2009年11月  >
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
現在の閲覧者数:
最新コメント
グラフ
ログイン
Mypagetopに戻る
片思い49 [2009年11月23日(月)]
前回までの記事はこちら↓

@ A B C D E 

F
 G  H I J K 

L
 M  N O P Q 

R
 S 21 22 23 24

25 26 27 28 29 30 

31
 32 33 34 35 36 

37 38 39 40 41 42 

43 44 45 46 47 48








養子縁組。



1号とKの。






まさか、ここでつまずくとは思ってなかった。




普通なら、すんなりいくんだろうけど

無知なわたしには、衝撃が大きく

すぐさま結論を出せなかった。



窓口の人に、



1号くんは、非嫡出子ですので

養子縁組をすると、

お母様は戸籍に養母という記載になりますが

よろしいですか?





何を言っているのか、

理解できなかった。




非嫡出子。



生まれた時に、婚姻関係がないから

戸籍上で、そう差別されてる気がするのは

わたしだけですか?



1号が生まれた頃は、

長男とも記載されず、



とだけ書かれました。


そんなことがあると知らなかったわたし。



1号に申し訳なくて、

悔しくて、悔しくて泣いた日々。





でも、養子縁組で

またそれと似た思いをしなきゃならないなんて。







相手の男性に、認知してもらってても

非嫡出子で、しかも養子縁組で

わたしが養母になるんですか!?




はい。



認知してもらっていても

非嫡出子になることはわかっていたけど

もう混乱して、どうして!?っていう感情でいっぱで

そんなこと聞いちゃってた。







養母。




わたしは、実の母親!!




そう叫びたかった。






わたしがお腹も心も痛めながら産んだ

わたしの実の子供なのに

どうして養母と記載されちゃうの?





頭が混乱して立ちつくすわたし。





受理してよろしいですか?





一旦、考えます。





そうつぶやいて、養子縁組の書類を返してもらい

Kと2人、無言でまで歩いた。




の中でも、わたしは混乱と悲しさ、悔しさで

一点を見つめたままうつむいて動けない。




心配すんなよ。

にゃもが、養母って記載になるのが嫌なら

今のままでもいいんだ。

じっくり考えてからでもいいじゃん。




その言葉で、張り詰めていたものが

プツンと切れ、

涙が溢れ、ポロポロ頬をつたう。




にゃもの悔しい気持ち、わかるよ。




その言葉で、子供みたいに

大泣きした。






久々に辛かった。






日本には、ここまで未婚で出産した人に

冷たい差別があるんて。

お役人が決めたことだなんて。

腹立たしかった。





しばらくは、どうしたらいいのかわからなかった。



1号の戸籍をいじることになるわけだから

慎重になっていた。



でも、答えが出ないまま

どんどん月日は流れ、

わたし1人焦っていた。




考えている間にも、いろんなことがあって。




離婚の文字は

何往復過ったか数知れず。

離婚するなら養子縁組するとあと後大変と言われ

ますます悩む一方。




その辺もあとで書きます。






養子縁組しないまま、

Kが、我が家に引っ越し、

いよいよ本格的に結婚生活が始まった。




わたしは、バイトを辞め、

店長とももう会うこともない。



入籍から、わずか1週間で

バイトを辞めたことになる。



わたしなりのけじめでもあった。




(半分、店長から逃げたかったんだけどね




近々、転勤で東京に戻れるとの話もあったから

わたしが慌ててやめることもなかったかもだけど

つわりも辛かったし、

家で電子の内職をしながら、

専業主婦やることにした。





いざ結婚して、Kのお給料をもらって驚いた。




土建業で、残業もしてるのに

家族手当や交通費込みで15万。



わたしたちは、家賃はかからないものの

既に子供がいる。

保育園にかかる費用だけで3万弱。

専業主婦でもがないと、食料も買いに行けない

海辺で孤立した集落だから

どうしてもは必要。

はメンテナンスにお金がかかる。

保険、税金、車検など、

支払いと積立しておかないとあとで困る。

そして1番大きいのは、



旦那の実家の借金返済


ボーナスないのに、ボーナス払いがあるので

毎月積み立てておかないといけない。





それでも、当時はしっかりしていた祖父が

わたしが働けるようになるまで

生活費の心配はしなくていいと言ってくれて

自分たちの必ず支払わなえればならないものだけは

しっかり先も見通してわたしが管理してきた。




わたしも、多くても月に2万円の収入にしかならないけど

家事と内職を頑張っていた。


現場が遠いと、朝5時に家を出る日もあったので

4時に起きて寒い時期なので

お弁当と、温かいお茶を持たせて見送り、

寝る時間も惜しんで内緒した。


妊婦健診が受けられないと困るから。




Kも頑張っている

ただ、会社が苦しいからお給料が少ないだけ

そう思って、わたしも養ってもらうのは

好きじゃないので、小さな収入だけど

ないよりマシって頑張った。




それでも新婚だし、

楽しいとさえ思いながらやっていた。






けど。。。







つづく。
記事の感想をクリック タメになる
おもしろい
ほしい!
おうえん!
最近の評価状況
この記事のURL
http://www.dhcblog.com/abuma/archive/1413
コメントする
名前:
Email:
URL:
クッキーに保存
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー リンク
コメント