症例47)子宮頚管ガン [2009年11月20日(金)]
■V.B.婦人、36歳、既婚、2人の子持ち。
■家族歴:ガンになったものはいない。
■臨床診断:子宮頚管ガンで手術不能。
■生検および病理学レポート(専門医のレポート)
「1947年2月3日に、それまで1年以上来院しなかったのに、彼女はやって来た。そして『生理が不順で、毎日血の混じった下り物があり、それが数ヶ月続いている』と、訴えた。
生検で、扁平上皮ガンと判った。手術不能なケースだったので、有名な放射繊維を紹介した」
■以前の病歴
17年前の最初の出産の時に、ひどい出血があった。生理は不規則だった。しばしば月に2回出血して、いつもそれが7〜9日続いた。そして最後に類繊維腫が発見された。
1947年手術。
子宮は正常な位置に固定された。それから次の妊娠をし、正常な出産で異常な出血もなかった。
1946年患者は少量の下り物に気付いたが、それは徐々に暗い色で、血のより多く混じったものへとなって行った。
そして前述した婦人科医の検査結果のようになった。また生検の結果も、前述の通りだった。
1947年4月
患者はラジウムとX線の治療を受けたが、これは続けられなかった。下り物は一時的に止まったが、6週間前からまた始まった。血と多くの膿が混じっていて、この時に不妊手術を受けた。
■1947年9月3日ゲルソン・クリニックでの初診時の状況およびその後
婦人科医の検査で潰瘍化した大きな腫瘍が子宮頚管にあり、血と膿で覆われ、触るとすぐに出血するのが判った。そこで、それ以上の検査はやめた。同時にインスリンの過剰分泌症の傾向があったが、これは5週間の通常の治療で治った。
1949年7月には下り物と痛みがなくなった。胸焼けのような感じと一緒に、患者には胸と上腹部に痙攣が起き始めた。私の食事療法は続けていたが、「何も私をよくしてくれない」と、訴えた。
神経的なふさぎと興奮が悪化し、眠れなくなり、泣いた。
生理は以前のX線治療開始以来、止まったままだった。
激しい動悸と共に熱間や発汗が現れた。
性ホルモンは投与せず、大量のカリウム剤を与えることが再び役に立った。性ホルモンの投与はガンを最活発化してしまうのを、私は何人かの患者で観て来てからである。患者がガンの症状やその他一般的なトラブルから、1年のうちに完全に開放されないからといって、同性あるいは異性の性ホルモンを投与することには、私は非常に躊躇したし、いまも躊躇している。
■1949年9月16日 婦人科検査のレポート
B婦人の検査では、骨盤や腹部に触知されるような再発の証拠は観られない。膣壁は完全に繊維化されている。どこも病気に侵されてはいない。骨盤全体の検査も、同じく白である。
右の子宮付属器の周辺に軽度の過敏な場所があるが、肥厚している場所も骨盤の腫瘍もない。嬢腹部にハッキリと触知できるものはなにもない。
したがって私は、この患者の骨盤や腹部に現在再発はない、と考えている。
以後、何年も患者は良好な状態で、再発やその他の病理学的なトラブルは全くなしだった。
1954年6月23日 彼女からの手紙
「私は本当に素晴らしい状態だとお伝えできる事を、嬉しく思います。私の体の状態は24年前に最初の子供を生んだ時以来この方、多分、一番いい状態です。数ヶ月前は完璧な状態でした。唯一のトラブルは、胃に痙攣状態が起こることですが、それも今はありません。いえ、今に限らず、前のような状態の再現はあれ以来1度だって経験していないのです」
1957年8月5日 最後のレポート
心身ともに非常にいい状態と云うもので、「素晴らしく健康です。昔の状態について思わず笑ったり、心配したりする理由が、私には解りません」と、書いて来た。
■家族歴:ガンになったものはいない。
■臨床診断:子宮頚管ガンで手術不能。
■生検および病理学レポート(専門医のレポート)
「1947年2月3日に、それまで1年以上来院しなかったのに、彼女はやって来た。そして『生理が不順で、毎日血の混じった下り物があり、それが数ヶ月続いている』と、訴えた。
生検で、扁平上皮ガンと判った。手術不能なケースだったので、有名な放射繊維を紹介した」
■以前の病歴
17年前の最初の出産の時に、ひどい出血があった。生理は不規則だった。しばしば月に2回出血して、いつもそれが7〜9日続いた。そして最後に類繊維腫が発見された。
1947年手術。
子宮は正常な位置に固定された。それから次の妊娠をし、正常な出産で異常な出血もなかった。
1946年患者は少量の下り物に気付いたが、それは徐々に暗い色で、血のより多く混じったものへとなって行った。
そして前述した婦人科医の検査結果のようになった。また生検の結果も、前述の通りだった。
1947年4月
患者はラジウムとX線の治療を受けたが、これは続けられなかった。下り物は一時的に止まったが、6週間前からまた始まった。血と多くの膿が混じっていて、この時に不妊手術を受けた。
■1947年9月3日ゲルソン・クリニックでの初診時の状況およびその後
婦人科医の検査で潰瘍化した大きな腫瘍が子宮頚管にあり、血と膿で覆われ、触るとすぐに出血するのが判った。そこで、それ以上の検査はやめた。同時にインスリンの過剰分泌症の傾向があったが、これは5週間の通常の治療で治った。
1949年7月には下り物と痛みがなくなった。胸焼けのような感じと一緒に、患者には胸と上腹部に痙攣が起き始めた。私の食事療法は続けていたが、「何も私をよくしてくれない」と、訴えた。
神経的なふさぎと興奮が悪化し、眠れなくなり、泣いた。
生理は以前のX線治療開始以来、止まったままだった。
激しい動悸と共に熱間や発汗が現れた。
性ホルモンは投与せず、大量のカリウム剤を与えることが再び役に立った。性ホルモンの投与はガンを最活発化してしまうのを、私は何人かの患者で観て来てからである。患者がガンの症状やその他一般的なトラブルから、1年のうちに完全に開放されないからといって、同性あるいは異性の性ホルモンを投与することには、私は非常に躊躇したし、いまも躊躇している。
■1949年9月16日 婦人科検査のレポート
B婦人の検査では、骨盤や腹部に触知されるような再発の証拠は観られない。膣壁は完全に繊維化されている。どこも病気に侵されてはいない。骨盤全体の検査も、同じく白である。
右の子宮付属器の周辺に軽度の過敏な場所があるが、肥厚している場所も骨盤の腫瘍もない。嬢腹部にハッキリと触知できるものはなにもない。
したがって私は、この患者の骨盤や腹部に現在再発はない、と考えている。
以後、何年も患者は良好な状態で、再発やその他の病理学的なトラブルは全くなしだった。
1954年6月23日 彼女からの手紙
「私は本当に素晴らしい状態だとお伝えできる事を、嬉しく思います。私の体の状態は24年前に最初の子供を生んだ時以来この方、多分、一番いい状態です。数ヶ月前は完璧な状態でした。唯一のトラブルは、胃に痙攣状態が起こることですが、それも今はありません。いえ、今に限らず、前のような状態の再現はあれ以来1度だって経験していないのです」
1957年8月5日 最後のレポート
心身ともに非常にいい状態と云うもので、「素晴らしく健康です。昔の状態について思わず笑ったり、心配したりする理由が、私には解りません」と、書いて来た。
いーね♪
ありがとうございます!!
またきます。
中国人船長を釈放しちゃいましたね。今回の件で日本の中国依存体質が明確になり、日本は中国にいろいろ弱みを握られているということが分かりました。
今が良いチャンスです。
日本は、菅総理は、今こそ攻めの外交で尖閣は日本の物と中国および世界にはっきり認識させなければなりません。
今日は猛暑から一転、急に涼しくなりましたね。
夏はシャワーですごしていましたけど、今日は久しぶりに湯船を使ってみたくなりました。不思議と鍋料理も食べたくなりますね。秋を感じる今日この頃です。
今日はコメントさせて頂きますと、そうですねぇ、
最近気になるニュースは検察官が証拠隠滅で逮捕された件ですねぇ。その気になれば無罪の人も有罪に出来るってことですよね?すごく恐ろしいですね。
何人もいるんですかね?でっち上げで投獄された人って。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
失礼しました。
ありがとうございます。