日本語版に寄せて@ [2009年10月02日(金)]
マックス・ゲルソン―Max Gerson 著者
1881年ドイツ生まれ。医学生時代に自分の偏頭痛を食事制限でコントロール出来る事を発見する。
ミュンヘン大学病院結核専門部・部長を務めた後、1933年、ニューヨークでアメリカの医師免許を獲得。
以後20年間に渡り、末期ガン患者の治療に努める。ノーベル賞医学博士シュバイツァとは生涯の友人で、1959年のゲルソンの死に際し、シュバイツァは次のように彼を讃えた。
「私はゲルソンの中に医学史上で最も傑出した1人の天才を見る。彼の基本的な考えの多くは、ゲルソンの名前を冠せずに受け入れられて来ている。だが彼は自分に不利な状況の中で不可能と思えることを達成した。彼が残した遺産は人々に注目することを迫り、やがて彼に正当な地位を与えるものになろう。彼の治療で治癒した人々がゲルソンの考えの正しさを証明するものになっている。
日本語版に寄せて 1989年7月 ゲルソン研究所 シャーロッテ・ゲルソン
日本の読者に対して心から歓迎の意を表し、同時に本書の翻訳と言う困難で時間のかかる仕事に取り組んで下さった翻訳者に深甚な感謝を述べたい。我々の最大の願いはゲルソン博士の仕事が日本でも知られるようになることである。これにより多くの命が救われ、病気に罹(かか)るのも防げるようになるはずである。
ゲルソン博士は、半世紀以上にわたる実績を残してきた。そして彼は最後の15年間の臨床の中では、末期ガンの患者もひどい心臓病や糖尿病、その他一般的には不治の病≠ニされてきている多くの病気も治すことが出来た。彼が、そう言う自分の療法を極めて詳細に紹介したのが本書である。本書で彼は、実際に治った患者の実例を読者の前に提示することで、自分の療法の効果を証明することを主な狙いとした。どんな治療法でも効果が期待できないとされた末期<Kン患者50人の実例を紹介しているのもそのためで、彼らはゲルソン博士の治療で治ったのだった。
研究と教育を目的としたゲルソン研究所が創立されて、10余年になる。そして我々の追跡調査で本書の患者のうち12人ほどの人がいまだに元気に生活しているのが把握されている。本書で紹介されていない人々の中にも、良好な健康状態を維持している人々はたくさんいる。彼らはみな35年から45年もの昔に、末期ガンでゲルソン博士の療法を受けた人々だった。本書の50人の中には最初から、その後35年も45年も生きるとは期待できない年齢になっていた人々が多かったのは言うまでもない。
ゲルソン博士は亡くなる少し前に、本書の50人とは別の100人の実例を出版しようと準備していた。彼らも、医学的に末期ガンと証明されていた患者だった。ただ残念ながら、この仕事は1959年3月の博士の死によって、未完に終わった。
1977年我々はメキシコにゲルソン療法のクリニックを開設した(アメリカでは医師に対する規制が厳しく、ガン学会が公認していない代替療法を実施する医師は、医師免許を取り上げられてしまうためである)。このクリニックの開設以来、我々も多くの末期♀ウ者を治してきた。患者たちはまずクリニックで医師の指導下でゲルソン療法を始め、その後、自宅でこの療法を続けるやり方を習得して退院して行く。その療法とは、本書で書かれているのと正確に同じ療法である。
ただ小さないくつかの追加療法が今では付け加えられて、これが治癒効果をさらに高めるのに役立っている。ゲルソン博士の死後の新しい研究でわかったオゾン療法、カリウムとインスリンを同時に使う静脈注射、痛みを和らげる粘度とひまし油を組み合わせたパックをとらす方法、それにリトリール(アンズのタネからとれる成分。=アミグダリン)などがそれである。そしてこれらの追加療法は体から有害物質を排出させて体を解毒しつつ、体そのものを立ち直らせると言うゲルソン療法の基本的な考えと合致するものである。我々は有害な薬や対処療法はまったく用いない。
最近6ヶ月の間に我々は、1977年以後メキシコのクリニックで治療を受けた多くの患者にアンケートを送り、約35%の患者から回答を受けた。多くの患者、特に通常の療法ではなんの手も打てなかった末期患者たちが立派に回復しているのを見るのは嬉しいものである。ゲルソン療法が転移した悪性黒色腫、リンパ腫、膀胱ガン、肺ガン、前立腺ガン、それに肝臓への転移も起きた結腸ガンなどには、特に効果的なこともわかった。また脳腫瘍、膵(すい)臓ガン、肝臓への転移も伴った乳ガン、さらに特に治療の難しいタイプの多くのガンの患者たちが驚くほどたくさん治っているのがわかり、我々は大変嬉しくなった。さらに嬉しいのは、リューマチ性関節炎、紅斑性狼瘡、若年性糖尿病を含む糖尿病、慢性潰瘍性結腸炎、心臓および循環系の病気などなど、多くの病気に効果が高かったことだった。
ゲルソン博士と同じように我々も、療法の効果は結果によってだけ判断されるものと考えている。回復した患者を紹介することに我々が力を入れるのも、そのためである。
2年ほど前(1987年)、1人の上院議員が通常の療法以外の療法で、考えられないほど多くのガン患者が治っていることを知り、そういった療法に関心を持った。これらの患者が末期ガンの患者ばかりだったからだ。それで彼は専門の医学者、研究者、医者たちを特に任命しての調査プロジェクトを発足させた。アメリカの上院はこういう専門家で組織されておらず、科学的な問題を判断できないからだった。そしてこれらの専門家グループが米国議会の技術評価曲(OTA)の手で任命され、同時にアメリカ医学協会が公認していない代替療法に関する基準も設定された。それはどんな代替療法でも、12人から20人の治癒した患者の実例を提出し、それがみな通常の療法では治るとは考えられなかったケースばかりであること、しかもその治療法によってガンが完全に治癒していること、と言う基準だった。
ゲルソン研究所は容易にこの基準をクリアできた。アメリカで第1級の病理学者に生検のスライドを提出したし、我々の提出した患者は専門家の厳格な審査をパスできるものばかりだった。さらにこの後でカリフォルニア大のアメリカの第1級の放射線科の専門家がX線写真を審査した。こういう厳格な審査基準は当初は診断にも、また末期で治癒不能≠ニされた点に関しても、一点の疑いも無いことを期すために設けられた。提出した実例の患者たちは、少なくとも4〜10年は良好な健康状態でかつガンの再発が全く無い人々ばかりであった。彼らは転移した悪性黒色腫、進行性のリンパ腫、膵臓ガン、骨に転移を起した前立腺ガンなどの患者であった。
この審査はまだ終わらない。最終的な再検討≠ツまり長期的に回復しているケースでの再検査は完璧には出来るものではない。治った患者をどうやってチェックできるのか?ガンがなくなっている者の生検などはしようにも出来ない。患者はMRI(磁気造影検査装置)の前に体を丸ごと提出して検査されなければならないが、これには巨額の費用がかかる。そのため、まだこの最終段階の審査が終わっていない。しかし、OTAの1人の委員は我々の提出した資料にいたく心を揺さぶられ、それを公表しようと提案している。ただ、まだこれは公表されていない。
一方、世界的なスケールでゲルソン療法は普及し始めている。6年前(1983年)、オーストリアの外科医がゲルソン・クリニックに見学に来て、いたく感銘して帰国後、同じ療法を始めた。法律および医療上の問題があり彼は正確なゲルソン療法がやれなかったので、修正版ゲルソン療法を患者に実施している。しかし、それでも目覚しい効果を上げている。
1989年6月、私は西ドイツのケルンのセミナーに呼ばれた。セミナーには多くの医師その他の関係者が参加したが、この中には既にゲルソン療法を実施して効果を上げている医者もいた。また、ゲルソン療法を詳しく習いにメキシコのクリニックに来訪したことのある人々もいた。
ゲルソン博士の本書に関しても、既にイタリア語版で出版され、つい先日はフランス語版の翻訳書の出版が決まった。
一方メキシコのゲルソン療法の医師たちはいま、クリニックを退院後の患者のフォロー・アップ的に指導する体制を準備中で、これが出来ればゲルソン療法を受けた患者のその後が完全に把握できるようになる。そしてこの種のレポートが医学専門誌に発表されれば、ゲルソン療法の効果は世界的に広く認識されるようになるに違いない。
ゲルソン研究所は、ガン治療に関するあらゆる新領域に関し研究を進めている。患者たちに最新かつ最も進んだ医療を与えるためである。しかしゲルソン療法の栄養的アプローチを基礎にしない限り、どう云う新しい療法を加えても効果が無いことは既に判然としている。また我々の新しい研究を世界中の会員に季刊の『ヒーリング・ニュースレター』を通じて紹介している。
最近は一般の医学界も正しい栄養の大切さにやっと気付くようになってきた。また世界の人々も正しい食事のことを教えられ、脂肪や塩を少なくし、化学物質や農薬の無い食品をと言う時代になっている。しかし未だ食事や栄養が治療の手段として認められるようになるには、若干の時間がかかりそうである。だがゲルソン博士はそれを半世紀以上も前に指摘していたのだった。
我々は本書が多くの人々の健康と幸せの増進に役立つことを期待している。
1881年ドイツ生まれ。医学生時代に自分の偏頭痛を食事制限でコントロール出来る事を発見する。
ミュンヘン大学病院結核専門部・部長を務めた後、1933年、ニューヨークでアメリカの医師免許を獲得。
以後20年間に渡り、末期ガン患者の治療に努める。ノーベル賞医学博士シュバイツァとは生涯の友人で、1959年のゲルソンの死に際し、シュバイツァは次のように彼を讃えた。
「私はゲルソンの中に医学史上で最も傑出した1人の天才を見る。彼の基本的な考えの多くは、ゲルソンの名前を冠せずに受け入れられて来ている。だが彼は自分に不利な状況の中で不可能と思えることを達成した。彼が残した遺産は人々に注目することを迫り、やがて彼に正当な地位を与えるものになろう。彼の治療で治癒した人々がゲルソンの考えの正しさを証明するものになっている。
日本語版に寄せて 1989年7月 ゲルソン研究所 シャーロッテ・ゲルソン
日本の読者に対して心から歓迎の意を表し、同時に本書の翻訳と言う困難で時間のかかる仕事に取り組んで下さった翻訳者に深甚な感謝を述べたい。我々の最大の願いはゲルソン博士の仕事が日本でも知られるようになることである。これにより多くの命が救われ、病気に罹(かか)るのも防げるようになるはずである。
ゲルソン博士は、半世紀以上にわたる実績を残してきた。そして彼は最後の15年間の臨床の中では、末期ガンの患者もひどい心臓病や糖尿病、その他一般的には不治の病≠ニされてきている多くの病気も治すことが出来た。彼が、そう言う自分の療法を極めて詳細に紹介したのが本書である。本書で彼は、実際に治った患者の実例を読者の前に提示することで、自分の療法の効果を証明することを主な狙いとした。どんな治療法でも効果が期待できないとされた末期<Kン患者50人の実例を紹介しているのもそのためで、彼らはゲルソン博士の治療で治ったのだった。
研究と教育を目的としたゲルソン研究所が創立されて、10余年になる。そして我々の追跡調査で本書の患者のうち12人ほどの人がいまだに元気に生活しているのが把握されている。本書で紹介されていない人々の中にも、良好な健康状態を維持している人々はたくさんいる。彼らはみな35年から45年もの昔に、末期ガンでゲルソン博士の療法を受けた人々だった。本書の50人の中には最初から、その後35年も45年も生きるとは期待できない年齢になっていた人々が多かったのは言うまでもない。
ゲルソン博士は亡くなる少し前に、本書の50人とは別の100人の実例を出版しようと準備していた。彼らも、医学的に末期ガンと証明されていた患者だった。ただ残念ながら、この仕事は1959年3月の博士の死によって、未完に終わった。
1977年我々はメキシコにゲルソン療法のクリニックを開設した(アメリカでは医師に対する規制が厳しく、ガン学会が公認していない代替療法を実施する医師は、医師免許を取り上げられてしまうためである)。このクリニックの開設以来、我々も多くの末期♀ウ者を治してきた。患者たちはまずクリニックで医師の指導下でゲルソン療法を始め、その後、自宅でこの療法を続けるやり方を習得して退院して行く。その療法とは、本書で書かれているのと正確に同じ療法である。
ただ小さないくつかの追加療法が今では付け加えられて、これが治癒効果をさらに高めるのに役立っている。ゲルソン博士の死後の新しい研究でわかったオゾン療法、カリウムとインスリンを同時に使う静脈注射、痛みを和らげる粘度とひまし油を組み合わせたパックをとらす方法、それにリトリール(アンズのタネからとれる成分。=アミグダリン)などがそれである。そしてこれらの追加療法は体から有害物質を排出させて体を解毒しつつ、体そのものを立ち直らせると言うゲルソン療法の基本的な考えと合致するものである。我々は有害な薬や対処療法はまったく用いない。
最近6ヶ月の間に我々は、1977年以後メキシコのクリニックで治療を受けた多くの患者にアンケートを送り、約35%の患者から回答を受けた。多くの患者、特に通常の療法ではなんの手も打てなかった末期患者たちが立派に回復しているのを見るのは嬉しいものである。ゲルソン療法が転移した悪性黒色腫、リンパ腫、膀胱ガン、肺ガン、前立腺ガン、それに肝臓への転移も起きた結腸ガンなどには、特に効果的なこともわかった。また脳腫瘍、膵(すい)臓ガン、肝臓への転移も伴った乳ガン、さらに特に治療の難しいタイプの多くのガンの患者たちが驚くほどたくさん治っているのがわかり、我々は大変嬉しくなった。さらに嬉しいのは、リューマチ性関節炎、紅斑性狼瘡、若年性糖尿病を含む糖尿病、慢性潰瘍性結腸炎、心臓および循環系の病気などなど、多くの病気に効果が高かったことだった。
ゲルソン博士と同じように我々も、療法の効果は結果によってだけ判断されるものと考えている。回復した患者を紹介することに我々が力を入れるのも、そのためである。
2年ほど前(1987年)、1人の上院議員が通常の療法以外の療法で、考えられないほど多くのガン患者が治っていることを知り、そういった療法に関心を持った。これらの患者が末期ガンの患者ばかりだったからだ。それで彼は専門の医学者、研究者、医者たちを特に任命しての調査プロジェクトを発足させた。アメリカの上院はこういう専門家で組織されておらず、科学的な問題を判断できないからだった。そしてこれらの専門家グループが米国議会の技術評価曲(OTA)の手で任命され、同時にアメリカ医学協会が公認していない代替療法に関する基準も設定された。それはどんな代替療法でも、12人から20人の治癒した患者の実例を提出し、それがみな通常の療法では治るとは考えられなかったケースばかりであること、しかもその治療法によってガンが完全に治癒していること、と言う基準だった。
ゲルソン研究所は容易にこの基準をクリアできた。アメリカで第1級の病理学者に生検のスライドを提出したし、我々の提出した患者は専門家の厳格な審査をパスできるものばかりだった。さらにこの後でカリフォルニア大のアメリカの第1級の放射線科の専門家がX線写真を審査した。こういう厳格な審査基準は当初は診断にも、また末期で治癒不能≠ニされた点に関しても、一点の疑いも無いことを期すために設けられた。提出した実例の患者たちは、少なくとも4〜10年は良好な健康状態でかつガンの再発が全く無い人々ばかりであった。彼らは転移した悪性黒色腫、進行性のリンパ腫、膵臓ガン、骨に転移を起した前立腺ガンなどの患者であった。
この審査はまだ終わらない。最終的な再検討≠ツまり長期的に回復しているケースでの再検査は完璧には出来るものではない。治った患者をどうやってチェックできるのか?ガンがなくなっている者の生検などはしようにも出来ない。患者はMRI(磁気造影検査装置)の前に体を丸ごと提出して検査されなければならないが、これには巨額の費用がかかる。そのため、まだこの最終段階の審査が終わっていない。しかし、OTAの1人の委員は我々の提出した資料にいたく心を揺さぶられ、それを公表しようと提案している。ただ、まだこれは公表されていない。
一方、世界的なスケールでゲルソン療法は普及し始めている。6年前(1983年)、オーストリアの外科医がゲルソン・クリニックに見学に来て、いたく感銘して帰国後、同じ療法を始めた。法律および医療上の問題があり彼は正確なゲルソン療法がやれなかったので、修正版ゲルソン療法を患者に実施している。しかし、それでも目覚しい効果を上げている。
1989年6月、私は西ドイツのケルンのセミナーに呼ばれた。セミナーには多くの医師その他の関係者が参加したが、この中には既にゲルソン療法を実施して効果を上げている医者もいた。また、ゲルソン療法を詳しく習いにメキシコのクリニックに来訪したことのある人々もいた。
ゲルソン博士の本書に関しても、既にイタリア語版で出版され、つい先日はフランス語版の翻訳書の出版が決まった。
一方メキシコのゲルソン療法の医師たちはいま、クリニックを退院後の患者のフォロー・アップ的に指導する体制を準備中で、これが出来ればゲルソン療法を受けた患者のその後が完全に把握できるようになる。そしてこの種のレポートが医学専門誌に発表されれば、ゲルソン療法の効果は世界的に広く認識されるようになるに違いない。
ゲルソン研究所は、ガン治療に関するあらゆる新領域に関し研究を進めている。患者たちに最新かつ最も進んだ医療を与えるためである。しかしゲルソン療法の栄養的アプローチを基礎にしない限り、どう云う新しい療法を加えても効果が無いことは既に判然としている。また我々の新しい研究を世界中の会員に季刊の『ヒーリング・ニュースレター』を通じて紹介している。
最近は一般の医学界も正しい栄養の大切さにやっと気付くようになってきた。また世界の人々も正しい食事のことを教えられ、脂肪や塩を少なくし、化学物質や農薬の無い食品をと言う時代になっている。しかし未だ食事や栄養が治療の手段として認められるようになるには、若干の時間がかかりそうである。だがゲルソン博士はそれを半世紀以上も前に指摘していたのだった。
我々は本書が多くの人々の健康と幸せの増進に役立つことを期待している。
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コメント
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Posted by:replica rolex at 2012年12月08日(土) 19:10