残暑お見舞い申し上げます
久しぶりの照りつける太陽
が、夏を感じさせる今日の日。
でも暦の上ではもう立秋なんですよね。
皆さんずいぶんご無沙汰してしまいました。
私は元気にしております。
前回更新してから後はとにかく盛りだくさんの出来ごとがあり
もちろん豪雨も経験しましたが、それよりも何よりも大騒ぎになったのが義母の行方不明でした。
たまたま夏休みを取って帰省していた夫を私が空港まで送り
に出かける時は自宅玄関先でにこやかに見送ってくれていた義母でしたが、私が午後帰宅した時は既に自転車で出かけた後。
それから夕方になってもなかなか帰宅せず、だんだん心配になってきた頃、レイキの先輩から連絡事項のメールがありまして。
そこで義母の相談をしたところ、すぐに警察に捜索願を出すように。
必ずどなたかが助けて下さいますよ。
との心強いアドバイスをいただきました。
警察署に出向き、夜勤の警察官の方に義母の顔写真を手渡し、家出人捜索願を提出しました。
その場でまず消防署に問い合わせして下さり、事故や急病で運ばれた人の中には義母らしき人はいなかったとの確認が取れました。
後は電話連絡をしますからとのことで自宅に帰りましたが、対応して下さった方は防犯係の方だそうで、昼の仕事も捜索願の担当ですから、何かあればまたご連絡下さい。
もし見つかった時は電話一本の連絡でいいですからね。
と、とても優しい対応をして下さいました。
自宅に戻って待機してくれていた娘を解放し、ひとりで連絡を待つ時間のなんと長かったこと。
夫はその日職場の送別会だということで、那覇に戻っても飲み会になっていたので、メールにて状況を伝えました。
急ぎ飲み会を切り上げ夫も那覇の自宅待機となりました。
義姉夫妻にもその後やっと連絡が取れ・・・そうこうしているうちに夜11時30分
警察署から「隣の市の○○派出所にて無事保護」とのご連絡を受け、心配をかけている親族一同に電話してすぐに迎えに行きました。
レイキの先輩からは「お義母さんにおかえりなさいと言っているイメージ、警察には無事見つかりました。ありがとうというイメージを抱くといいと思います」とのアドバイスがあり、不安が先走りしそうになるのを抑え込んで、明るいイメージを抱き続けるようにしていました。
おかげさまで心の真ん中では明るい希望が感じられたので、きっと義母は無事なんだと思うことが出来ました。
車で10分くらいのところにある派出所には若い警察官がお二人詰めておられました。
義母は椅子にちょこんと座って、私の顔を見るなり
「おかあさん、私自分の名前もわからんごとなったと・・・
」と、子どものように心細そうに泣いていました。
多分10時間くらい自宅から出て水分を取っていなかったのでしょう。
派出所で出していただいた熱いお茶を私の分まで飲み干しました。
気持ちが動転していること、どうも転んでけがをしているようなことなどが外からはわかりましたが、とにかく自宅に連れ帰るのが先決なので、調書にサインしたあと「自転車は明日朝引き取りにきますので今夜は保管お願いします」と申しましたら、「ご自宅まで自転車運んであげますよ」とのありがたいお言葉で。
私は義母を車に乗せ、警察官お二人にはワゴン車に自転車を乗せていただき自宅までお付き合いいただきました。
日頃警察のことをとやかく批判する声しかマスコミには載りませんが、私が出会った警察官の皆さんはとても親切な方々でした。
こういう地道なお仕事がもっともっと評価されるといいなと思わずにはいられませんでした。
警察の皆さん、ありがとうございました。
一人では歩けない義母を半ば抱えるようにして自宅に連れもどり、ほっとしたところへ義姉夫妻が駆けつけました。
「義母が見つかりました」と一報を入れた時「お母さんを叱らないでね」と、義姉の口から真っ先に出た言葉は、実は弟である夫の口から出た言葉と一緒でした。
が、、、
よほど心配されたのでしょう。
我が家に上がって義母の顔を見るやいなや
ガミガミガミガミお説教の嵐でした。
もともと早口の義姉が興奮してお説教するのですから、そりゃあもう、85歳の義母には聞きとれないお説教だったかも
もともと自転車は危ないから乗るな、と義姉や義兄から口やかましく言われていて、私もやんわり言ってはいたのですが。
迷子になってしまったことで自分が壊れてしまったのではないかと心細く思っている義母に対してはちょっとお説教がきついかなとも思いましたが、きっと同居している私への心遣いもあったのでしょうね。
午前1時には義姉たちも引きあげ、義母は風呂に入って就寝。
翌日から毎日の病院通いが始まりました。
ありがたいことに免許も車も体力もある私は、さらにありがたいことに仕事もしていない
ので、義母の介添えするのに十分な体制です。
1週間は手を引かないと歩けなかった(転んだ擦り傷と脚の打撲・心因性のショック)のですが、今は階段など段差のところに手を貸してあげればゆっくり自分だけで歩けるようになりました。
日が経つにつれて忘れていた当日のこともいろいろ思い出してきたようで、一気に老けこみ落ち込むことがなくて本当によかったなと思います。
さらに回復してきたことで、私の病院付き添いをとても気の毒がるようになり、毎朝「今日はゆっくり自分で行くから、お母さんは来なくていいよ」と言います。
私は義母に独り暮らしさせないために夫を単身赴任させてここに残っているわけで、そのためにいるとも言えるので、病院の付き添い、買い物などはとりあえず涼しくなるまで続けようと思っています。
同居して24年、いろいろな思いを越えてきましたが、今はやはり義母が幸せな毎日を送ってくれることを望んでいます。
そう思える私の心がとてもうれしい今日この頃です。
なかなか更新は出来ませんが、こうやって毎日幸せな気持ちをいただきながら生活しています。
どうぞ皆様もお体大切になさって下さいませ