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四十にたらぬほど [2010年10月05日(火)]
四十(よそぢ)にたらぬほど


という一節を聞いて、「あっ!」と思った方は

素晴らしいですね

そうです、日本が誇る三大随筆のひとつ、

徒然草」の一節です。


※徒然草を「とぜんそう」と読んだ人がいる、と

ある時聞いて、がっくりしました。ホントかな


四十にたらぬほど、

というのは、この文脈にでてきます。


命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
(命あるものについて考えてみると、人間ほど長生きをするものはない)

かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋をしらぬもあるぞかし。
(かげろうは、生まれた日の夕方には死んでしまうし、
夏の蝉だって、春や秋を知らずに死ぬということもあるという)

つくづくと一年をくらすほどだにも、こよなうのどけしや。
(しみじみと一年を暮らすだけでも、この上なくのんびりしたものだ)

飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心ちこそせめ。
(もし、その長い命をも不足に思い、惜しいと思うなら、
たとえ、千年を過ごしたとしても、一夜の夢のような気持ちが
するであろう)

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。
(いつまでも住み続けることのできないこの世に、
生きながらえて、自分の醜い姿を迎えたところで、
それが何になるのか)

命長ければ辱多し
(長生きすれば、それだけ恥をかくこともおおい)

長くとも、四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ
(長生きするとしても、四十歳にならないくらいで、死んでいくことが無難であろう)



昔は四十歳が、十分長生き、だったんだなぁ。

しかも、この後に続くのが、

四十歳を過ぎると、容貌を恥じる心もなくなり

ただひたすら名誉や利益を欲しがる心ばかりが

深くなり、物に感動する心も失ってしまう・・・


うーん・・・

今から700年近くも前に、こんなことが書かれていた

というのが、私にはすごく面白く感じられます。

今の40歳なら、まだまだぴっちぴち

おしゃれにも気を遣うし、仕事も頑張ってるバリバリの

現役さんばかりのはず。


ものに感動する心、もずっと失わずにいたいなぁと思う

33歳の私、なのでした
posted at 10:50 | 言の葉 | この記事のURL
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ことばの果て [2010年09月26日(日)]
昨日、「季語」について記事にしたせいか、

それからずっと、「ことば」について

思うところがあり、

また、勝手に菜々子さん、や、rosemaryさんが

「ことば」について印象深く、ご自身の考えを

コメントしてくださったこともあって、

いろんなことが、頭をめぐりました。

(胃痛はそのせいか?日ごろ使わない頭を使ったせい?)


哲学者ヴィトゲンシュタインのことば。


ことばの果てが、世界の果てである。


とても好きな言葉です。

たとえ、人間がこれから先、

どんなにたくさんの言葉を生みだしても、

その言葉をどんなに駆使したところで、

外の世界も、内の世界も、表現しえない、

ことばには、限界がある、という意味です。


究極には、言葉でないところに、

本当の言葉がある、ということなんだろうか。


芭蕉の言葉にも有名なものがあります。


謂(い)いおおせて、何かある


俳諧の世界においての意見、ではありますが、

「すべてを言いつくしてしまってはいけない」

ということです。

到底言い尽くせないものなのに、あたかも言い尽したように

表現してしまっては、趣もなにもない、

読者のあとに残るものは何もないよ、ということなのかと。


世の中を見回せば、

あっちにもこっちにも、

言葉は空気のように、転がっているけれど、

私だって、昨日も今日も、

呼吸をするように、あちらこちらに、

言葉を吐きだしてはいるけれど、

時々は、意味のある言葉を

誰かの心に残る言葉を、

残せているだろうか、と考えます。

そもそも、

自分の言葉が世の中に与える影響などという、

だいそれたことを、

考えること自体が間違っているのかな、とか。


世界に遺されて、受け継がれてきた言葉のように、

ずしんと重みのある言葉を、

死ぬまでに一度くらいは、

心の底からの言葉として、

人生そのものの言葉として、

誰かに伝えられたらな・・・
posted at 13:39 | 言の葉 | この記事のURL
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天高く [2010年09月25日(土)]
ゆうべの暴風から一転、

昼ごろから、真っ青な空。白い雲。

今日、運動会が延期になった学校も

多いかもしれません。

どうせなら、秋晴れの気持ちのいい空の下、

存分に運動会を楽しませてあげたいですね




「天高く(天高し)」というのは、秋の季語。

季語は、旧暦が基盤になっているので、

現在の季節感と、若干差があります。


どうしてこの語が?と思うような季語も

あるんですよ

たとえば


「山笑う」


これは、「春」の季語。

「草木が萌え始めた、のどかで明るい春の山の形容」

なんだそうです。

かわいい表現で、なんだか好き


他にも「ふらここ(ブランコ)」が「春」の季語。

イメージ、なんでしょうか?

子どもがブランコで遊んでいるイメージとか?


以前、俳句や短歌をよく詠んでいました(若かりし頃)。

季語もそうですが、日本語ってなんて美しいんだろう

って今も思います。

はじめに「これをこう表現しよう」と考えだした人は、

本当にすばらしい

今は、「便利」「楽」という点に重きが置かれていて、

どんなに新しい言葉も、昔から伝わる表現の妙を

越えるものは現れませんね


だからこそ、美しい言葉を美しく発音し、

美しく使える人、に魅力を感じます


小学校で英語、もいいけれど、

こういう日本語を、ちゃんと教えてほしいのにな、

と思うのは私だけでしょうか・・・
posted at 15:27 | 言の葉 | この記事のURL
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