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アトピーの次男くんから教えてもらった事 [2007年11月30日(金)]
次男くんは今19歳
生まれる日から長男の時とは全てが違っていました
出産時、担当医の先生は私が破水したのを見て
「わっ!」と声を上げました
羊水がドロドロだったからです
何とか無事に出産はしましたが
生まれて直ぐに紫色・・・
そして新生児室に寝かされる頃には真っ白になりました
他の赤ちゃんが文字通り真っ赤になって泣いている中で
皮肉なもんですね、次男くん一人だけが白くて綺麗な赤ちゃんに見えました
湿疹は、退院してすぐに出てきました
「アトピーなの?でも明日には良くなっているかも・・・」
と、だましだましの時間を過ごし、ようやく覚悟を決めて
アレルギー外来に通院し始めたのは生後1ヶ月後の頃でした
重度のアレルギー、絵に描いたようなアトピーっ子でした
検査の結果、食べ物の制限は・・・食べるものを挙げる方が早いくらいでした
5歳の長男くんが牛乳をこぼして何度も拭いた床をハイハイするだけで
手がはれて、その手で顔を触るから、顔中湿疹で真っ赤になりました
ハウスダストや、ほこりの反応もあったので、1日に何度も掃除機をかけました
母乳で育てたので、自分も同じ食物の制限をしましたが
どんなに気をつけて決まったものしか食べないようにしても
どんなに気をつけて1日に何度も掃除機を掛けて生活していても
一向に改善はされませんでした
塗り薬に、飲み薬、血液検査の注射も、1度も嫌がらない次男くんが
余計に不憫に思えて、私は泣いてばかりでした
公園に連れて行っても、あまりの湿疹と膿だらけの次男くんを見て
他のお母さん達は自分の子供さんを連れて離れて行かれました
仕方ないですね、耳たぶも3cm程裂けて
顔も体も、黄色い膿で覆われてましたからね
こんな状態で、小学校に入学できるのだろうか
就職も、結婚も・・・無理だろう
アレルギー反応で呼吸困難になり危篤状態も経験しました
大人になるまで、生きている事はできるのだろうか・・・
毎日、毎日、何度も彼に懺悔して
私は泣いてばかりでした
もし彼に何かあったら私も後を追おうとも思っていました
長男くんは、私が泣いていると
「よしよし」と言って頭をなでてくれ、余計に泣けました

そんなある日、私は気付きました
「次男くんを他の子と比べるから苦しくなるんだ」って
「どうして、こんな子が生まれたのだろう・・・」と抵抗するのではなく
今、目の前にいるこの子を受入れて
私が今できるだけの事をすればいい
結果に振り回されずに、目の前の事を受入れてこの子と生きていこう
そう思ったら落ち着きました
気持ちが落ち着いた頃に、多くの方の出逢いがあって
一足飛びに改善はしませんでしたが
アトピーが落ち着き、喘息に形を変えましたが
いつも、その時に出来る事を一緒にやって来ました
そして次男くんは、今元気な青年に成長しています

「もの創りを通じて世の中に貢献したい」という願いが通じて
今年の春に、世界1の自動車会社の一員にならせていただき
毎日、感謝の中で仕事をさせていただいています
次男くんは、自分を他の人と比べたりしません
自分を大切に生きて行く力を持った青年になりました
だから、自分に強く、そして人にやさしいのだと思います
あなたの母をさせてもらって
私はようやく「自分のあり方」にたどり着けそうです
子供を産んだら母になるのではなく
子供を育てて母にさせてもらい、人にならせてもらうのだと
ようやく自分が何者なのか見えてきました