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体の浄化作用を回復せよ! [2009年10月07日(水)]
P.62第5章 理論より

 私の理論は、ガンの一般的科学理論を意図したものではない。また自分の理論を他の理論や解釈と比較してみようとするつもりも、私には無い。医者が適切なガン治療を実施するうえでのガイドとして役立つことのみを目的としたものである。


P.38
 本章の結論に対して、読者こんなふうに訊きそうである。
「ガンやその治療を考える上で全体的観点と言う立場からは、我々(ことに医師)はどう云う考え方で対処すればいいのか?」
 この疑問に私は次のように答えたい。ドイツでの国際腫瘍治療総合会議で明らかにされたように、体全体の全ての代謝に有害なことをすることによって、基本的な生命のプロセスに病気以前のダメージ≠与えてしまうことがあなた方の問題なのだ、と(註18)
註18:シークムンド教授『腫瘍患者の療法』(1953年)

 ミュンスター大学のシーグムンド教授は、こういう代謝への有害なダメージは、近代文明が作り出したさまざまな一般的条件として、いまでは既に起きているものであり、それは単に前ガン段階であるだけはなく、人体の病的な全般的状態となっているものだと指摘している(註19)。
註19:同書(277ぺ−ジ)

 だから治療とは、こう言う生命のプロセスの全てを是正するだけ深く浸透する、効果のある治療でなければならないことになる。そして全般的な代謝が是正されれば、他の全ての器官、組織、細胞もそれによって正常な機能を回復するように、仕向けることが出来る。
 これらは次のようなことを意味している。つまり、治療とは体の全ての部分で表現されている肉体全体の機能を問題にすることによって、あらゆる点で肉体全ての回復を図るものでなければならないと言うことである。さらに、それによって、肉体全体の生物学的システムの調和が回復される治療でなければならない、と言うことである。この複雑な課題を解決するための具体的な治療方法は第25章、26章で後述する。
 ただここで特に言っておきたいことは、こう言う治療は、2つの基本的な課題を解決するものだと言うことである。
 第1には肉体全体の解毒作用を促すことで、これをかなり長い時間にわたって続ける必要がある。つまり腫瘍が全部解消され、体の主要な器官が体の浄化作用≠ニ言う重要な機能を磁力で果たせるようになるまでは、続けなければならないからである。この浄化の効果が必要なレベルまで上がらない場合は、全身が増え続ける有害物質の犠牲(ぎせい=いけにえ)にされ、病的な結果(肝性昏睡)にも見舞われる。
 第2には、同時に消化器官全体の機能が回復されねばならない。そしてこれに伴って、内臓神経系によってコントロールされている循環器や臓器の働きと共に、最も重要な分泌の機能も回復されてくる。このようなやり方によって、他の機能と一緒に活発にすることが出来るのが体に備わっている病気に対する抵抗力、免疫力、治癒能力である。ここで言う免疫力とは、単に病原菌に対する抵抗力の意味ではない。体の栄養代謝が正常ならば、病原菌が体内で増殖出来ないのと同じように、ガンのような異常な細胞が出現したり、それが成長したり出来ない言うことも意味している。
 この目的達成のために決定的に重要なのは、肝臓の機能をどの程度まで回復させることが出来るかと言う問題である。我々は肝臓の働きとあいまって活発な代謝のメカニズムを維持できるのだ、と言うことを忘れてはならない。かくして、自然の中の他の生物および無生物を含めた全てのものの中に働いているのと同じ全体性≠ネるものが、医術の中に活(い)かされることになる。また、栄養の面でも同じことが達成される。
 第3回国際生化学会議で、あるレポートは次のように述べている。
「食べ物の中に含まれている、栄養素相互間の相関的な関係に注目することが、動物にとって、どれだけの栄養物質が必要かと言う必要量≠理解するために大切である。1つの栄養素を体が活用する場合に、他の栄養素が同時にあるかどうかは、その活用のされ方を大きく左右する。たとえばネズミの亜鉛中毒は餌で治せるし、モリブデンと亜鉛が同時に食物中にあると、この2つを別々に与えた時よりも、成長阻害が深刻になることがあり得そうである。セレニウム中毒はヒ素で軽減でき、牛のモリブデン中毒も餌で治せるだろう。コバルトを大量に摂った時の有害な影響も、メチオニンを注射すると予防できる。銅を与えた場合より銅不足のネズミは、消化器官からの鉄分の吸収が悪い。
 右記およびその他の観察は、動物の異常な状態はある1つの栄養素が不足したり、過剰になったりするだけで起きるものではなく、他の1つ、あるいはそれ以上の栄養素の過不足によっておきるということを、再確認させるものである。他の栄養素の過不足は、不可欠な別の栄養素の正常な代謝を、狂わすものなのだ。
 このような例の中で、とくに際立った実例の1つは、羊における銅の体内堆積、あるいは蓄積の例である。オーストラリアの実験では、酸化鉄を餌に入れると、肝臓の銅の蓄積は75%も減った。1日100mgの亜鉛を与えると銅の蓄積は5%減ったが、通常、羊が牧草から摂っているくらいの少量の亜鉛を与えた場合には、影響はゼロだった。モリブデン酸アンモニウムの形のモリブデンを与えると、銅の蓄積は大きく阻害した。しかし、これは餌そのものに、充分な無機の硫黄分が含まれている時だけそうなるのだった。
 ある1つの微量栄養素と他の微量栄養素、あるいはその他の食物要素との相関的な関係は、まだ不完全にしか判っていないか、全く判っていない段階である(1958年現在)。このよく判らない領域のことを解明するのが、栄養学者や生化学者の役割だと私は思っている(註20)」
註20:L.シークレスの論文『第3回国際生化学会議報告』(1955年47ページ)

 1つの要素、あるいはいくつかの単一要素の組み合わせだけでことが決まるわけではなく、問題はこれらが全体的存在としての体全体、心、精神にどのように影響するかと言う点が、決定的に重要である−これが生物学的な事実であり、それを理解してもらうために、私はいまのような例を選んで紹介したわけである。


 肉体の持つ適応能力も、体の生物学的機能を非常に複雑にするのに一役買っている。健康な肉体は、違ったタイプの栄養にも適応できる。体は必要なミネラルビタミン、酵素などを再吸収するが、このことはいくつかのビタミン不足が欠乏症と言う臨床症状によって現れるのに、どれくらいの時間がかかるかと言う実験をしてみるとよく解る。これに対し、病んだ体は適応能力を失っている。そして欠乏症は主要な器官が有害物質の支配下に置かれている限り、治すことが出来ない。私の臨床観察からは、ガンに対しても同じだと言える。
 ガンと言う恐怖の死病も、我々が自然と人体の中における永遠の全体性の法則を理解して対処するならば予防も出来るし、治せもする。ガンを効果的に治療するためには、予防と治療を1つに結び付けて考えなければならない。そうすることで、末期ガンでも高い治癒率で治す治療法を学ぶことが出来る。
 とは言え全身の機能の全体性にも限界があり、それが治療上の問題になる。1つあるいは2つの重要な器官が余りにひどく傷(いた)んでしまっている場合には、この全体性が失われてしまっている。私は腹のガンが消えたり、たくさんの皮膚の結節など、また脳の基底のガンが消えたりしたのに、それから1年ないしは3年の間に、肝硬変で亡くなった何人もの患者を観ている。
 エウィング博士によれば、原発の肝ガンの85%、胆肝ガンの50%は、肝硬変と結びついていると言う。ここに、ガンにおいて肝臓が果たしている役割をみることが出来る。大多数の専門家たちは、肝臓のこの種の変化はガンとは別に、またおそらくはガン腫瘍の成長する以前に起きていると考えている。と言うのも、肝臓の変化があちこちに散らばっているそれぞれの腫瘍から離れているからである。
 エウィング博士はさらに、肝臓に結節性の過形成が起きるのと、多くの腺腫やガンの起きる過程の間には、一様で斬新的な関連があると言っている。腺腫からガンへの移行は、多くの文献が指摘している。同じ見方は、発ガン物質を使う発ガン実験の中で、裏付けられている。この場合、発ガン物質は、肝臓の再生する組織に過形成を起させ、それが最後はガンになって行く。
 バターイエロー(バターの着色剤:商品の成分表示に記載されている)を米の餌に混ぜて与えたネズミは、60日で肝硬変を起こし、90日で良性の腫瘍が胆管や肝臓に出来、150日でほとんどのネズミがガンになった。とくに肝臓がダメージを受けたために、嫌気的糖分解やアルカリ・ホスファターゼが増加したり、その他の異常なことが体内に起きたからだった。餌やビタミンB類やカゼインによって実験動物にガン腫瘍が出来るのを防ぐと言う予防効果の実験は、人間のガンと比較して論ずることもある程度は出来そうである。
 とは言え実験動物の種類によっても、また腫瘍が自然発生的な肝ガンと一緒に誘発されたり、同時に起きたりするか否かは、大いに違っている。人間の肝ガンにおいては、さらに大違いである。だから膨大な量の発ガン実験の研究リポートを漁ってみても、単一の決定的要素を突き止めることは不可能で、医者が従来も、またいま(1958年)も単一の特別な要素を探している限り結果は同じであろう。
 発ガンには特別な1要素が関係しているのではない。一般的に言って、多くの要素が1つに結びついているとか、1つの有害な作用が長期にわたって続いた結果として、ガンになるのである。これは市川、山際と言の実験からも言えることである。
 2人の実験では、実験動物の肝臓などに障害を起こすのに9ヶ月かかった−これもまた、体の全体の中に起きる反応を示すもう1つの証拠である。また強力な毒物だと、数日で肝臓に障害が起き、10日で肝ガンを起こせると言うことも、いまの事と同じことを示す証拠である。しかしとは言えこういう実験は近代文明によって人体にゆっくりと少しずつ起きている退化現象と、不用意に同じに論じられない。
 私のクリニックの臨床経験から言うと、多くの病気はその病気だけが単独に起きてはいず、「疾病分類学的な実体」として起きている。数例を挙げると
A副鼻腔の炎症はしばしば慢性的な気管支炎や気管支拡張症と一緒に起き、さらに喉頭炎、腎炎その他の離れた箇所での病菌感染と一緒に発現する。
B慢性的な膀胱炎は、しばしば盲腸炎と一緒になっている。膀胱炎は確かに消化器官のいくつかのトラブルと結びついた病気なのだ。
C胆嚢(たんのう)の病気は、ほとんど肝臓の変性と結びついていて、心筋の変性とも一緒に起き、後には肝硬変も起す。さらに体の抵抗力がひどく低下すると、1つないしはいくつかの器官がたびたび病原菌感染症に見舞われるようになる。
 これらの臨床データからは、体の深いところにある1つの一般的原因により、結果としていくつもの違ったタイプの病理学的な変化が起きるのだと言う結論になる。そしてこの一般的原因なるものを基準になる考え、つまり全体性の法則と言う観点から考えれば、全体性が失われたり、阻害されたりしたことだと理解できる。またもっと臨床的な言葉で、治癒能力≠フ損失や低下と言っていい。近代的生化学の長足の進歩の中でも、直接的で客観的な臨床観察の重要さを説いたヒポクラテス的な教えから、離れていいわけではない。でなければ、臨床上の観察を、1つの治療方針を立てるために総括し得ないからだ。患者の治癒能力が充分なら、感染症が隣接の器官にもまた離れた他の器官にも伝染しないだろう。またガンの場合には転移が起きないだろう。
 このように病気の発現やその進行や治って行く過程は、問題の器官や組織の性質にそれほど関係はなく、むしろ体全体の相対的治癒能力の如何に関連していて、かつ体全体の代謝プロセスと1つに結びついている。そしてその代謝の状態は、大部分は肝臓に集約されて現れる。
 いまのような見方とは逆に、医学の教科書や医学雑誌では、1つ一つの病気を別々の病気として理解しようとする態度になっている。ガンにしても鼻の悪性腫瘍、副鼻腔のガン、胃や腎臓の組織のガン化、肺のガンなどと別々に考えている。もちろんガンにもそのタイプ、進み方、症状、予後に違いがあるのは言うまでも無い。しかし病気に対する抵抗力や病気の治癒力こそが肉体全体の基本的要素であり、これを回復させることが、必須の問題だと言う基本的な考え方に、私たち(この場合は主に医師)はいつも立っていなければならない。そして、これほどの器官や組織が病気に冒されている場合でも、何がガンを起す原因になっていた場合でも、同じである。
 繰り返し、私は言いたい。一言で云ってガンからの回復とは、体全体を一種の退化から回復させることに他ならない、と。外に現れているガン、たとえば皮膚や乳房のガンなどの場合には、その部分だけの治療で功を奏すこともある。しかし本書第2部で紹介しているような症例で示す事実からも解るように、全体的観点なるものは、はるかに優れたアプローチであり効果はずっと大きいのだ。
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