働かせてもらっています。ありがとう。 [2008年07月27日(日)]
働くこと。
働かせてもらうこと。
働かせてもらうこと。
これ、似ていて非なるものなのです…。というのも、最近それをよく実感します。
まぁ、私のことはこの記事の最後のほうに書くとして、上記の言葉は、ブロともきらりん☆の記事を読んでいてぐっと心に染み入った言の葉です。
彼女は、給料日には、働かせてもらっていることに感謝して、ご家族でケーキを召し上がるのが慣例だそう。
彼女のこの気持ちっつうのが、仕事をガンガれるゆえんなのかな…とちと思ったり。
家事も育児も大変で、ほんとヘトヘトなはず。 他人が知らないところで、仕事の苦労がたくさんあるはず。
でも、仕事を持っている彼女は、なんとなく私にはキラキラして見えます。
多分、こういう「働けることに感謝する」とかそういう心が、彼女の原動力になっているのではないか…と思ったのです。
私も給料日には、自分にご褒美はしますが、「働けることに感謝」という気持ちからではなく、う〜ん…これは
ただの散財…

(気が大きくなる性質があるらしい…
)

さて、本題に入りますが、自分が「働いて家計を支えてやってる」という気持ちになっているときには、必ずアクシデントが発生することに気づきました。
この間も、忙しいことで精神的に限界の時に、「一生懸命働いてるのに(一向に暮らし向きがよくなんないじゃん!!)」と感じていた時のこと。
夫婦の関係は最低でしたね。
詳細は書けませんが、正直つい最近、シングルマザーに…ということも考えたりしていました。
…でも、先ほど「働かせてもらってる」っつう彼女の言の葉を読み、涙が出る気持ちになりました。
1年前の今頃は、時間はたくさんあったけれど、なんとなく生きる意味が漠然として、自分の人生がまとまっていない感覚がありました。
今は…完全なる姿とは程遠いけれど、この状況で「働いている」こと自体が感謝なのです。
働いてしばらくすると、就職活動をしていた時の必死な気持ちだとか、働き始めの時の不思議で嬉しいような気持ちだとかが薄らいでくるんですよね。
働くことの代償として、時間とか、失うものも多いことは確かです。
でも、忙しく働く今の姿…というのは、私が心の中描いてきた理想の姿なのかもしれません。
ただ宇宙に意識が共鳴して、今の私に落ち着いてるってこと、だよな。
ちょっと話はずれましたが、やっぱり働いている自分のほうが好きなんだ。
働かせてもらていることが有り難い。
そう感じると、この家の空気もだいぶん柔かくなってきました。(リビングにクーラーなくてだいぶん暑いんだがな…

ありがとうの『あ』は、
宇宙誕生・始まりの音
ありがとうの『り』は、
いまあるものをさらに上に引き上げる上昇の音
ありがとうの『が』は、
誕生を超え、さらに一回り大きくなる音
ありがとうの『と』は、
前の3文字の意味するものを一気に外界に流して、
大きな範囲に広げる音
大きな範囲に広げる音
ありがとうの『う』は、
前の4文字の意味の持つ良いところだけを
ピックアップして人の心と宇宙にあるすべての
いと高き魂の存在たちに、
そのことの良さを伝える音
ピックアップして人の心と宇宙にあるすべての
いと高き魂の存在たちに、
そのことの良さを伝える音
という強力な周波数で成り立っている語なのだそう。
『成功感性』(佳川奈未著・ゴマ文庫)より抜粋