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マッキンリー [2007年07月30日(月)]


このところ 本格的に暑くなりました。

ちょっと涼しい話でもして、クールダウンしますか。

以前にブログで書いた、アラスカ一人旅の 続編です。

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とにかく一人で、地球の果てまで行ってみよう。 と、
北極圏アラスカの原野に来てみましたが。

さみしかったです。
さむかったです。


もう車を大急ぎで、ひと気のあるところまで戻ってきました。
そこは、人口が500人程度のアラスカ中部
タルキートナという村。


夜の11時だというのに、白夜のために外は まだまだ明るい。
村のB&B(ベット アンド ブレックファスト=民宿)も
すぐに見つかりました。

アラスカの先住民族の顔は、自分たち日本人とまったく同じ顔だ。
B&Bのおばさんも 自分ちの近所によくいる顔ですから、
なんか ほっと安心する。

部屋に荷物を置いて、B&Bの片隅にあるバーでハムサンドと
ウィスキーを注文して、遅い夕食を食べていると、
カウンターの端に パンフレットが置いてあります。

「デナリ国立公園・遊覧飛行」

タルキートナの飛行場から、セスナ機でマッキンリー山を
遊覧することができるようです。

マッキンリー山は北アメリカ大陸最高峰。
尊敬する日本人の一人、冒険家の植村直己さんが冬期単独登頂
に成功した直後、下山途中いまだ行方不明になってる山です。

因みに植村氏はそれまで数々の冒険を成し遂げた偉大な冒険家。
マッキンリーで遭難した後
その功績をたたえられ国民栄誉賞を受賞しています。



翌朝早起きして、早速そのパンフレットの電話番号にです。

いちばん値段の安い、30分遊覧飛行のコースを予約しました。
セスナってちょっと怖いから30分で十分だ。うん。

村はずれの飛行場に来ると、すでに乗客が10人くらいいました。
ハーイ と挨拶をして話してみると、みんなアメリカ人のようです。

飛行場の受付のお姉さんに、電話予約してある旨を伝えると、
彼女はすこし離れた場所に 自分を呼んで、
「2時間の遊覧コースに乗らない?同じ値段でいいよ。」
どうやら他の客と同じ2時間コースのフライトに便乗してくれ。
と言ってるのです。

わざわざ飛行機を2回飛ばすのは手間なのでしょう。
特別あなたは同じ値段でいい。と強調するので、Noと言えずに
それでOKです。

でも怖いかも。

気軽にくるっと30分と思ってたのが、
2時間コースでは、飛行機は途中で氷河にも降りるらしくて
防寒着と長靴、アイゼン、ピッケルを渡されました。

まるで、冬山登山 に行くみたいだ。


   セスナから撮ったマッキンリー山。上空は乱気流。



続く。

旅の記録 [2007年07月28日(土)]

自分は旅に出て、あまりたくさん写真を撮らないんです。
旅先でカメラを無くしたりもするしね・
のこってる写真が少ない。

なので、
旅の思い出をブログに書いて 残しておこうかな
と、思ったんです。

それが、いろんな方から感想のメッセージをいただいて。
旅の道中では気付かなかったようなことまで
思い起こして記録する
これ以上ない、楽しいアルバムになっています。

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実家の部屋の壁には、これまで訪れた街の
折りたたみ地図 が貼ってあります。
そこには泊まった宿や、現地の人に聞いた地元料理の店などが
ペンで記してある。



テーブルの上には、
旅先で自分で買ってきたり 友達に貰ったりした
お土産が置いてあります。




手に取ると、一つ一つに懐かしい思い出がよみがえる。

一つだけ、よく思い出せないないのがこれ。
たぶん中国で買ったと思うけど。



小さなビンの中に入った米粒に
自分の名前が書いてありました。


レッスン [2007年07月27日(金)]


ときどき自分は、
「英語の勉強をしています。が、全然上達しなくてダメ。」
みたいなことを、ブログで書いていますが。

英語を習ってます。

毎週水曜日の 夜8時から10時まで。
ファミレスに3人が集まって、英語で書いてきた自分達のエッセイを
読んでは、それを先生に添削してもらってます。

先生はアフリカ・セネガル出身の黒人女性 AMY(エイミー)。
筑波大学で、社会政治学を勉強している留学生です。

AMYは ただの学生かと思いきや、突然、国連の会議に出席したり
ニューヨークで発行している 「Global Woman」 という雑誌に
定期的に記事を投稿してたりと、並み外れた才能を持つ人。

母国語に加え、英語、フランス語、日本語を堪能に話します。
AMYは、その雑誌のタイトルのままの グローバルな女性で、
ほんと天才です。



彼女は、国に帰って政治家とかになるんじゃないかな。


レッスンの生徒たちときたら、英語暦7年にもかかわらず、
必死になると どうしてもジェスチャーが止まらない 自分と
中国語暦5年、英語まったくの初心者の K君です。 (昨日も登場)

中国をこよなく愛す K君を 英語のレッスンに誘った理由は、
自分が急に仕事が忙しくなっても、レッスンがドタキャンに
ならないようにと、AMYに配慮したためです。
いや、彼が英語にもとても興味があると言ったからです。


エッセイは、自分が毎週てきとうに身近なトピックスを決めて、
それについての意見や感想を英文で書くだけですが。
ちょうど、ブログを英語で書いてる感じです。

初級のK君のレッスンは、英語としておおまかな意味が通じるよう
エッセイにAMYのチェックが入る程度です。
自分の場合は、文法から構文まで徹底的に修正された上、
さらに英語で意見を求められるので、
いつもヘロヘロになります。

その徹底的に修正される自分のエッセイも、
いつも、全くどうでもいいような話ばかりなので、ほんと申し訳ない。

いつか国連の会議で、AMYに報告してもらえるような
立派な英文レポートが書けるようになるまで、
がんばって勉強します。

いや、嘘です。気長に頑張ります。


そうそう。
以前にバトンで行って見たい国。と質問に、セネガルと答えたのは、
彼女の祖国の話を聞いて影響されたんです。

そんな話も、いつかブログで書きますね。

万里の長城 [2007年07月26日(木)]

万里の長城は、あまりにも有名ですね。
総延長6352kmもあるそうです。
北京から車で1時間くらいで、万里の長城をみにいくことができます。


友人K君が住む外国人宿舎近くに たむろして、外人相手に商売を
してるドライバーに、連れて行ってもらうことにしました。

彼ら、いわゆる白タク(違法タクシー)ですが、友人K君が言うには、
白タクは通常のタクシーよりも安いし 外国人には親切なんだよ。
昨日の街中でのタクシー乗車拒否で ちょっとヘコんだし、
たのむことにしました。

ボサボサ寝癖あたまの白タクのドライバーのおっさんは、
運転しながら 片言の日本語で、ヒワイな言葉を連発しています。
それしか知らないらしく、とても会話になりません。


長城の入り口には、お土産屋さんが立ち並んでいて、
よくある観光地の風景です。
スキー場にあるゴンドラみたいな乗り物で、
長城まで登っていきます。



山の尾根づたいに、城が道のように延びています。
敵の襲来から守るのと、国内の情報連絡用に作られたと言われます。
これ作った人たち、たいしたもんだなあ。と感動しつつも、
近くで見ると予想以上に急な坂道。
登ったり、降りたり。かなり疲れてバテバテです。

中国はどこに行っても人が多いんだな。
人民は相変わらず 間近でデカい声で話をします。うるせえな。
デジカメで記念に何枚か写真を撮影し、とっとと帰ることにしました。


駐車場に待たせておいた白タクで、北京市内に戻りました。
往復で、1500円くらいだったかな。
寝癖あたまのドライバーのおっさんに、500円チップをあげました。

市内で、北京ダック食べました。
友人K君が予約してくれていた高級店ですが、
一人1400円だそうです。



テーブルの目の前で、コックが北京ダックを上手にスライスしてくれて
春巻きの皮に包んでたれをつけて食べる。

おーうまい。

中国では、客人にとても食べきれない量の料理を出すのがもてなしで、
それを残すのがまた礼儀なのです。
ちょっと、写真に撮っておこうか。
と思ってカメラを取り出そうと思ったら、

ない。

K君も持ってない。
帰りの白タクの車中からも景色を撮影したので、間違いなく車の中に
置き忘れたな。

宿舎まで戻ると、寝癖の白タクおっさんがいました。
車の中にカメラ忘れた。と言うと、
おっさんキレ気味で、カメラなんて無かったよ。
だそうです。


ちなみにここに載せた写真は、
帰国後に友人K君からもらった写真です。


いつか続く。

北京 [2007年07月23日(月)]


最近、インチキ中国製品の問題がクローズアップされてますね。

衛生管理 → キタナイ
知的財産 → ニセモノ
安全性   → アブナイ


世界中がみんな怒ってますけど。
現地中国では、きっと報道規制を敷いてるでしょうから、おそらく
中国人民はその叫びを よく知らないと思います。

残念ながら、
彼らプライドの高い人民には「ごめんなさい。」と、素直にあやまる
習慣がまったくないですから。
いま騒いでも無駄なのかも。 と思ってしまいます。

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〜3年前の春
「脱サラして北京に留学する。」
以前、台湾に同行した 友人のK君が、鼻息荒く言い出しました。

地元の商社に数年間勤め、ウダツの上がらぬ営業マンだった彼は
独学で勉強中の中国語で 「俺は一から出直したいんだ!」
と決心し、意気揚々と北京の大学に入学しました。

で、半年で挫折して退学しました。

啖呵(たんか)を切って飛び出した手前、K君は日本に帰るに帰れずに
「しばらく中国にいるよ〜。あはははは。」 と笑うので、
どうしたものかと、様子を見に北京まで行ってきました。


〜3年前の夏
北京までは、たった4時間で行けます。

天安門前広場 は中国人民の誇りです。
撮影スポットの「毛沢東主席のパネル」を、ちょと一枚撮っておこう。
と思ったのですが。
そこに人民たちが、我れ先とセンターポジションに立って写真を撮る
から、なかなか自分のが撮れません。



なんとか毛主席の写真を撮れて、気を取り直して地下鉄で移動です。

北京の地下鉄のホームには「乗車位置」 がありませんから、
人民たちは テンでバラバラに つっ立ってます。 
それで、電車が来て。 はい扉が開いた。
と同時に、降りてくる人民を押しのけて ぐちゃぐちゃに乗り込みます。

いす取り合戦も、日本のような「さりげなさ」が無くて、子供のように
わあわあと露骨です。


基本的に、人民たちは異様にデッカい声で話をするんですが。

満員電車の自分の耳元で、大声で会話をするので、もう気分悪い。
電車を降りても、あの中国語のイントネーションが
しばらく耳から離れなくなります。


暑いし、うざいし。 もう電車は嫌。
ということで、次の移動はタクシーを拾いました。

「いやあ、やっぱタクシーは冷房がきいてて最高だね。」

とか、友人と日本語で話をした途端です。
タクシーの運転手が車を停めて、何やら言ってます。

「日本人は嫌いだから、降りてください」

小泉首相が靖国神社に参拝した直後だったこともあり、
人民は敵国日本に乗車拒否です。

なんか俺たち、悪いことしたのかな。

自問自答の旅の始まりでした。


続く

バトン [2007年07月23日(月)]

先週、立て続けにバトンが回ってきていたので、回答します。
回していただいた、美大生の母さん、リエさんには
本当に申し訳ないのですが、

このパターンは 3人→9人→27人→81人→243人→・・・と、
ねずみ算式に増えますね。
もうみんな回ったのと思うので、自分でストップします。

バトンのルールは 質問を引きついて3人指名して次に回す。
例のあれです。


美大生の母の日記の 美大生の母さんからのバトン○

Q1,子どものときから好きで今も好きな食べ物はなんですか?
 A1, 納豆。・・・毎朝食べてます。
Q2,子どものとき嫌いだったのに、大人になって好きになった
食べ物はありますか?
 A2, 無し。・・・貧乏だったので何でも食べます。
Q3,夏のスタミナ食を教えてください?
 A3, ブタのキン○マ。・・・先週のブログに登場しました。

〜 美大生の母さん
自分と同い年の息子さんがいらっしゃいますが、自分の母より
遥かに発想が若くて素敵です。理想の母さんです。


美至上主義の リエさんからのバトン○

Q4, 初恋はいくつですか?
 A4, まだです。・・・37にして本当の恋をしてません。はい。
Q5, 今、一番行きたい所は?
 A5, セネガル。・・・アフリカです。理由は今度ブログで。
Q6,あなたは芸能人に例えると誰に似てますか?
 A6, 不明。・・・残念ですが自分ではわかりません。

〜 リエさん
学生さんですね。お互い無言で足跡つけてブログ読みあって
ましたね。突然バトン回すなんて、びっくりするでしょう。

続きを読む...

幻のような [2007年07月21日(土)]

フィリピーナのご両親はすでに他界されています。
実家近くのお墓参りをして、後輩との婚約の報告をしてから
出発です。


帰りは、途中から高速道路を走りました。
このポンコツ車で、高速なんか走れるのか?
と、侮ってはいけません。

スピードメーターの針が折れているらしく
つねに時速2kmくらいをプラプラ表示してるんだけど、
お兄さんは速度感覚がマヒしてるみたいで、
実際は、時速150kmくらいで走っていました。

もちろん、ハンドルは90度右に切ったままです。(→参照)

怖いけど、早くマニラに着きたいから
彼に命をあずけて、寝たふりをしてました。


疲れ果てていた帰路では、
いくつか幻のような光景をみた。

高速道路上に交差点があるんです。
みんな急に速度を落として、何かと思ったら赤信号。
交差点では車が右折も左折もしています。


自分は頭がもうろくしてるのかな。
と思いながら、しばらく行くと、
高速道路を自転車が走ってます。
しかも荷台に積んだ釜から、もくもくと湯気が出てる自転車。

高速道路上で、日本の「甘食」のようなパンを売り歩いてるようです。
フィリピーナは、不衛生だから食べちゃダメ。
と言うけど、
小腹がすいたので車をストップしてもらい、買って食べました。
10個で15円くらい。
ホカホカして、砂糖がまぶしてあってすごく美味しかった。



←これなんていうお菓子?
と聞いたら
「パン」だそうです。
なんともわかりやすい
ネーミング




さらに、幻想的な光景。

立ち寄った姉さん夫婦の住む海沿いの街で、
海岸の砂浜に降りて
後輩と二人で星を見上げました。

なんと表現したらいいのか、ありえないほどの、
満天の星空です。
星の数が、日本から見る100倍くらい。
感動です。・・・

お前、がんばれよ。

はい。彼女を幸せにします。



フィリピン旅日記


ようこそフィリピンへ [2007年07月20日(金)]

車中で結婚の決意表明した後輩と、
まだそれを把握できてないフィリピーナ。

後輩くん婚前旅行記の続きです。


   Welcome to the Philippines   
     ようこそフィリピンへ



ようやくたどり着いた フィリピーナの実家には
庭にテーブルが置かれ、お誕生会のような 手づくりの飾りつけと、
フィリピン料理が並んでます。
親戚や近所の人が 30人くらい駆けつけてました。


フィリピンでは
豚の丸焼き は最高のもてなしに出されます。
豚にしてみれば この調理方法は、最低の屈辱でしょう。

さぞかし 無念そうな顔をしています。



豚の気持ちを察することなく、大人も子供もみんな大喜びで
皮のパリパリなところを、美味しそうに食べてました。
みんなが食べろというから、
自分は ブタのキン○マを食べました。

まあ、おいしかったです。はい。


さて、宴も盛り上がってきたところで
後輩君の挨拶となりました。
フィリピンは 英語も通じるので、自分は横で通訳担当です。

えー、
本日はお日柄もよく好天に恵まれて、お暑い中私達の
ためにお集まり・・・


 熱帯の国で 好天にめぐまれるのは当然だし、やたら難しくて
 通訳不可能です。めんどうなので省略して
  「Nice to meet you.」(はじめまして) と訳してあげました。


私は日本で薬の会社に勤務しており、
彼女が研修にいらしてから 懇意にさせていただいて・・・


 「I am a Japanese worker and have called and picked her up.」
 (私は日本のサラリーマンで、彼女をナンパしました。)
 と訳してあげました。


この度、フィリピンの家族・ご親戚の皆様にご挨拶に
参った次第ですが、こんな盛大な歓迎を受けて・・


 「Thank you everybody Philippines. These are delicious .」
 (みんなありがとう。どうもごちそうさま。)


この場を借りて、皆様にご報告したいことがあります。

 「I have a big news!」
 (ビックニュースです!)


私は、彼女と結婚します。

 「I want to marry her.」
 (彼女と結婚したいです。) 



おーーー!

パチパチパチ…


みんなは、拍手をして賛同しました。
フィリピーナは驚いた後、恥ずかしそうにしていましたが。

こんな雰囲気では、
追い込まれて 誰でも結婚する と言ってしまうと思う。


おめでたい。
ということで、自分も酔っ払ってみんなと騒いでました。
子供たちは、フィリピンの田舎町にやって来た 珍しい日本人に
興味深々です。

外でご飯を食べていて、油断すると 足元のアリの大群に襲撃される
んですが、
あイテテテテ
それだけで、みんなきゃっきゃ大笑い。

みんなが話している現地のタガログ語を、まねて話すだけでも
大笑いでした。

気づくと 後輩とフィリピーナがいませんが、
短い再会ですから、そっとしておきましょう。





←笑顔で
ブタの丸焼きを
出刃包丁で
八つ裂きにする
自分。
(笑顔がお見せ
できずに残念)







姪たちが うたを歌ってくれたり、
高校生の甥がギターを披露してくれました。
主役たちがいないので、自分が代わりに聞いてあげた。

宴も佳境に入り、ぼちぼち疲れてきたかなあ・

と思ったころ、みんなが一斉に荷物を準備しはじめました。
これから、来た道を戻って帰るというのです。


今朝、死ぬ思いで移動してきたあのボロ車を忘れていましたが、
その2台に、それぞれ8人づつ乗り込みます。

とりあえず、
運転手のお兄さん達は、昼間に爆睡してたのですが、
まじで体力は大丈夫なんでしょうか。


続く。

後輩の決意 [2007年07月18日(水)]

以前に、フィリピンでの結婚式の記事を書きましたが。
その後輩君とフィリピーナが、結婚に至るまでの話です。


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彼らが付き合い始めて3ヶ月。
フィリピーナの彼女は、日本での研修が終了して帰国したために
二人は 国際遠距離恋愛 になりました。


後輩君が、どうしても彼女に会いたい。
あいたいあいたいあいたい。 と、うるさいから、
仕方なく後輩を連れて、フィリピンまで行きました。

いや、フィリピーナのほうが
お願いだから彼を連れてきて。電話で泣きながら うるさいので
仕方なく自分も行ったんだと思います。


仕事の予定を無理やりに詰めても、3連休しか取れなかった中で
それは過酷な旅でした。


私のフィリピンの親戚を紹介したい。

まったく、結婚を意識して 先走りすぎのフィリピーナは、

彼女のお兄さんが運転する
「ハンドルを90度右に切って 真っ直ぐ走るボロ車」
(カローラ ) と、

義理のお兄さんが運転する
「いちいち後ろからみんなで押してエンジンをかける
車種不明の車」

で、大移動が始まりました。

マニラ市内の(フィリ)ピーナのアパートに着くと、
ピーナの お姉さん と その姪が二人、そして おじさんの
4人が待ってました。

後輩は、行きの飛行機の中で、
まる暗記した 英語の自己紹介 をしました。


さあ、すぐに出かけるよ。

どこに?

全員が2台の車に乗って、
うち1台を後ろから押して エンジンをかけて、出発です。

1時間も走ると、ピーナの弟さんが 同乗してきた。
後輩はまた同じ、まる暗記の自己紹介しました。
無口な弟さんは、印象が薄い。


みんなでレストランで食事をしたあと、さらに深夜になっても
2台は移動し続けてます。

聞くと、300キロ先の みなさんの実家 に向かってるらしい。




自分は助手席。
後輩とピーナとお姉さんは後部座席、姪はそのひざの上。
もう一台には、お兄さん、弟、おじさん、おばさん、姪。

少し移動したら。さらに、おばさん と 赤ちゃんが乗ってきた。

おいおい、そろそろ乗れないでしょう。

一応、後輩はワンパターンの自己紹介をします。


無理やり、後ろの席におばさんが乗り込み。自分は赤ちゃんを抱っこ。
その状態で、未舗装の道路を約5時間走りました。
明け方になり、だんだんと景色がジャングルみたいになってきました。

暑さと地面の振動で、疲労が限界を向かえてつつあります。
トランス状態に近かったかも。


後輩に、大丈夫か?と聞いたら、
しっかりピーナとくっついて、いや満員を理由に 強制的に
ピーナを抱きしめた状態で

俺、結婚しますよ。

なにがなんだかわかりませんが。
突然の決意でした。


続く。

米国上陸 [2007年07月16日(月)]

自分これまでアメリカには数回行ってますが、
初めて訪れた街がシアトルでした。
上陸したときの あの感動、忘れられないです。

おお お、アメリカだー!

なんだかんだ、日本はアメリカの影響をかなり受けてますから。
はじめて上京した田舎モノの感じです。


空港には、幼なじみのツトムが迎えに来てくれました。

米国初上陸の おのぼりさん が、街の景色を見上げながら
感動と興奮を抑えられずにいると、

とりあえず、お茶でもしよか。
と向かった先は、スタバックスコーヒー1号店。


シアトル発祥のこのお店は、
当時まだ日本に進出してなかったのですが、

「これ、すごくいーねっ↑」 (茨城弁の尻上がりのイントネーションで)

感動しました。


市街地の中心には、スペース・ニードルというタワーがあって、
街のシンボルになっています。


「UFOみたいだっぺ。」(茨城弁)

と思って、自分は登ってみたかったんですが。
これは地元の子供が遠足とかで登るタワーだからやめよう。
と、ツトムに言われてしまい残念でした。


シアトルは雨の街でも有名です。1年のうち9ヶ月は雨らしい。
自分が訪れたときも、毎日シトシトと小雨が降ったりやんだりでした。

街中から車で1時間くらい行くと、深い森の中にスノコルミー滝という
観光名所があります。


この辺は、むかし流行ったツインピークスという
ドラマの舞台だそうですが。

「それ見てなかったけど、ここ いーかんじだな。」

鬱蒼とした、静かな森でした。


ツトムに連れてってもらったスペアリブのレストランでは、
付合わせの巨大なオニオンフライに

「いやー。でっけーなー。」

ブロックみたいなオニオンフライの固まり(1人前)が、
そのまま皿にのってます。


最初はフォークで崩しながら食べてましたが、

「はーめんどくせー。」

手づかみで食べちゃいました。



シアトル [2007年07月14日(土)]

チロー ・ ス

そうです。
昨日、年俸 総額9000万ドル (約109億8000万円)で
5年契約を更新した イチローが所属する、マリナーズの本拠地です。



シアトル。
市街地には高層ビルが立ち並ぶ、大都市なのですが
港湾と、大きな湖とが点在する森に囲まれた
その景色は最高です。

イチローが 他の強い球団からの高額オファーを断り、
弱っちい マリナーズ に残る気持ちわかります。

彼自身も言ってましたが、ほんと素敵な街ですから。



シアトルは アメリカ北西の端っこですから、
日本から「一番近いアメリカ本土」です。
多民族な街なので、日本人もたくさん住んでます。

成功者が多く住んでますが、貧困の差も激しいようです。



シアトルには、3回訪れたことがあります。
自分の幼なじみの友人「ツトム」が住んでるからです。


〜 ツトムはごく近所に住んでいた、大の仲良し。
  幼い頃の彼は、どうにも手のつけられない悪ガキでした。

  彼の両親の離婚によって千葉に転校したのをきっかけに、
  新しい学校では変身して 優等生になりました。
  その後ワシントン州の大学に留学して、彼女ができて、結婚して。
  そのままシアトルに永住してます。



あの悪ガキ・いやクソガキだったツトムも、
現地で事業に成功した日本人の一人です。
自分には
「俺はあの頃と何も変わってないよ〜〜〜」
などと おどけてますが。

湖の傍の高台にある、彼の邸宅から見た夜景は 圧巻です。

 ちょっと。マジで俺もがんばろう。

とか、思ってしまうような。
自分にとって彼は 偉大な友人です。


イチロー選手もオフに来るという、シアトル市内のバーで飲んだとき
彼は小学校当時の思い出を、それは克明に語ってました。

〜 ドブ川で泳いで溺れたこと、
  裏山を焼いて自転車で逃げたこと。
  近所の豪邸の 100万円もする錦鯉を
  こっそり釣り上げたこと。
  担任の先生の名前。好きだった人の名前・・
  
  彼は1つ1つ、昨日のことのように覚えてました。


ツトムは転校して、
古里の思い出が止まってしまった。
その後は どこか居場所をなくして、アメリカに来たそうです。


大丈夫、
また日本に帰ってきたら 自分ち があるから。
いつでも遊びにおいで。

俺なんか、ほんとうに何も変わってないから。

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シアトル観光は次回です。

仕事 [2007年07月13日(金)]

なんか、仕事しないで遊んでばかりのブログなので、
今日は、ちょっとだけ仕事の話を書きます。

------------------------------------
自分の勤めてる会社は、
おそらく皆さんご存知の薬のメーカーなんですが。
なんとDHCさんと、競合商品もあります。
ライバル会社ですね。

スパイみたいですね。

いちユーザーとしてDHCさんの商品気に入ってますから、
ブログは許して。

職場は、ひとことで言えば技術開発。ですが。
今は新しい生産工場を作るプランニングを担当してます。
毎日、資料つくりと会議ばかりです。


インサイダー情報(経営のマル秘情報)を扱いますから、
それ以上の仕事の内容は、
ライバル会社さんには、詳しくは教えない。


最近は、ずっと帰宅が遅いです。
帰宅〜夕食後〜もインターネットで、深夜まで
仕事の調べものをしてます。
家ではテレビ見ながら、他のHPも見ながら、だらだらです。

だから特許事務所のお勉強は、一日30分くらいになってしまった。
ダメですね・

でも、根つめて勉強すると また倒れますから程々にして、
DHCさんのサプリ食べて、
寝ます。

ハワイ [2007年07月11日(水)]

昨日書いた「ハノイ」と、今日の「ハワイ」は 字が似てるけど
全然違います。


自分、「僻地にふらり一人旅をするのが好き。」
などと申しておりましたが。
メジャーなリゾート地のハワイなんかも行きました。

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ドキドキが止まらない。


数年前、「発作的に緊張感にさいなまれる病気」に なりました。
原因は不明。
とにかく仕事中でも車の運転中でも、さっきまでフツウにしてても
理由無く突然ドキドキして倒れそうになる。

現在は、ほんと何事も無かったように完治しましたが、
当時は症状も重くて仕事にならず、5ヶ月間も会社を休職しました。
つらかったなあ。


休職中は 毎日自宅で ボけーっと静養してましたが、
たまには気分転換も必要かも。
会社と医者にはナイショで、
友人(無職 兼 おたく) を誘って、ハワイで静養することにしました。
友人を誘ったのは、発作が起きたときに 助けていただくためです。

ちなみに友人は 無理をお願いしての初めての海外旅行でしたが、
彼はお金を貯めこんでたようで、ノリノリでついて来ました。


「ハワイの街中は日本語が通じるよ。」 と言われてた通り
完全に日本だった。

海と空の青さには参ったな。

ビーチには あの、トロピカルな音楽がゆったりと流れてて
まるで天国のようでした。

もう何もしないでいいや。

仕事に行けず、ダメ人間と化して落ち込んでいた二人は
完全に開き直ってました。


ハワイもグアムも、旅行会社で貰うカードがあれば、
街中を循環してるオープンバスは、乗り降り自由ですね。
おたくの友人は、なぜか そのバスに感動してた。
彼は嬉しさのあまり、発作を起こして倒れそうでした。


ダイヤモンドヘッドに上ると、ワイキキの海が一望できて最高です。
友人は短パン・ビーサンに首から高級カメラをぶら下げて
写真を撮りまくってましたが、
出来上がりを貰ってないので、いっさい画像を掲載できません。

今日は字ばっかりで、すみません。

そうそう、ハワイ州の旗。
なぜイギリスの国旗が?


ドルフィンウォッチングのツアーにも行きました。
知能が高く、超音波で仲間と会話ができるイルカは、
弱ってる仲間に癒しのエネルギーを送って治療しあうそうです。

自分も、イルカから たくさん癒しのパワー貰いましたよ。
帰りには とても元気になってました。


ハノイ [2007年07月10日(火)]

今日の日本代表の初戦は、引き分けてしまいましたけど。
ハノイの蒸し暑さの中で、よく頑張りました。


2007 アジアカップサッカーが開幕しました。


今回の大会は タ イ 、マレーシア 、インドネシア 、ベトナム
4カ国共同の開催です。

絶対に負けられない日本は、
ベトナムで試合をするグループにいます。

以前にブログでも書いたとおり
ベトナムといったら、4回訪れて自分ほんとによく知ってるんですが。
仕事の調整がつかず、今回は応援にいくことができません。

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日本が試合をしてる、ベトナムのハノイは 神秘的な街です。
みんな一生懸命に生きてます。



ハノイの神秘 その1 
「水中人形劇」

ハノイには、コミカルな人形劇の伝統芸能があります。
音楽に合わせて、水上で人形劇を演じるんです。

テンポよく わかりやすい オチ のショートストーリーが続くので、
ベトナム語がわからなくても 十分に笑えます。

自分が見に行ったとき、
隣に座った日本人女性の観客が ツボだったようで
涙を流しながら爆笑してたのが、一番面白かったです。




ハノイの神秘 その2
「道路の横断」

ベトナムの市街地を走る大量のバイクはすごい。恐ろしい。
世の中に こんなにたくさんバイクがあったのか、
と思います。



途切れなく次から次にバイクが来るから、
道の向こう側に用があるとき、怖くてなかなか道をわたれません。
でも大丈夫。

勇気を出して、バイクの大群の中に向かって歩いてわたると、
勝手にバイクが避けてくれます。

ベトナムでは、歩行者はみんなそうして道路を横断します。
たまに、ひかれてる人もいます。


ハノイの神秘 その3
「アジアン雑貨」

ベトナム人は器用ですから、オシャレな雑貨がたくさん。
刺繍のバック、財布、ハンカチ、サンダル・・



とくに市場はアジアンな雑貨の宝庫です。
値切るとタダみたいに安くなります。値切るの面白くてついつい
買いすぎて
自分ち には渡す相手のいない、お土産の山です。


ハノイの神秘 その4
「ゲイ」

ハノイの街でゲイ風(オカマ)の男が 声をかけてきました。
こちらは勿論その気はありませんので、無視したら
追いかけてきた。

走って逃げましたが、ここがどこか 場所がわからなくなり、
しかたなくゲイ君に道を聞いたら、急に紳士的な態度に変わり
道案内してくれた。


ハノイの神秘 その5
「夕餉(ゆうげ)」

路地では 赤ちゃんいす に座って、みんな夕涼みをします。
外の軒先で、夕食を調理をしてる 家族もいます。
おいしそうな におい につられて、

これなんて料理ですか?

と、身振り手振りで尋ねただけなのですが、意味が通じなくて
結果、見知らぬ家族に混じって
夕食をごちそうになったこともあります。




ちなみに、ベトナム代表のサッカーの試合のある日は、
町中大騒ぎになります。
試合に勝った日の夜は、みんな一晩中バイクで走り回って
騒いでます。

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ああ、行きたかったなベトナム。

サラリーマンだし。
しゃあない。

カート [2007年07月08日(日)]

今日は、ここで初めて日記らしいブログを書きます。

いつも、昔の話ばかり思い出しながら書いてますから。

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これ、何だかわかります?



子供の乗り物じゃありませんよ。


レーシングカートと言って、一応、大人のレーシングカーなんです。
小さなエンジンと 車体ですが、
スピードは時速100キロくらい出ます。

そう、ゲームのマリオカート の車です。

自分20代のころ、サーキットでこれ夢中で走ってました。
レースで表彰台に上がったこともありますが、
腰があれで、すでに引退してます。


今朝、このカートの友達から電話があって
12時間耐久レースをやるから応援しに来いよ。」


12時ずっと走る間って、拷問に近いな。
そう思いながら観にいきましたが。

よく聞いたら 12時間を9人交代で走るのだそうです。




いやあ、12時間てとても長いな。
サーキットを何週もぐるぐるぐるぐるまわってて、
観てると目が回ります。

昼間は日差しが強くて、暑くていられませんでしたが
最終的にはこうなりました。



半袖シャツだけで行ったから、ちと寒かった。
友達のチームの結果は思わしくなかったですが、
みんなはとても楽しそうでした。


俺も早く腰を治して、ちょっと走りたいな。
来年は、10人目のドライバーとして誘ってね。

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