自分が幸せじゃなきゃ、周りの人を幸せには出来ないんだよ。

そんなことを教えていただける素敵な仲間に恵まれて、ブログ更新まばらですが楽しく暮らしております。

2013年06月  >
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
最新記事
おともだち

こんなこと書いてます
ご無沙汰してました。 [2010年03月08日(月)]
昨年9月に記事更新してから約半年・・・

ずっと更新してないにもかかわらず毎日足跡つけて下さる方々がおられてとても嬉しいです。

ご無沙汰しっぱなしでごめんなさい

ひとえに年甲斐もなく携帯ゲームに没頭していたせいでございます

それは今も継続中で、他のサイトでの日記更新も同じくストップしてたくさんのお友達と疎遠になってしまっている始末。
お許しくださいませ

とは言うものの、息子夫妻が東京におりますことから、先日上京して遊び倒して来ましたので、ちょっとだけ更新してみようかと思います。

でも半年ぶりだと、記事の書き方まで忘れる始末。
写真はどうやって掲載するんだったっけ?????

顔が写った写真ばかりでなかなか掲載出来ないのだけれど

とりあえず2月28日日曜日に

岡山から仁穂さんが上京されるのでランチオフ会が開催されることとなっており、私も便乗させていただきました。

参加者

りんごのみつさん(主催)
さるびー君
やーくん
きよ♪さん  以上男性

仁穂さん
mogmogさん
rinkyohhenさん
nahna     以上女性

の8名。
韓国語を学んでいる仁穂さんのご希望で韓国料理をということで、りんごのみつさんが上野のマッコリというお店を手配して下さいました。
寒い日で、冷たい雨が降る日曜日、東京マラソンだねぇなどと言いながら、久しぶりにお目にかかる懐かしい方々。

きよ♪さんと仁穂さんとは初対面ですが、りんごのみつさんとは3度目。
さるびー君やーくんとは2度目。
rinkyohhenさんとは鎌倉以来2度目。
mogmogさんとは7度目の再会。

わけあってご心配をおかけしていたのですが、いつも以上に元気な私の様子を見て安心していただけたようでした(笑)

えいのサラダ(くさい・・・けどさんのお勧めで断れず)とか、激辛ものをチョイスしていただき、締めは韓国ノリ巻き。
写真上部の白い飲み物はマッコリです。
下戸の私でも飲みやすいお酒でしたよ



にぎにぎしくわいわいと遠慮会釈ない会話が交錯します。
さんの毒舌冴えわたり、特に男性にはビシバシと嵐のようです
はじめましてとごあいさつした銀座オフ会から2年。
遠慮がちだったのは最初だけ
みんな好き勝手言って笑い転げて


このへん、しとやかな仁穂さん大丈夫なのかしら〜

でも笑っておられたので大丈夫みたいですね

食事が終わり、仁穂さんに少し時間の余裕があったので、アメ横を散策。
実は私前日もお友達に連れて来ていただいてたので、なんとなく並びを覚えてしまっていました。
海産物の安さに思わず干した桜エビひと山買い込んだほどです。

薬膳教室で教えていただいた
えび塩にはまってまして
塩と桜エビを焦げないようにフライパンでいりつけ、すり鉢で細かく砕いて料理に使用するのですが、レンコンを薄切りにして炒め、えび塩で味付けするととにかく美味〜

脱線しましたね

上野駅で仁穂さん、さるびーさんとはお別れ。

さて食後の運動にそぞろ歩きしましょうか、、、
ということで残り6名が出向いたのは

浅草。

長くなるので追記に続きます。










続きを読む...
07:18 | この記事のURL
太陽がいっぱい [2009年09月18日(金)]
有元葉子さんの「干し野菜のすすめ」
に従ってトマトソースを作りました。



3日ほど太陽にあてて完熟させたトマトを濃縮させてソースにしたのですが、これがとても美味しい

3個のトマトで完成は270ml入りのビンいっぱいになりました。

つまり3倍くらい濃縮した格好ですか。

今日ミートソースを作った時そのトマトソースを使いましたが、今までで最高の出来でした
早速娘宅にあげてしまったので写真撮ってないのですけど

最近は図書館から料理の本をわんさか借りて来て、作れそうなものを探すのが楽しみになっています。
料理本って写真が入りますから結構お高いのですよね。
で、私自分が買うとそれだけで満足して料理を作らない、収集のみ・・・という癖がございまして
返却日が決まっている本のほうがいいみたいです。
そのうちきっとこれは手元に置きたいと思う本にも出会うことでしょう。

来月からはハーブ講座に加えて洋菓子と薬膳料理も教えていただけることとなりました。

月に一度ずつの講座ばかりなのですが、3つの講座を持つと結構毎週出かけている感じかな(笑)

楽しみです

そうそう、今私のまわりではカッピングが大流行り。

私も実際に体験してみて夫の50肩にとてもいいのがわかったので家庭用メディカルカッピング器具を購入しました。
夫に持たせておりましたが、単身赴任ですと帰宅して食事するのが精いっぱいなのか、毎日は出来てないみたいですので、今週末帰省したら私が毎日してあげる予定です。
普通はエステや治療院などで施術していただくそうですが、この器具は自宅でひとりでも背中にカッピング出来るようになっていて、毎日するととてもいいらしいのです。

先日夫からカッピングの写真が送られてきました。



かなり調子がいい気がするとの感想なのに、毎日続けられないので効果が今ひとつ。
連休中は毎日カッピング痕だらけにしてあげようと思っております

血液がきれいになる効果があるとのことで、興味のある方はこちらをご覧くださいませ。


00:10 | この記事のURL
残暑お見舞い申し上げます [2009年08月07日(金)]
残暑お見舞い申し上げます

久しぶりの照りつける太陽が、夏を感じさせる今日の日。
でも暦の上ではもう立秋なんですよね。

皆さんずいぶんご無沙汰してしまいました。

私は元気にしております。

前回更新してから後はとにかく盛りだくさんの出来ごとがあり

もちろん豪雨も経験しましたが、それよりも何よりも大騒ぎになったのが義母の行方不明でした。

たまたま夏休みを取って帰省していた夫を私が空港まで送りに出かける時は自宅玄関先でにこやかに見送ってくれていた義母でしたが、私が午後帰宅した時は既に自転車で出かけた後。

それから夕方になってもなかなか帰宅せず、だんだん心配になってきた頃、レイキの先輩から連絡事項のメールがありまして。
そこで義母の相談をしたところ、すぐに警察に捜索願を出すように。
必ずどなたかが助けて下さいますよ。
との心強いアドバイスをいただきました。

警察署に出向き、夜勤の警察官の方に義母の顔写真を手渡し、家出人捜索願を提出しました。

その場でまず消防署に問い合わせして下さり、事故や急病で運ばれた人の中には義母らしき人はいなかったとの確認が取れました。

後は電話連絡をしますからとのことで自宅に帰りましたが、対応して下さった方は防犯係の方だそうで、昼の仕事も捜索願の担当ですから、何かあればまたご連絡下さい。
もし見つかった時は電話一本の連絡でいいですからね。
と、とても優しい対応をして下さいました。

自宅に戻って待機してくれていた娘を解放し、ひとりで連絡を待つ時間のなんと長かったこと。
夫はその日職場の送別会だということで、那覇に戻っても飲み会になっていたので、メールにて状況を伝えました。
急ぎ飲み会を切り上げ夫も那覇の自宅待機となりました。

義姉夫妻にもその後やっと連絡が取れ・・・そうこうしているうちに夜11時30分
警察署から「隣の市の○○派出所にて無事保護」とのご連絡を受け、心配をかけている親族一同に電話してすぐに迎えに行きました。

レイキの先輩からは「お義母さんにおかえりなさいと言っているイメージ、警察には無事見つかりました。ありがとうというイメージを抱くといいと思います」とのアドバイスがあり、不安が先走りしそうになるのを抑え込んで、明るいイメージを抱き続けるようにしていました。

おかげさまで心の真ん中では明るい希望が感じられたので、きっと義母は無事なんだと思うことが出来ました。

車で10分くらいのところにある派出所には若い警察官がお二人詰めておられました。

義母は椅子にちょこんと座って、私の顔を見るなり

「おかあさん、私自分の名前もわからんごとなったと・・・」と、子どものように心細そうに泣いていました。

多分10時間くらい自宅から出て水分を取っていなかったのでしょう。

派出所で出していただいた熱いお茶を私の分まで飲み干しました。

気持ちが動転していること、どうも転んでけがをしているようなことなどが外からはわかりましたが、とにかく自宅に連れ帰るのが先決なので、調書にサインしたあと「自転車は明日朝引き取りにきますので今夜は保管お願いします」と申しましたら、「ご自宅まで自転車運んであげますよ」とのありがたいお言葉で。

私は義母を車に乗せ、警察官お二人にはワゴン車に自転車を乗せていただき自宅までお付き合いいただきました。

日頃警察のことをとやかく批判する声しかマスコミには載りませんが、私が出会った警察官の皆さんはとても親切な方々でした。
こういう地道なお仕事がもっともっと評価されるといいなと思わずにはいられませんでした。
警察の皆さん、ありがとうございました。

一人では歩けない義母を半ば抱えるようにして自宅に連れもどり、ほっとしたところへ義姉夫妻が駆けつけました。

「義母が見つかりました」と一報を入れた時「お母さんを叱らないでね」と、義姉の口から真っ先に出た言葉は、実は弟である夫の口から出た言葉と一緒でした。

が、、、

よほど心配されたのでしょう。

我が家に上がって義母の顔を見るやいなやガミガミガミガミお説教の嵐でした。

もともと早口の義姉が興奮してお説教するのですから、そりゃあもう、85歳の義母には聞きとれないお説教だったかも

もともと自転車は危ないから乗るな、と義姉や義兄から口やかましく言われていて、私もやんわり言ってはいたのですが。

迷子になってしまったことで自分が壊れてしまったのではないかと心細く思っている義母に対してはちょっとお説教がきついかなとも思いましたが、きっと同居している私への心遣いもあったのでしょうね。

午前1時には義姉たちも引きあげ、義母は風呂に入って就寝。

翌日から毎日の病院通いが始まりました。

ありがたいことに免許も車も体力もある私は、さらにありがたいことに仕事もしていないので、義母の介添えするのに十分な体制です。

1週間は手を引かないと歩けなかった(転んだ擦り傷と脚の打撲・心因性のショック)のですが、今は階段など段差のところに手を貸してあげればゆっくり自分だけで歩けるようになりました。

日が経つにつれて忘れていた当日のこともいろいろ思い出してきたようで、一気に老けこみ落ち込むことがなくて本当によかったなと思います。

さらに回復してきたことで、私の病院付き添いをとても気の毒がるようになり、毎朝「今日はゆっくり自分で行くから、お母さんは来なくていいよ」と言います。

私は義母に独り暮らしさせないために夫を単身赴任させてここに残っているわけで、そのためにいるとも言えるので、病院の付き添い、買い物などはとりあえず涼しくなるまで続けようと思っています。

同居して24年、いろいろな思いを越えてきましたが、今はやはり義母が幸せな毎日を送ってくれることを望んでいます。
そう思える私の心がとてもうれしい今日この頃です。

なかなか更新は出来ませんが、こうやって毎日幸せな気持ちをいただきながら生活しています。

どうぞ皆様もお体大切になさって下さいませ
10:23 | この記事のURL
| 次へ
プロフィール


リンク集
ログイン
Mypagetopに戻る