさらに1歩進めて、光の変態と光電効果の問題を扱い、最後は重力、磁力、電気を1つの基礎的物理システムの中に一緒に含めて論じようとした。そしてこれを彼は、『統一場の立場』と呼んだ−だがこれは証明することが極めて難しいものであった。
芸術の世界で例を挙げれば、シェイファー・サイマーンの仕事もそう言う例であった。彼は芸術を、古臭い理性の原理の狭い枠から開放した立場から説明し、芸術とは人間の頭脳の働きに内在する想像力の力≠フことだと言うことを示した。そしてその力とは肉体、精神、情緒、理性の成熟へと向かって発展するものだとも説明した。彼は『男、女、ビジネス、専門的職業等の中にも、必ず創造的な可能性なるものが1つの実体として姿を見せている』と語った。そしてこれは肉体の持つ全ての力と一緒になって、そうなっているものであった。彼は『子供の教育において、子供に内在する芸術的能力を展開させる』ために芸術を活用した。そしてこれは、人間の創造的本質に基礎をおいた文化の基盤を作るために、決定的な要素になり得るものであった(註15)。
註15:シェイファー.サイマーン『芸術的活動の秘密』(1950年)」
マサチューセッツ工科大学のスウガクキョウジュ、N.ウィナーは書いている。
「科学研究の世界には純粋な数学理論、統計学、電気工学、神経生理学と言った違う角度から、それぞれ探求されている世界がある。そしてそれぞれの角度からの研究によって、1つ一つの概念にそれぞれの名が付けられていて、重要な研究が3重、4重になされている。しかし、それ以上に重要な研究で、他の研究分野での研究結果がその研究分野には取り入れられないがために、まだ遅れさせられてしまっているものがある。ある1つの分野では、その研究は既に古典的なものとさえなっていると言うのに、それが別の分野に取り入れられることが無いのだ(註16」」
註16:N.ウィナー『サイヴァネティクス』(1953年8ページ)」
医学も、人体の自然な生物学的ルールの全体性とはかけ離れたものになってきた。研究も治療も、多くの専門分野に分化されすぎたためである。医学が一点集中式で極度に専門化され過ぎたために,人体のどの部分も、最終的には肉体全部の一部なのだということが、忘れ去られて行く。
医学の教科書には皆、単一の生理学プロセスを追求し、その結果を過度に高く評価する記述しかない。純粋な医学研究も治療研究も、また実際の治療も、病気の症状だけを問題にするものになってきた。体の中の全ての機能を1つに結び付けて理解して、生物学的な全体性をノーマルに立て直そうとする古来の治療法などは、病院でも隅に追いやられてしまっている。とくに生理学や病理学の研究の世界では無視されるようにすらなった。その結果として、ついに我々は、全体性なるものを思考の中でも考えなくなり、治療の上でも問題にしない風潮になった。
最先端のガンの専門研究者は、すべからく、J.グリーンスタイン的な考え方の持ち主になった。彼は「悪性腫瘍の悪性さ≠サのものを直接的に研究することが重要だ(註17)」と言っている。彼の本はガン患者におけるその他の器官、とくに肝臓の生理機能の変化の実例をよく集めた著作であるにもかかわらず、このようなことを彼自身は書いている。
註17:J.グリーンスタイン『ガンの生化学』(1954年版598ページ)
私は全体的観点(コンセプト・オブ・トータリティー)を重視することによって、ガンの真因が判るようになると考えている。またそれが実際の治療にも役立つ、とも思っている。1つ一つの、小さな症状そのものだけを観察する動物実験ではなく、実際の治療において、そう考えているのだ。
栄養の観点から観察すると、「植物も動物も人間もえいえ印の大自然のサイクルの一段ペンでしかない」と言ったような自然なスタイルの生活をしている人々は、ガンにならないと言う事実が何世紀にもわたって明らかにされてきている。これに反し、食事をますます大規模に近代化させてきた世界では、比較的短期間にガンを含めた退化病の犠牲になるようになった。
最近の医学的観察で、ガンと一番無縁なことで有名なのは、フンザの人々である。彼らはヒマラヤ山の斜面に住み、自分たちの土地で獲れる自然な推移火で育てた食べ物だけで生きている。外部からの食べ物は個々ではまったくタブーである(現在のフンザはハイウェイが開通し、流通や観光の面でも改善されています)。エチオピア人もよく似ている。彼らも、自然な農業と独自の生活習慣で生きている(これもまた、飢餓や疫病の流行により、2009年9月末現在では、麻薬(チャット)とコーヒー栽培の他に加工業への模索を続けております)。このようなことから、彼らのようなタイプの農業ならば、ガンにも、また多くの退化病にもならないことが証明されているように思う。
近代文明が人間にもたらしているダメージは、土壌の進化からスタートしている。化学肥料は土壌の中のミネラル成分を追い出し、土壌中の虫類がいなくなってしまうことと一緒に、微生物相を変えてしまった。機械化農場の表層土の流出が頻繁に起きるようになったのも、この結果である。そしてこれはまず最初に作物を伸び悩ませ、次に作物を退化させることになった。農場には有害な物質(殺虫剤)がまかれて、土壌をますます有害な土壌にし、さらにそれが農作物や果実に吸収される。
我々(読者。ことに農業関係者)はこう言う事態やその他の多くの観察結果から、土壌および土壌の中に育つ全てのものを自分たちに縁遠い存在としてではなく、自分たちの外部代謝なのだと考えねばならない。そしてその外部代謝は、人間の内部代謝に不可欠な物質を供給するものに他ならない。だから土壌は適切に世話されねばならず、劣化させたり、有害な土壌にしてはならない。もしもそんなことをすれば深刻な退化病を生み出す原因になり、現にそれが人間にも動物にも急速に増加しているのだ。土壌には活動−成長と急速と言う自然なサイクル−や自然な肥料が必要である。その肥料は土壌から奪い取った物質を、もう1度土壌に返してやるものでなければならない。これが土壌の流出をも防ぐ最上の防衛策であり、土壌微生物相を健全に維持し、土壌の生産性と生命を護る方策に他ならない。このようにして、生産された作物を一部は生きたナマのままで、一部は料理したての食物として、食べねばならない。それが「生命が生命を生む(ライフ・ビゲッツ・ライフ)」ことである。エスキモー(現イヌイット)でも、缶詰食品や不自然な食品が入って来た地域では、退化病やガンになるようになっていると言うレポートは、無視できない意味を持っている。
中央アフリカのランバレネに、40年前に病院を建てたアルバート・シュバイツァ博士は、1954年10月の私への手紙で次のように書いてきた。
「多くの土着民、特に大きなコミュニティ(集落)に住んでいる土着民たちは、今では以前とは違った生活をしている−彼らは昔はバナナ、カサバ(キャッサバ、カッサバ)、イグナム、タロイモ、サツマイモ等ほとんど野菜や果物だけを食べていた。しかし今(1954年)はコンデンス・ミルク(練乳)、缶入りバター、肉や魚の燻製などを食べ、パンを食している」
博士がこの地区の土着民の盲腸炎の手術に初めて出会ったのは、1954年だった。博士の手紙はさらに続く。
「…この地域で、ガンその他の文明病がいつから現れたかは、盲腸炎ほどにはハッキリ判らない。なぜなら顕微鏡検査は、ここではホンの数年前から始まったに過ぎないからだ。…しかしガンが増え始めたことと、土着民が塩をたくさん使うようになったことが、無関係ではないことは明らかだ。…興味あることは、我々の病院では、以前はガンなど1例もなかったと言うことである」
サリバリー博士は、ナバホ・インディアン(先住民族)に関して「私の病院では23年前に3万5千人の入院患者があったが、ガンはわずか66例だった」と、語っているこの地域のインディアン(先住民族)のガンの死亡者は、1千人に1人だが、文明的な食事を部分的に取り入れている地域のインデイアン(先住民族)は500人に1人がガンで死んでいる。
南アフリカのバンツー族では、20%の者が原発の肝臓ガンを起す。彼らの食事は主に安いデンプン質、トウモロコシ。粉食などで、発酵させた牛乳をたまに摂り、肉類は祝い事の時だけ食べる。
ギルバート、ギルマンの両博士は、バンツーの食事で動物実験をした結果、彼らの食事がガンの原因だと指摘した。実験動物の大部分が肝臓に障害を起こし、20%は後に肝硬変になったのだった。またバンツー族の肝臓から抽出したものを、ネズミの背中に塗ると、ネズミにはガン、または良性の腫瘍が起きたと言う。
体の浄化作用を回復せよ! [2009年10月07日(水)]
P.62第5章 理論より
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.38
本章の結論に対して、読者こんなふうに訊きそうである。
「ガンやその治療を考える上で全体的観点と言う立場からは、我々(ことに医師)はどう云う考え方で対処すればいいのか?」
この疑問に私は次のように答えたい。ドイツでの国際腫瘍治療総合会議で明らかにされたように、体全体の全ての代謝に有害なことをすることによって、基本的な生命のプロセスに病気以前のダメージ≠与えてしまうことがあなた方の問題なのだ、と(註18)
註18:シークムンド教授『腫瘍患者の療法』(1953年)
ミュンスター大学のシーグムンド教授は、こういう代謝への有害なダメージは、近代文明が作り出したさまざまな一般的条件として、いまでは既に起きているものであり、それは単に前ガン段階であるだけはなく、人体の病的な全般的状態となっているものだと指摘している(註19)。
註19:同書(277ぺ−ジ)
だから治療とは、こう言う生命のプロセスの全てを是正するだけ深く浸透する、効果のある治療でなければならないことになる。そして全般的な代謝が是正されれば、他の全ての器官、組織、細胞もそれによって正常な機能を回復するように、仕向けることが出来る。
これらは次のようなことを意味している。つまり、治療とは体の全ての部分で表現されている肉体全体の機能を問題にすることによって、あらゆる点で肉体全ての回復を図るものでなければならないと言うことである。さらに、それによって、肉体全体の生物学的システムの調和が回復される治療でなければならない、と言うことである。この複雑な課題を解決するための具体的な治療方法は第25章、26章で後述する。
ただここで特に言っておきたいことは、こう言う治療は、2つの基本的な課題を解決するものだと言うことである。
第1には肉体全体の解毒作用を促すことで、これをかなり長い時間にわたって続ける必要がある。つまり腫瘍が全部解消され、体の主要な器官が体の浄化作用≠ニ言う重要な機能を磁力で果たせるようになるまでは、続けなければならないからである。この浄化の効果が必要なレベルまで上がらない場合は、全身が増え続ける有害物質の犠牲(ぎせい=いけにえ)にされ、病的な結果(肝性昏睡)にも見舞われる。
第2には、同時に消化器官全体の機能が回復されねばならない。そしてこれに伴って、内臓神経系によってコントロールされている循環器や臓器の働きと共に、最も重要な分泌の機能も回復されてくる。このようなやり方によって、他の機能と一緒に活発にすることが出来るのが体に備わっている病気に対する抵抗力、免疫力、治癒能力である。ここで言う免疫力とは、単に病原菌に対する抵抗力の意味ではない。体の栄養代謝が正常ならば、病原菌が体内で増殖出来ないのと同じように、ガンのような異常な細胞が出現したり、それが成長したり出来ない言うことも意味している。
この目的達成のために決定的に重要なのは、肝臓の機能をどの程度まで回復させることが出来るかと言う問題である。我々は肝臓の働きとあいまって活発な代謝のメカニズムを維持できるのだ、と言うことを忘れてはならない。かくして、自然の中の他の生物および無生物を含めた全てのものの中に働いているのと同じ全体性≠ネるものが、医術の中に活(い)かされることになる。また、栄養の面でも同じことが達成される。
第3回国際生化学会議で、あるレポートは次のように述べている。
「食べ物の中に含まれている、栄養素相互間の相関的な関係に注目することが、動物にとって、どれだけの栄養物質が必要かと言う必要量≠理解するために大切である。1つの栄養素を体が活用する場合に、他の栄養素が同時にあるかどうかは、その活用のされ方を大きく左右する。たとえばネズミの亜鉛中毒は餌で治せるし、モリブデンと亜鉛が同時に食物中にあると、この2つを別々に与えた時よりも、成長阻害が深刻になることがあり得そうである。セレニウム中毒はヒ素で軽減でき、牛のモリブデン中毒も餌で治せるだろう。コバルトを大量に摂った時の有害な影響も、メチオニンを注射すると予防できる。銅を与えた場合より銅不足のネズミは、消化器官からの鉄分の吸収が悪い。
右記およびその他の観察は、動物の異常な状態はある1つの栄養素が不足したり、過剰になったりするだけで起きるものではなく、他の1つ、あるいはそれ以上の栄養素の過不足によっておきるということを、再確認させるものである。他の栄養素の過不足は、不可欠な別の栄養素の正常な代謝を、狂わすものなのだ。
このような例の中で、とくに際立った実例の1つは、羊における銅の体内堆積、あるいは蓄積の例である。オーストラリアの実験では、酸化鉄を餌に入れると、肝臓の銅の蓄積は75%も減った。1日100mgの亜鉛を与えると銅の蓄積は5%減ったが、通常、羊が牧草から摂っているくらいの少量の亜鉛を与えた場合には、影響はゼロだった。モリブデン酸アンモニウムの形のモリブデンを与えると、銅の蓄積は大きく阻害した。しかし、これは餌そのものに、充分な無機の硫黄分が含まれている時だけそうなるのだった。
ある1つの微量栄養素と他の微量栄養素、あるいはその他の食物要素との相関的な関係は、まだ不完全にしか判っていないか、全く判っていない段階である(1958年現在)。このよく判らない領域のことを解明するのが、栄養学者や生化学者の役割だと私は思っている(註20)」
註20:L.シークレスの論文『第3回国際生化学会議報告』(1955年47ページ)
1つの要素、あるいはいくつかの単一要素の組み合わせだけでことが決まるわけではなく、問題はこれらが全体的存在としての体全体、心、精神にどのように影響するかと言う点が、決定的に重要である−これが生物学的な事実であり、それを理解してもらうために、私はいまのような例を選んで紹介したわけである。
肉体の持つ適応能力も、体の生物学的機能を非常に複雑にするのに一役買っている。健康な肉体は、違ったタイプの栄養にも適応できる。体は必要なミネラル、ビタミン、酵素などを再吸収するが、このことはいくつかのビタミン不足が欠乏症と言う臨床症状によって現れるのに、どれくらいの時間がかかるかと言う実験をしてみるとよく解る。これに対し、病んだ体は適応能力を失っている。そして欠乏症は主要な器官が有害物質の支配下に置かれている限り、治すことが出来ない。私の臨床観察からは、ガンに対しても同じだと言える。
ガンと言う恐怖の死病も、我々が自然と人体の中における永遠の全体性の法則を理解して対処するならば予防も出来るし、治せもする。ガンを効果的に治療するためには、予防と治療を1つに結び付けて考えなければならない。そうすることで、末期ガンでも高い治癒率で治す治療法を学ぶことが出来る。
とは言え全身の機能の全体性にも限界があり、それが治療上の問題になる。1つあるいは2つの重要な器官が余りにひどく傷(いた)んでしまっている場合には、この全体性が失われてしまっている。私は腹のガンが消えたり、たくさんの皮膚の結節など、また脳の基底のガンが消えたりしたのに、それから1年ないしは3年の間に、肝硬変で亡くなった何人もの患者を観ている。
エウィング博士によれば、原発の肝ガンの85%、胆肝ガンの50%は、肝硬変と結びついていると言う。ここに、ガンにおいて肝臓が果たしている役割をみることが出来る。大多数の専門家たちは、肝臓のこの種の変化はガンとは別に、またおそらくはガン腫瘍の成長する以前に起きていると考えている。と言うのも、肝臓の変化があちこちに散らばっているそれぞれの腫瘍から離れているからである。
エウィング博士はさらに、肝臓に結節性の過形成が起きるのと、多くの腺腫やガンの起きる過程の間には、一様で斬新的な関連があると言っている。腺腫からガンへの移行は、多くの文献が指摘している。同じ見方は、発ガン物質を使う発ガン実験の中で、裏付けられている。この場合、発ガン物質は、肝臓の再生する組織に過形成を起させ、それが最後はガンになって行く。
バターイエロー(バターの着色剤:商品の成分表示に記載されている)を米の餌に混ぜて与えたネズミは、60日で肝硬変を起こし、90日で良性の腫瘍が胆管や肝臓に出来、150日でほとんどのネズミがガンになった。とくに肝臓がダメージを受けたために、嫌気的糖分解やアルカリ・ホスファターゼが増加したり、その他の異常なことが体内に起きたからだった。餌やビタミンB類やカゼインによって実験動物にガン腫瘍が出来るのを防ぐと言う予防効果の実験は、人間のガンと比較して論ずることもある程度は出来そうである。
とは言え実験動物の種類によっても、また腫瘍が自然発生的な肝ガンと一緒に誘発されたり、同時に起きたりするか否かは、大いに違っている。人間の肝ガンにおいては、さらに大違いである。だから膨大な量の発ガン実験の研究リポートを漁ってみても、単一の決定的要素を突き止めることは不可能で、医者が従来も、またいま(1958年)も単一の特別な要素を探している限り結果は同じであろう。
発ガンには特別な1要素が関係しているのではない。一般的に言って、多くの要素が1つに結びついているとか、1つの有害な作用が長期にわたって続いた結果として、ガンになるのである。これは市川、山際と言の実験からも言えることである。
2人の実験では、実験動物の肝臓などに障害を起こすのに9ヶ月かかった−これもまた、体の全体の中に起きる反応を示すもう1つの証拠である。また強力な毒物だと、数日で肝臓に障害が起き、10日で肝ガンを起こせると言うことも、いまの事と同じことを示す証拠である。しかしとは言えこういう実験は近代文明によって人体にゆっくりと少しずつ起きている退化現象と、不用意に同じに論じられない。
私のクリニックの臨床経験から言うと、多くの病気はその病気だけが単独に起きてはいず、「疾病分類学的な実体」として起きている。数例を挙げると
A副鼻腔の炎症はしばしば慢性的な気管支炎や気管支拡張症と一緒に起き、さらに喉頭炎、腎炎その他の離れた箇所での病菌感染と一緒に発現する。
B慢性的な膀胱炎は、しばしば盲腸炎と一緒になっている。膀胱炎は確かに消化器官のいくつかのトラブルと結びついた病気なのだ。
C胆嚢(たんのう)の病気は、ほとんど肝臓の変性と結びついていて、心筋の変性とも一緒に起き、後には肝硬変も起す。さらに体の抵抗力がひどく低下すると、1つないしはいくつかの器官がたびたび病原菌感染症に見舞われるようになる。
これらの臨床データからは、体の深いところにある1つの一般的原因により、結果としていくつもの違ったタイプの病理学的な変化が起きるのだと言う結論になる。そしてこの一般的原因なるものを基準になる考え、つまり全体性の法則と言う観点から考えれば、全体性が失われたり、阻害されたりしたことだと理解できる。またもっと臨床的な言葉で、治癒能力≠フ損失や低下と言っていい。近代的生化学の長足の進歩の中でも、直接的で客観的な臨床観察の重要さを説いたヒポクラテス的な教えから、離れていいわけではない。でなければ、臨床上の観察を、1つの治療方針を立てるために総括し得ないからだ。患者の治癒能力が充分なら、感染症が隣接の器官にもまた離れた他の器官にも伝染しないだろう。またガンの場合には転移が起きないだろう。
このように病気の発現やその進行や治って行く過程は、問題の器官や組織の性質にそれほど関係はなく、むしろ体全体の相対的治癒能力の如何に関連していて、かつ体全体の代謝プロセスと1つに結びついている。そしてその代謝の状態は、大部分は肝臓に集約されて現れる。
いまのような見方とは逆に、医学の教科書や医学雑誌では、1つ一つの病気を別々の病気として理解しようとする態度になっている。ガンにしても鼻の悪性腫瘍、副鼻腔のガン、胃や腎臓の組織のガン化、肺のガンなどと別々に考えている。もちろんガンにもそのタイプ、進み方、症状、予後に違いがあるのは言うまでも無い。しかし病気に対する抵抗力や病気の治癒力こそが肉体全体の基本的要素であり、これを回復させることが、必須の問題だと言う基本的な考え方に、私たち(この場合は主に医師)はいつも立っていなければならない。そして、これほどの器官や組織が病気に冒されている場合でも、何がガンを起す原因になっていた場合でも、同じである。
繰り返し、私は言いたい。一言で云ってガンからの回復とは、体全体を一種の退化から回復させることに他ならない、と。外に現れているガン、たとえば皮膚や乳房のガンなどの場合には、その部分だけの治療で功を奏すこともある。しかし本書第2部で紹介しているような症例で示す事実からも解るように、全体的観点なるものは、はるかに優れたアプローチであり効果はずっと大きいのだ。
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.38
本章の結論に対して、読者こんなふうに訊きそうである。
「ガンやその治療を考える上で全体的観点と言う立場からは、我々(ことに医師)はどう云う考え方で対処すればいいのか?」
この疑問に私は次のように答えたい。ドイツでの国際腫瘍治療総合会議で明らかにされたように、体全体の全ての代謝に有害なことをすることによって、基本的な生命のプロセスに病気以前のダメージ≠与えてしまうことがあなた方の問題なのだ、と(註18)
註18:シークムンド教授『腫瘍患者の療法』(1953年)
ミュンスター大学のシーグムンド教授は、こういう代謝への有害なダメージは、近代文明が作り出したさまざまな一般的条件として、いまでは既に起きているものであり、それは単に前ガン段階であるだけはなく、人体の病的な全般的状態となっているものだと指摘している(註19)。
註19:同書(277ぺ−ジ)
だから治療とは、こう言う生命のプロセスの全てを是正するだけ深く浸透する、効果のある治療でなければならないことになる。そして全般的な代謝が是正されれば、他の全ての器官、組織、細胞もそれによって正常な機能を回復するように、仕向けることが出来る。
これらは次のようなことを意味している。つまり、治療とは体の全ての部分で表現されている肉体全体の機能を問題にすることによって、あらゆる点で肉体全ての回復を図るものでなければならないと言うことである。さらに、それによって、肉体全体の生物学的システムの調和が回復される治療でなければならない、と言うことである。この複雑な課題を解決するための具体的な治療方法は第25章、26章で後述する。
ただここで特に言っておきたいことは、こう言う治療は、2つの基本的な課題を解決するものだと言うことである。
第1には肉体全体の解毒作用を促すことで、これをかなり長い時間にわたって続ける必要がある。つまり腫瘍が全部解消され、体の主要な器官が体の浄化作用≠ニ言う重要な機能を磁力で果たせるようになるまでは、続けなければならないからである。この浄化の効果が必要なレベルまで上がらない場合は、全身が増え続ける有害物質の犠牲(ぎせい=いけにえ)にされ、病的な結果(肝性昏睡)にも見舞われる。
第2には、同時に消化器官全体の機能が回復されねばならない。そしてこれに伴って、内臓神経系によってコントロールされている循環器や臓器の働きと共に、最も重要な分泌の機能も回復されてくる。このようなやり方によって、他の機能と一緒に活発にすることが出来るのが体に備わっている病気に対する抵抗力、免疫力、治癒能力である。ここで言う免疫力とは、単に病原菌に対する抵抗力の意味ではない。体の栄養代謝が正常ならば、病原菌が体内で増殖出来ないのと同じように、ガンのような異常な細胞が出現したり、それが成長したり出来ない言うことも意味している。
この目的達成のために決定的に重要なのは、肝臓の機能をどの程度まで回復させることが出来るかと言う問題である。我々は肝臓の働きとあいまって活発な代謝のメカニズムを維持できるのだ、と言うことを忘れてはならない。かくして、自然の中の他の生物および無生物を含めた全てのものの中に働いているのと同じ全体性≠ネるものが、医術の中に活(い)かされることになる。また、栄養の面でも同じことが達成される。
第3回国際生化学会議で、あるレポートは次のように述べている。
「食べ物の中に含まれている、栄養素相互間の相関的な関係に注目することが、動物にとって、どれだけの栄養物質が必要かと言う必要量≠理解するために大切である。1つの栄養素を体が活用する場合に、他の栄養素が同時にあるかどうかは、その活用のされ方を大きく左右する。たとえばネズミの亜鉛中毒は餌で治せるし、モリブデンと亜鉛が同時に食物中にあると、この2つを別々に与えた時よりも、成長阻害が深刻になることがあり得そうである。セレニウム中毒はヒ素で軽減でき、牛のモリブデン中毒も餌で治せるだろう。コバルトを大量に摂った時の有害な影響も、メチオニンを注射すると予防できる。銅を与えた場合より銅不足のネズミは、消化器官からの鉄分の吸収が悪い。
右記およびその他の観察は、動物の異常な状態はある1つの栄養素が不足したり、過剰になったりするだけで起きるものではなく、他の1つ、あるいはそれ以上の栄養素の過不足によっておきるということを、再確認させるものである。他の栄養素の過不足は、不可欠な別の栄養素の正常な代謝を、狂わすものなのだ。
このような例の中で、とくに際立った実例の1つは、羊における銅の体内堆積、あるいは蓄積の例である。オーストラリアの実験では、酸化鉄を餌に入れると、肝臓の銅の蓄積は75%も減った。1日100mgの亜鉛を与えると銅の蓄積は5%減ったが、通常、羊が牧草から摂っているくらいの少量の亜鉛を与えた場合には、影響はゼロだった。モリブデン酸アンモニウムの形のモリブデンを与えると、銅の蓄積は大きく阻害した。しかし、これは餌そのものに、充分な無機の硫黄分が含まれている時だけそうなるのだった。
ある1つの微量栄養素と他の微量栄養素、あるいはその他の食物要素との相関的な関係は、まだ不完全にしか判っていないか、全く判っていない段階である(1958年現在)。このよく判らない領域のことを解明するのが、栄養学者や生化学者の役割だと私は思っている(註20)」
註20:L.シークレスの論文『第3回国際生化学会議報告』(1955年47ページ)
1つの要素、あるいはいくつかの単一要素の組み合わせだけでことが決まるわけではなく、問題はこれらが全体的存在としての体全体、心、精神にどのように影響するかと言う点が、決定的に重要である−これが生物学的な事実であり、それを理解してもらうために、私はいまのような例を選んで紹介したわけである。
肉体の持つ適応能力も、体の生物学的機能を非常に複雑にするのに一役買っている。健康な肉体は、違ったタイプの栄養にも適応できる。体は必要なミネラル、ビタミン、酵素などを再吸収するが、このことはいくつかのビタミン不足が欠乏症と言う臨床症状によって現れるのに、どれくらいの時間がかかるかと言う実験をしてみるとよく解る。これに対し、病んだ体は適応能力を失っている。そして欠乏症は主要な器官が有害物質の支配下に置かれている限り、治すことが出来ない。私の臨床観察からは、ガンに対しても同じだと言える。
ガンと言う恐怖の死病も、我々が自然と人体の中における永遠の全体性の法則を理解して対処するならば予防も出来るし、治せもする。ガンを効果的に治療するためには、予防と治療を1つに結び付けて考えなければならない。そうすることで、末期ガンでも高い治癒率で治す治療法を学ぶことが出来る。
とは言え全身の機能の全体性にも限界があり、それが治療上の問題になる。1つあるいは2つの重要な器官が余りにひどく傷(いた)んでしまっている場合には、この全体性が失われてしまっている。私は腹のガンが消えたり、たくさんの皮膚の結節など、また脳の基底のガンが消えたりしたのに、それから1年ないしは3年の間に、肝硬変で亡くなった何人もの患者を観ている。
エウィング博士によれば、原発の肝ガンの85%、胆肝ガンの50%は、肝硬変と結びついていると言う。ここに、ガンにおいて肝臓が果たしている役割をみることが出来る。大多数の専門家たちは、肝臓のこの種の変化はガンとは別に、またおそらくはガン腫瘍の成長する以前に起きていると考えている。と言うのも、肝臓の変化があちこちに散らばっているそれぞれの腫瘍から離れているからである。
エウィング博士はさらに、肝臓に結節性の過形成が起きるのと、多くの腺腫やガンの起きる過程の間には、一様で斬新的な関連があると言っている。腺腫からガンへの移行は、多くの文献が指摘している。同じ見方は、発ガン物質を使う発ガン実験の中で、裏付けられている。この場合、発ガン物質は、肝臓の再生する組織に過形成を起させ、それが最後はガンになって行く。
バターイエロー(バターの着色剤:商品の成分表示に記載されている)を米の餌に混ぜて与えたネズミは、60日で肝硬変を起こし、90日で良性の腫瘍が胆管や肝臓に出来、150日でほとんどのネズミがガンになった。とくに肝臓がダメージを受けたために、嫌気的糖分解やアルカリ・ホスファターゼが増加したり、その他の異常なことが体内に起きたからだった。餌やビタミンB類やカゼインによって実験動物にガン腫瘍が出来るのを防ぐと言う予防効果の実験は、人間のガンと比較して論ずることもある程度は出来そうである。
とは言え実験動物の種類によっても、また腫瘍が自然発生的な肝ガンと一緒に誘発されたり、同時に起きたりするか否かは、大いに違っている。人間の肝ガンにおいては、さらに大違いである。だから膨大な量の発ガン実験の研究リポートを漁ってみても、単一の決定的要素を突き止めることは不可能で、医者が従来も、またいま(1958年)も単一の特別な要素を探している限り結果は同じであろう。
発ガンには特別な1要素が関係しているのではない。一般的に言って、多くの要素が1つに結びついているとか、1つの有害な作用が長期にわたって続いた結果として、ガンになるのである。これは市川、山際と言の実験からも言えることである。
2人の実験では、実験動物の肝臓などに障害を起こすのに9ヶ月かかった−これもまた、体の全体の中に起きる反応を示すもう1つの証拠である。また強力な毒物だと、数日で肝臓に障害が起き、10日で肝ガンを起こせると言うことも、いまの事と同じことを示す証拠である。しかしとは言えこういう実験は近代文明によって人体にゆっくりと少しずつ起きている退化現象と、不用意に同じに論じられない。
私のクリニックの臨床経験から言うと、多くの病気はその病気だけが単独に起きてはいず、「疾病分類学的な実体」として起きている。数例を挙げると
A副鼻腔の炎症はしばしば慢性的な気管支炎や気管支拡張症と一緒に起き、さらに喉頭炎、腎炎その他の離れた箇所での病菌感染と一緒に発現する。
B慢性的な膀胱炎は、しばしば盲腸炎と一緒になっている。膀胱炎は確かに消化器官のいくつかのトラブルと結びついた病気なのだ。
C胆嚢(たんのう)の病気は、ほとんど肝臓の変性と結びついていて、心筋の変性とも一緒に起き、後には肝硬変も起す。さらに体の抵抗力がひどく低下すると、1つないしはいくつかの器官がたびたび病原菌感染症に見舞われるようになる。
これらの臨床データからは、体の深いところにある1つの一般的原因により、結果としていくつもの違ったタイプの病理学的な変化が起きるのだと言う結論になる。そしてこの一般的原因なるものを基準になる考え、つまり全体性の法則と言う観点から考えれば、全体性が失われたり、阻害されたりしたことだと理解できる。またもっと臨床的な言葉で、治癒能力≠フ損失や低下と言っていい。近代的生化学の長足の進歩の中でも、直接的で客観的な臨床観察の重要さを説いたヒポクラテス的な教えから、離れていいわけではない。でなければ、臨床上の観察を、1つの治療方針を立てるために総括し得ないからだ。患者の治癒能力が充分なら、感染症が隣接の器官にもまた離れた他の器官にも伝染しないだろう。またガンの場合には転移が起きないだろう。
このように病気の発現やその進行や治って行く過程は、問題の器官や組織の性質にそれほど関係はなく、むしろ体全体の相対的治癒能力の如何に関連していて、かつ体全体の代謝プロセスと1つに結びついている。そしてその代謝の状態は、大部分は肝臓に集約されて現れる。
いまのような見方とは逆に、医学の教科書や医学雑誌では、1つ一つの病気を別々の病気として理解しようとする態度になっている。ガンにしても鼻の悪性腫瘍、副鼻腔のガン、胃や腎臓の組織のガン化、肺のガンなどと別々に考えている。もちろんガンにもそのタイプ、進み方、症状、予後に違いがあるのは言うまでも無い。しかし病気に対する抵抗力や病気の治癒力こそが肉体全体の基本的要素であり、これを回復させることが、必須の問題だと言う基本的な考え方に、私たち(この場合は主に医師)はいつも立っていなければならない。そして、これほどの器官や組織が病気に冒されている場合でも、何がガンを起す原因になっていた場合でも、同じである。
繰り返し、私は言いたい。一言で云ってガンからの回復とは、体全体を一種の退化から回復させることに他ならない、と。外に現れているガン、たとえば皮膚や乳房のガンなどの場合には、その部分だけの治療で功を奏すこともある。しかし本書第2部で紹介しているような症例で示す事実からも解るように、全体的観点なるものは、はるかに優れたアプローチであり効果はずっと大きいのだ。
第3章 相対的栄養への方向 [2009年10月08日(木)]
P.62第5章 理論より
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.45
かつては栄養の中味はその国の条件や歴史的事情に左右されて、伝統的に決められていた。宗教や国によて規制されたり、あるいはその家族や個人の経済条件によって決められていた。現代では文化的環境の変化、科学や工業技術の進歩などが、人々の食べ物の中味を不断に変え続けるようになった。農業の生産方式の変化、食品の保存や流通の技術のそれ、そしてまた生活条件の向上に応じての変化などが、大きな原因となっている。しかし、ここではこの種の問題(註21)には触れず、基本的なことだけを述べる。
註21:A.W.マッカン『食物の歴史』およびヒテンフェルト教授『食物の歴史』
たくさんの数表や文献を挙げて、その解説をしながらではないと、よい栄養の基本とはどんなものかと言うことを、理解してもらうのはなかなか難しいものだ。
ここで云うよい栄養とは、人に毎日耐えることのないエネルギーと力を与え、仕事その他の義務を果たす余力も、間違いなく保障してくれるような栄養のことである。
ここでは、兵役も免除され生命保険に入るのも拒否された人々と接触して来た私の臨床体験を材料に栄養の基本を説明してみたい。なお、私がここで述べるような食事の基本線を守ることによって、彼らは軍隊にも生命保険にも入れるようになったと言うことを付け加えておく。
私は慢性病から回復したあとの何千人もの患者にこのアドバイスを与え、彼らの多くは自分の家族も含め、この線に沿った食生活を長い間続けて来た。結果は満足出来るものに
なった。大部分のものがよい健康状態を享受し、生命保険にも入れたし、重要な仕事も許され、ちらと労働力を向上させた。もちろん、私自身も私の家族も30年以上、同じタイプの食事をしている。
この食事の基本的な約束事は、徹頭徹尾、杓子定規と言うものではない。その人の生活習慣や家族の祝い事の日や休日の楽しみの余地も残しているし、食べ物全体の4分の1は自由に選択しても構わない。
基本的約束事のうち4分の1はとくに重要な器官、つまり肝臓、腎臓、脳、心臓などの機能を守る役割を果たすためのものになっている。これらの基本的器官に余力を蓄積させ、不必要な負担をかけないように考えられているのだ。余分な食物、とくに消化しにくい脂肪の燃えカスを処理したり、有害なものの処理によって体に余計な負担をかけることのないようにと言う注意が払われている。それによって、色々な種類の体の退化や、年齢より早い老化、全ての急性および慢性の病気も防ぐ。これらの病気は、どこかの器官が元々弱いとか、弱くなった状態にあるとか、以前に悪くしたことがあるとか云ったチョッとした原因で起きる。
だからこの食事の基本的ガイドは、あくまで病気の予防のためのもので、治療のためのものではないことは、前もって知っておいてもらう必要がある。治療のためには、食物にもさらに深い注意が必要だし、体の化学の病理状態に対する直接的な医療的手段も、病気に応じて必要だからである。
私の言う基本的ガイドとは、炭水化物、脂肪、タンパク質、ビタミン、ホルモン、酵素がどうの、必要なカロリー計算はどうの、と言ったことを強調する生理学の教科書が書いているものとは違う。この種の古臭い教科書は主に、排泄両を基礎にした代謝の必要量にあわせてあるだけで、むしろ重要性の引くい栄養物質を考慮に入れているものもある。まだ化学は総ての酵素、ビタミンのことを解明しているわけでも、またホルモンやミネラルの生物学的な機能の多くを完全に知り尽くすほど進歩してもいない。
とすれば自然な形の食品で、自然と結びつき、自然と一緒になったもの、そして出来る限り有機栽培で生産されたものを食べる方が、より安心なのだ。それが自然の法則に従う事になるからである。
どんな科学も存在していなかった何千年もの昔から、人類のために役立って来たものは、このやり方だった。また、こうすれば、今(1958年)までに発見されているビタミンも酵素もまだ発見されていないそれも(とくに後者だが)我々は全て摂ることが出来る。コラス教授が言う生命を促す物質≠ヘ、出来るだけ新鮮な形の食品から最もよく摂れるものであり、たとえば缶詰などと言った精製や加工、保存のプロセスによって、不用意に破壊すべきものではない。自然で新鮮な形の食品には必ず、必要な栄養素が適切な形と量で、かつ自然なバランスで混ざり合っている。そして人間は本能的直感、つまり空腹感、味覚、嗅覚、視覚その他の要素で、これらを選択している。
さて、貴方の食事の4分の3は、次のようなもので構成されるようにしなければならない。
全ての種類の果物。これは大部分は生で食べるが、一部はいくつかの違った方法で調理の手を加えてもいい。たとえば、搾りたての果物ジュース(オレンジ、グレープフルーツ、ブドウなどは特に適している)。果物サラダ、果物スープ、砕いたバナナやリンゴ、リンゴ・ソースなどの形で食べても構わない。
野菜。これは、全て新鮮なものがふさわしい。それを生のままか、野菜そのものの水分で茹でるか、細かく砕くかして摂り入れる。ニンジン、カリフラワーなどはこれに適している。また野菜サラダ、スープなどにしてもいい。この他に乾燥させた果物や野菜を利用してもいい場合もある。ただし、冷凍したものは避けなければならない。
ジャガイモは焼いた物がベストで、これをすり潰して牛乳やスープに混ぜてもいい。ジャガイモをフライにするのは、時たまにする。それよりも皮付きのまま茹でる方が好ましい。
サラダは青葉野菜のものとか、これにトマト、果物、他の有機野菜を混ぜたものなど。
パンは無精白のライ麦か小麦の粉で作ったもの。あるいは両者を混ぜたもの。粉は出来るだけ精白しないか、精白度の低いものにする。オートミールも頻繁に食べるようにする。そばのケーキやジャガイモのパンケーキは、好みで構わないが、甘味は赤砂糖(黒砂糖)、蜂蜜、かえで糖(メイプル・シロップ)などにする。
牛乳、バターミルク、ヨーグルト、バターなどの乳製品も摂るようにする。ただしポッド・チーズ(脂肪抜きのチーズ)その他のチーズ類は塩味や香辛料の強くないものにする。クリームやアイスクリームは、極度に量を少なくするか、休日の楽しみに限る(アイスクリームは子供には毒物≠ナある)。
先にも述べたように、この基本ガイドを前食事の4分の3において実施したのならば、残りの4分の1は、各人の好みで構わない。肉、魚、卵、ナッツ、キャンディーやケーキ、その他は自分で選んでいい。
タバコは吸うべきではない。
酒類はワイン、ビールも含めて出来るだけ減らし、アルコール類よりも搾りたての果物ジュースを飲むようにする。
コーヒーとお茶も、ペパーミントやカモマイル(カモミール)、菩提樹の花、オレンジの花の茶、その他いくつかのお茶以外は出来るだけ量を減らす。
塩、重曹、魚の燻製、ソーセージは出来るだけ避ける。コショウやショウガのような強い香辛料は避ける。ただし新鮮な香味類はタマネギ、パセリの葉、セロリ、エゾネギなどはもちろん、ワサビも種類によっては構わない。
繰り返して云うが、野菜や果物を煮る時にはそれ自身の水分で煮ることが大切である。そうしないと調理中の水分の中に、ミネラル分がすぐに溶け出してしまうからである。野菜や果物の中の大切なミネラル成分は、元のコロイド状態の中にある時の方が体によく吸収されるように思われる。
コロイド「コロイド」はもともとはイギリスのトーマス・グレアムが1861年にデンプンやゼラチンのように半透膜を透過することが出来ない物質を表すためにつくった言葉です。 現在、「コロイド」は二つ以上の相が混在したもので、一方の相(分散相という)の微粒子 ...
www.geocities.co.jp/Beautycare-Venus/.../Colloids.html - キャッシュ - 類似ページ
野菜は全てが食用に適する。そしてミネラルの点から考えると、ニジン、さや豆類、トマト、フダンソウ、ホウレン草、さやえんどう類、キャベツ、アーティーチョーク、リンゴなどと一緒に調理されたビート(砂糖大根)、トマトと一緒に調理されたカリフラワー、リンゴや干しブドウと一緒にした赤キャベツなどは、特に勧められる。
野菜の最もよい調理法は水を加えず、1時間半か2時間かけてゆっくり調理することである。
鍋の下にマットを敷いて焦げないようにして、また取り沖のスープ(第33章の特別なスープ参照)を水の代わりに使うとか、いく切れかのトマトを加えるやり方もいい。こうすると味がよくなる。ただ、ホウレン草の汁は適さないので、これは大概の場合、捨てる。タマネギ、しろネギ、トマトは、水分が多いのでそれ自身の水分で十分調理できる。またビートはイモ類と同じように、皮付きのままそれだけで調理する。水を加える調理をするような場合でも、皮付きでするようにする。野菜はゴシゴシ強く洗って構わないが、皮を剥いてはいけないことを覚えておいて欲しい。
鍋はフタがピッチリして、湯気が逃げないものを使う。だから、フタが重くピッチリはまるものがいいのは云うまでも無い。料理した矢指は冷蔵庫で1晩保存して、温める時には、少量のスープや搾りたてのトマトの汁を付け加えて、ゆっくり温めて使うことも出来る。
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.45
かつては栄養の中味はその国の条件や歴史的事情に左右されて、伝統的に決められていた。宗教や国によて規制されたり、あるいはその家族や個人の経済条件によって決められていた。現代では文化的環境の変化、科学や工業技術の進歩などが、人々の食べ物の中味を不断に変え続けるようになった。農業の生産方式の変化、食品の保存や流通の技術のそれ、そしてまた生活条件の向上に応じての変化などが、大きな原因となっている。しかし、ここではこの種の問題(註21)には触れず、基本的なことだけを述べる。
註21:A.W.マッカン『食物の歴史』およびヒテンフェルト教授『食物の歴史』
たくさんの数表や文献を挙げて、その解説をしながらではないと、よい栄養の基本とはどんなものかと言うことを、理解してもらうのはなかなか難しいものだ。
ここで云うよい栄養とは、人に毎日耐えることのないエネルギーと力を与え、仕事その他の義務を果たす余力も、間違いなく保障してくれるような栄養のことである。
ここでは、兵役も免除され生命保険に入るのも拒否された人々と接触して来た私の臨床体験を材料に栄養の基本を説明してみたい。なお、私がここで述べるような食事の基本線を守ることによって、彼らは軍隊にも生命保険にも入れるようになったと言うことを付け加えておく。
私は慢性病から回復したあとの何千人もの患者にこのアドバイスを与え、彼らの多くは自分の家族も含め、この線に沿った食生活を長い間続けて来た。結果は満足出来るものに
なった。大部分のものがよい健康状態を享受し、生命保険にも入れたし、重要な仕事も許され、ちらと労働力を向上させた。もちろん、私自身も私の家族も30年以上、同じタイプの食事をしている。
この食事の基本的な約束事は、徹頭徹尾、杓子定規と言うものではない。その人の生活習慣や家族の祝い事の日や休日の楽しみの余地も残しているし、食べ物全体の4分の1は自由に選択しても構わない。
基本的約束事のうち4分の1はとくに重要な器官、つまり肝臓、腎臓、脳、心臓などの機能を守る役割を果たすためのものになっている。これらの基本的器官に余力を蓄積させ、不必要な負担をかけないように考えられているのだ。余分な食物、とくに消化しにくい脂肪の燃えカスを処理したり、有害なものの処理によって体に余計な負担をかけることのないようにと言う注意が払われている。それによって、色々な種類の体の退化や、年齢より早い老化、全ての急性および慢性の病気も防ぐ。これらの病気は、どこかの器官が元々弱いとか、弱くなった状態にあるとか、以前に悪くしたことがあるとか云ったチョッとした原因で起きる。
だからこの食事の基本的ガイドは、あくまで病気の予防のためのもので、治療のためのものではないことは、前もって知っておいてもらう必要がある。治療のためには、食物にもさらに深い注意が必要だし、体の化学の病理状態に対する直接的な医療的手段も、病気に応じて必要だからである。
私の言う基本的ガイドとは、炭水化物、脂肪、タンパク質、ビタミン、ホルモン、酵素がどうの、必要なカロリー計算はどうの、と言ったことを強調する生理学の教科書が書いているものとは違う。この種の古臭い教科書は主に、排泄両を基礎にした代謝の必要量にあわせてあるだけで、むしろ重要性の引くい栄養物質を考慮に入れているものもある。まだ化学は総ての酵素、ビタミンのことを解明しているわけでも、またホルモンやミネラルの生物学的な機能の多くを完全に知り尽くすほど進歩してもいない。
とすれば自然な形の食品で、自然と結びつき、自然と一緒になったもの、そして出来る限り有機栽培で生産されたものを食べる方が、より安心なのだ。それが自然の法則に従う事になるからである。
どんな科学も存在していなかった何千年もの昔から、人類のために役立って来たものは、このやり方だった。また、こうすれば、今(1958年)までに発見されているビタミンも酵素もまだ発見されていないそれも(とくに後者だが)我々は全て摂ることが出来る。コラス教授が言う生命を促す物質≠ヘ、出来るだけ新鮮な形の食品から最もよく摂れるものであり、たとえば缶詰などと言った精製や加工、保存のプロセスによって、不用意に破壊すべきものではない。自然で新鮮な形の食品には必ず、必要な栄養素が適切な形と量で、かつ自然なバランスで混ざり合っている。そして人間は本能的直感、つまり空腹感、味覚、嗅覚、視覚その他の要素で、これらを選択している。
さて、貴方の食事の4分の3は、次のようなもので構成されるようにしなければならない。
全ての種類の果物。これは大部分は生で食べるが、一部はいくつかの違った方法で調理の手を加えてもいい。たとえば、搾りたての果物ジュース(オレンジ、グレープフルーツ、ブドウなどは特に適している)。果物サラダ、果物スープ、砕いたバナナやリンゴ、リンゴ・ソースなどの形で食べても構わない。
野菜。これは、全て新鮮なものがふさわしい。それを生のままか、野菜そのものの水分で茹でるか、細かく砕くかして摂り入れる。ニンジン、カリフラワーなどはこれに適している。また野菜サラダ、スープなどにしてもいい。この他に乾燥させた果物や野菜を利用してもいい場合もある。ただし、冷凍したものは避けなければならない。
ジャガイモは焼いた物がベストで、これをすり潰して牛乳やスープに混ぜてもいい。ジャガイモをフライにするのは、時たまにする。それよりも皮付きのまま茹でる方が好ましい。
サラダは青葉野菜のものとか、これにトマト、果物、他の有機野菜を混ぜたものなど。
パンは無精白のライ麦か小麦の粉で作ったもの。あるいは両者を混ぜたもの。粉は出来るだけ精白しないか、精白度の低いものにする。オートミールも頻繁に食べるようにする。そばのケーキやジャガイモのパンケーキは、好みで構わないが、甘味は赤砂糖(黒砂糖)、蜂蜜、かえで糖(メイプル・シロップ)などにする。
牛乳、バターミルク、ヨーグルト、バターなどの乳製品も摂るようにする。ただしポッド・チーズ(脂肪抜きのチーズ)その他のチーズ類は塩味や香辛料の強くないものにする。クリームやアイスクリームは、極度に量を少なくするか、休日の楽しみに限る(アイスクリームは子供には毒物≠ナある)。
先にも述べたように、この基本ガイドを前食事の4分の3において実施したのならば、残りの4分の1は、各人の好みで構わない。肉、魚、卵、ナッツ、キャンディーやケーキ、その他は自分で選んでいい。
タバコは吸うべきではない。
酒類はワイン、ビールも含めて出来るだけ減らし、アルコール類よりも搾りたての果物ジュースを飲むようにする。
コーヒーとお茶も、ペパーミントやカモマイル(カモミール)、菩提樹の花、オレンジの花の茶、その他いくつかのお茶以外は出来るだけ量を減らす。
塩、重曹、魚の燻製、ソーセージは出来るだけ避ける。コショウやショウガのような強い香辛料は避ける。ただし新鮮な香味類はタマネギ、パセリの葉、セロリ、エゾネギなどはもちろん、ワサビも種類によっては構わない。
繰り返して云うが、野菜や果物を煮る時にはそれ自身の水分で煮ることが大切である。そうしないと調理中の水分の中に、ミネラル分がすぐに溶け出してしまうからである。野菜や果物の中の大切なミネラル成分は、元のコロイド状態の中にある時の方が体によく吸収されるように思われる。
コロイド「コロイド」はもともとはイギリスのトーマス・グレアムが1861年にデンプンやゼラチンのように半透膜を透過することが出来ない物質を表すためにつくった言葉です。 現在、「コロイド」は二つ以上の相が混在したもので、一方の相(分散相という)の微粒子 ...
www.geocities.co.jp/Beautycare-Venus/.../Colloids.html - キャッシュ - 類似ページ
野菜は全てが食用に適する。そしてミネラルの点から考えると、ニジン、さや豆類、トマト、フダンソウ、ホウレン草、さやえんどう類、キャベツ、アーティーチョーク、リンゴなどと一緒に調理されたビート(砂糖大根)、トマトと一緒に調理されたカリフラワー、リンゴや干しブドウと一緒にした赤キャベツなどは、特に勧められる。
野菜の最もよい調理法は水を加えず、1時間半か2時間かけてゆっくり調理することである。
鍋の下にマットを敷いて焦げないようにして、また取り沖のスープ(第33章の特別なスープ参照)を水の代わりに使うとか、いく切れかのトマトを加えるやり方もいい。こうすると味がよくなる。ただ、ホウレン草の汁は適さないので、これは大概の場合、捨てる。タマネギ、しろネギ、トマトは、水分が多いのでそれ自身の水分で十分調理できる。またビートはイモ類と同じように、皮付きのままそれだけで調理する。水を加える調理をするような場合でも、皮付きでするようにする。野菜はゴシゴシ強く洗って構わないが、皮を剥いてはいけないことを覚えておいて欲しい。
鍋はフタがピッチリして、湯気が逃げないものを使う。だから、フタが重くピッチリはまるものがいいのは云うまでも無い。料理した矢指は冷蔵庫で1晩保存して、温める時には、少量のスープや搾りたてのトマトの汁を付け加えて、ゆっくり温めて使うことも出来る。
カリウムとトナトリウムの体内バランスを重視せよ! [2009年10月08日(木)]
P.62第5章 理論より
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.50
食物中のミネラルを体に摂り入れる事の重要性を説明したのは、V.バンジだった。バンジは、一般的にいって、体内の器官の中には、K(カリウム)が、Na(ナトリウム)より余計に存在するようにしなければならない。これによってカリウムとナトリウムのバランスが保たれるのだと説いた。
カリウムは主に、細胞内で優勢であるようにしなければならない(カリウムが細胞内ミネラルと呼ばれるのは、このためである)。これに対しナトリウムは血清、リンパ、結合組織の中に、たまっていなければならない(ナトリウムはだから、細胞外ミネラルと呼ばれる)。
近年(1958年)の研究では、ミネラルはそれ単独で働くのではなく、グループを作って働いているのが判ってきた。ラドルフ・ケラー博士がミネラル類を生物学的な条件の下で2つのグループ、つまり細胞内グループ(カリウム・グループ)と細胞外グループ(ナトリウム・グループ)に分ける理論を展開しているのも、同じ立場からである。そして前者は電気的には陽極へ向かい、後者は陰極へ向かうグループである。
またさらにここからホルモン、ビタミン、酵素も、2つのミネラル群と同じルールに従っていると言う事実も解って来た。つまり、これらの働きも器官の細胞、すなわち肝臓、筋肉、脳、心臓、腎臓などの組織の中にカリウム群のミネラルがあり、一方の細胞外には、ナトリウム群のものが存在すると言うことに、左右されているのである。ナトリウム群のミネラルは、血清、リンパ腺、結合組織、甲状腺、胆管などと言った体液や組織の中にあり、また陰極、つまり負のビタミン、酵素もこう云う細胞外グループの中に閉じ込められていて、代謝と蓄積を主な働きとしている。
ホルモン、ビタミン、酵素のことを抜きにして、代謝のことは語れない。またこう云う物質の働きは、項目化されるものではない。
相対的に云ってホルモンとは、個々の組織や細胞にそれぞれの個性を与え、ビタミン、すなわち拭く酵素は、代謝に機能上の文化や活力を与え、酵素は1つ一つのステップを踏んで、代謝や個々の消化プロセスを生み出す。相対的な脱水素化作用や酸化作用がこれである。また酵素は白内障、結石、慢性の炎症を起こしたりすることもある有害な中間代謝産物(フリー・ラジカル)ができるのも防ぐ。
このようにホルモンやビタミン、酵素のそれぞれの役割も、またその役割の果たし方も違っている。しかし、これらの全てが強調してなされて始めてノーマルな代謝が可能になっている。
体全体の組織の60%はカリウム群、30%はナトリウム群の支配下にあり、残りの10%は両者の中間にある。これらの全てはそれぞれの場に多分、電気的なポテンシャル(潜在能力、保存力、位置エネルギー)の如何によって適切に配置されている。日中はいく分かのナトリウムは、塩化物と水を従えてカリウムの組織に入りこみ、これが疲労や軽度のだるさ、浮腫(むくみ)をもたらす。また夜になると、これが元に戻り、朝には尿として排泄され、気分も溌剌(はつらつ)となる(表3参照)。
このような生物学的な原則は、ミネラルの欠乏やアンバランスなどが病気をそのまま意味するので、健康の維持のために、非常に重要である。ほとんど全ての急性、慢性の病気は、陰極組織のナトリウム塩化物、水が侵入することによって始まる。これは有害物質、病菌、外傷などが生み出す浮腫が原因である。
と言うわけで、ミネラルの働きが動物の胎内で如何に深く作用しているかをよく知ってもらうために、短い説明をつけたいくつかの表を紹介したいと思う。
表1 全身の体重s当たりのミネラル含有量(年齢別:註22,1958年)
註22:A.ショール『ミネラル代謝』(1939年 1920ページ)
細胞外ミネラル
ナ ト リ ウ ム カ ル シ ウ ム 水
グラム ミリグラム グラム ミリグラム %
胎児3〜4ヶ月 − − 2.7 76 93
5 2.58 112 2.5 70 91
6 2.16 94 2.5 70 87
7 2.14 93 2.6 73 86
早産児 7 2.42 105 2.7 75 85
新生児 1.78 78 2.0 56 80
成人 1.09 48 1.56 42 72
細胞内ミネラル
カ リ ウ ム 燐 ( リ ン ) 脂 肪
グラム ミリグラム グラム ミリグラム %
胎児3〜4ヶ月 − − 2.14 69 0.5
5 2.00 51 3.58 115 1.2
6 1.62 41 3.82 123 2.5
7 1.88 43 3.82 123 2.5
早産児 7 1.71 44 3.82 123 3.0
新生児 1.90 49 3.40 174 12.0
成人 2.65 68 11.6 374 18.0
表2 註23:(同書73ページ)
ネズミの乳 牛の乳 母乳
ミリグラム当量/g ミリグラム当量/g ミリグラム当量/g
K 33 39.5 12.2
― ― =1.30 ― =2.24 ― =2.44
Na 43 26.5 5.0
表3 人工栄養児の毎日のミネラル収支に見るナトリウムとカリウムの蓄積(註23)
註24:(同書327ページ)
取り入れ
ミリグラム ミリグラム当量
細胞外から
ナトリウム 422 18
塩化物 788 22
細胞内から
カリウム 1182 30
燐 804 42
排 出
尿 糞 便
ミリグラム ミリグラム当量 ミリグラム ミリグラム当量
細胞外から
ナトリウム 300 13 78 13
塩化物 651 18 13 1
細胞内から
カリウム 785 20 104 3
燐 457 26 210 10
蓄 積
ミリグラム ミリグラム当量
細胞外から
ナトリウム 44 2
塩化物 124 3
細胞内から
カリウム 293 7
燐 137 6
表1は胎児から成人に成長する過程での、体内のミネラルグループの状況を示すものだ。これによると、大雑把に言って、胎児は最初ナトリウム・グループの多い生物だと言うことが判る。しかし、後にはナトリウム、塩化物、水はミリグラム当量で、112から48に減り、一方カリウム・グループは増え、カリウムは51から68に、燐は69から374にと増加する。このようなバランスは、人間の一生を通じ維持されねばならない。混ぜなら、前述のように必須のホルモン、ビタミン、酵素の機能は、カリウムと酵素の比率、もっと正確に言えばリウム・グループとナトリウム・グループの比率、酸アルカリ度、副酵素の状態などに、依存しているからだ。
次ページの表2は人間の母乳と牛、ネズミの乳の、ナトリウムとカリウムの正常な比率である。
表4
カリウム・グループ
カリウム 窒 素 マグネシウム カルシウム
健康な牛乳 20.6 26.4 2.72 21.55
塩分を含んだ牛乳
(病理的) 10.96 15.63 2.16 11.7
橋本病 8.94 17.38 1.74 7.44
(リンパ腫性甲状腺腫)
乳房カタル 10.56 24.56 2.7 16.77
結核の牛 10.87 7.1 1.27 4.34
a健康な乳房 12.64 22.22 −2.1−
b結核の乳房 5.08 8.76 −0.79−
表5 註25
E.P.フィッシャーの論文『眼科学』(1947年版第114巻第1号)
健康な眼球 白内障の眼球
細胞内から
カリウム 5.1 0.6
燐 2.0 1.1
細胞外から
カルシウム 0.25 1.0
ナトリウム 5.5 12.0
表4と5は病気の時には、この比率が逆転していることを証明していると言っていい。組織がカリウム・グループのミネラルとグリコーゲンを保持する能力を失い、表4のように、これが20.6から5.08に減り、これに伴って、塩分と水が細胞外から組織の細胞の中に浸入、乳の中のナトリウムを13.02から41.37に上昇させている。
人体は驚くほどの蓄積能力や調整能力を持っている。しかし最上の防衛能力は、健康な肝臓を持ち、代謝の機能と腸からの再吸収の能力が100%であって初めて発揮される。それなら人間は栄養、食事をそれほど重視する必要はないのだ、と性急に結論付けたがる人もいるかもしれない。確かにノーマルな状況下ではそう云えるかも知れない。また遺伝、文明化、病気、外傷あるいは有害物質の蓄積(たとえばニコチンその他)でダメージを受けていない場合も、そうかもしれない。
だが、文明はこの自然が与えた贈り物を台無しにさせて来た。ある種のビタミン欠乏症を起させる実験では、そのビタミン類を含む食品を摂らせないような食事を続けさせる。すると3分の1の人間は、4ヶ月で欠乏症が起き、3分の2は6ヶ月で起きる。10ヶ月間欠乏症にならない人間は、わずか5,6%しかいない。この種のいくつもの実験から、栄養物質の完全な再吸収能力を持ち、同時に健康な時も病気の時も充分な調整能力を持つ人は、ごくわずかだと言うことが解る。
健康な人間は炭水化物やタンパク質を充分に摂るとか、さまざまな種類の炭水化物食品、タンパク質食品を摂るとか云うことに、余り注意する必要もなければ、そのカロリー面のことを無視しても構わない。しかし必要なミネラルやビタミン、酵素を自然な形の取り合わせで、かつ不足させないように摂ることだけは、粗略に考えてはいけない。長期にわたって体にトラブルを起させないようにするためには、そうしなければならない。ミネラルは細胞内の電荷の担い手であるから、それがあるべき場所の組織に、ちゃんと存在するようにしなければならないのだ。またミネラルは、ホルモン、ビタミン、酵素に健全な働きをさせる役目もしている。これらがきちんと摂取されて初めて最上の状態で働き、完璧な代謝と生命のための予備能力をもてることが出来る。
<要約>
最上のアドバイスは、出来る限り、有機栽培の野菜や果物を新鮮な状態で食べようと言うことである。母親は自分の子供と台所のことに、もっと気を使うべきである。夏ならば、自分の庭が大いに役立つ。
なお、これらについてもっと詳しく知りたい方には、56,57ページの本屋文献をお勧めする。いずれも読む価値があり、実際の役に立つものである。
註:掲載されているほとんどの書籍が絶版・廃刊・翻訳されておらず、膨大な数に上るため、割愛させていただきました。
私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。
P.50
食物中のミネラルを体に摂り入れる事の重要性を説明したのは、V.バンジだった。バンジは、一般的にいって、体内の器官の中には、K(カリウム)が、Na(ナトリウム)より余計に存在するようにしなければならない。これによってカリウムとナトリウムのバランスが保たれるのだと説いた。
カリウムは主に、細胞内で優勢であるようにしなければならない(カリウムが細胞内ミネラルと呼ばれるのは、このためである)。これに対しナトリウムは血清、リンパ、結合組織の中に、たまっていなければならない(ナトリウムはだから、細胞外ミネラルと呼ばれる)。
近年(1958年)の研究では、ミネラルはそれ単独で働くのではなく、グループを作って働いているのが判ってきた。ラドルフ・ケラー博士がミネラル類を生物学的な条件の下で2つのグループ、つまり細胞内グループ(カリウム・グループ)と細胞外グループ(ナトリウム・グループ)に分ける理論を展開しているのも、同じ立場からである。そして前者は電気的には陽極へ向かい、後者は陰極へ向かうグループである。
またさらにここからホルモン、ビタミン、酵素も、2つのミネラル群と同じルールに従っていると言う事実も解って来た。つまり、これらの働きも器官の細胞、すなわち肝臓、筋肉、脳、心臓、腎臓などの組織の中にカリウム群のミネラルがあり、一方の細胞外には、ナトリウム群のものが存在すると言うことに、左右されているのである。ナトリウム群のミネラルは、血清、リンパ腺、結合組織、甲状腺、胆管などと言った体液や組織の中にあり、また陰極、つまり負のビタミン、酵素もこう云う細胞外グループの中に閉じ込められていて、代謝と蓄積を主な働きとしている。
ホルモン、ビタミン、酵素のことを抜きにして、代謝のことは語れない。またこう云う物質の働きは、項目化されるものではない。
相対的に云ってホルモンとは、個々の組織や細胞にそれぞれの個性を与え、ビタミン、すなわち拭く酵素は、代謝に機能上の文化や活力を与え、酵素は1つ一つのステップを踏んで、代謝や個々の消化プロセスを生み出す。相対的な脱水素化作用や酸化作用がこれである。また酵素は白内障、結石、慢性の炎症を起こしたりすることもある有害な中間代謝産物(フリー・ラジカル)ができるのも防ぐ。
このようにホルモンやビタミン、酵素のそれぞれの役割も、またその役割の果たし方も違っている。しかし、これらの全てが強調してなされて始めてノーマルな代謝が可能になっている。
体全体の組織の60%はカリウム群、30%はナトリウム群の支配下にあり、残りの10%は両者の中間にある。これらの全てはそれぞれの場に多分、電気的なポテンシャル(潜在能力、保存力、位置エネルギー)の如何によって適切に配置されている。日中はいく分かのナトリウムは、塩化物と水を従えてカリウムの組織に入りこみ、これが疲労や軽度のだるさ、浮腫(むくみ)をもたらす。また夜になると、これが元に戻り、朝には尿として排泄され、気分も溌剌(はつらつ)となる(表3参照)。
このような生物学的な原則は、ミネラルの欠乏やアンバランスなどが病気をそのまま意味するので、健康の維持のために、非常に重要である。ほとんど全ての急性、慢性の病気は、陰極組織のナトリウム塩化物、水が侵入することによって始まる。これは有害物質、病菌、外傷などが生み出す浮腫が原因である。
と言うわけで、ミネラルの働きが動物の胎内で如何に深く作用しているかをよく知ってもらうために、短い説明をつけたいくつかの表を紹介したいと思う。
表1 全身の体重s当たりのミネラル含有量(年齢別:註22,1958年)
註22:A.ショール『ミネラル代謝』(1939年 1920ページ)
細胞外ミネラル
ナ ト リ ウ ム カ ル シ ウ ム 水
グラム ミリグラム グラム ミリグラム %
胎児3〜4ヶ月 − − 2.7 76 93
5 2.58 112 2.5 70 91
6 2.16 94 2.5 70 87
7 2.14 93 2.6 73 86
早産児 7 2.42 105 2.7 75 85
新生児 1.78 78 2.0 56 80
成人 1.09 48 1.56 42 72
細胞内ミネラル
カ リ ウ ム 燐 ( リ ン ) 脂 肪
グラム ミリグラム グラム ミリグラム %
胎児3〜4ヶ月 − − 2.14 69 0.5
5 2.00 51 3.58 115 1.2
6 1.62 41 3.82 123 2.5
7 1.88 43 3.82 123 2.5
早産児 7 1.71 44 3.82 123 3.0
新生児 1.90 49 3.40 174 12.0
成人 2.65 68 11.6 374 18.0
表2 註23:(同書73ページ)
ネズミの乳 牛の乳 母乳
ミリグラム当量/g ミリグラム当量/g ミリグラム当量/g
K 33 39.5 12.2
― ― =1.30 ― =2.24 ― =2.44
Na 43 26.5 5.0
表3 人工栄養児の毎日のミネラル収支に見るナトリウムとカリウムの蓄積(註23)
註24:(同書327ページ)
取り入れ
ミリグラム ミリグラム当量
細胞外から
ナトリウム 422 18
塩化物 788 22
細胞内から
カリウム 1182 30
燐 804 42
排 出
尿 糞 便
ミリグラム ミリグラム当量 ミリグラム ミリグラム当量
細胞外から
ナトリウム 300 13 78 13
塩化物 651 18 13 1
細胞内から
カリウム 785 20 104 3
燐 457 26 210 10
蓄 積
ミリグラム ミリグラム当量
細胞外から
ナトリウム 44 2
塩化物 124 3
細胞内から
カリウム 293 7
燐 137 6
表1は胎児から成人に成長する過程での、体内のミネラルグループの状況を示すものだ。これによると、大雑把に言って、胎児は最初ナトリウム・グループの多い生物だと言うことが判る。しかし、後にはナトリウム、塩化物、水はミリグラム当量で、112から48に減り、一方カリウム・グループは増え、カリウムは51から68に、燐は69から374にと増加する。このようなバランスは、人間の一生を通じ維持されねばならない。混ぜなら、前述のように必須のホルモン、ビタミン、酵素の機能は、カリウムと酵素の比率、もっと正確に言えばリウム・グループとナトリウム・グループの比率、酸アルカリ度、副酵素の状態などに、依存しているからだ。
次ページの表2は人間の母乳と牛、ネズミの乳の、ナトリウムとカリウムの正常な比率である。
表4
カリウム・グループ
カリウム 窒 素 マグネシウム カルシウム
健康な牛乳 20.6 26.4 2.72 21.55
塩分を含んだ牛乳
(病理的) 10.96 15.63 2.16 11.7
橋本病 8.94 17.38 1.74 7.44
(リンパ腫性甲状腺腫)
乳房カタル 10.56 24.56 2.7 16.77
結核の牛 10.87 7.1 1.27 4.34
a健康な乳房 12.64 22.22 −2.1−
b結核の乳房 5.08 8.76 −0.79−
表5 註25
E.P.フィッシャーの論文『眼科学』(1947年版第114巻第1号)
健康な眼球 白内障の眼球
細胞内から
カリウム 5.1 0.6
燐 2.0 1.1
細胞外から
カルシウム 0.25 1.0
ナトリウム 5.5 12.0
表4と5は病気の時には、この比率が逆転していることを証明していると言っていい。組織がカリウム・グループのミネラルとグリコーゲンを保持する能力を失い、表4のように、これが20.6から5.08に減り、これに伴って、塩分と水が細胞外から組織の細胞の中に浸入、乳の中のナトリウムを13.02から41.37に上昇させている。
人体は驚くほどの蓄積能力や調整能力を持っている。しかし最上の防衛能力は、健康な肝臓を持ち、代謝の機能と腸からの再吸収の能力が100%であって初めて発揮される。それなら人間は栄養、食事をそれほど重視する必要はないのだ、と性急に結論付けたがる人もいるかもしれない。確かにノーマルな状況下ではそう云えるかも知れない。また遺伝、文明化、病気、外傷あるいは有害物質の蓄積(たとえばニコチンその他)でダメージを受けていない場合も、そうかもしれない。
だが、文明はこの自然が与えた贈り物を台無しにさせて来た。ある種のビタミン欠乏症を起させる実験では、そのビタミン類を含む食品を摂らせないような食事を続けさせる。すると3分の1の人間は、4ヶ月で欠乏症が起き、3分の2は6ヶ月で起きる。10ヶ月間欠乏症にならない人間は、わずか5,6%しかいない。この種のいくつもの実験から、栄養物質の完全な再吸収能力を持ち、同時に健康な時も病気の時も充分な調整能力を持つ人は、ごくわずかだと言うことが解る。
健康な人間は炭水化物やタンパク質を充分に摂るとか、さまざまな種類の炭水化物食品、タンパク質食品を摂るとか云うことに、余り注意する必要もなければ、そのカロリー面のことを無視しても構わない。しかし必要なミネラルやビタミン、酵素を自然な形の取り合わせで、かつ不足させないように摂ることだけは、粗略に考えてはいけない。長期にわたって体にトラブルを起させないようにするためには、そうしなければならない。ミネラルは細胞内の電荷の担い手であるから、それがあるべき場所の組織に、ちゃんと存在するようにしなければならないのだ。またミネラルは、ホルモン、ビタミン、酵素に健全な働きをさせる役目もしている。これらがきちんと摂取されて初めて最上の状態で働き、完璧な代謝と生命のための予備能力をもてることが出来る。
<要約>
最上のアドバイスは、出来る限り、有機栽培の野菜や果物を新鮮な状態で食べようと言うことである。母親は自分の子供と台所のことに、もっと気を使うべきである。夏ならば、自分の庭が大いに役立つ。
なお、これらについてもっと詳しく知りたい方には、56,57ページの本屋文献をお勧めする。いずれも読む価値があり、実際の役に立つものである。
註:掲載されているほとんどの書籍が絶版・廃刊・翻訳されておらず、膨大な数に上るため、割愛させていただきました。
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