毛利三川??? [2008年10月12日(日)]
うちの
桜夫、はっきり言って歴史には疎いです
それが昨日、とつぜん歴史の話題をフッてきました
桜夫 「毛利の親戚って、何て苗字だったっけ
」
ん〜なんだなんだ〜
突然、郷土史に目覚めたか〜
さすが桜夫ちゃん
長いので追記に...
桜夫、はっきり言って歴史には疎いです
それが昨日、とつぜん歴史の話題をフッてきました

桜夫 「毛利の親戚って、何て苗字だったっけ
」ん〜なんだなんだ〜

突然、郷土史に目覚めたか〜

さすが桜夫ちゃん

長いので追記に...
広島城・天守閣
桜 「吉川と小早川でしょ」
桜夫 「もうひとつは
」
桜 「もうひとつって...2つだけだよ」
桜夫 「え〜、だって毛利三川って言うじゃないか
」
桜 「それを言うなら『毛利両川(※1)』でしょ」
桜夫 「りょうせんかぁ。それじゃ字数が合わないな〜」えっ、字数って...
なんのこっちゃ〜
桜夫 「毛利三川って、聞いたことがあるんだけどな〜」
桜 「
それを言うなら『孟母三遷(※2)』でしょ」
桜夫 「あ〜、孟母三遷かぁ。それならピッタリだ」ピッタリって〜
なんなのさ、いったい...ははぁ、さてはクロスワードをやってたのね〜

感心して損しちゃったじゃないか〜


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※1 毛利両川(もうりりょうせん)
戦国時代、安芸の国(広島県西部)の毛利元就が
近隣の吉川氏には次男の元春、小早川氏には三男の
隆景を養子として送り込み、両氏の正統な血統を
絶やして、勢力を吸収し、中国制覇を果たしました。
吉川元春、小早川隆景は、元就から家督を継いだ
兄・毛利隆元を補佐する体制で、山陽、山陰地方を制圧
していったので、この毛利を支える2つの川ということで
吉川、小早川両氏、またはこの体制を毛利両川と呼びます。
なお、元就が、嫡男の隆元に家督を譲るとき
3人の息子を集めて矢を折らせ
「1本なら折れるが、3本まとめたら簡単には折れない」
と訓示した「三本の矢」のエピソードは、史実ではなく
後世に作られたフィクションです。
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※2 孟母三遷(もうぼさんせん)
中国の儒学者・孟子は、子供の頃、最初は墓地の近くに
住んでいて、葬式ごっこばかりして遊んでいたので
母親はそれを子供の教育のために良くないことと考え
引っ越しをしました。
次に住んだのは市場の近くで、今度は商売こっこをして
遊んでたので、また引っ越し、学校のそばに住みました。
すると孟子は、学生の儀式や礼儀作法のまねごとをして
遊んだので、母親は「こここそ教育のために良い場所」
と思い、そこに住みつきました。
その環境のおかげで、孟子は成長すると六経を学び
後には中国の儒学者を代表する人物になりました。
このエピソードから、幼児の教育には環境が大切である
という教えとなっています。

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日本語には、似たような言葉が
たくさんあって、混乱しますね。
毛利と言えば、3という数字が
頭に浮かんでしまいますもんね。
それにしても、毛利三川...
余所でうかつに口にする前に
気が付いてよかったです。
って言いながら、ブログに書いてちゃ
意味がないですね
旦那さまの毛利三川はよかったですね〜
でも、そう思ってしまうかも…
やっぱり三本の矢とゴッチャになったのでは
ないのですか