ロードバイクに乗りながら、多摩川サイクリングロード(多摩サイ)で見た夢、見た風景、想った事などを中心に、気ままに更新中のブログです。地球の上の様々な場所の一つ、東京の近郊から。

小林秀雄の響き [2008年11月26日(水)]
●鎖骨骨折から683日目。

先日、新潮12月号(1,100円)を買ってきた。


小林秀雄の講演が収録されたCDが、特別付録として付いている。

この講演CDが、実に素晴らしい。

小林秀雄の声は、茂木健一郎著「脳と仮想」にも書かれている通り、まさに「古今亭志ん生」。

よく通る声で、澱みもなく、情熱的に語る。

温かみのある肉声は、硬質な文体とは違う魅力がある。

未発表音源「勾玉について」で、小林は「美」について語る。
 - 「美」を愛している人は、1万人に一人もいない。「美」につきあっていない。
 - 人ごみに行って、「ミロのビーナス」を見物してきたところで、美しさに接している訳では
  ない。「ミロのビーナス」という名前に接している。
 - 「美」というものは、一つの経験。知識では決してない。親しまなくてはいけない。時間
  をかけなければいけないものがある。

卓越した確信。

70分超の講演が、ココロに響いた。 ■
posted at 08:05 | この記事のURL
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僕は狩猟民族。 [2008年08月20日(水)]
●鎖骨骨折から586日目。

先週末、久しぶりに焼肉屋に行った。


掘り炬燵式テーブルのある個室で、ユッケ、リブロース、カルビ、ハラミ、タン、トントロ、地鶏、サラダ、キムチ盛り合わせ、ユッケクッパ等を、堪能した。

炭火の上のリブロースを見たとき、突然、思った。

「僕は、狩猟民族だ」、と。

祖先から受け継いだ血を、ふいに感じた、という感覚。

今読んでいる、中沢新一著「アースダイバー」(講談社、2005/5)の影響も大きいと思う。

この本の中で、筆者は、縄文時代の東京の地図を独自に作り、それを持って東京を歩き回る。

縄文時代の東京は、海が(現在の)陸地に深く入り込み、リアス式海外が複雑に入り組んだ地形だったらしい。

縄文時代の海外線のあとをたどりながら、現代の東京の街並みを読み解く筆者の、独創性と行動力には、脱帽する。

縄文時代、僕の遠い祖先は、竪穴式住居で暮らし、弓矢を使って狩猟生活を営んでいたことだろう。

焼肉と一冊の本のお陰で、1万6500万年前から1万年以上続いた縄文時代へ、一足飛びに、旅をした。
posted at 20:58 | この記事のURL
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現代の秘境は”こころ” [2008年08月14日(木)]
●鎖骨骨折から580日目。

爆笑問題と中沢新一さんの共著を読んだ。

「爆笑問題のニッポンの教養 現代の秘境は人間の“こころ”だ」 (爆笑問題・中沢新一著、2007/09、講談社)

爆笑問題の二人が多摩美術大学を訪れ、芸術人類学研究所所長の中沢新一さんと話した様子がまとめられている。

NHKの番組が書籍化されたもの。

平易で読みやすく、とても面白い。

中沢新一さんの視点、考え方、多彩な行動のエッセンスが俯瞰できる、素晴らしい入門書だと思う。

吉本隆明さんの世界観、吉本隆明さんが指向する世界普遍との接点も感じられる。

爆笑問題の素直で真剣な対応、太田さんの知力にも驚いた。

言動に目が離せない人達、また増えた...。
posted at 08:58 | この記事のURL
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村田エフェンディ滞土録 [2008年03月01日(土)]
●鎖骨骨折から414日目。 快晴。

梨木香歩著、「村田エフェンディ滞土録」 (角川文庫、2007/5)を読んだ。

ユニークなタイトルの本書の舞台は、今から約100年前の土耳古(トルコ)。

考古学の研究の為にトルコに留学している青年「村田」が主人公。

西洋と東洋が交わる場所で、民族や宗教を超えた友情が、築かれていく。

ケールも大きい。

梨木香歩さんの穏やかで確かなメッセージが、ゆったりと立ち上がってくる。

長い余韻。

赤ワインに例えると、ややスパイシーで、しっかりとしたシラーのよう。

梨木香歩さんの別の小説、「家守綺譚」との繋がりも楽しい。

「村田エフェンディ滞土録」。

豊かで素敵な物語。
posted at 07:35 | この記事のURL
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家守綺譚 [2008年02月17日(日)]
●鎖骨骨折から401日目。 快晴。

梨木香歩著「家守綺譚」(2006/9、新潮文庫)を読んだ。(単行本初版:2004/1)

時は今から百年前、物書きの私「綿貫征四郎」、故人であり友人の高堂、犬のゴロー、隣のおかみさん、和尚、河童、子鬼、狸達の、奇妙で愉快な物語。

淡々かつ悠然と、物語は進んでいく。

四季折々の植物(特に庭のサルスベリの木)、雨、風が、しっかりと描かれている。

「西の魔女が死んだ」とは全く違う物語だが、「穏やかな暖かさ」と、「生きることの尊さ」は、共通項ではないだろうか。

物語の終わりも、実にお見事。

余韻の長い、とても豊かな小説だった。
posted at 17:25 | この記事のURL
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西の魔女が死んだ [2008年02月11日(月)]
●鎖骨骨折から395日目。 快晴。

梨木香歩著「西の魔女が死んだ」(2001/7、新潮文庫)を読んだ。(単行本初版:1994/4)

中学一年生の少女"まい”が、一人暮らしをしているイギリス人の祖母と、日本の田舎でひと夏を過ごす。

草花の描写、少女のココロの揺れ、”魔女”と少女の交流が、とても美しく描かれている。

大切なこと、それは愛、希望、そして何よりも自分自身で決めること。

生と死。

”魔女”の教えは、少女へしっかりと伝わった。

穏やかで、優しい、とても素敵な小説だった。

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梨木香歩さんのお名前は、この1月、「考える人 2008年冬号」、河合隼雄さん追悼特集で初めて知った。

梨木香歩さんは、主人公の少女”まい”のように、豊かな感受性を持った、繊細で魅力的な方ではないだろうか。

素敵な小説家を、見つけた。
posted at 09:07 | この記事のURL
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魂にメスはいらない [2008年01月30日(水)]
●鎖骨骨折から383日目。

河合隼雄著「魂にメスはいらない―ユング心理学講義」(1993/9、講談社プラスα文庫) を、一気に読んだ。

臨床心理学者の故・河合隼雄さんと、詩人の谷川俊太郎さんの対談集。

若き日の河合隼雄さんがユング心理学に挑んだ経緯と過程、そしてユング心理学の現場が、谷川さんとの対話を通じて、活き活きと語られている。

谷川さんの確かな考察と言葉に促され、河合さんの柔軟で深い知性と堅牢な精神が、見事に出ている。

患者の「個」に、一人ひとりの人生に、直接向き合う臨床心理医療の大変さが、とてもよく判る。柔な精神と体力では、到底勤まらない。

谷川俊太郎さんの詩に対する河合さんの解説・解釈も、とても面白い。

「魂にメスはいらない」

単行本は79年3月刊。

約30年を経ても、全く色褪せしていない。

一言では括れない、深い示唆に満ちている。

名著とは、こういう本のことを言うのだろう。

河合さんに感謝。
posted at 07:45 | この記事のURL
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考える人 [2008年01月21日(月)]
●鎖骨骨折から374日目。


季刊誌「考える人 2008年 冬号」(新潮社、1,400円)は、河合隼雄さんの追悼特集号。

「対談 河合隼雄×小川洋子 生きるとは自分の物語を作ること」が、とても面白かった。

単行本になる予定だったという、この対談の2ヵ月後、河合隼雄さんは脳梗塞で倒れ、2007年7月に永眠された。

お2人の深い思索の交差と同調、そして何よりも人間としての器の大きさを感じさせる河合さんの一言一言が、ココロに響いた。

 河合:人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物
    ではなくて機械です。命というものはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾
    を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾してるんだとか、なぜ矛盾してるんだ
    ということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そ
    して、それをごまかさない。

 河合:「望みがない時にどうするか」という有名な話。僕は「望みを持ってずっと傍にいる」こと
    が大事だってさっき言いましたが、「望みがない時はどうするんですか」って聞かれたん
    です。すると僕の目の前におった人が「のぞみのない時はひかりです」。みたらね、新幹
    線の売り場なんです(笑)。


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茂木健一郎さん・梅原猛さん・佐野洋子さん・中沢新一さん・鶴見俊輔さん・よしもとばななさん等の著名人が、追悼文を寄せている。

養老孟司さん他の座談会のタイトルは、まさにその通りだと思った。

題して、「森の中で、大きな木が一本、音もなく倒れた。」

それにしても、「考える人」の表紙の写真、河合さんの笑顔の何と素敵なことだろう。

河合隼雄さんの偉大な業績、そしてこの笑顔を、決して忘れまい。
posted at 20:35 | この記事のURL
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脳と仮想 [2007年11月29日(木)]
●鎖骨骨折から321日目。

茂木健一郎著『脳と仮想』(2007年、新潮文庫)を、読んだ。

2005年の小林秀雄賞。

著者は師走の空港で、5歳くらいの少女の言葉を、ふと耳にする。

「ねぇ、サンタさんっていると思う?」

序章に書かれたこの言葉が、本書の中で、全体を貫く骨格になっている。

少女にとって、「現実」だったサンタクロースが、「仮想」に変ろうとする瞬間。

「現実」と「仮想」の境界は、一体どこにあるのか。

たかだか1リットルの脳が処理する、「現実」と「仮想」。

小林秀雄が見た蛍、小津安二郎監督の映画「東京物語」等、幅広い分野から様々な例をあげながら、論考が続いていく。

科学や医学の枠を大きく越え、哲学的なアプローチも感じられる。

茂木健一郎さんは、「総合力」に大きな関心がある。

『天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣』(朝日選書)という著書もあるし、「総合的な人間力がないと、一芸に秀でない」、という趣旨の発言もされている。

本書は、まさに総合力を感じさせる、豊かで、刺激に溢れた力作、だと思う。
posted at 12:55 | この記事のURL
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音楽を「考える」。 [2007年11月15日(木)]
●鎖骨骨折から307日目。

茂木健一郎/江村哲二著『音楽を「考える」』(2007年、ちくまプリマー新書)を、読んだ。

脳科学者・茂木健一郎さんと、クラシック音楽の作曲家・江村哲二さんの対談集。

とても面白かった。

お二人の会話が、実に見事に共鳴している。

どちらの発言か判らなくなる箇所もあった。

(前略)何か新しい発想が生まれるときというのは、人から与えられるものではなく自分のなかに何かをつかむということですね。それが聴く、耳を澄ますということだと思います。たしかに日常生活で耳を澄ますという行為は、現代の多くの人には忘れられていると思います。 (『音楽を「考える」』から)

これは、江村さんの発言。

耳を澄まして聴くことは、創造的な行為である、というお二人の発言に、なるほどと思う。

フジコ・ヘミングのピアノ演奏は、「演歌調に弾いている」という指摘も、興味深かった。

全体的に、とても豊かで、刺激的な対話が溢れる対談集。

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茂木健一郎さんのあとがきに、こんな事が書かれていた。

現代はやっかいな時代で、あまり世間と付き合い過ぎると、作るものの質が落ちる。かと言って、孤高を気取っていても仕方がない。(中略) こうなったら、ぐずぐず言わずに何か素晴らしいものを誕生させることを志向するしかないだろう。 (『音楽を「考える」』から)

学者やクリエーターだけでなく、一社会人、一個人としても、考えるべきではないかと思った。

仲間とベタベタし過ぎたり、大衆性に過度に浸ることなく、やや異質なものも受容し、新しいものに挑戦し、クリエートする。

時間は有限。

今週末は、多摩サイ(自転車)+モーツアルト!
posted at 12:42 | この記事のURL
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J・Jさんのスタイル [2007年11月13日(火)]
●鎖骨骨折から305日目。

雨の土曜日、コーヒーを飲んでいたら、植草甚一さんに逢いに行きたくなった。

電車を乗り継ぎ、京王線・芦花(ろか)公園駅で降りて、世田谷文学館の「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス」展へ行った。

http://www.setabun.or.jp/index.php

植草甚一さん(1908〜1979)は、映画、ジャズ、ミステリー、欧米文学等に関する軽妙なエッセイで人気のあった方。

ユニークな風貌で、散歩とジャズと読書に明け暮れ、特に60歳を過ぎてからの人気が高かったように思う。

さて、世田谷文学館の入口を入ると、ロビーの一角に、著書や大小のパネル写真が置かれていた。

髭を蓄えたJ・J氏こと植草甚一さんの姿が、何故か懐かしい。

受付で600円を支払い、1階奥の企画展示室に入る。

さほど広くない展示スペースに、写真、直筆原稿、コラージュ、洋書やジャズのレコードのコレクション、洋服、等が並べられていた。

コラージュが印刷された年賀状や、コラージュつきの直筆の手紙もある。

インタビューの録音をヘッドフォンで聴いた。ゆったりとした独特の間合いと、声の艶が、いかにも植草さんらしい。

コーヒー好きの植草さんらしく、コーヒーカップの音まで録音されている。

展示品の全ては、「自由人」植草さんの、favorite things。

全てが、植草甚一スタイル。

久しぶりに触れて、とても楽しかった。

受付の方にお願いして、売店の写真を撮らせて頂いた。

パチリ、パチリ。

「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス」展は、11月25日(日)迄。
posted at 12:30 | この記事のURL
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今日の小川洋子さん [2007年10月28日(日)]
●鎖骨骨折から289日目。

今日の朝日新聞の読書欄、「著者に会いたい」コーナーに、小川洋子さんが出ていた。

記事のタイトルは、「水をたたえ、世界を感じたい」。

短編集「夜明けの縁をさ迷う人々」についてのインタビュー記事。


「素粒子を観測するカミオカンデのように、水をたたえた深いタンクが自分の心のなかにあります。そこにニュートリノのようなものが遠くから前触れもなしに飛び込んできて、何かしら魅惑的な反応が起こる。それを鮮明に見ているのに、1行として満足に書き写せず、1行ずつ失敗していくのが小説です」

「博士の愛した数式」については、「あれでもう一生分売れました」、とさらりと言う。

昨日、ブログに小川洋子さんの事を書いたばかりだったので、全く関係ないとはいえ、何だか嬉しい。

「夜明けの縁をさ迷う人々」というタイトルは、いかにも小川洋子さん的。

これも読まなきゃ。
posted at 17:10 | この記事のURL
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小川洋子「深き心の底より」 [2007年10月27日(土)]
●鎖骨骨折から288日目。

小川洋子著『深き心の底より』(2006年、PHP文庫)を読んだ。(単行本は99年7月刊)

作家デビューから10年の間に発表された、初期エッセイ集。

「小説を書いている時、私はいつでも過去の時間にたたずんでいる。昔の体験を思い出すという意味ではなく、自分がかつて存在したはずなのに今やその痕跡などほとんど消えかけた、遠い時間のどこかに、物語の森は必ず茂っているのである。(中略) そして、出来上がった時どんな形になるのか、はっきりした答えが分らないままに、言葉の石を一個一個積み上げてゆく。」

「小説を書く最大の楽しみは空想することだ、という考えはずっと変わっていない。自分の経験をそのまま小説にするなんてもったいない。自ら楽しみを放棄しているようなものだ。」 (『深き心の底より』から)


講演集『物語の役割』と同様、小説家としての小川さんの想い、主婦(妻、母親)としての小川さんの日常が、実に淡々と書かれている。

静謐。

それにしても、よくぞここ迄、素直に書けるものだと思う。

小川洋子さんの講演やエッセイには、小説を読まずにはいられない、大きな大きな魔力がある。
posted at 17:30 | この記事のURL
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人妻魂 [2007年09月15日(土)]
●鎖骨骨折から246日目。

午後2時過ぎ、自由が丘を歩いていたら、「2時から、嵐山光三郎氏の講演とサイン会があります」、という声を聞いた。

急いで、青山ブックセンター・自由が丘店の中に入る。

お店の奥で既に講演は始まっていた。以前TVで拝見したこともある嵐山センセイが、詩人・北原白秋の3人の妻の話をされていた。

 「中沢新一と横尾忠則と僕は、瀬戸内寂聴さんから、息子と呼ばれている。」
 「(女性にとって)、男は誰でもそう変りない。」
 「(女性にとって)、男は質より量。たくさんの人と付き合って、その中から決めなさい。」
 「浮気はバレないように、こっそりやったらいい。」
 「(独身)女性は相手の部屋で”スル”こと。自分の家に入れない。これが嵐山オフィスの社是。」


大爆笑の30分間。

笑顔がとってもチャーミングだった。

アロハシャツと下駄もお似合いで、素敵な65歳だなぁ、と感心した。

帰宅後、嵐山光三郎著『人妻魂』(2007年、マガジンハウス)を、早速読んだ。

「あとがき」によれば、雑誌「ダカーポ」に「人妻歳時記」というタイトルで連載されていたものらしい。

表紙の帯が、実にお見事。

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人妻→官能→嫉妬→不倫→離婚→再婚→流浪→淫乱→堕落→覚醒→心中→自立→遊蕩→熟成→昼寝

人妻はやっぱりステキです。


漱石、鴎外、鏡花、芥川、安吾の妻、そして白秋の三人の妻、さらには与謝野晶子、平塚らいてう、林芙美子から幸田文、武田百合子まで、明治大正昭和を彩る人妻53人が勢揃い。 (表紙の帯から)
------------------

何とも言えない軽みと洒落がある。

53人の様々な人妻は、総じて逞しく、とても魅力的。

仲良し夫婦、疲れてきた夫婦、悪妻に悩む夫、悪妻(ご本人)、悪妻予備軍、独身女性、それぞれがそれぞれに楽しめる、愉快な本だと思う。

サイン本、家宝にしよう。
posted at 18:25 | この記事のURL
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寄り添う、ということ [2007年07月10日(火)]
●鎖骨骨折から179日目。

小川洋子著『物語の役割』(2007年、ちくまプリマー新書)について、以前ブログに書いた。先日のブログ

書き漏れていた言葉があったので、少し長いが、引用する。

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 河合(隼雄)さんは、『ココロの止まり木』という本の中で、京都国立博物館の文化財保存修理所を見学した折、欠けた布を修復する際に補修用の布がもとの布より強いと、結果的にもとの布を傷めることになる。補修する布はもとの布より少し弱くなくてはいけない、という話を聞き、カウンセリングという自分の仕事に似ていると感じた、と書いておられます。補修する側が補修される側より強すぎると駄目なのです。

 物語もまた人々の心に寄り添うものであるならば、強すぎてはいけないということになるでしょう。あなた、こんなことでは駄目ですよ。あなたが行くべき道はこっちですよ、と読者の手を無理矢理引っ張るような物語は、本当の物語のあるべき姿ではない。それでは読者をむしろ疲労させるだけです。
 物語の強固な輪郭に、読み手が合わせるのではなく、どんな人の心にも寄り添えるようなある種の曖昧さ、しなやかさが必要になると思います。到着地点を示さず、迷う読者と一緒に彷徨するような小説を、私も書きたいと願っています。 (前書から)

------------------------------------------------

補修する側が強すぎてはいけない。対象に寄り添って、しなやかに補うことが大切、と語る。

「人間は社会的動物」と言ったのは、アリストテレス。人は一人では生きられない。人は大なり小なり社会と関わって、生きている。

その多くの人達は、穏やかで、しなやかで、余白のある手助けを求めているのではないだろうか。

読み手の心に寄り添う物語が、小川洋子さんの考える「物語の役割」。

彼女の小説には、何とも表現し難い、静かで、独特な心地よさがある。その理由の一つが判った。小川洋子さんの小説を読もう!
posted at 22:55 | この記事のURL
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小川洋子さんの物語の役割 [2007年06月20日(水)]
●鎖骨骨折から159日目。

小川洋子著『物語の役割』(2007年、ちくまプリマー新書)を読んだ。

講演会で物語について語られた話がまとめられている。小川洋子さんが物語をいかにして造るか、人間にとって物語とはそもそも何か、といったテーマについて、とても平易な言葉で語られている。

読みやすいが、とても深い一冊。

小川洋子さんが小説を創作するプロセスが、非常によく判る。

「(前略)そういう言葉が浮かんでくる訳ではなく、あくまでも映像です」
「映像が頭に中に浮かぶ時には、すでにそれが小説になるというサインなのです」
「自分のための王国の風景をあらありと思い浮かべる。(中略)小説の第一歩を踏み出すためには、そういう鮮やかな重層的な映像が必要不可欠なのです」
(同書から)

写真や情景からインスピレーションを受け、映像が出てきて、小説になると言う。最初からストーリーやテーマがある訳ではないらしい。

「何をテーマにして小説を書こうということに、書き手自身である私は全くこだわっていない」
「言葉で一行で書けてしまうならば、別に小説にする必要はない」
「非常にわかりやすい一行でかけてしまう主題を最初に意識してしまったら、それは小説にならないのです」
(同書から)

アニメ映画監督・宮崎駿さんも、NHKの番組・プロフェッショナル仕事の流儀で、全く同じ趣旨のことを言われていたことを思い出した。一行で伝えたいテーマがあるなら、そう文章に書いたらいい、映画を作る必要はない、と。

お二人は年齢も表現方法も違うが、歴史に残る偉大なクリエーターだと思う。

お二人と同時代に生きていることを、素直に喜びたい、と思う。

小川洋子さんの「博士の愛した数式」も、「ミーナの行進」も、とても素敵な小説だった。小川洋子さんの小説が読みたくなった。
posted at 18:58 | この記事のURL
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「すごい無理。」 [2007年05月31日(木)]
鎖骨骨折から138日目。

作詞家・秋元康著「おじさん通信簿」(2006年 角川新書)を読んだ。

「スポーツニッポン」、「週間ポスト」の連載コラムに加筆されたもの。

前書きに、おじさん度をチェックする20の質問がある。半数以上がYESであれば、間違いなく「おじさん」だという。例えば、こんな質問。
 ・NHKを観ることが多くなった。
 ・同窓会など、昔の仲間に会うことが楽しくなった。
 ・以前より、洋服を買わなくなった。
 ・γ−GTPを知っている。
 ・「ウコン」を飲んだことがある。

周囲にいた8人で、テストしてみたら、YESが半数以下は4名だった。(30代:2名、40代:1名、50代:1名)

YESが半分以上も4名いた。(20代:1名、40代:3名)

おじさんと呼ばれている人、おじさんと呼ばれることに抵抗のある人、おじさんに興味がある人(又はおじさんと同居している人)は、是非是非、お試しを。

-----------------
この本の中に、「おじさん」が、渋谷で見知らぬ若い女性2人組に声をかけた時の会話と、それに対する秋元サンの解説(観察)が面白い。

 おじさん:「ねえ、一緒に飲まない?」
 若い女性:「すごい無理。」

「すごい無理」、という言葉に、大きな驚き(又は、新鮮味)を感じるのが、本当のおじさん、なのかも知れない。
posted at 00:25 | この記事のURL
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脳は疲れない [2007年05月26日(土)]
鎖骨骨折から134日目。

池谷裕二・糸井重里共著、『海馬』(2005年、新潮文庫)、を読んだ。

東京大学薬学部の新進気鋭の脳科学者・池谷裕二さんと、名コピーライター・糸井重里さんとの、脳と記憶をめぐる対談集。

「海馬」とは、脳の部位の一つで、入力された情報の取捨選択と記憶を司っている場所。

糸井さんの縦横無尽な好奇心と巧みな話術が、最新の脳科学の知見と池谷さんの実証結果を、見事に引き出している。糸井さんの、「おおおおおぉっっっっっ!」という驚きは、読者の代弁そのものだ。


例えば;

 ・物忘れは老化のせいではない。子供も大人も物忘れは同じ。子供は忘れても気にしないだけ。

 ・30歳を過ぎると頭は良くなる。今迄の経験の蓄積が有機的に融合し、判断力が飛躍的に増す。

 ・脳はいつでも元気一杯。全然疲れない。疲れるのは眼。

 ・生命の危機的状況を作ると、脳はよく動く。少し部屋を寒くしたり、お腹をちょっと空かせるとか。
  (寒さはエサが無くなる冬の到来のサイン。空腹は飢えにつながる。)

 ・言葉は自分を固定する。「俺は馬鹿だから」と言ったとたんに全ての可能性が終わる。良いこと
  を言うと、その通りになり、悪いことを言っても、その通りになる。

 ・「やる気」を出す最良の方法は、実際にやってみること。「やる気」を生む脳の部位(側坐核)は
  なかなか活動しないが、やっているうちに自己興奮し、やる気が出てくる。

う〜ん、凄い!

知的刺激に満ちた内容が、とても平易に語られている。

27万部を超える大ベストセラーらしいが、とにかく面白かった。

一冊丸ごと、頭に入れておこうと思う。

池谷さんと糸井さんに大いに感謝。
posted at 17:00 | この記事のURL
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ワインの個性と点数評価 [2007年05月14日(月)]
鎖骨骨折から122日目。

左鎖骨の骨折から4ヶ月が経過した。左上腕を上げると、まだ少し痛みがある。時折、鎖骨患部がチクッとする感覚もある。やれやれ。

-----------------
今日、世界で最も影響力のあるワイン評論家は、ロバート・パーカー(Robert M. Parker, Jr.)

パーカーは、「The Wine Advocate」という冊子を、隔月で発行している。広告は一切入れず、中立的な立場でワインを評価する。パーカー・ポイント(PP)と呼ばれるワインの点数評価がとても有名。(WAポイントと呼ぶ方が正しいとは思うが、ここでは便宜上、PPを使う。)

PPは100点満点方式。全てのワインに50点の基準点を与え、その上で、色調と外観に5点、香りに15点、味わいに20点、そして将来の熟成の可能性に10点を割り当てて、加点していく。85点以上はvery very good、90点以上は、outstanding。

ワインの価格に関係なく評価する点は正しいと思う。但し、ブラインド・テイスティングによる評価ではないので、ある程度の先入観が入った上での評価になる。

パーカーの発言やPPの影響力は非常に大きく、高い評価が出たワインは爆発的に売れる。街のワインショップやネットショップでは、PPが金科玉条の如く、販売促進に使われている。

ワインを点数で評価する問題点については、堀賢一さんの2冊の名著、「ワインの個性」(2007年、ソフトバンク クリエイティブ)と「ワインの自由」(1998年、集英社)に詳しい。

堀賢一さんの指摘によれば、ワインの数値評価が比較試飲によって行われるため、味わいが凝縮し個性の際立った判りやすいワインが高く評価される傾向にある、という。生産者がこれに迎合する事によって、世界中で画一的なワインが増え、地域性や多様性が失われつつある、ともいう。

そもそもワインは、世界各地でその土地の自然の恵みを受けた農作物(葡萄)から作られる、多様で繊細な加工品。そして何よりも、個人の好みが反映する「嗜好品」である。人それぞれで評価が違っても不思議はない。

堀賢一さんは、全く同じワインに異なる評点を付けたパーカーのミスを見つけ、それを指摘し、パーカーも認めたらしい。ワインビジネスに対する情熱、造詣、そして確固たる信念が伝わってくるエピソードだと思う。

点数が一人歩きする問題点については、パーカーも自身のホームページで触れている。
Scores are important for the reader to gauge a professional critic's overall
qualitative placement of a wine vis-a-vis its peer group. However, it is also
vital to consider the description of the wine's style, personality, and potential.
No scoring system is perfect, but a system that provides for flexibility in scores,
if applied by the same taster without prejudice, can quantify different levels of
wine quality and provide the reader with one professional's judgment.
However, there can never be any substitute for your own palate nor any
better education than tasting the wine yourself.
 (太字も原文通り)

過日、イタリアワインの試飲会に参加した際、ワイナリーの経営者(イタリア人)に直接質問する機会があったので、パーカー・ポイントをどう思っているか聞いてみた。彼の反応は、「いい点数がついたら嬉しい」。ちょっと拍子抜けした。

批評家の評価にとらわれない(参考にしつつも)、自由なワインの飲み手になりたいと、改めて思う。

ワインの個性を自分自身の五感で感じ、それを楽しむ、呑兵衛になりたい。

ああ、旨いワインが飲みた〜い!
posted at 21:20 | この記事のURL
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