先日出かけたレイキの復習会でのこと。
ある女性がこんなことをお話されました。
「レイキを体得していても、どうしても押さえきれないイライラがあるのよね〜!
例えば子どもがいくら注意しても部屋を片付けない時とか。」
そんな時は必要以上にヒートアップしてしまって、ご自分でもちょっと行き過ぎかと思うくらい怒りが噴出するそうでした。
その時、何かで読んだ「心をナレーションしてみる」ということを実行してみられたそうです。
以下はその例です。
博多弁で書きましょうかね♪
「私は君の○○に対して今猛烈に腹が
立っとうと。
そしてそれについては少し怒りすぎとも思っとう。
ここで君が机の上ばきれいに片付けたら、お母さんの怒りは鎮まるかもしれんと。」
イライラを限界まで溜めずに、その場でナレーションしていくことで、遊びに夢中で母親の言うことなど聞こえてなかった子どもさんが「突然
怒鳴られた
」というショックを受けることなくコミュニケーションが取れていくのではないかと。
そのお話があまりにユニークだったので、娘にすぐ話しましたら、保育科卒の娘曰く「自分の気持ちをナレーション出来ることで既にイライラの頂点からは降りて来てるよね
」
という感想でした。
でも実生活では娘も私の前であってもイライラしてヨウ君が萎縮するくらい(私もその語気の強さに心がすくむ思いがします
)に叱りとばすことがあります。
たまには「怒鳴り散らす」ことも。
きつい言葉を使われると、その場にいる私も動揺してしまいます。
言葉には魂がありますから。
でも私が若い頃はどうだったんだろう。
確かに怒りで我を忘れることもあった気がします。
喉元過ぎれば・・・という言葉通りで、もう忘れてしまっています。
そんなことを考えながら、萎縮して身体が固くなってしまっているヨウ君の背中にそっと手を当てている私です。
もし当時こんなユニークな怒りを流す方法があったなら、私ももっともっと楽なノリで子育てが出来ていたかもしれませんね。
チャイルドケアを少しですが学ばせていただいて、結局のところ一番ケアされるべきは母親自身であるというところに行き着きます。
母親の顔色ひとつでお子さんは生き生きもするし落ち込みもします。
それはもう怖いくらいに
はっきりと。
だからいろいろな辛い思いを抱いている、悩んでいる時ほどお子さんを抱きしめてあげて欲しい。
そうすることで、逆にお子さまからのきれいなエネルギーを受け取って元気になって欲しい。
先日お友達にメールしたネイティヴアメリカンの言葉を御紹介しますね。
「怒りのこころは自分に盛る毒である」
「人生でいちばん長い道のりは頭からこころまでの距離である」
怒りをさらりと流す方法。
それが癒しであったりするのだと思います。
自分に毒を盛っては、自分を愛しているとは言えないですよね。
自分を愛して愛して愛し抜いて溢れ出る愛でまわりを愛すること。
私はその練習を始めたばかりです。先は長い〜
頭からこころまでの距離。
子どものほうがうんと近いところにいると私は思います。
辛い時ほどお子さんを抱きしめてみる。
こころまでの距離が近くなって来そうな気がしませんか?
頑張り過ぎなくていいのだと思います。
弱いところをお子さんに見せても大丈夫だと思います。
辛くて苦しくてたまらない姿だって、大好きなお母さんの姿です。
お子さんはそこから思いやりを覚えるのではないでしょうか。
背中を向けるのではなく、辛い時ほどお子さんを抱きしめてごらんなさい。
こんなにもお子さんから愛されているのだと、その小さな温もりから感じてみてください。