ロードバイクに乗りながら、多摩川サイクリングロード(多摩サイ)で見た夢、見た風景、想った事などを中心に、気ままに更新中のブログです。地球の上の様々な場所の一つ、東京の近郊から。

愛と創造の奇跡 [2008年12月16日(火)]
●鎖骨骨折から703日目。

先日、国立新美術館の『巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡』、に行ってきた。


国立ピカソ美術館(パリ)の大改修に伴う、世界巡回展の一環の大回顧展。

「愛と創造の軌跡」という副題通り、ピカソに愛され、ピカソを愛した女性たちを描いた作品が、特に印象的だった。

「肘掛け椅子に座るオルガの肖像」、「ドラ・マールの肖像」、「泣く女」、「マリー=テレーズの肖像」、「若い画学生のフランソワーズ・ジロー」、「膝をかかえるジャクリーヌ」、等など。

新古典主義、キュビスム、シュルレアリスム、晩年の無邪気な画風など、その様式の多様性は凄まじい。

ピカソと時間を共有した女性たち。

オルガ・コクローヴァ、マリー=テレーズ・ヴァルテル、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、ジャクリーヌ・ロック。

結婚した女性もいれば、未婚のまま子供が授かった女性もいる。

同時進行の愛もあり、中でもドラ・マールとマリー=テレーズは、ピカソを巡って、取っ組み合いの喧嘩をしたらしい。

ピカソの最後の妻となったジャクリーヌがピカソに出逢った時、ピカソは72歳、ジャクリーヌは35歳。8年後に2人は結婚し、その11年度、ジャクリーヌは91歳のピカソの大往生を看取る。その後、ジャクリーヌは自殺し、マリー=テレーズも自殺している。

彼女たちが幸せだったかどうか、知る由もないが、彼女たちを描いた作品群は、時を超えて人々に語り続ける。

「愛と創造の軌跡」は、「愛と創造の"奇跡"」でもある。

奔放な女性遍歴に支えられた、ピカソの飽くなき創造への希求、魂の純真な叫びが、作品の中に渦巻いていた。

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フェルメール展 [2008年11月06日(木)]
●鎖骨骨折から664日目。

「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」、に行ってきた。



土曜の朝9時、開館時間から、沢山の人で溢れていた。

フェルメールの作品を軸に、デルフトの風景、教会内部の絵、室内風俗画など、17世紀後半のデルフト派の作品39点が、ゆったりと展示されていた。

フェルメール作品は、初期の宗教画、風景画、風俗画まで、7作品。 (フェルメールの現存する全作品の原寸大のパネル展示も面白かった。)

以下、フェルメールの7作品についての、極めて個人的なメモと雑感;
 △ 《マルタとマリアの家のキリスト》 
   ・日本初公開。大きめの宗教画。
   ・フェルメールらしさは、感じられない。
 △ 《ディアナとニンフたち》 
   ・大きめの神話画。
   ・フェルメールらしさは基本的に感じられないが、光と色彩に、僅かな片鱗か?
 ◎ 《小路》 
   ・日本初公開。現存する2つの風景画の中の1つ。(写真の絵)
   ・デルフトの街並み、レンガ、窓、婦人、子供が、実に見事に描き込まれている。
   ・今回の展覧会で、最も好きになった作品。
 ○ 《ワイングラスを持つ娘》 
   ・日本初公開。
   ・男性のしぐさや女性の笑顔が、意図的に下品に描かれているのが特徴的。
   ・女性のスカートのひだ、ステンドグラスの描きこみがいい。
 ○ 《リュートを調弦する女》 
   ・フェルメールらしい作品。左側の窓からの光、椅子、テーブル、大きな地図といった定番
    の小物が、フェルメール的。
   ・約10年前、メトロポリタン美術館で観た時は、保存状態の悪さが目立った。洗浄されたの
    か或いはライトニングの影響か、今回は気にならなかった。
 ◎ 《手紙を書く婦人と召使い》 
   ・日本初公開。秀逸。
   ・召使いの表情、視線を合わせない二人の対比が特徴的。
   ・床に転がっている封蝋と手紙に物語性がある。映画のワンシーンのよう。
 × 《ヴァージナルの前に座る若い女》 
   ・日本初公開。
   ・2004年に、科学的解析によりフェルメール作品と認定され、33億円で落札された、唯一
    の個人蔵の作品。
   ・黄色いシュールとドレスが不自然で、女性の描き方も荒い。
   ・真贋議論は今も続いているらしいが、個人的には、フェルメール作とは認めたくない。

メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、フリックコレクション(ニューヨーク)、ナショナルギャラリー(ワシントン)で、フェルメールの11作品を観たことに加え、昨秋、東京新美術館の「牛乳を注ぐ女」と、今回の7作品を合わせると、19作品を観たことになる。

全点踏破への道のりは、かなり遠い。

とほほ。
posted at 22:29 | この記事のURL
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静かなる詩情 [2008年10月18日(土)]
●鎖骨骨折から645日目。

国立西洋美術館の「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展に行った。


ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)は、19世紀末のデンマークを代表する画家の一人。1997-98年にオルセー美術館とグッゲンハイム美術館で、2003年はハンブルグ美術館で行われた回顧展で再び脚光を浴び、世界的な再評価が高まっている、とのこと。

美術館の階段を下りて、展示室に入って、驚いた。

モノトーンを基調にした、静謐な世界が広がっていた。

音のない世界。

特に、写実的に描かれた自宅アパート、そこを舞台に繰り返し描かれた女性(画家の妻)の後姿が、実に印象的だった。

約90点の作品は、そのスタイルが一貫している。

あくまでも、静謐。

静かなる詩情(The Poetry of Silence)という副題が見事な展覧会だった。
posted at 17:48 | この記事のURL
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これが私のパリだ [2008年10月16日(木)]
●鎖骨骨折から643日目。

先週末、「ロベール・ドアノー写真展」 に行ってきた。



ロベール・ドアノー(1912-1994)は、パリを舞台に、軽妙洒脱で幸福感に満ちた瞬間を写してきた著名な写真家。

本展は、2006年10月パリ市庁舎内で開催され、本国フランスでも11年ぶりとなった大回顧展の日本巡回展。

日本橋三越本店・新館7Fのギャラリーに、200数点の写真やパネルが作品が並べられていた。展示にも工夫が見られ、モノクロの作品群に、躍動感が溢れていた。

ポスターに使われている「パリ市庁舎前のキス」は、僕にとって、とても思い出深い写真。

20歳代の頃、仕事で訪れたシドニーで、偶然この作品の大きなポスターを見かけ、衝動買いをした。当時は、ドアノーの名前も、この作品が非常に有名であることも、全く知らなかったが、ココロに響いた。連日連夜のハードワークで「愛おしさ」を切望していたのかも知れない。

それから時が経ち、本物の写真を見た。控え目に展示された作品の前で、暫く立ち止まり、ゆっくりと見た。憧れの人(写真)に、ようやく逢えた。

「ギャラリー・ロミのウィンドウ」も面白かった。裸の女性の絵が飾られている画廊のウィンドウを覗く人々を撮影した連作で、人々の多彩な表情が、活き活きと切り取られている。

しかもこの連作は、透明のガラス板に並べて展示され、向こう側からこの作品を見る人達の様子が確認できるよう工夫されていた。ドアノー本人がこの展示を見たら、さぞ喜ぶのでは、とも思う。

上映されていたショートフィルムも面白かった。作品をバックに、ドアノー自身が、こう語る。

「これが私のパリだ」、だと。

素敵な言葉だと思う。

「これが私の東京だ」、という写真を撮りたい。
posted at 08:17 | この記事のURL
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♪偉大な冒険王 [2008年06月04日(水)]
●鎖骨骨折から509日目。

世田谷美術館で開催中の 「冒険王・横尾忠則」 展が、無類に面白い。


http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

横尾忠則さんと言えば、60年代〜70年代のグラフィックデザイナーとしての大活躍がまず頭に浮かぶが、その後「画家」として、様々なスタイルに挑み、変貌し、創作を続けられてきた。

「冒険」を縦軸に、横尾さんの作品が数多く展示されている。

まず、序章として、アンリ・ルソーのオマージュ作品が20数点並べられている。

横尾さんの作品の横には、ルソーの原画写真。

原画を忠実に描きつつ、大きなメッセージが、真剣に描きこまれている。

極めつけは、「正確な寸法で描かれたルソー像」。原画の中の異様に巨大なルソーのサイズを、横尾さんが正しく描き直している。

そのサイズの違いが、何とも愉快。

Y字路シリーズも面白い。やや空中からの視点で、Y字路を背景に、夢、生死、魂、愛、様々なものが飛び交っている。

交錯と呼応。

グラフィックアートのコーナーでは、ポスター、原画、雑誌「話の特集」の表紙、印刷上の指示メモ等、プロセスまで感じさせる構成が面白かった。

色鮮やかな、躍動。

温泉シリーズでは、「横尾忠則の温泉」が、実に見事に描かれている。

注意深く作品を見ると、意外なものが描きこまれていることに気づく。

発見、享楽。

過去、現在、そしてこれからの横尾忠則さんを、立体的に把握・獲得する、素晴らしい展覧会だった。

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6/1(日)の午後、「冒険王との対話」と題する、横尾忠則さんと中条省平さん(学習院大学教授)の対談があった。

「芸術新潮」(7月号)に掲載されている、お2人の対談に目を通してから、最前列で拝見した。

横尾さんは、革のジャケット、ジーンズ、白い革靴。

中条さんは、茶系のアロハシャツ。

2時間弱、アート、世田谷区教育委員会、朝食、愛猫、演歌の話など等、とてもとても興味深いお話をお聞きした。

冒険を忘れない、冒険を恐れない、冒険し続ける、偉大なアーティスト、横尾忠則さん。

鬼気迫る大迫力の「冒険王」に東京で逢えるのは、6月15日(日)まで。
posted at 12:39 | この記事のURL
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モディリアーニ展 [2008年04月13日(日)]
●鎖骨骨折から457日目。

雨の日曜、国立新美術館で開催されている、「モディリアーニ展」に行った。





20世紀初頭、 パリのモンパルナスを舞台に活躍した、モディリアーニ (1884-1920)。

長い顔と長い首、瞳を描きこまない目が特徴的な、モディリアーニの肖像画。

静謐でいて、不思議な躍動感がある。

そのモディリアーニが、アフリカや東南アジアの素朴な原始美術に関心があったことや、彫刻家を志していたことを、この展覧会で初めて知った。

瞳を描かないのは、彫刻の影響だという。

我が身の無知さに、あらためて呆れてしまった。

出展作品の中に、「個人蔵」が多かったのも驚いた。

モディリアーニの最愛の妻、ジャンヌの絵をもう少し見たかったが、全体としてモディリアーニの全貌を俯瞰できる、いい構成だとも思う。

絵葉書とマグネットを購入し、乃木坂を後にした。
posted at 16:40 | この記事のURL
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2007年の展覧会総括 [2007年12月19日(水)]
●鎖骨骨折から341日目。

鎖骨骨折から342日目。

今年、9つの展覧会に行った。

その都度ブログにメモしたが、1年の節目として、あらためて総括してみる。

@レオナルド・ダ・ヴィンチ −天才の実像
 2007年3月20日〜6月17日
 東京国立博物館

AAshes and Snow
 2007年3月11日 〜 6月24日
 ノマディック美術館(お台場特設会場)

B大回顧展 モネ
 2007年4月7日〜7月2日
 国立新美術館

Cプラハ国立美術館展 ルーベンスとブリューゲルの時代
 2007年6月9日〜7月22日
 Bunkamura

Dアンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌
 2007年6月19日〜8月12日
 東京国立近代美術館

Eジブリの絵職人 男鹿和雄展 トトロの森を描いた人。
 2007年7月21日〜9月30日
 東京都現代美術館

F仙香Eセンガイ・SENGAI 〜禅画にあそぶ〜
 2007年9月1日〜10月28日
 出光美術館

Gフェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
 2007年9月26日〜12月17日
 国立新美術館

H植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス
 2007年9月29日(土)〜11月25日(日)
 世田谷文学館


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それぞれ印象深く、とても面白かった。

フェルメール(G)の「牛乳を注ぐ女」は、今年最も印象に残った絵画。豊かな質感に感動した。開館と同時に絵の飾られた部屋に直行し、じっと立ち止まって、たっぷりと堪能した。

モネ(B)の連作「積みわら」は、何でもない「わら」が、モネの手で芸術に昇華されていた。僕自身にとって、モネの再発見になった。

Ashes and Snow(A)の巨大な写真と映像には驚嘆した。動物、自然、人類の共生。コンテナで作られたお台場の仮設美術館には、何度も足を運んだ。

アンリ・カルティエ=ブレッソン展(D)では、非常に多くの傑作写真と多面的な展示構成に圧倒された。「決定的な瞬間」の写真が並ぶ、完成度の高い展覧会だった。

天才ダ・ヴィンチ(@)の「受胎告知」の計算された構図、フランドル絵画(C)の細密な描写、センガイ和尚(F)の愉快で洒脱な禅画、男鹿和夫(E)の暖かくも凄まじい筆力、そして植草甚一(H)の旺盛で豊かな好奇心、等など、いづれもとても楽しかった。

2007年は、秀逸な展覧会が多かった年ではないだろうか。

来年も、いい展覧会に巡りあいたい、と思う。
posted at 21:45 | この記事のURL
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牛乳を注ぐ女 [2007年10月23日(火)]
●鎖骨骨折から284日目。

10/22(月)、新国立美術館に行ってきた。

フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展。

9時30分に到着して列に並ぶと、先頭から13番目だった。

人が次々と集まり、10時の開館前には、長蛇の列。

平日の朝というのに、凄まじい人気だ。

定刻に開館するや否や、早足で、まっしぐらに、「牛乳を注ぐ女」に向かった。

大きな部屋に、「牛乳を注ぐ女」だけが飾られている。

絵は、思ったよりも小振り。

小さな絵が、ライティングの効果もあるとは思うが、輝いて見える。

飾り気のない台所。

少し肉づきのいいメイドが、俯きかげんで、牛乳を注ぐ。

鮮やかな着衣、テーブルの上の美味しそうなパン、白い壁。

窓から差し込む、光と影。

静寂。静謐。素晴らしい。

350年以上前に描かれ、オランダから初めて日本に来た大傑作を、約1時間、楽しんだ。

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オリジナルの絵葉書2枚と一筆箋を購入。

フェルメール、ふぇるメール、ふぇる郵便、な〜んちゃって。
posted at 16:55 | この記事のURL
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これ食うて、茶飲め [2007年10月21日(日)]
●鎖骨骨折から282日目。

出光美術館で、「仙酷W」を見てきた。

先週、NHKの新日曜美術館で紹介されたせいだろうか、朝10時の開館から人が途切れない。

欧米系の方も多かった。

時代は江戸後期。臨済宗の僧侶だった「仙高ウん」が墨で描いた書画が並んでいる。

仰天した。

何とも、自由奔放。

可愛らしい絵がある。禅の精神を描いた絵もある。

機知とユーモアに溢れている。

『堪忍柳画賛』
強風でしなる大きな柳の木の画の横に、大きく「堪忍」と書かれ、その横に「気に入らぬ風もあろふに柳哉」。辛抱しなさい、柳もじっと耐えている、と。

『座禅蛙画賛』
笑顔の蛙の画の横には、「坐禅して 人か仏になるならハ」。座禅するだけで仏になるなら、蛙はもう仏になっている、と。

『菊画賛』
菊の画に添えられている言葉は、「此花をきくとハいへと 耳もなし はハありとても くひのみもせす」。これは駄洒落系。

『三福神画賛』
三福神(恵比須、大黒、布袋)の道具(鯛、小槌、軍配)の画だけで、三福神を表し、添えられた言葉は、「三福を一福にして 大福茶」。「福」とお茶の一「服」を掛けている。道具の画も洒落ている。

『一円相画賛』
「○」の一筆書きの画に隣に、「これくふて 茶のめ」の文字。「○」は一円相と呼ばれ、禅の悟りの象徴として描かれる事が多いらしいが、その一円相をあらん事か饅頭に例え、「これ食べて、お茶を飲め」とは! 何とも愉快! 形式に捉われるな、というメッセージだとしたら、「座禅蛙画賛」にも通じるところがある。

画と言葉から、深い思索が、穏やかに、柔らかに、伝わってくる。

これを洒脱と言うのだろう。

仙腰a尚の笑顔も浮かんでくるようだ。

素敵な「仙酷W」は、10月28日(日)まで。
posted at 15:45 | この記事のURL
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ジブリの絵職人展 [2007年09月04日(火)]
●鎖骨骨折から235日目。

先週末、東京都現代美術館の 『ジブリの絵職人 男鹿和雄展』、に行ってきた。

日曜日のお昼過ぎ、清澄白河の美術館に着くと、既に長蛇の列。

あまりの人の多さに呆然としたが、辛抱して並んで待つこと80分、ようやく中へ入った。

展覧会は、3つの章で構成されている。

第1章、「背景:テレビから映画へ」。
「ガンバの冒険」、「あしたのジョー2」、「幻魔大戦」、「はだしのゲン」、「カムイの剣」、「時空の旅人」、「妖獣都市」、等。

第2章、「投影:ジブリ作品に想いを映す」。
「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「おもひでぽろぽろ」、「紅の豚」、「平成狸合戦ぽんぽこ」、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、等。

第3章、「反映:映画を離れて」
吉永小百合さんの「第二楽章」の挿絵、等。


600点以上の作品が展示され、その繊細かつ大胆な描写力に圧倒された。

男鹿さんは、「となりのトトロ」、「おもひでぽろぽろ」、「平成狸合戦ぽんぽこ」等では、美術監督もされたらしい。

ジブリ作品の中に見る、懐かしい日本の風景、里山、田園、四季の移ろい等の多くは、男鹿さんに支えられていた。

静かな感動。

アニメ職人と画家は、表現技法が違うだけで、優劣の差はない。

アニメ画には、アニメ作品の一部という大きな大きな制約がある。その中で、人に感動を与える絵を描くというのは、本当に凄いことだと思う。

3階には、背景画の技法やアニメの撮影技法などが紹介されていた。

背景画をバックに写真が撮れるコーナーや、トトロの折り紙で遊べるコーナーもある。

非常にうまく構成された展覧会だと思う。

美術館を出る頃には、120分待ちになっていた。

トトロやタエ子(おもひでぽろぽろ)に逢いたくなった。
posted at 20:20 | この記事のURL
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「決定的瞬間」の写真展 [2007年06月30日(土)]
●鎖骨骨折から169日目。

東京国立近代美術館の「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」を観てきた。

2003年春、パリのフランス国立図書館で開幕し、ヨーロッパ各地を巡回してきた大回顧展。最晩年のカルティエ=ブレッソン自ら、企画・構成に関わったという。

「私のパッションは、決して写真”そのもの”に向けられているわけではなく、自己そのものも考慮から消し去りつつ、主題やフィルムの美しさから誘発される感動を一瞬のうちに記憶できないかという可能性に、向けられているのだ。」 (カルティエ=ブレッソン)

「写真は私にとって、持続的な注視から湧き上がってくる衝動といえるものであり、それは瞬間とその永続性とをつかみとろうとするものだ。」 (同)


ライカを片手に世界を駆け回り、「日常をアートに変えた写真家」と称賛されるブレッソン。

著名な作品、初めて見る多くの作品いづれも、とても素晴らしかった。光、影、線と造形がとても面白い。そしてその中に、人々の一瞬の表情や動きが、「決定的瞬間」が、実に見事に切り取られている。

構図の中に無駄がない。モノクロ写真ゆえに、構図の面白さがなおさら際立つ。

出展作品の多さも圧巻。珠玉の写真が350点以上も展示されている。デッサン、雑誌、子供の頃の家族写真、手稿も、展示されていた。

カルティエ=ブレッソンの全貌が堪能できる、素晴らしい大回顧展。

写真について改めて考えさせられた。
posted at 15:55 | この記事のURL
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プラハ国立美術館展 [2007年06月12日(火)]
鎖骨骨折から151日目。

先週末の雨の日曜日、渋谷Bunkamuraの 「プラハ国立美術館展:ルーベンスとブリューゲルの時代」 に行ってきた。

チェコの首都プラハの古城にあるプラハ国立美術館から、17世紀フランドル地方(現在のベルギー北部)の名画約70点が選ばれ、うち約50点は日本初公開だという。

中核となるのは、副題の通り、ルーベンスとブリューゲル・ファミリー。

ブリューゲルという名の画家は、4人いる。
  ピーテル・ブリューゲル(父):父、Pieter (1527-1569)
  ピーテル・ブリューゲル(子):長男、Pieter (1564-1638)
  ヤン・ブリューゲル(父):次男、Jan (1568-1625)
  ヤン・ブリューゲル(子):次男の子、Jan (1601-1678)

ややこしい...。

館内に入ってすぐ、「東方三博士の礼拝」(ピーテル・ブリューゲル 子)が目についた。多くの画家に取り上げられている主題だが、このブリューゲルの小さな絵の中には、真冬の風景の中の庶民の営みが、実に活き活きと、暖かな視点で描き込まれている。本来、信仰というのは、この絵のように、日常の生活の中にこそあるのでは、と思う。


フランドル派の画家による「バベルの塔」の緻密さにも、感嘆した。ピーテル・ブリューゲル(父)の名画「バベルの塔」が見たくなった。

ルーベンスの「聖アウグスティヌス」は、その大きさと確かな描写力に、圧倒された。

パンフレットに使われているヤン・ブリューゲル(子)の「磁器の花瓶に生けた花」は、暗い背景色に、季節を超越した様々な花が浮かびあがっていた。

「猿のいる静物」(フランス・スネイデルス)には、度肝を抜かれた。大きな食卓に、真っ赤なテーブルクロスがかけられ、その上に、豪勢で鮮やかな食事が並んでいる。血が滴り落ちる生々しい大きな豚の頭、真っ赤に茹で上がったロブスター、バスケットに入れられたカラフルで新鮮なフルーツ。

そして、手を伸ばしてそれを狙う、猿。

躍動感があふれる、静物画。

映画「千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が、神々の為の食事を食べる場面を思い出した。

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本展覧会は、ブリューゲルやルーベンスの絵だけを期待するのではなく、17世紀フランドル派のコレクションとして観ると、なかなか秀逸だと思う。プラハ国立美術館を訪れた人、プラハ国立美術館の全容を知る人にとっては、物足らないかもしれないが。

騒々しい団体客でごった返す、東京新美術館の「モネ大回顧展」に比べるまでもなく、週末のBunkamuraはとても静かだった。

一人で熱心に観る人、絵を観ながらメモをとる人、小学生の男の子に小声で説明するお父さん、品のいい年配のご夫妻等、西洋美術を楽しもうとする人達の中で、ゆったりとした時間を過ごした。
posted at 20:25 | この記事のURL
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モネの風景の中の美術館 [2007年06月09日(土)]
鎖骨骨折から148日目。

先週末、お台場のノマディック美術館に、また行ってきた。夕暮れの写真が撮りたかった。

東京テレポート駅に着いてすぐ、美術館のショップに直行した。ashes and snowのscreen-saverは、やはり売り切れ。売り切れの商品が増えていた。

恰幅のいい欧米系の男性が、大きな声で叫んでいる。「イチマン・ロクセン・ハッピャクエンのシャーシンシュウ、イマダケ、トクベツ、イチマンエン! イマダケ。ニジマデ。」(16,800円の写真集、今だけ特別、1万円。今だけ。2時迄。)

4月下旬にこの写真集を買った時は、9,800円のポスターと6,800円のDVDがオマケでついて、16,800円だった...。

近くのショッピングモール・Venus Fortで買物をしたら、抽選券をもらい、Ashes and Snowの招待券が2枚当った。これも何かの縁だろう。急いで引き返し、美術館に入った。

動物と人間の共鳴と共生。静かな対話。命の鼓動。

何度観ても、すごい写真、すごい映像だと思う。

18時頃ショップに立ち寄ると、同じ店員が叫んでいた。「シャーションシュウ、イマダケ、イチマンエン!」


美術館のすぐ近くに、ワイルドフラワーが可憐に咲いていた。

先日、モネ大回顧展で見た、「日傘の女性」、「ジヴェルニーの庭」を思い出した。

ノマディック美術館が、モネの風景の中にあった。
posted at 18:05 | この記事のURL
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クロード・モネの描く、「わら」 [2007年05月20日(日)]
鎖骨骨折から128日目。

昨日の土曜日、国立新美術館の開館記念展、「モネ大回顧展」に行ってきた。

http://monet2007.jp/


開館30分前の9時30に到着すると、既に100人程度が入場待ち。開館時間が繰り上がり、9時45頃に館内に誘導された。

音声ガイド(声は小泉今日子さん)を借りる。

パンフレットにも使われている「日傘の女性」、雪の色彩感が素晴らしい「かささぎ」、鮮やかな旗が興奮を伝える「モントルグイユ街、1878年パリ万博の祝祭」等など、印象的な作品が数多く並んでいた。

「ポプラ並木」を見た後で、4つの「積みわら」が並んでいる場所に来た時、立ち止まって動けなくなった。


積みわら、雪の朝



積みわら、夏の終わり、朝

何でもない風景の中に積まれた「わら」の山。「わら」の形がユニークで、ケーキか帽子のようにも見える。微妙な色で塗り分けられた「わら」は、豊かな質感に溢れている。収穫の予感。光と影の見事な描写。4つの連作を見比べると明らかになる、季節と時間の確かな移ろい。

ここにあるのは、神話でもない。宗教でもない。ごくごく普通の田園風景。

語りかけてくる「わら」の前で、とても幸せな気分になった。

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展覧会も混雑していたが、展覧会の出口手前の売店の混雑も凄まじく、絵葉書の前になかなか到達できなかった。

本展のカタログと、「積わら」の絵葉書とマグネットを記念に買って、会場を出た。


セザンヌは、 「モネは単なる目にすぎない。がしかし、何と素晴らしい目だろう」、と言ったという。

ある詩人は、「私は、モネの絵の経験を通して風景を見ている事に気がついた」、と言ったらしい。

モネの奥深さを、大いに実感した。
posted at 18:50 | この記事のURL
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ダ・ヴィンチの受胎告知 [2007年05月01日(火)]
鎖骨骨折から109日目。

東京国立博物館(上野)の 「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」展 に行った。

昨年フィレンツェのウフィッツィ美術館で行われた「The Mind of Leonardo」をベースに、日本向けに再構成された、特別企画展。

第一会場の本館に入る際、金属探知器によるチェックを受けた。その先の本館第五室が 『受胎告知』 専用の部屋。

展覧会が始まって1ヶ月以上経っている為か、入館待ちもなく、人は多いが大行列という程でもない。展示室の中に入ると、正面奥に飾られた『受胎告知』が、遠くに輝いて見える。大きく蛇行した進路をゆっくり進み、少しずつ絵に近づいていく。15分程度の牛歩を経て、『受胎告知』の前に着いた。

天使がマリアにイエスの受胎を告げる本物の絵が、目の前にある。

鮮やかな色彩と豊かな質感。遠い風景の極めて緻密な描写。スカートのひだに表現される見事なまでの立体感。柔らかで繊細な天使の翼。書見台の端整な装飾。山の中腹の一点に集まる遠近法。

第一会場に来る前に、第二会場の平成館でコンピュータグラフィックが使われた解説ビデオを観た。『受胎告知』は、正面から見ると少しバランスが悪いが、向かって右下方向から見ると整合性が取れる。それを意図して描かれたという。ビデオに習って視点を変え、驚きながら実感した。

『受胎告知』をテーマに描かれた絵は少なくないが、レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』には、ダ・ヴィンチの豊かな才能が息づいている。

朝日新聞によれば、この絵が今回の展覧会の為にフィレンチェを離れる際、海外へ運搬するには繊細かつ貴重な作品だとして、イタリアでは反対の声があがったらしい。『受胎告知』に再会できる可能性は極めて少ないだろうと思いつつ、後ろ髪を引かれる思いで、第一会場を後にした。

この絵が描かれたのは、1473年〜1476年頃。

530年の歳月を経て、東京にやってきた。

500年以上前の若き天才の傑作を、凡庸ながら自分自身の目で見る幸福感を、しっかりと味わった。
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象と写真の共鳴 [2007年04月26日(木)]
鎖骨骨折から104日目。

茂木健一郎著 『脳の中の人生』(2005年、中公新書)の中に、どんな動物が鏡に映った姿を自分自身と認識できる、という事について書かれた箇所がある。

同書の中に詳しい記載はないが、ジョージ・ギャラップ博士が行なった「鏡のテスト」の概略は、こういうものらしい。

1)実験対象の動物のいる場所に、鏡を置く。
2)しばらく生活させて、鏡に慣れさせる。
3)動物を麻酔で眠らせる。
4)動物自身では見えない場所に(顔など)、カラーのマークをつける。
5)麻酔が覚めて鏡を見た動物の反応を、観察する。

このテストの結果、鏡に映る姿が自分だと認識できたのは、チンパンジー、オランウータン、イルカ、ヒトだけだったという。

「あたかも、自らの外に立ったように、自分を客観的に見る」ことを、メタ認知と言う。(前掲、「脳の中の人生」より)

鏡に映る姿を自分と認識する為には、このメタ認知が不可欠になる。

確かに、我が家のトイ・プードルは、鏡を見ても全く反応しない。吼えもせず、ただ通り過ごす。キョトンとしている。鏡には匂いも音もないから、生き物の姿が見えている、という認識自体がないのかも知れない。

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「ノマディック美術館」一昨日のblogの回廊を、グレゴリー・コルベールが撮影した象の群れが歩く姿を、想像してみた。

畳サイズの巨大な写真が吊るされている間を、象の群れが、悠然と歩く。

象が歩く。木の床が軋む。

象が続く。写真が揺れる。

この象たちに、メタ認知の能力は、多分ない。象の写真は、彼ら(彼女ら)にとっては何の関係もないものとして、そこにある。

象自身に、感動や共鳴の自覚はない。

見ている人の脳内現象として、「動く」象と「セピア色」の象は同調し、共鳴し合うはずだ。

お台場には、「ashes and snow」の奇跡がある。
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