ブログ名を国際的?にしてみました・・・
だらだらするのが大好き〜〜(ずぼら)
時々昭和な話題も懐かしく〜
そして猛犬?柴ちゃん(仮名)の
お話も・・・

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負けちゃいました
[2008年07月20日(日)]
そして、今日、負けちゃいました。



今日で部活も引退。

意外に流した息子の涙に母も涙しましたが


↑少年野球から一緒にやってきた外野3人

野球を始めて7年半
いろんなこと学びましたね



楽しいことばっかりではなかっただろうけど
でも、楽しいことのほうが多かったね。

おつかれさま・・・・・

明日から、受験生!!!!!
Posted at 17:55 | 野球 | この記事のURL | コメント(22)
いよいよ明日
[2008年07月19日(土)]
今日も息子の試合

同点で迎えた最終回
相手の攻撃、
バッターがライトへ打った〜〜
その球がライトの方の観客のほうへ転がり・・・
ボールの行方が分からないまま・・・
バタバタしているうちに
相手チームがランニングホームラン!

がっくり・・・・・・・

しかし、審判は2ベースの宣告!
観客の人たちにボールがまぎれたり
荷物にボールが当たったりで
結局は2塁打・・・・・・

これに相手の監督が激怒!
何十分も審判団でもめにもめ・・・

結局2塁打で同点のまま・・・・・

最後のうちの攻撃
最初のバッターが2塁打
次のバッターがバントで3塁に送り・・・

1アウト3塁・・・・・・・
で、なんと、2人つづけて敬遠!!!
1アウト満塁でわが息子・・・・・・
センターに打った・・・・・・と思ったらとられた。

2アウト満塁・・・・・・・・
次のバッターがライト線上へ・・・・・・・
ライト!抜けたぞ〜〜〜〜〜

勝ちました・・・・・・・・

明日は準決勝、勝てば、少しだけ
部活が続けられるけど
がんばってほしいものです

Posted at 14:58 | 野球 | この記事のURL | コメント(4)
優勝!
[2007年11月02日(金)]


ドラゴンズ

日本シリーズ優勝!


今日の広告たちです



でも、どれも共通していえるのは。。。


みんな、
本日より

って書いてあって、優勝とは書いてないので、
これは前もって作った広告ですね〜〜

どっちにしても
セールはあったんですね
Posted at 17:05 | 野球 | この記事のURL | コメント(8)
憧れの甲子園(後編)
[2007年08月21日(火)]
まず前編からお読みください・・・

そして、今年の夏・・・

そのお兄ちゃんは甲子園のグランドに立っていた。





残念ながら、背番号は1ケタではなかったが、
テレビで見る彼は、横にも縦にも大きくなって
堂々と行進する笑顔は小さいときのままだった。

レギュラー入りできなかったのは残念そうだが
そこは実力の世界、なかなか大変でなのである。
地方大会ではコーチャーボックスでの参加だったようだ。

試合に出る出ない関わらず、
甲子園での雄姿をぜひ見たいと思い
家族で甲子園に繰り出した。

試合前のノックでは、ボールにとびつく彼がいた。
試合中は、打った選手の手袋をもらったり、
選手にバットを渡す彼がみえた。

しかし憧れの甲子園に立っている夢をかなえた彼がいた。



プレイしている選手に光があたる中、
彼の家族と、うちの家族は
裏方で頑張っている
そんな彼をひそかに応援していた。

結局彼の名前がアナウンスされることはないまま
彼の甲子園での夏は終わった・・・



夢だった甲子園にやってきて嬉しかったのか
試合に出れなくて悔しかったのか
私にはわからない・・・


試合に出れなくてもひたすらブルペンキャッチャー
出番がくるのかわからないが投球練習するピッチャー、
3年でもユニフォームを着てスタンドでの応援、
グランドにおりていても選手たちの用具係、
光のあたっているようなグランドの周りでサポートする
負けないくらい頑張っている彼らがいる
内心悔しさもあるかもしれないが
みな笑顔である。


どんな強豪校でも
すごいピッチャーや強打者がいても
活躍している選手だけではここまで勝ち進んでこれない。
まわりのサポートがあってこその結果だと思う。

3年間、きつい練習にたえてきたこと
大好きな野球を続けてこられたこと
甲子園に来れたこと
どれも彼らと家族らの努力の結果。


こうして彼の夢はかなった。
なんだかあっけなかったが
しかしここまで来るには小さなころからの
人並みならぬ努力があった結果である。
これからも野球を続けるらしい彼だが

まだまだ楽しみである






Posted at 14:44 | 野球 | この記事のURL | コメント(14)
憧れの甲子園(前編)
[2007年08月20日(月)]
我が家がここに越してきたころ、
近くの公園に、きれいなお母さんが
まだ幼い3人の兄弟を連れてきた。
何が始まるかと見ていたら、
そのきれいなお母さんがいきなりノックを始めた。
彼らは母の打つボールに向かってグローブを向けては
がむしゃらに飛びついていた。

数年して、息子が小学校にあがると、
その兄弟たちは近所の子だとわかった。
とても人懐っこく礼儀正しい彼らだった。

彼らは、3月生まれでまだまだ幼くて小さい息子を
とてもかわいがってくれた。
共働きでお母さんの帰宅がおそい彼らは
夏休みには毎日のように遊びに来ては
息子と遊んでくれた。

人懐こくやんちゃな長男、真面目な二男、明るい三男。

中でも1番上のお兄ちゃんは息子と年が離れているせいか
とても優しく面倒をみてくれた。
帰りが遅いお母さんに代わり弟たちのまとめ役。
先生の思う優等生ではないのかもしれないが、
息子の荷物をさりげなく持ってくれたり
しっかり挨拶をするその姿勢は
当時は小学生ながら、今思っても感心する。

彼らは野球好きで、息子が入った野球チームに入っていた。
3人とも野球が得意だった。

特に、お兄ちゃんは、器用ではないのかもしれないが
野球に対する情熱は兄弟一で、努力家だった。
中学に入ると硬式のクラブチームに入って頑張っていた。
自宅でも、素振りをしたり、走ったり自主練習する姿に
感心したものである。

何万人もいる野球少年やかつて野球少年だった人
憧れは甲子園でしょう。
彼も甲子園に向かって頑張っている。

そんな彼がある日、転勤で引っ越すことになった。
息子も彼が中学に入ってからは
あまり接することは少なく、
彼の弟たちと遊ぶことが多くなっていたが
彼らの引っ越しは
私たち家族にとってはショックだった・・・

しかし、ここより高校の数が少ない県ならば
甲子園に行ける確率は高くなるかもしれない。
期待に胸ふくらまして
何かここに書いてと彼らに主人が差し出した古いボールに



こう書いて、引っ越していった。
もう何年も前のことである。


Posted at 20:30 | 野球 | この記事のURL | コメント(6)
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