子育ても、人付き合いも、恋愛も(?)、日々勉強です!

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今日、生まれました! [2007年08月10日(金)]
 
今日、13時35分、3270gの男の子が生まれました!

生まれる4時間前まで皆さんのブログに遊びに行っていたのに、なんだか不思議です。

予定日から8日遅れだったけれど、誘発剤を使わずに、自然に陣痛が来てくれました。

でも、上の子同様、大変なお産で、小児科入院になっちゃいました。

9時半頃、既に陣痛の間隔が5分でした。

最初から5分だったんです!

焦りました(^_^;)

1時間くらい様子を見て、どうやら本物の陣痛のようだったので、タクシーで病院に向かい、旦那と病院で待ち合わせしました。

そして、陣痛室を飛び越えて、分娩室へ。

あっという間に1〜2分間隔になりましたが、子宮口が思うように開かず、苦しかったです(>_<)

旦那が腰をさすってくれて、練習した呼吸法をしながら、

『この程度で負けてたまるか!』

と必死で頑張りました。

しかし、赤ちゃんが出てきてから少しして出てくるはずの胎盤が、途中で出てきてしまうというハプニングが起きてしまいました。

幸い、その頃には子宮口も全開になってくれてましたが、一刻を争う事態となってしまいました。

途中から先生が、私のお腹を心臓マッサージのように押して、何回かイキんだ後、何とか生まれてくれました。

生まれた瞬間が旦那と一緒に見られたことが何よりも嬉しくて、大泣きしてしまいました。

しかし赤ちゃんは、出生後、泣きはしましたが、その後呼吸が弱くなってしまい、チアノーゼが出てしまったので、口に管を通して呼吸することになりました。

幸い、すぐに肌の色も良くなり、元気になってくれました。

今は自力で呼吸してくれていているようですが、今、子供はNICUにいます。

緊急事態だった為、本当は立会い出産も中断しなきゃならなかったようなのですが、旦那が冷静でいてくれたので、立会いを続行することができました。

旦那に感謝ですね(^-^)

もし子宮口が全開になるのが遅かったら、帝王切開になるところだったようです。

しかし後から聞いた話では、手術室に向かう途中で赤ちゃんは心停止していたかもしれないと聞かされて、ゾッとしました。

お産が早く進んでくれて本当に良かったです。

終わってみれば、分娩室に入ってから約1時間半というスピード出産でした。

でも、念願だった立会い出産もできたし、子供の容体も今は安定しているようで、とても満足しています。


ブログは毎日更新できないかもしれませんが、時間があったら更新していきたいと思います。

とりあえず、ご報告まで・・・m(__)m
posted at 20:15 | 出産エピソード | この記事のURL
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大変だった長男の出産D [2007年05月22日(火)]
 
Cの続きです)


その後、旦那と両親は、赤ちゃんを見に行ってしまった。

この時点で私はまだ我が子と対面していなかった。

出産が大変だったので出血も多く、とても起き上がれる状態ではなかったのだ。


両親が帰った後、私もなんとか起き上がることができ、旦那と一緒に赤ちゃんに会いに行った。

出産から9時間後、ようやく対面

でも我が子は保育器の中にいた。

「念のため」ということらしい。

そんな我が子を見た途端、なんだか涙が溢れてきた

(苦しい思いをしたけど、よく頑張ったね

そんな気持ちからか、涙が溢れてきてしまった。


ここの病院は基本的には母子同室だけど、私の場合は子供の体調次第ということで、2日後に小児科の先生のOKが出て、母子同室が始まった。


出産の翌日には、私もスタスタ歩けるようになり、2日後には普通に戻っていた。


その2日後の担当の助産師さんは、私のお腹を押してくれた助産師さんだった。

私が笑顔で

「こんにちは

と言うと、ビックリした顔をして

「回復が早いのね〜

と言われてしまった。

自分ではよくわからないけど、そんなもんなのかなぁ


そしてその助産師さんから、先生からも聞いていなかった、私の出産の裏エピソード(?)を教えてくれた。

赤ちゃんの心音が弱かったのは、へその緒が首にも脚にも巻きついていたから。

私の場合、骨盤が大きかったから良かった。骨盤が小さかったらもっと大変だった

それを聞いて、改めて「大変だったんだと思い知らされた。


その後、退院の日まで赤ちゃんの経過も順調

退院前日に私が熱を出すハプニングもあったけど、なんとか一緒に退院することができた。


きっと個人産院で産んでいたら、子供が生まれた直後に小児科のある病院に連れて行かれていて、母子離れ離れの入院生活を送っていたと思う。

個人産院は、食事に有名洋菓子店のデザートが出たり、フランス料理のフルコースが出たりするのが魅力だけど、私は母親のように、総合病院で産んで本当に良かったと思う。


そして8月に2人目が生まれる。

今度こそは立会い出産を実現させたいし、今度こそは普通に産みたいと願うばかりです・・・。

posted at 09:27 | 出産エピソード | この記事のURL
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大変だった長男の出産C [2007年05月21日(月)]
 
Bの続きです)


少し落ち着いた頃、先生に、

「おめでとう

と言われた。

私は、こんなに凄まじい出産だったにも関わらず、昨夜の夕飯のロースカツが効いていたのか、体力はメチャクチャ残っていた(笑)。なので本当は元気よく

「ありがとうございますっ

って言いたかったけど、こんな状況でその言い方はちょっと恥ずかしいかなと、こんなときにヘンに気を使ってしまい、疲れた表情で

「ありがとうございます

と先生に返した。

あ〜、やっと終わった、そう思った直後、ふと我に返って、お腹を押してくれていた助産師さんに、

「あの〜、ところで、性別はどっちですかね

と聞いてみた。

その助産師さんもわからなかったらしく、赤ちゃんが連れて行かれた部屋まで行って確認してくれた。

「男の子ですって

男の子かぁ

健診の時、超音波の検査で男の子だって言われてたけど、その時にもらった超音波写真を見てもあまりピンと来なかったので、先生には悪いけど生まれるまで疑っていた私達

その後、別の助産師さんが来てくれて、

「こんな惨状、ご主人には見せられないわね

と言って、血だらけになっていた私はもちろん、私の周りに血が飛び散っていた場所も全てキレイに拭いてくれた。


旦那と再会できたのは、出産から約1時間後だった。

その間、旦那は私が帝王切開の準備をしているのかと思っていたらしく、生まれたことも知らずに待っていたそう

でも、生まれたことを聞いた後、すぐに実家に連絡してくれていた

子供が生まれた瞬間は泣けなかったけど、旦那の顔を見たら泣けちゃうかななんて思いながら、旦那と再会。

「よく頑張ったね」

と言ってくれた旦那。

「うん」

と返した私。

・・・・・・泣けねぇ(笑)

やっぱり涙は出なかった

1時間くらい分娩室でお話したかな
(何話したかは覚えてないけど・・・)


その後、陣痛室にいた人が分娩室に入ってくるというので、その人と入れ替わりで私が陣痛室に移った。


PM3時頃、両親が来てくれた。

母親に「おめでとうと言われた。

その瞬間、今まで出なかった涙が出てきた

この時間はいつも会社にいるはずの父親もいる。

「仕事は

と聞いてみた。

そうしたら、生まれたという連絡がちょうど会社に着いた時に来たので、

「孫が生まれたので帰ります」

と言って有休を出し、さっさと帰ってきてしまったそう(笑)。


旦那と両親が勢揃いしたところへ、お産を担当してくれた先生、先生のサポートをしていた助産師さん、私の担当の助産師さん、小児科の先生の4人が、出産の経緯について説明をしに来てくれた。


吸引分娩がダメだったので、鉗子(かんし)分娩という方法で赤ちゃんを取り出した。

※鉗子(かんし)分娩
 吸引分娩でダメな場合の最終手段で、ヘラのようなものを使って赤ちゃんを挟んで取り出す分娩方法。


赤ちゃんが「小児科入院」扱いになる。

お産の進み方が早かったので、次回のお産は(早く生まれる可能性があるので)要注意である。

と言われ、最後に先生に、

「大変でした」

とキッパリ言われてしまった。


・・・そんなに大変だったんだ


私はてっきり吸引分娩だと思ってたのに、鉗子分娩

吸引は勉強していたけど、鉗子までは勉強してなかったなぁ

まさか自分が鉗子分娩なんかで出産するとは思ってなかったしね
posted at 14:28 | 出産エピソード | この記事のURL
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大変だった長男の出産B [2007年05月20日(日)]
 
Aの続きです)


ところが、お産が急に進み始めた

子宮口が開き始めたのだ。

でも、赤ちゃんは弱っているので自分から出ることもできない。

先生が会陰切開を始めた

よく雑誌には、「陣痛の痛みのお陰で会陰切開の痛みがわからなかった」って書いてあるけど、私はよくわかった。

とっても痛かった

「お産の時は本性が出る」って「A」にも書いたけど、先生に

「痛いよぉ

って怒鳴ってしまった(笑)

でも、このくらいはまだカワイイ方(笑)。口が悪いいつもの私なら、

「痛てぇーんだよボケッ

って言ってたことだろう(笑)。

こんな状況でも我を忘れていなかった私(笑)。

会陰切開が終わり、先生が吸引分娩に踏み切った。

嫌いな食べ物を聞いてきた助産師さんは、赤ちゃんが出て来やすいように、私のお腹を押すように先生に言われていた。

陣痛の波が来たと同時に、嫌いな食べ物を聞いてきた助産師さんの「せーのの合図で、私はイキみ、その助産師さんは私のお腹を、先生は吸引の器具で赤ちゃんを取り出そうとした。

「ダメだ・・・」

という先生の言葉。

吸引というのは2〜3回が限度で、あまりできないらしい。

何回かやってみたが結局ダメで、その度に先生の「ダメだ」という言葉が聞こえた。

(え〜、ダメだなんて言わないでよ〜やっぱり帝王切開

と心の中で思っていた。

その時、先生が、サポート役の助産師さんに、

「○○持ってきて

と言っていた。

(まだ望みはあるのか

と思いながら、もう一度(二度)「せーの」の合図でイキんだら、

ヌヌヌッと赤ちゃんが出てきた

「あー、やっと出てきた〜」と思ったけど、普通赤ちゃんって出てきたら泣くよね

泣かないで出てきたうちの子。

「あれ泣き声が聞こえない・・・。」

って言ったら、先生のサポートをしていた助産師さんが、

「ちょっと待って

と言って、赤ちゃんに何か手を加えていた。

その後、

「オギャー

と泣き声が聞こえた。

あーよかった

泣き声が聞こえれば赤ちゃんは大丈夫だろうと思った。

でもほっとしたのもつかの間、赤ちゃんはその助産師さんと小児科の先生に、走って別の部屋へ連れて行かれてしまった。

AM7時27分

終わってみれば、病院に到着してから2時間半というスピード出産だった。

赤ちゃん誕生の瞬間って、きっと私は泣いちゃうんだろうなぁと思っていたけれど、大変だっただけに「ほっとした」という気持ちの方が大きく、涙は出なかった。

気づいたら、私はもちろん、先生も助産師さんも、みんな血だらけだった。

おまけに私はもちろん、先生でさえも、私がいつ破水したのかわからなかった。
posted at 17:01 | 出産エピソード | この記事のURL
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大変だった長男の出産A [2007年05月19日(土)]
 
@の続きです)

痛みに堪えながらも分娩台に乗り、お腹の子にできるだけ酸素を多く送るようにと、酸素マスクを付けられた。

でもこの酸素マスク、手術の時みたいに固定してくれればいいのに固定してくれなくて、自分で抑えなくちゃならない。

程なくして、立会いのために旦那が給食当番の人みたいな格好をして分娩室に入ってきた。

私の腰をさすりながら「吸って〜、吐いて〜」を繰り返し言ってくれた。

でも、腰をさすってくれるのはいいけど、場所が違う痛みの位置って移動するからいちいち教えなきゃならない。

「お産の時は本性が出る」と雑誌に書いてあったけど、まさにその通り旦那に

「そこじゃねーんだよ

って言いたかったけど、痛くて言えない

だからさすってる手を無理矢理乱暴に移動させた。

もう、腰はさすらなくていいから酸素マスクを持ってて、って感じだった(笑)。

気づいたら、さっきまで2人しかいなかった助産師さんが何人か増えていて、先生も2人付いていた。そのうちの1人の先生が旦那に、

「お産が進まないので帝王切開に踏み切りたいのですが、宜しいでしょうか

と聞いてきた。

私の顔を見る旦那。

私は、もうどうにかしてこの痛みから解放されたかったから、帝王切開でも何でもしてくれっていう感じだったので、迷わずOKした。

すぐにその場で旦那が手術の承諾書を書き、すぐさま帝王切開の準備が始まった。

でも帝王切開って、分娩室でやるんじゃなくて、手術室へ移動しなければならない。

ココは5F。

手術室は2Fか3F。

分娩台から動かなきゃならないのね

なんて考えているうちに心電図担当の人が来たり、小児科の先生が駆けつけたり、

「○○持ってきてー
「○○無いよー


という先生の罵声が飛び交ったりで、分娩室は私一人のために大変なことになっていた。

そんな中、なぜか1人の助産師さんが私の横に来て、

助産師「チーコさん、嫌いな食べ物はありますか

と落ち着いた口調で尋ねてきた。

痛みに耐えながら、

私「え〜と・・・、シイタケと・・・」
(って、おーい今そんな場合かー

助産師「チーコさん、ご両親は健在ですか

私「は、はい・・・」

助産師「チーコさん、お母様は高血圧とココに書いてありますが、お父様は健在ですか

私「はい・・・」
(ってゆーか、今『健在』だって言ったじゃんよー

こんなときに、「今答えなきゃダメ生まれてからでいいじゃん」っていうようなことを聞いてきた。

いったい何だったんだろう。
今でも不思議・・・。

分娩室にいた人の大半が帝王切開のために手術室へ移動したらしく、分娩室に残ったのは私と、嫌いな食べ物を聞いてきた助産師さんと、先生1人と、先生のサポートをする助産師さん、小児科の先生の5人だけになった。

旦那は外で待たされていた。
(この時点で立会い出産は夢に終わった・・・
posted at 17:06 | 出産エピソード | この記事のURL
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大変だった長男の出産@ [2007年05月18日(金)]
 
私は息子を総合病院で出産した。

中学生の頃、母親から私と妹の出産の話を聞いた影響だが、その中でもっとも印象に残っているのは、妹が生まれた時、医者から「脚が曲がっているかもしれない」と言われたという話。

総合病院で出産した母親は、妹をすぐに整形外科医に診てもらい、結果「異常なし」という回答がすぐに聞けたという。

「総合病院だったからすぐに診てもらえたんだよ

その言葉を聞いて、私も中学生ながら、出産するときは総合病院にしようと決めた。

でもまさかこの時、自分が「総合病院で本当に良かった」と思える出産をしようとは、夢にも思わなかった・・・。


8年間勤めた会社を臨月に入る10日前に退職した。退職する際、勤労担当者から、

「予定日までに産まれちゃったら出産手当金が少なくなっちゃうよ

と言われた。

マジで

ギリギリまで働けばそれだけ得する、って噂で聞いてたけど、嘘だったの

でもこればっかりはどうしようもない。


2005年6月30日、予定日当日の朝に「おしるし」がきた。

破水とかじゃなかったから冷静でいられた。

その日の夕方、陣痛らしき痛みがきた。

あっという間に5分間隔

病院と、会社にいる旦那に連絡して、たまたま来てくれていた母親とタクシーで病院に向かった。

病院に着くなり、即内診。

でも、子宮口は1〜2cm開いているだけ。

陣痛の痛みと思っていたのも気のせいだった。

今思えば普通に歩けてたしね

「今入院したら高くつくよ」と言われて、母親と、途中から合流した旦那と3人で仕方なく家に戻った。

その日の夕飯は、出産に備えて近所の精肉店で買ったロースカツ

これが後々の出産に「いい意味」で影響するとは・・・。


夕方に感じた「陣痛らしき痛み」が、夜になって本格的な痛みになってきた。

でもまだ陣痛の間隔が30分だったので、痛みを我慢しながらお風呂に入り、マユゲもキッチリ描いておいた。

よくテレビで出産のドキュメントやってるけど、出産した人って大抵マユゲが薄いか描いてない人が多い(笑)。そういうのがイヤだったから、臨月に入ってからはいつ病院に出向いてもいいように、寝る前にマユゲだけはしっかり描いていた私・・・(笑)。

そんなこんなで予定日当日が過ぎようとしていた。

痛みに耐えながらも午前0時になった瞬間、

「よぉ〜し 手当金GET

と、心の中で叫んでいた(笑)。


AM4:30頃、ようやく陣痛が5分間隔になったので、病院へ向かった

病院に着くなり、内診をした後、胎児の心拍を確認。ところが・・・、

「チーコさん、赤ちゃんの心音が弱いんです。赤ちゃんが弱っている可能性があるので、このまま分娩室に直行します」

どういうことそれってヤバイの

私は訳がわからず、助産師さんに言われるがまま車イスに乗り、陣痛室を飛び越えて分娩室へ直行した


posted at 13:34 | 出産エピソード | この記事のURL
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