☆ since 23.Mar.2007 ☆

楽しい毎日に 『感謝』

読み逃げ歓迎! 皆様 いつもありがとうございます

現在、第2子妊娠中
2周年 1000記事目指して 少々爆進中!!!

内容は薄くても(笑) 1日1ネタが当面の目標デス

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♪chakra's diary♪
♪THANK YOU♪
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けぇ〜ぃきぃぃぃぃぃ〜凹 (03/04)
仲が悪いわけではないのだよ… [2008年04月09日(水)]
この前の土曜日、祖父の17回忌でした
そしてこの日は実家の母の誕生日でもありました

ワタシたち姉妹は父の日、母の日のプレゼントは用意します
(生前の祖父母たちへは敬老の日)
誕生日ってあまり重要視しない家なんですよね
姉妹間でもメールでおめでとうって感じで

母との関係でも綴ってきましたが (カテゴリ;my parents)
忙しい母なので祝ってもらった記憶もなければ
誕生日に余分にお小遣いをもらったくらいで、それが普通でした

ま、そういういわゆる年忌では父方の叔父叔母に久しぶりに会え、
1歳半に成長した娘をいじられたり
2人目はまだかとかそういう話は定番でしょう

そこで 叔母が母親に当然の如く ワタシと娘が顔を出す頻度の話題に
「この子たち、しょっちゅう来てるんでしょ?」と

「この子なんて正月以来ここに来てないよ」
その叔母の娘(ワタシの従妹)は毎日顔を出していたせいもあり
普通に尋ねるわけです
一度父の快気祝いを我が家に届けてくれたことがあったくらい
そんなワタシたちを不思議そうに見るわけなんですよね

これだけ実家が近いとそう思われるのも無理ないですが

すかさずワタシは、近いからこそいつでも来れるという気持ちと
「言っとくけど、仲が悪いわけじゃないからね

そしてすかさず母も
「あ!そこしっかり強調しといてー

傍から見ればドライな母娘関係に思われそうですけどね

それでもあまり実家に帰らない娘を気にして
片付けている時に本当の理由をこっそり聞いてきましたけど

居間を占拠している父の椅子、リハビリ器具
冬は石油ストーブをガンガン焚いている部屋だったりしたので
(昔ながらの家なので、他の部屋は超寒い)

春になったのでもうちょっと顔を出さないとな〜
母の面目が保たれない???

そして託児の話をすると
「本当なら実家の母親が孫を預かるものだよねー

そんな忙しい人に 娘は託せませんって
posted at 07:25 | my parents | この記事のURL
コメント(2)
母との関係F [2008年02月09日(土)]
産後、実家に帰っても意地になって
一度たりとも娘のお風呂を母親に頼まなかった
そんなワタシ

母親に「アンタ、しゃがめるの?」

へへん、大丈夫さ

本当に粗末な文章で
申し訳ないと思いながら感謝しております

母親には『優しい言葉』がないかわりに
母親の背中から見た考え方や
正直であることの大切さ
いろんな意味で教わりました



そうこうして数日延長して、自宅に戻ります

母親の兄弟がまだこの家に来ていないのに…
でもいつ来るかわからないから
そう言って、ワタシが実家に滞在したのは2週間
(ワタシが帰った翌日に来ました)


バツが悪かったようです


母は時間さえあればよく笑う人です
ただ普段は やはり眉間のシワ

そして、そこで母親の兄弟から預かったお祝いの品や
こちらの義両親へのお願いも兼ねて果物やお菓子など
たくさんのものを持って来たのが翌々日

「くれぐれもよろしくお願いします」
罪悪感から涙が出そうでしたが

とはいえ、母同士はとても仲が良い
ワタシの前でもそうでなくても
いつも笑顔で話がとても弾んでいます♪

「どうせ向こうのお義母さんのがいいんでしょ」
なんて拗ねていますが
ワタシにとって母も義母も必要で
言葉は失礼ですが、全く別物だと思います


義母は友達に近く、ただその度を外しすぎて
よく反省することがあります
見た目も実年齢も母よりも少し若い義母ですが
同じように義両親の苦労を抱えていただけに
ワタシの母の態度も理解できるそうです
ただ「ちょっと厳しいよね(笑)」とは言っていますが



料理も これってどうやって作るの?って聞いても
「とりあえずいろんなもの入れてみて
自分でやってみなさい そうすれば覚えられるから」

そうとしか言ってもらえませんでした

褒めてもらいたくて、手伝いしようと手を出しても
やはり時間が惜しい母にとって
見ていてイライラするらしく
時間もかかり、煩わしいのか
結局「もういいからあっちに行ってて」
そうなりました


冷たい言葉ではありますが
それでも今ワタシは主婦をしています
料理も正直、義母に聞くことが多いですが
その分、義母とのコミュニケーションも図れ、
デキの悪い嫁ほどカワイイと思ってもらえていると
ワタシが勝手に思っています (そうとう前向きな解釈ですが)

お金のこともおかげで、今は全く苦労をしていません
厳しい母親の元、とても感謝しています
楽してお金を得てはいけない
そう教えられました

野菜などの農作物も
暑い日も寒い日も家族が作っている姿をみたからこそ
大切に食べなければいけない

正直でいなさい
きちんと自分で決めたことはやり遂げなさい

おかげで要領は悪くても、正直でいる自分です

そして今は少し敵役になっている母ですが
ワタシ1人、歳が離れている姉妹の中で
長い間2人の姉の間に入れなかったのです
それでも母がターゲットになることで
姉達とすごく仲良くなれました

少々強引ですが、
好かれよう好かれようとする上司よりも
厳しい立場や嫌われ役に徹してくれる上司の元には
みんなの団結力がある、みたいな

んー やっぱり強引だな



ワタシの母は太陽のような存在ではありませんでしたが
こうして丈夫な体と健全な心(自己判断)に育ててもらえました

お弁当にも冷凍食品を入れられたことはなかったし
インスタント麺やファストフードも食べさせられなかった


母がある日言ったこと

娘達にさみしい思いをさせているかもしれない
でも働いている私の後姿を見て育って欲しい




学生時代に甘えられなかったことで
弁当の代わりに500円もらって来る友達や
雨だから風が強いからと車で送迎してくれる友達が
心底羨ましかった

でもそれが 何?

今思えば大したことじゃない(笑)

実家が近いと甘えられていいね〜とか
野菜がいつでももらいに行けていいね〜と言われることに、
ただ納得がいなかっただけのことです


結果的に、

今の自分があるのは

過去の自分がいたから


素直にそう思えます

ワタシが母の愛情に飢えた人間であるだけなのか

確かに母からの優しい言葉が欲しい時もあった



でも今、ワタシはとても幸せである



ダンナちゃんと喧嘩して一度実家でぼやいた時も
「どうせアンタが悪いんでしょ?
○○くん(我がダンナ)が悪いわけがない」

追い返されました

帰る場所は実家にないけれど
今温かい家族があります



最後にもう一度

今のワタシは幸せモノです
posted at 21:23 | my parents | この記事のURL
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母との関係E [2008年02月08日(金)]
何を甘えたことを

ぬかしとるんじゃーい


叱られコメントが来るかも?って
ちょいとビビっておりました

自分が思うより
「自分も母親に甘えられなかった」という
たくさんのコメントを頂いたおかげで、
自分の周りの中でも軍を抜いて厳しいと思っていた
我が母のことも
もっと広い視野で考えられるようになりました

本当に綴ってよかったと思っています

確かに 尊敬している母
されど 複雑で悶々としている日々

この気持ちを良い方向に変えたいと思い、
こうして勝手な気持ちや根に持っている思い出を
振り返ることで
こんな暗い自分と

おさらばぢゃ

というわけで 続きです


目の前に積まれた用事を

バッサバッサ と 斬るようにこなす母

優しさを感じません
その反面、すごいなぁとも思います



長年の性格はそう簡単に変わるものではありませんしね
母が続けてきた生活は本当に『多忙』


さて、産後の話です

退院後一度自宅に戻って入院時のものと
そして実家に持って行くもの片付けと準備

夕方6時頃に着くように行く、と連絡したものの
慣れない赤ちゃんとの移動
授乳のタイミング、赤ちゃんと離れるのが名残惜しそうな義両親
そうこうしているうちに約束の時間より30分遅れての到着

実家で母、イライラ

夕飯ににゅうめんを用意してくれていたので
麺がのびのび…
それに着いて早々、お仏前で手を合わせていたら
そんなことはいいから、早く食べて
アンタが6時って言ったからそのように用意してたのに…」

のっけからイヤな予感

遅れたのは申し訳なかったけど、
仏前を前にそんなことって

まずダンナちゃんがそこでカチン



夜も更けて、母親と2人で他愛のない話をするうちに
これについては内容は書きませんが
ちょっとヒドイことを言われて
大泣きしてダンナちゃんと赤ちゃんの元へ

そこでビービー泣くワタシを見かねたダンナちゃんは
我が母に
産後なんだから、
もうちょっと優しくしてあげてくれませんか?
精神状態も普通じゃないんだし


「あの子がいつまでもそんなことで怒っているから」、と
ヤレヤレって顔でしたが
ダンナちゃんの優しさに少し救われました

何を言っても、産後だからで片付けられるのも
本当に困りました (産後じゃなくてもアカン時はアカンのじゃ)
その後、母はいつもより優しく接してくれましたが
問題はまだまだ…

途中親戚を大勢呼んで、一度に挨拶を済ませたいと
祖母の納骨をワタシの滞在している間に設定し、
「なんか疲れさせちゃったから○○くん(我がダンナ)に悪かったね」
に、またもダンナちゃんはプチン

オレじゃないだろーが 疲れるのは!

もちろん口にはしませんでしたが

そして問題の出産2週間後
この日に帰る話を何度もしていたのに
その2週間後になって「そんなことは聞いていない」
普通は1ヶ月実家に身を置くもんでしょ、と逆ギレ

「だってあの子がハッキり言わないから〜」と

え?ワタシのせいかよ

何度も言っていたのにと、しかもワタシのせいにして
そのことにまたもダンナちゃんは腹を立て、
実家にいると可哀想だからと
早々とお義母ちゃんにワタシ達の面倒を託していたので
その週末まで滞在延長にがっくりしたのはダンナちゃん

その時のダンナちゃんの落胆ぶりと言ったら…

すまんのぉ

会社帰りにワタシの実家に寄る事が苦痛になってしまった
近いのにね

ダンナちゃんは今でこそ何てことありませんが、
この時ばかりはワタシの実家を嫌いました




長いな〜 続くけど
posted at 09:52 | my parents | この記事のURL
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母との関係D [2008年02月07日(木)]
さてワタシの気持ちはまとまるのか???

多分無理

今回は母親への少し根に持ったできごとのお話です



忙しすぎるゆえ、せわしない母親と
だらしのないワタシのエピソード


ワタシが怪獣を出産する前から決めかねていたこと

里帰り出産

再三、読んでいただいている方はご存知でしょうが
実家はあまり帰りませんが、すぐ近くです



母は祖父母がやっていた農業を継いでいます
もともと大きな農家の娘だった母は
祖父母がやっている時から
仕事をしながらも休日手伝っていました

ワタシの父は脳梗塞で倒れる前から
あまり農業は好きではない様子で
耕したり大きな機械を使う時は率先してやっていたけれど
主は母です

地元の農協系のスーパーでも産直に出しています

60歳で退職した後もジッとしていることはありません



そんな母なので朝も昼も夕方も畑やそのスーパーに走り、
野菜たちを洗って、縛ってなどをしたり
もちろん畑の様子を見に、頻繁に車を走らせます

だから 躊躇していたんです

でも里帰りはしてもらう、ということは決めていたようで
何も遠慮することはない、とそんな態度でした

というわけで、2週間後にちょうど2週間健診があったので
無事産んだらその後2週間だけお世話になって
健診後は自宅に戻ろうと決めました





出産の時も、ワタシは17時間かかったので
(子宮口がなかなか開かなかったけれど安産です)

「娘さんの頑張り次第で、あと1時間で生まれます」
という助産師さんの声に、まだ「1時間もかかるの!?」と
困った様子の母親

姉達も自身の出産の時に、母親に無理を言われ
産気づいた際に「今日は困るのに」「今日はやめておいて」
という話を聞いていたので、
やっぱりか…
後日談ですが、想定内

そして生まれてからも 「じゃあ、帰るから」と
産直があるから急いでその場を去りました
もちろん毎日は来てくれましたけど、結構ショック

出産直後
「生んでくれてありがとね」と涙してくれたのは
お義母ちゃん
(ダンナちゃんは大興奮で終始ニッコニコ)

実家の姉とその娘(姪)も待機してくれていて
「遅いよ!○○(ワタシの愛称)、退屈だったよーーー」
と姪にほざかれましたが



話、それた



というわけで、結構母が取る行動は

やっつけ仕事的 だと
よく感じていました




Eに続く…まだまだだな
posted at 06:33 | my parents | この記事のURL
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母との関係C [2008年02月06日(水)]
次のお小遣いまでお金貸して〜、ということも
姉妹の中でワタシだけ言わなかったとか…

ま、そんなお金の話は今回ナシで

母との思い出を振り返りながら
母と娘の関係を見出す


Cへと続きます



母はワタシが20歳の春、母は50歳
乳がんを患いました 

病状は中期で
県のがんセンターか市民病院
先になるとのことで乳腺外科を紹介してもらいました

その時、短大の卒業式と就職を間近に控え
病室に行っては母と2人、おいおい泣いておりました

今死なれては困る
まだ何も1人でできやしない

そう思って涙が止まらなかったことを思い出します

そう 今思い返しても情けないことで
泣く以外にできなかった愚かな娘

母は卒業・就職を前にただ病院にいることに罪悪感を抱き
祖母から言われた思いやりの欠片もない言葉を反芻していた

それを共に怒り、そして泣き

そんなこんなでワタシは新社会人になった



思い起こせば
ツライ部活もツライ職場も絶対にやめろとは言わなかった
自分で決めなさい、ということだろうか

就職先も大手以外に許さなかった母の気持ち
全く理解できなかったが、今はわかる


結婚するときも 早く片付いてほしい(当時31歳)
それは正直な親心?

ま、それはいいとして(笑)

披露宴は絶対にやってもらう
お金はアンタ持ってるだろうから任せる
(ご祝儀は頂戴いたしました)


長いこと実家にいた身 当然かな



話が飛んで 産後の話…
コレが一番つらかったなぁ






続く


posted at 08:54 | my parents | この記事のURL
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母との関係B [2008年02月06日(水)]
思いのほか、皆さんからコメントをいただくことで
霧中から抜け出せそうな気配が
皆さん ありがとうございます

母への想い
敬意を表して
感謝を込めて
振り返ってみる

思い返しても感謝しかない
ただ愛情を感じたことがない

思い起こしても
笑顔よりも 眉間のシワ

それでも母は偉大ナリ

本当に偉大なる母なのです



今回は自分の恥をさらすような内容になっております



今回はこんなことがあったなぁと
振り返るだけになりそうですが



小学校の時に お年玉で文房具をオトナ買いして
めっちゃくちゃ叱られた
「お年玉は私達親が他の子にあげるから
アンタが貰えるんだからね」

エレクトーンを習っていたが、部活への比重が傾き
練習が疎かになって 行くのをためらって
初めてサボろうとした時に 見つかった

仕事を持っている母親に見つかるなんて
まずそのときはありえないと思っていたけど
そういう勘みたいなものは本当に鋭い人で

あなどれんわー そう思った

辞めるならフェイドアウトは許さない
自分の口できちんと辞めることとお礼を言ってきなさい


親が働いて出している月謝 そして当然の礼儀
当たり前のことなのですが それができなかったワタシ


中学・高校と部活(剣道)にのめりこみ
お金がかかる現実
どちらも公立でしたが、県大会出場常連校
そしてどちらもベスト8止まりでしたが

試合・遠征など 遠出すれば多少余分なお金が必要

体が不調を訴えれば病院代

竹刀は使えばひびが入る
(後にカーボン製になったが、これがまた高額)



母親に「○○が必要なんだけど、お金…」
これを言うのがとてもイヤだった

部活のコト以外にも髪の毛を切るだけに行く美容院
学校で買うように指定されたもの とかね


お遣いに行けばお釣りはもらえる
送迎を頼めばどこでも車で向かってくれる

そんなことがとても恨めしく思った
(どこまでもどんな天候でもケッタで走りましたね〜)
ケッタマシーン=チャリンコ

おかげで逞しく育っているのですが 感謝



高校の時も母にお弁当を作ってもらっていた
けれど母が作れない時
自分で作って持っていかないのなら
お小遣いから自分でパンでも買って食べなさい

恥ずかしいけれど そんなダメな娘だったワタシ

仕事を持っている母親への負担の軽減が
まるでできなかったワタシ


まだ子供だからといえ
ここに書くのが恥ずかしいほど
何もしない娘でございました




で、勉強も…
優等生だった姉達に比べ、ワタシはお金のかかる短大へ
(しかもアパレル系 全然活かされていない)

頭が悪い上にお金を余計に払わせている
この上ない罪悪感…

受験費用も返済しました 4校分

とにかく親が納める学費以外にも必要な材料なども多く、
通学定期代も含めて、親に請求はできませんでした
(倒れるほどバイトしてました 金の亡者と言われるほど)



学生の本分は何処へ???




ありゃりゃ  母へのことが 自分の醜態だけに!!ゲゲゲ




Cへ続いちゃいます
posted at 08:49 | my parents | この記事のURL
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母との関係A [2008年02月05日(火)]
母親に甘えられない自分を問う
思い返すために書き始めました
終焉はどう迎えるのか
我ながら予知できません

ただ 母親を嫌いではない
とてつもなく尊敬している

そこはブレないので安心(?)してください

というわけで @の続きです




幼い頃、父は車のセールスでバッカバカ売りさばいていて
夜になると活動し、逆に昼間は自宅にこっそり帰ってきて
寝ていた姿を見たことも…
当然夜は遅く、酔っ払っていない父の姿は覚えがないくらいで
日曜日は(接待という名の?)ゴルフだったり、家にいない人でした


仕事も持っていて、姑がいて、娘が3人
母は心身休まることはなかったと思います
今思い返しても母親が落ち着いて座っている姿は相当遅い時間でした

昔の母親ってみんなこんな感じだったでしょうか

祖母はいわゆる「嫁いびり」をしていたタイプ
小さい頃は私達姉妹もまったく気付きませんでしたが

というわけで、母親に話を聞いてもらったり、褒めてもらった
そんな記憶はほとんどありません
身内を褒めることは恥ずかしい、とさえ言っていた人です

自分にも厳しいけれど 人にも厳しい
甘やかすことをしない とても真面目な母

酔っ払って帰宅する酒乱じみた父に対し、
帰ってくるのが怖くて怖くて
子供達を連れて出て行こうかと思ったことも何度かあったそう

そんな母はいつも頑張りすぎるほど頑張っている

よく鮪は止まると死ぬ、とか?
この人は止まると死ぬんじゃないか?
そんな感じでしょうか (どんな感じだ?)

手を抜くことを悪とする
それでも『忙しい』ということを理由に
あまり突っ込んだ話をすると キレる

忙しいからしかたない

母親の隙を見てしか相談できない
話もできなかった

だからかもしれない

母親がいつもイライラカリカリしているのを
間近に見ていて
顔色を見つつ
実家で31年一緒に住んでいて

思えばイライラカリカリさせてたのは
ワタシにも原因があった

母親のせいではないんだ

甘えられないのは自分にやましい、というか
自分が母親の負担を軽減できていなかったから

ん〜 ちょっと見えてきたぞ




またまた続く…
posted at 00:51 | my parents | この記事のURL
コメント(18)
母との関係@ [2008年02月04日(月)]
ワタシは今や同居の義母の方にすっかり甘えておりますが
実は実家の母には全く甘えられないという特異体質のようです

正真正銘、実の母親です

ワタシは3人姉妹の末娘で 上2人は年子
そこから4つ下になります

一番上の姉は性格は…強いのか弱いのかよくわからない人(笑)で
よく朝礼でバタッと貧血で倒れるタイプだったし
か弱く、ストレスで胃を壊したり、
他にも神経内科系の病気を持っています
でも責任感が強く、『跡は私が取るから』と
妹2人に早くから 安心して嫁に行けと口にしていました
今は養子さんをもらって両親と同居しています with一人娘

真ん中の姉は一番最初に結婚して
県内ですが少し離れたところに住んでいます
芸術センスはこの人に全部持っていかれた〜と
ワタシは強く思っています
それを活かした職業に就き、
夫婦で事務所を興してデザインの仕事を2人でやっています

ワタシが生まれて1歳半で母は仕事に
ワタシは同居の祖父母に保育園に上がるまで育ててもらいました
姉達は洋裁や編み物をする母の横で本を読んでいたらしいのですが
ワタシはというと農業をやっている祖父母の横で
にんじんの葉っぱをかじったりしていたとかいないとか

完全なる野生児と化しておりました



続く…
posted at 09:56 | my parents | この記事のURL
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父が脳梗塞に…E [2007年12月28日(金)]
先回実家に行ったのは旅行に出かける前日の12月8日
2つ隣の市とはいえ、車で10分です
近いこともあり………って、あまり行ってないんですよね
いつでも行ける、と思うからなんでしょうね

結論を先に…

日付が変わったので 今日なんですが
父が退院します

前回書きましたが、脳梗塞のリハビリを終え、
すぐに肝臓がんの治療に向かうべく別の病院に入院するはずが
手違いで遅れていて、
なぜかワタシの知らない間にその遅れていた入院がなされ、
無事手術を終えて退院だそうで 姉からメール

今回は「3つ」やっつけたとのこと
3度目の今回は前回・前々回同様開腹しない手術でしたが、
今回の「3つ」のうちの1つがそれではやっつけられず、
股関節からカテーテルを入れて…というわけで、
いつもよりも入院期間も長くなっていました
(詳しい処置内容についてはワタシは聞かされておりません)

実際何日に入院したかは実は知らないんです
でも毎週末には外泊届けを出して、家に戻っていたようで
まわりはバタバタしていたようです

怪獣ちゃんがインフルエンザの予防接種の2度目を受けて
未だ2週間も経っていなかったこともあり、
免疫が定着していないだろうし、この通り風邪の症状が出てきたので
お見舞いは避けました
顔を出しに行こうとしたある日は、姪っ子が高熱を出していたので
これまた取りやめました

入院して3週間、と23日(日)に本人から突如メールが来たので
「何言ってんだ?」と思っていましたが
半月前に会った時には実家だったのに
やはり本人の勘違いで、結局いつだったのかわかりませんが
ま、とにかくお正月は自宅で迎えられるというわけです
(お盆は病院でした)

でも心配なのは 実家の母と姉です

またも入院中振り回されっぱなしだったのですから
母は諦めていますが、姉は体が丈夫ではないのでやはり心配
お義兄さん(この姉の夫)になかなか会えないので
実のところはどうなのかなって思うんですが…

お正月、お酒を飲まずに過ごせるのだろうか???
みんなはどんな顔して飲むんだろう???


リハビリの病院を退院して1週間経った頃、父の顔はまんまるで
病院の糖尿病食から開放されたせいか おいおい
リハビリも入院中ほどはもちろんしていなかったのでしょう

ワタシが今月から仕事で行っているスポーツクラブへ入会したいと
懇願してきている

脚を引きずりながら近所を歩くのは嫌!なんだそうで




なかなか言うことを聞かない父ですが
今後もいったいどうなることやら…


ご心配をおかけした方々にご報告まで

とりあえずは 『無事』 で ございます
posted at 00:44 | my parents | この記事のURL
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父が脳梗塞に…D [2007年11月12日(月)]
父親が今日で67歳になりました



が、



再入院です

何回目かの記事に書きましたが、実はこの父親、
もはや持病と化しておりますが、肝臓がんも抱えております


2度ほど 癌細胞を焼く手術をしております
3度目が決定していて、もうすぐ………という時に
脳梗塞に倒れた次第です

重複しますが
肝臓はご存知の通り、「沈黙の臓器」であります
持病の慢性肝炎のおかげで、その定期で診てもらってるため
エコーで早期発見されたのです
2度はお腹に針を刺して、開腹せずに行われたため
まだ現状を甘く見ているせいか
特に自分の生活を改善しようとする気配が本人にはありません
体力も落ちないし、退院も短時間だし
「こんなもん、もぐらたたきと一緒だ(笑)」とのたまっているだけです

ですが、今回はカテーテルを入れるらしく
入院期間は2週間くらいらしいです


らしい…?


Cの記事にも書きましたが、
酒をやめない、という一言にカチときたワタシは
時間を作って父親に会いに行くのをやめてしまったのです


ワタシ、薄情ですか?


何度も説得したし、話もしたんですよ
みおんを預けてね
頭ごなしでは良くないからと、自分なりに一生懸命…

で、しばらく顔を出さないので
実家の姉には事情を話しました
でも特にワタシの気持ちは響いていないようです


残念!!!であります(怒)


肝臓の治療と脳梗塞のリハビリの病院は違うので
リハビリの病院に入院中は肝臓の治療ができないとのこと
リハビリに専念している間の2、3ヶ月は延期しても
それほど癌の進行に問題はないということで
リハビリの病院を退院した後に行うことは決定しておりました

10日の土曜日に退院して、自宅に戻り、
今日改めて最初に運ばれたところに入院です

土日は早くから外泊していたので
自宅での生活には慣らしていたようですし、
特に大きな不便はなさそうです



このDで完結すればよいのでしょうが、
こればかりはわかりません

父の改心………した報告などもしていきたいんですけどね




この薄情な娘:ちゃくらは
本日また 託児付きのヨガスタジオで
自分磨きに励んできました


こんな人間でスミマセン
posted at 15:15 | my parents | この記事のURL
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