七月大歌舞伎・夜の部 [2008年07月29日(火)]

一昨日の日曜日、ひさしぶりに歌舞伎を観に行きました。



歌舞伎座にての七月大歌舞伎夜の部で、演目は『夜叉ヶ池』と『高野聖』です。どちらの作品も、わたしの好きな作家である泉鏡花原作です。とくに『高野聖』は、歌舞伎座では54年ぶりの上演、また坂東玉三郎と市川海老蔵の共演で話題となりました。

それぞれの物語の筋については、みなさんがたに実際にお読みいただくとして、劇中、印象に残った点を2、3

『夜叉ヶ池』は、もともと戯曲として書かれた作品なので、劇中俳優たちが語る科白もほぼ原作と同じものでした。原作のなかに登場する夜叉ヶ池の主、白雪姫の眷族たちのすがた(物の怪すがた)もよく表現されていました

愛しい白山剣ヶ峰の千蛇ヶ池の主から届けられた文を読む際、十五夜の月の明かりではもどかしいので、白雪姫の白い肌に透かして読めばいい、との科白には、いくら妖のものとはいえ、どれだけ美白なんだ、といらぬツッコミをしたくなってしてしまいました

ちなみに、この部分、原作では、つぎのように書かれています。

十五夜の月出づ。
白雪。ふみを読むのに、月の明は、もどかしいな。
姥。御前様、お身体の光にて御覧ずるのが可うござります。


これまではひとり2役で演じられてきた夜叉ヶ池の主・白雪姫と、やさしい心と夫を深く愛する心をもつ美しい女性・百合が、今回はそれぞれ市川笑三郎と市川春猿によって演じられました。ふたりともとてもあでやかで、愛するひとを思う強い気持ちを上手に演じていたと思います。

他方、『高野聖』は小説として書かれた原作を石川耕士と坂東玉三郎自身が補綴・演出し、劇にした作品です。

玉三郎と海老蔵の共演ということもあり、幕が開く前から場内の女性たちがざわめいているようでした。

海老蔵の宗朝は落ち着きがあり、禁欲的な僧侶を絶妙な力の抜き加減で演じていました。たいして、玉三郎の女(嬢様)は原作どおりの妖艶で、聖と魔をもつ女をもののみごとに演じていました。

ふたりが川の渕でいっしょに水浴びをするシーンでは、場内の気が乱れ、妖しげな雰囲気が支配しました。

『高野聖』には、さまざまな生きものたちも登場します。キジ、ヘビ、猿、コウモリ、ヒキガエル、むささび、馬。どれもリアルなつくりではないけれど、動きはとてもリアルだったと思います。

劇中、次郎役の尾上右近の歌う「木曽節」。これはほんとに上手だったと思います。歌い終わったあと、場内からは自然と拍手がわいてきました。

歌舞伎観劇のもうひとつのおたのしみ。
幕間の食事です。

今回は食堂で《花籠膳》をいただきました。
写真(歌舞伎HPから転載)と献立を載せておきます。



口代わり
江戸厚焼き玉子、鰆西京焼、酢取茗荷、海老潮茹で、烏賊黄身焼、笹の雪、ほおずきトマト、丸十羊羹。

煮物
蒟蒻、筍、蕗、人参、さや、楓麩。

焼き物
水茄子田楽。

酢の物
もずく酢、大和芋、いくら。

揚げ物
揚げ出し豆富 野菜餡かけ。

小鉢
滝川豆富、おくら、山葵。

飯物
白飯、ちりめんじゃこ有馬煮、木の芽。

椀物
清まし汁仕立て 楓蒲鉾 焼海苔。

香の物
日の菜漬け。

果物
西瓜角切り。

とってもおいしくいただきました

興味のある演目の時には、またぜひ行ってみたいと思います

Posted at 21:45 | 雑記 | この記事のURL

鎌倉オフ会レポ・最終回 [2008年07月21日(月)]

銭洗い弁天は、鶴岡八幡宮前からは、2キロほど離れた場所にあります。
丘をひとつ越え、山の中腹にある銭洗い弁天への道は、今回のオフ会後半の山場でした。

社伝によれば、巳年(1185年)、己の月、己の日の夜、源頼朝に「この福水で神仏を供養すれば天下泰平に治まる」という夢のお告げがあり、それを元に創建された神社です。その後、北条時頼がこの霊水で銭を洗い、一家繁栄を祈ったことから、銭洗いの信仰がはじまった、とされています。




当初はお札も洗おうと思いましたが、mooncatさんに硬貨でないといけない、と注意され、持っていた小銭を洗ってきました。


銭洗い弁天参拝後、鎌倉駅でお茶をすることにしました。

あらかじめ rinkyohhenさんから『昭和の香り』のする喫茶店の情報を聞いていたので、そのお店にしようと思ったのですが、あいにく満席で、席が空くのを待っているひとたちもいたため、駅前の「鎌倉カスター」で有名な《鎌倉ニュージャーマン》の喫茶室《かの鎌倉》でひと休みすることにしました。



ケーキセット(チーズケーキとアイスコーヒー、クッキー


オフ会レポひとまず終わり(いずれ番外編を書く予定)。

Posted at 15:35 | オフ会 | この記事のURL

鎌倉オフ会レポ・その3 [2008年07月21日(月)]

半僧坊でひと休みしたのち、わたしたちは鶴岡八幡宮を目指しました。

途中、とんぼ玉の製作体験ができる工房の看板を発見し、寄り道することにしました。



製作体験ができるのは、いちどに2名までということで、ゆきゆきさんと雅〜みやび〜さんが体験をすることになりました。

mogmogさんとmooncatさんはその場に残り、作業の手順を見学することにしましたが、さるびーくんとrinkyohhenさんとわたしの三人は、一足先に鶴岡八幡宮に向かうことにしました。

鶴岡八幡宮は鎌倉幕府の宗社として発展し、いまなお鎌倉観光の拠点として多くの参拝客が訪れる神社です。



とんぼ玉製作体験が終わったメンバーと合流し、いよいよ昼食をとることにしました。

雅〜みやび〜さんから「おそばが食べたい」という提案があり、おそば屋さんを探すことにしました。

鶴岡八幡宮から鎌倉駅方面に向かう若宮大路には何軒かのおそば屋さんがありました。そのうちのもっとも鶴岡八幡宮に近いお店に入ろうとしたところ、さるびーくんが納得できないふうです。

そこで、さるびーくんにおそば屋さん探しをまかせると、道路の反対側の1軒のおそば屋さんの前で手を振っています。

そのおそば屋さんにはいることにしました。

みなめいめい好きなものを注文します。わたしは《梅しそおろしそば》においなりさんをつけました。



さるびーくんは天丼セットを頼みました。

結局、さるびーくんは天丼を食べたかったため、天丼がなかったほかのおそば屋さんには難色を示したようです。

おそば屋さんでおそばをすすりながら、つぎの目的地を話し合い、銭洗い弁天に向かうことに決めました。

Posted at 15:30 | オフ会 | この記事のURL

鎌倉オフ会レポ・その2 [2008年07月21日(月)]

続いて向かったのは、建長寺です。



建長寺は、鎌倉五山第一の臨済宗建長寺派の大本山です。



総門・三門・仏殿が一直線上に並び、いずれもがその巨大さで見るものを圧倒させる力を持っています。

仏殿・法堂をお参りしたあと、いよいよ鎌倉オフ会前半の最大の山場・建長寺半僧坊に歩を進めます。半僧坊は境内奥にある勝上嶽といわれる山の中腹に祀られている建長寺の鎮守です。



建長寺脇のゆるやかな上り坂の参道を進み、およそ200段の階段を上るとようやく半僧坊に到着します。

当日は暑さのためか、空気が湿気でもやっとしていたため、相模湾や富士山の姿をはっきりと見ることはできませんでしたが、空気が澄んでいる季節には、とても景色の良い展望台があります。






↑ 見本


↑ 現実

Posted at 15:25 | オフ会 | この記事のURL

鎌倉オフ会レポ・その1 [2008年07月21日(月)]

昨日の鎌倉オフ会は、好天というより猛暑といったほうがふさわしいお天気に恵まれ、まるで夏休みの部活の練習のようなワークアウト・オフ会となりました

メンバーは、これまでもわたしのオフ会に参加したことがあるかたばかりで、総勢7名。さるびーくん(別名・うおびーくん)、雅〜みやび〜さん、ゆきゆきさん、mogmogさん(別名・うおびーさん)、mooncatさん、rinkyohhenさん、りんごのみつです。

今回のオフ会の待ち合わせ場所は北鎌倉駅でした。






「この帽子、いくらに見える
「わからない
「12」(手の指で1と2をつくって、示します)
「1,200円
「違うよ
「じゃぁ、120円
「違う、12,000円
「え〜、信じられない、こんなのバッタモンじゃん


という会話が交わされた帽子をかぶって、ご満悦の表情のさるびーくん

最初の目的地は、東慶寺です。東慶寺は、女人救済のためのいわゆる「縁切り寺(駈込寺)」として知られています。明治になり男僧が住職につくようになるまで、鎌倉時代の開山以来格式の高い尼寺として、天下にその名をとどろかせてきました。



東慶寺到着早々門前の喫茶店のメニューを眺めるさるびーくん

東慶寺境内は、よく手入れの行き届いた緑に囲まれた物静かな空間でした。
この時期、なでしこや桔梗の花が咲いていましたが、四季折々花を絶やすことがないよう、さまざまな草木が植えられていました。




境内にあるこの井戸で顔をじゃぶじゃぶと洗うさるびーくんに、参加者から「おじさ〜ん」という容赦ないことばが浴びせられていました


Posted at 15:20 | オフ会 | この記事のURL

天然氷のかき氷 [2008年07月16日(水)]

日光・天然氷のかき氷(4代目氷屋徳次郎)です

一昨日まで日本橋三越において、期間限定出店されていました。店頭に掲示されていた表示によると、天然氷を製造・販売しているところは、全国に五ヶ所しかないそうです。





イチゴやメロンといった定番のシロップ以外に、マンゴーりんご黒蜜なども用意されています。

わたしは、そのなかから、沖縄粟国生なり糖シロップを選択しました。

注文を受けて、氷を削りはじめます。

シャッシャッシャッシャッ

リズミカルな音とともに、容器に削られた氷が降り積もります。
途中、一回削り機を止め、容器の縁にそって、にシロップをさっと注ぎます。
ふたたび、削り機の下にセットされます。

シャッシャッシャッシャッ、という心地よい軽快なリズムが容器のうえに雪を降らせます。

容器の高さの倍ほどにうずたかく積み上げられた白銀の塔に生なり糖の飴色の彩りが加えられます。

でも、このかき氷の主役はあくまでも氷それ自体です。生なり糖は遠慮しがちにかけられます。

テーブルの上のかき氷を見て、どこからスプーンをいれるか、迷います。

とりあえずシロップのかかった、首の部分にスプーンを差し込みます。きめ細やかに削られた氷に音もなく、すうっとスプーンははいります。

いまにも崩れ落ちそうになるてっぺんの氷を軽く押さえ、スプーンを引き抜き、ゆっくりと口に運びます。

口にいれた刹那、伝わってきたのはキーンとした冷たい刺激ではなく、ふわっとひろがるやさしい涼やかさです。

氷とともに溶けだす生なり糖の甘みは、からだに自然に染み込むじんわりとした甘みです。

とても美味です

あまりのおいしさに容器と口のあいだをスプーンにせわしく往復してもらいます。

天然氷のかき氷は、頭がキンキンすることもありません。ただ口中にやさしい甘さと清涼感が残るのみです。

食べ終わった後、幸福感に満たされました
それは、まるでお伽話の世界のかき氷を食べているようでした


Posted at 22:02 | 雑記 | この記事のURL

浅草観音ほおずき市 [2008年07月10日(木)]

毎年7月9日・10日の二日間に、浅草寺でほおずき市が開かれます。

また、この日にお参りすると、四万六千日分お参りした功徳があるとされ、境内は、参拝の善男善女で賑わいます。








↑ 紅くなっているのは、まだ下のほうの実のみです。
ちなみに江戸風鈴付きで一鉢、2,500円です。
少々お高めですが、縁起物なので、・・・


↑ 四万六千日のお守りです。






Posted at 21:45 | 雑記 | この記事のURL

七夕 [2008年07月07日(月)]

暑くてぼおっとしていたら、7月はじめての更新が七夕になってしまいました

今日はブログにも七夕のことを書かれているかたが多いようですね

七夕は、端午の節供同様、中国から伝来した年中行事で、もともと旧暦の7月7日におこなわれていました。牽牛・織り姫伝説は、みなさんもご存知の通り、牽牛・織り姫夫婦は、天帝の怒りを買い、1年に1度、七夕の夜にしか会うことができなくなった、というお話です。

本来、中国の伝説では、七夕の晩に鳳駕(ほうが・織り姫の乗り物)に乗り、鵲(かささぎ)の掛け橋を渡ってくるのは、織り姫でした。しかし、日本では、女性が男性に会いにくるという考えが、わが国の習俗に合致しないため、天の河を渡るのを牽牛(彦星)、逢瀬を待つのを織り姫(織女星)と話を逆転させました。

日本最古の漢詩集である『懐風藻』では、七夕詩は中国の詩に範を取っているため、織女星が天の河を渡ると歌っていますが、『古今和歌集』以後の和歌集においては、彦星が渡河するよう統一されていったようです。

ちなみに『古事記』においても、女神である伊弉冉尊が、男神である伊弉諾尊に先に愛のことばを投げかけたことを不吉とし、それによって生まれた《ヒルコ》を葦舟にいれて流し棄て、改めて、伊弉諾尊から伊弉冉尊に求愛し直し、国や神を生んだ、とされています。



参考文献 『世界宗教大事典』(平凡社、1991年)、『懐風藻』(講談社学術文庫)、『新古今和歌集』(岩波文庫ほか)、『古事記』(岩波文庫ほか)
Posted at 22:30 | 雑記 | この記事のURL