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第21章塩抜きの食事 [2009年10月26日(月)]
P.62第5章 理論より

 私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである

P.195
 塩の栄養学的役割は、昔から論議されて来た。塩はただ調味料や刺激剤であるだけで、少量なら無害だが、大量なれば多分、有害でいずれにせよ栄養上は無くてもいいものだとしてきた人もいる。自然な食物の中に含まれているものでないということからそう判断できる、と言うのがその根拠だった。これに対し塩は栄養上不可欠で、食物中に含まれている塩化ナトリウムの量だけでは、正常な人間の必要量には不足だ、と説く人もいる。
 この両説の信奉者はそれぞれの立場を擁護するために、それぞれに理由を挙げて来た。
ウォルファイスナーは塩はビタミンに比すべきもので、これを長く完全に絶つのは食物以上に出来ないことだとした(しかし完全な♂亦fちなどは、どちらにせよ不可能だ。食物の中には自然に塩化ナトリウムが含まれているのだから)。
 ウォルファイスナーはさらに「…普通の食品中には充分な量の塩が含まれていないので、これを補えるのは調理用の塩だけである。だからこれは人為的に付け加えねばならない」とも述べた。ただ、この説に則(のっと)っても人間の必要量を満たすにはどれだけの食塩を追加すべきかと言う量の問題に関しては、見方は1つではない。
 ヨーロッパ人の平均摂取量は1日10〜15グラム、米国では10〜12グラム、またアジアやアフリカの食塩摂取量は全くまちまちである。生理学者はみな、これらの量は人間の必要量をはるかに超えていると言う。言葉を換えて云えば、人間は味付けのために塩を使っているのであり体の必要量を満たすためではないと生理学者はみな考えている、と言うことになる。
 ブンゲは塩の必要量を知るためいくつかの実験を、1901年に行った。彼はたくさんの肉を食べる動物には塩は少量必要であるのに対し、植物食の動物はずっと多くの塩が必要だ、と云うことを発見した。そして人間でも同じような関係が発見できると信じた。つまり、同じように彼は肉食の遊牧民は塩の必要量が少なく、農業人種の黒人ではそれが非常に大きいため塩が貨幣のような働きをしている部族もある、と言うことを発見した。
 ブンゲは実験から菜食主義者のように食事から大量のカリウムが摂られる場合には、体は大量の塩を体外に排出するのだ、と結論を下した(1901年の彼の古典的実験による。ただ、彼の結論は正確だったが、その理論は必ずしも議論の余地の無いものではない)。
 アブデルハルデンも、菜食主義的な部族に塩の必要量が高くなるという見方ではブンゲと同じ考えかたちに立ち、カリウム摂取が多ければ塩が大量に体外に排出される。だからその分、塩の必要量は増えるのだとしている。
 ブンゲは塩のバランス≠保つには、1日4〜5グラムの食塩が必要だと考えた。ヘルマンスドルフは博士論文でこれに反論し、人間は1日15グラムの塩を摂っても、体で使える量は1〜2グラムだけだとした。また塩断ちの結果を試すには、彼自身が断食を自分の体で実験した時にも、彼は2グラムだけの塩を摂った。
 これらの見解はしばしば臨床にも応用されて来たものだが、いくつかの点で偏(かたよ)った見解に思える。私が扱った何千人の患者での実験でも、また私自身の体での体験からも、塩の必要量は子供時代からなれた味覚の働きと関連があるのが判った。もし「全ての人間も動物も、ことに人間に似たサルなどがみなアルコールを必要とし、アル中になり得るものだ。だから、ここからしてアルコールは人間の栄養として不可欠なのだ」と説いたならばどうだろう?塩が実際に広く使われているということを根拠にして、塩は不可欠だというのも、この説と同じように正しくは無いのだ。
 塩を使わない部族もいると、ホーマーが書いているし、サルスティウスも塩を使わなかったヌミディア人のことを伝えている。だが、これ以外の世界中の人々は太古から塩を使って来た。しかし、そうだとは言え、塩の利用が人間にとってプラスになったとは、いまだに証明されていない。結局のところ今日に至っても、いまだ原因が確かめられていない退化病なるものは、昔からずっと在った。だから我々(医師)は不合理な生活方法がどこまでこう云う病気の原因になっているのかも、判断できない。
 ただ読者の興味のためにだけ付け加えれば、こんにでも無塩の暮らしをしている部族はある。ヴルゴック教授は、定住のキルギス人の間には結核がひどく多いのに遊牧のキルギス人には滅多に無い、と報告している(註142)。そして、後者は塩を使わないが前者の農民は塩が自由に帰るのでロシアの農民同様に使っている、と言う。そしてキルギス人が教授に語ったところでは、パンと塩を摂ると視力が衰えることに彼らは気付いていると、と言う。遊牧民お場合は塩を使うと狼の匂いを嗅ぎ分ける能力が衰える、と言う。教授はまた、シベリアの漁労部族や狩猟部族は塩を際立って嫌う、と報告している。北極探検家のナンセンは、歓迎しないエスキモー(現イヌイット)の客を追い返すのに彼らの塩嫌いを逆用して塩の効いた食べ物を勧めていた。スタンレーやリビングストンも、塩を知らない部族のことを報告していて、彼らに初めて塩を摂らすと、ある種の中毒症状を起こした、と言う(アルバート・シュイバイツアのレポートも参照)。
註142:アルツェツイツング

 私は健康な看護婦が数ヶ月間、塩抜きの食事を摂った後で普通の家庭の食事を食べると、まず最初に下痢と吐き気を起すのを観ている。これは習慣的な塩の摂取が、体にどれほどの大きな影響を与えているかを教えている。6ヶ月も塩抜きの食事をした看護婦は、塩に対し少年が最初に煙草を吸った時と同様な反応を起こさざるを得なくなると信ずるようになる。
 アルコール・煙草、それに人間の栄養としての塩の価値を認めるのは、国民的・宗教的ないしは政治的動機とさえ結びついたものであり、医学的立場とは無関係なものである。だから栄養上から塩の意味を論ずる場合には、人種論的な見地は除外するのが正しい。また動物の世界の例を引用して、塩の摂取は自然≠ナあるとか、必要なものだと説くのはやめるべきである。
 私は自然な栄養≠ニ云う言葉遣いは避けて来た。この言い方は食事の明らかな欠陥を補う場合には避けねばならない。1つの食事形態が自然か否かと云うことは、それが病気の治療に役立つ食事か否かと云うこととは無関係であり、実際の臨床で決定的なのは、後者の物差しだけである。
 中部インドやデカン高原などの広大な地域は動物の宝庫だが、ここでは塩が手に入らない。同じような場所はいたるところにあるに違いない。猿が塩の要求を全く示さない、という事実は特に注意に値しよう。そして捕らえられた猿だけが人間の食物を与えたえられるが、彼らはそうすると人間の食物を食べるようになり、同時に酒や煙草も、焼肉さえも受容れるようになる。
 G.リードイン博士によると、ホメオパシイ(同毒療法=病気を起すのと同じ物質を微量に用いることで治療する療法)の創始者ハーネマンは、弟子たちと塩に関する実験をした。彼らはこの実験で通常に摂っている量よりずっと大量の塩を何週間にも何ヶ月にもわたって摂った。そしてその有害な結果がリードリン博士の本(註143)には書かれている。
註143:G.リードイン『塩』P.ローレンズ編(1924年)

 塩抜きの食事=iここで言う塩抜き≠ニは食物に余分な塩を加えないと云う意味である)に対する反論をウォルファイスナーが列挙しているが、要点は次のようなものだ(註144)。
註144:塩だけではなく、果物の酸も代謝のそのような変化に関係することを、ここで知っておくべきだろう。

 野菜を多く摂る食事では体には塩の追加が必要である。食事中には塩そのもの≠ニしての塩分が充分な量、入っていないからだ。体の中で野菜の中の炭酸カリウムは塩素やナトリウムと結び付き、塩化カリウムや炭酸ナトリウムを形成させ、これが塩素とナトリウムを体外に排出させる。だからこれを補うために塩素とナトリウムを補わねばならない−つまり、塩を加えよ!
 ウォルファイスナーは同じ本でブンゲの有名な実験も紹介しているが、ブンゲはカリウムをナトリウムの3141倍も含んでいるジャガイモを常時食べることは塩化ナトリウムを加えてはじめて可能になる、としたのだった。
 この本には、奇妙なことに次のようなことも同時に書かれている。
a)リンゴはカリウムをナトリウムの100倍も含んでいる。しかし、塩なしでもリンゴはたくさん
 食べていいし、塩のものを食べずに、リンゴだけ食べる日があってもいい。
b)定説では胃液中の塩酸は塩の摂取に依存していると云う。だから塩不足だと塩酸不足が起き、食欲や消化などに影響する。塩不足によって塩酸が作られなくなってしまうからだ。
c)ウォルファイスナーは結核患者の汗には、最大1%の汗が含まれている。だから発汗は体から塩を奪う(註145)と言っている。
註145:『医学の世界』誌(1929年1821ページ)

d)さらに体のイオン状態は腎臓がコントロールしている。そして発熱やほとんどの感染症の場合は、患者に塩を与えても尿中の塩の排出量は低下するとも書いている(ここからは健康な腎臓自体が塩の体外排出量をコントロールする必要がない、ことになる。なぜならば健康な腎臓自体が塩の体外排出慮をコントロールしているからである。さらにロス・コエヴェスティーによれば、病んだ腎臓でも尿1リットルあたり5グラムの塩を排出できると言うから、こういう場合でも5グラムの塩の摂取は許されることになる)。
 上記の議論は私しの患者でも主張する人がいて、彼らは塩に栄養価値を認め、塩が食欲・渇きなどに与える影響を嬉しがる人々である。彼らに対しては医者も時にはこの議論を考慮に入れねばならないように迫られる。
 ウォルファイスナーの最初の議論に関して言えば、彼には好ましくないと映ったものこそ、私が特に望ましいと考えるものである。つまり塩化ナトリウムの体外排出の増加がそれである。もしブンゲの立場にたって言うのならば、菜食主義的食事で体内の塩の蓄積が食い潰されるとするならば、私の食事療法が達成ししようとする目的は、まさにそれなのだ。塩の排出が盛んになるほど私の食事はいくつかの点で、より効果を挙げる。私には私の療法が狙う体内の塩素とナトリウムの減少を塩を与えて補うと言うのは、糖尿病の患者に砂糖を与えて増加している彼らの尿中の糖分排出をいっそう補ってやるのと同様に不都合なことに思える。
 「どんな風に処方された人間の食事処方でも、たとえ塩抜きのものでも、ナトリウムの量が少なすぎて生命を維持できないと言う例はない(注146)。
註146:A.T.ショール『ミネラル代謝』誌(121ページ)

 ジャガイモを食べるには塩が必要だと云う議論や、ナトリウムよりもカリウムを百倍も含むリンゴでも、糖別な美食狂い外には塩をつけずに食べると言う例は前述した(これは習慣や味覚の影響の大きさを示している。農民はリンゴに塩をつける人を笑う。しかし彼ら自身が、ジャガイモには塩をつけているのだ)。
註147:エイメル『医学の世界』誌(1930年24号)

 胃液中の塩酸と塩の摂取の関係はよく知られている。しかし、塩酸が塩の摂取に依存していることが証明されているわけではないし、私の経験では逆である(註148)。ローズマンによると、正常な人間の胃液には400〜500ミリグラムの塩酸がある。そしてph(ペーハー=アルカリと酸性を測る濃度)は0.97〜0.080である、もし我々(医師)が胃液の産出のコントロールを問題にするならば、それが行われている特別な器官−つまり、胃のこととは別に胃液を造るのに関わっている体全体、とくに肝臓のことが問題になる。その他の現象にもかかわっているように、体全体という視点がここにも関わっているからである。
註148:A.シュバイツァ博士『アフリカ ランバレネ病院からの手紙』より(1954年)
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コメント
塩は味を好んで=嗜好品て面もありますが、冬に食べ物の取れない地域での保存食品として大量に摂取されてきたって点をお忘れなく。漬物なんてその典型でしょうし、だから暖かい沖縄では食べなかったんでしょう。
現代の嗜好品としての漬物じゃない昔の保存食としての漬物はまじで塩っぽい。毒にもなるってレベルです。ただ食べ物が無くて餓死したり腐って食中毒になるよか総合的にマシだから、文化として定着してたんでしょう。
Posted by:KK  at 2017年05月14日(日) 02:03