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イベント前には何かが起こる?! [2008年04月30日(水)] |
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posted at 12:29
| 家族
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辛かった次男の入院生活C [2008年04月28日(月)] |
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前回の記事はこちらです→「@」、「A」、「B」
入院3日目
夜に2回も吐いていまった次男。
私はその夜も前日同様、2〜3時間しか眠れませんでした。
私の体調は絶不調
精神的にも絶不調
ボーッと過ごしていたら、主治医のM先生が来てくれました。
1日の記録表に「吐」という文字を見つけた先生、
「ありゃー吐いちゃったかぁ」
私 「はい・・・」
そして、次男のお腹をを触診してもらったところ、また腸の働きが悪くなっているかもと言われ、再度レントゲンを撮ることになりました。
10時半頃、看護師さんに連れられて、次男をベビーカーに乗せて、放射線科へ行きました。
金曜日のせいか、患者さんがたくさんいて、私達はしばらく待たされました。
立って待っていたら、寝不足と精神的な疲れからか、私は貧血を起こしてしまいました。
「お母さん、座って待ってていいわよ」
看護師さんにそう言われて、私だけイスで待たせてもらいました。
少ししてから次男の順番が来て、レントゲン撮影は無事終了。
病室へ戻った頃にはお昼になっていたので、私は次男が大人しい間にコッソリと病室を抜け出し、病院前のスーパーまでお昼を買いに出かけました。
病院を出て、その日初めて携帯の電源を入れた私。
産科病棟では携帯は使いまくっていましたが(K先生ゴメンナサイ(笑))、小児病棟では次男を始め、点滴をしている子がたくさんいましたので、携帯は絶対に使いませんでした。
でも、面会所での携帯の使用は許されていましたので、ここでいつも皆さんからのコメントを拝見していました
旦那から、「半休で帰って病院へ向かう」とメールが。
母親から、「電話ちょうだい」と何件もメールが。
急いで母親に電話をかけたところ、私からちっとも連絡がないので次男に何かあったのかと思って心配していたと言われてしまいました。
そして、
「土曜日、1日付き添いを○○くんと交代してもらって、あんたは私らと一緒に買い物しなさいよ。」
と言ってくれました。
どうやら母親は、前日の私の電話での様子に気づき、気を使ってくれたようでした。
そのことをそのまま旦那にも話し、
「ちょっとが心配だけど・・・」
と言いながらも了承してくれました。
それにその日は、あの「旦那の家族」がお見舞いに来る日だったので、私はあまり病院にはいたくなかったんです
(グチ)
義母が来るのはいいとしよう(「いい」というか、「仕方がない」というか)。
義弟も仕方がない(義母の「パシリ」だし)。
でも何で「義姉」まで来る
お前は関係ねーだろっ
夕方、M先生が病室へやってきました。
レントゲンの結果は、以前よりも良くなっているとのことでした
「もう一度ミルクを飲んでみようか」
えぇっ
夕べ吐いたばかりだっていうのにもう飲み始めちゃうの
いくらレントゲンの結果が良好といえども、私的には、1日開けてからミルクを飲ませてみたかったのです。
だって、また吐いちゃったらと思うと・・・
早速、看護師さんがミルクを持って来てくれました。
量は、いつも飲んでいる量の半分の量でした。
次男はペロッと飲んでしまいました。
その日は、同じ病室の子が退院してしまったので、部屋で初めて次男と2人で迎える夜でした。
なので、「ある意味」吐いて騒いでも誰にも迷惑はかかりません(看護師さんを除く)。
「吐きませんように・・・」
そう願いながらベットに横になりました。
<続く> |
posted at 12:56
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三十路になりました! [2008年04月24日(木)] |
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生まれた時間にアップしてみました
今日は私の30回目の誕生日です
ついに30代に突入です
この前、会社にいた時のことを思い出しました。
私が21歳だった頃、私の部署に別の部署から異動になった人が配属されました。
1人ずつ自己紹介をしました。
「樹里です。21歳です。」
私はフツーに年齢を言いました。
しかし、私より6歳年上の、当時27歳だった先輩()は、
「年齢は・・・、ちょっと言いたくないので」
と、隠していました。
「だんだん年を重ねると年齢は言いたくなくなるんだ」
そういうものなんだと思いました。
でも私が27歳の時は、特に「隠したい」とは思いませんでした。
そして30歳になった今も、その気持ちは変わりません。
堂々と、
「三十路です」
と言えます
これから先も、堂々と年齢を言える生き方をしていきたいですね |
posted at 10:42
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長男が迷子に・・・。 [2008年04月21日(月)] |
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土曜日、長男が迷子になってしまいました
午後、市内のショッピングモールへ行った時のことです。
モール内に入った直後、館内放送が流れました
「迷子さんのお知らせをします。○○くんという3歳のお子さんが・・・・・・防災センターでお預かりしておりますので・・・」
旦那と、
「迷子『さん』だって(笑)」
などと言って笑っていました。
そして、
「防災センターってどこだろうね」
と話しながらエスカレーターを下りていたら、目の前の隅の方に、「管理事務所、防災センター」と看板のついた、目立たないドアがありました。
「こんなところにあったんだ」
いつも前を通っていたのに全く気付きませんでした。
その時は、私達がその「防災センター」にお世話になるなんて想像もつきませんでした。
ちょうど次男のミルクの時間だったので、私と次男は、トイザらス内の授乳室へ向かいました
旦那と長男は、店内のミニカーで遊んでいました
次男のミルクが終わり、みんなでトイザらスを出ようとしました。
ところが長男はまだ遊び足りなかったようで、「イヤイヤ」が始まってしまいました
こういう時、私達はいつも長男を置いて行きます。
そうすると長男は、泣きながらでも私達について来ます。
この日も長男がついて来るものだと思っていました。
しかし、旦那が長男の名前を呼ぶと、長男は別のところへ行ってしまいました。
なんだよ〜、と思いながら、私と旦那で挟みうちをして長男を捕まえようとしました。
ところが、長男の通るであろう通路へ行っても、長男の姿がありませんでした。
こんな時に限って長男の服装は、上下淡い色・・・
赤いTシャツでも着せておけばよかったと後悔しました
結局旦那も長男を見つけることができませんでした。
ったく、どこ行ったんだよ
と思いながら、旦那と手分けして捜しました。
しかし、店内を隅々まで捜しましたが、長男は見つかりません。
イヤな予感がしました。
(どこ行っちゃったの)
だんだん泣きそうになりました。
長男は一瞬にしていなくなってしまいました。
もしかしたら、ヘンな人に連れ去られてしまったのではないか・・・。
この日長男は、紺色の「いないいないばあっ」のリュックサックを背負っていました。
人気のある番組です
もしかしたらリュック目当てで誰かが長男を連れ去ってしまったのではないか・・・。
いろいろなことを考えてしまいました
私とは別の場所を捜していた旦那にも、長男を見つけることはできませんでした。
1人で店内を出て行くことはまず考えられません。
なので私達は、何回も何回も店内を回って長男を捜しました。
店員さんに頼んで迷子の放送をしてもらおうと思いましたが、長男がひょっこり出てくるのではないかと思うと、頼めませんでした。
しかし結局、長男は見つかりませんでした
(このまま見つからなかったらどうしよう・・・)
我慢していた涙が出てきてしまいました。
私がどれだけ心配しているのかわからないのでしょうか。
大して心配していないような雰囲気の旦那に頭に来ました
そして旦那は、
「ちょっと車を見てくる」
と言い、外へ出て行ってしまいました。
車と言っても、長男が車に戻っているなんて考えにくい・・・。
車は3F、トイザらスは2F。
自分でエスカレーターには乗れないはず。
私は全く期待せずに、長男を最後に見た場所で、泣きながら次男を抱っこして旦那を待っていました。
しかし、この旦那の行動が正解でした
旦那が外へ出ると、迷子の館内放送があったそうです
なんと、長男の服装の特徴を言っていて、更に、紺色のリュックサックを背負っていると言っていたのです。
旦那はすぐに長男だと思い、何分か前に場所を知った「防災センター」へ急いで行ってくれました。
そこには、長男の姿がありました
長男は、車の置いてある3Fではなく、2Fの駐車場で1人でいたところを、駐車場のガードマンのおじさんに目撃され、保護されたのでした。
車に接触していたらと思うとゾッとしました
無事で本当に良かったです
防災センターにいた長男は泣いていなかったようでしたが、旦那の姿を見た途端、半べそをかいていたようです。
そして私と次男が待っている場所へ、長男を抱っこした旦那が戻って来ました。
館内放送は、店内には聞こえません。
何も知らなかった私は急いで長男に駆け寄りました。
「どこにいたのよぉー」
もう、号泣でした。
旦那の姿を見て半べそをかいた長男は、私の姿を見た途端、号泣していました。
そして私達は一旦車へ戻りました。
車へ戻ると私は、長男を抱きしめて、
「お願だからもうどこにも行かないで・・・」
と泣きながら何度も言い、しばらく長男から離れることができませんでした。
そんな私の姿を初めて見た長男は、少しビックリしたようで、私から離れて、旦那の後ろに隠れてしまいました。
その後、このショッピングモール内で食品の買い物をする予定でしたが、一刻も早くここから出たいと思い、食品の買い物は近くのショッピングセンターですることにしました。
(高くつきましたけど・・・)
まさか我が子が迷子になるなんて思ってもみませんでした。
今回のことに懲りて、今後、トイザらスに限らず、店内では、嫌がっても子供の手を引いて歩くようにしようと思いました。
そして子供のカバンの中には、子供の名前、年齢、住所、連絡先、旦那の名前等を書いたものを入れておこうと思いました。
今まで迷子の放送が流れても、「大変だなぁ」程度にしか思っていませんでした。
しかし我が子が迷子を経験した今、迷子の放送を聞いたら、その子を捜してみようと思うようになりました。
最近またイヤなことが続いています。
この出来事が、「イヤなこと」のピークであって欲しいと思うと同時に、もう二度とあんな思いはしたくないと思いました |
posted at 15:31
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辛かった次男の入院生活B [2008年04月18日(金)] |
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前回までの記事は、こちらです→「@」、「A」
入院2日目
前日よりも、若干笑顔を見せてくれた次男。
でも、それも朝だけでした
体調は少しは良くなっているのかと思いきや、体温を測ったら、今まで36度台だった熱が、なんと38度に上がってしまいました
その割には涼しい顔をしていた次男。
2〜3時間後に測ったら、37.4度に下がっていました。
私は病院内で皮膚科にかかっていて、その日は皮膚科の予約の入っている日だったので、看護師さんに次男をお願いして、皮膚科へ行ってきました。
少し違う場所へ行くだけで、とても気分転換になりました
(先生もイケメンだしなんか、「いい香り」がするんです(笑)でも、今月転勤になっちゃって、ちょっと残念)
皮膚科の診察が終わった後、昼食を買いに、病院の向かいのスーパーへ行きました。
その帰り、病院内の売店前を通りかかった時に、ついに、
「こんにちは」
と声をかけた私。
なぜか1テンポ置いて、
「こんにちは」
と挨拶してくれた先生
先生、マスクををしていたので、笑ってくれていたのかどうなのかはわかりませんでしたが、とっても嬉しかったです
でも、会った場所が「売店前」じゃあなぁ
ただ単に外来に来ただけと思われてしまったことでしょう
私が病院に泊まっていることは気づいてもらえませんでしたね
点滴を始めて24時間経った頃、M先生から、
「ミルクを飲んでみようか」
と言われました。
ミルクを飲んで吐かなければ、明日退院できるかもと言われました。
退院は早い方が嬉しいけど、ちょっと心配・・・
夕方、ミルクを飲ませました。
どうか吐きませんように・・・
しかしそんな願いも届かず、22時半頃、夕方に飲んだミルクを全て吐いてしまいました
看護師さんを呼んで、次男の服とシーツを替えてもらい、次男を寝かしつけた後、私は旦那と母親に電話をしました。
旦那は出なかったので、先に母親に電話をしました。
「がまた吐いちゃったから、いつ退院できるかわからないよ土曜日に○○くん(←旦那)と、のパジャマを買いに行きたいから、昼間だけ付き添い代わってくれる」
母親は快く代わってくれると思っていました。
しかし、
「何言ってるのあんたがいなかったら泣いちゃうでしょあんたはいなきゃダメよパジャマなんて○○くんに買ってきてもらえばいいじゃないの」
全く予想していなかった言葉でした。
私は少しでも外へ出て気分転換したかったのに・・・。
母親ならわかってくれると思っていたのに・・・。
私が黙っていたら、母親が続けてこう言いました。
「私だっての面倒を見て頑張ってるの。も頑張ってるんだよ。だからあんたも頑張らなきゃダメだよ」
うるさいそんなこと言われなくてもわかってるよ
そんな言葉は今の私にはウザイだけ
頭にきたので、
「わかったよじゃあもういいよっ」
と言って、一方的に電話を切りました。
その後、旦那に電話をかけました。
次男が吐いたこと、母親とのやりとりを話していたら、涙が出てきてしまいました。
でも、思いやりのカケラもない旦那に話したところで何も癒されることはありませんでした。
その夜は、次男がまた吐くのではないかと思うと、なかなか眠れませんでした。
案の定、AM3時半頃、また吐いてしまいました。
今度は点滴が刺さっている場所を嘔吐物が直撃してしまい、洋服、布団、包帯から何まで総取り換えでした。
全て取り替えて次男を寝かしつけた後、私は途方に暮れてしまいました。
(退院の見通しがつかなくなった・・・)
そう思いました。
休日でも誰も私と交代してくれない・・・。
私はいつになったら自由になれるのだろう・・・。
なりんさんが心配して下さったように、心が悲鳴をあげそうでした。
「この建物のどこかにK先生がいる・・・」
そんなことは、どうでもよくなっていました。
<続く> |
posted at 14:37
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辛かった次男の入院生活A [2008年04月16日(水)] |
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前回の記事は、こちらです→「@」
入院1日目
病室は2人部屋でした。
病室へ着いた私は、付き添い用のベットがないことに気付きました。
「あの〜、私も付き添いができると聞いたんですけど、ベットは・・・」
と、看護師さんに聞きました。
そうしたら、看護師さんから思いもよらない言葉が。
「付き添い用のベットはないのよ。お子さんのベットで一緒に寝てもらうの。狭くて申し訳ないんだけど・・・」
えぇー
ウソでしょー
私もこのベビーベットで寝るのぉ
妹が幼稚園の頃、肺炎で入院しました。
その時、母親が付き添いで病院に泊まっていました。
その時は、有料ではありましたが、付き添い用の簡易ベットがあったそうです。
どこの病院でも付添用のベットがあるのかとばかり思っていただけに、ビックリしました。
そして、一気にブルーになりました
このベットで子供と一緒に1週間過ごすのぉ
勘弁してよ〜
そうじゃなくてもK先生のことでブルーになっていて、更に前日から1週間遅れて生理が始まっちゃって、更に追い打ちをかけるかのように次男の入院&このベット・・・
もう、泣きたくなりました
とりあえず次男をベットに寝かせて、試しに私も寝てみることに・・・。
身長154cmの私が脚を伸ばして寝てみたら、なんとピッタリ
このベット、160cmほどの長さしかなかったのかもしれません。
背の高い人が付き添うと大変だなぁ・・・。
29年生きてきた中で、初めて「背が低くてヨカッタ」と思えた瞬間でした。
そして程なくして、主治医の先生が見えました。
先生は、外来で診察してくれたO先生ではなく、先日長男がロタウイルスにかかった時に診察してもらった、小児科部長のM先生でした。
M先生 「今度は下のお子さんですか・・・(苦笑)」
私&旦那 「はい・・・(苦笑)」
そんなやりとりもそこそこに、次男の病状と、治療方法を説明されました。
次男の病気は「腸閉塞」で、治療方法は、絶食してひたすら点滴だけの生活を送ること。
腸閉塞
ロタウイルスじゃなかったの
ロタウイルスの検査をしたところ、なんと「陰性」だったんです。
でも、長男がロタにかかったので、ロタの可能性も無きにしも非ずと言ったところで、「『黒』に近い『白』、言わば『灰色』」のような検査結果だったようです。
予想もしていなかった病名に、私も旦那もビックリでした。
その後、次男を旦那に任せて、私は着替えを取りに家へ戻りました。
家へ帰ると、長男が出迎えてくれました。
次男と2人で出かけたはずなのに私だけしか帰って来なかったことを不思議に思ったのでしょう。
長男に、「おかえり」と言われる前に、
「は」
と言われてしまいました。
帰りのタクシーの中で落ち着きを取り戻していたはずの私は、その言葉を聞いた途端、また涙が溢れてしまいました。
そして長男に、
「ゴメンネ、は帰って来られないんだよ」
と言いました。
でも、訳のわかっていない長男。
「〜」と呼びながら、1Fまで次男を探しに行っていました。
それを見た私はもちろん、母親も泣いていました。
そんな長男を母親に任せて、私は、父親が家に来るまでに荷造りをして、シャワーを浴びることにしました。
荷造りが終わり、シャワーを浴びた後、飛んで来てくれた父親にお礼を言い、両親、長男、私の4人で、実家の車で病院へ向かいました
小児病棟は、中学生以下の子供は入れません。
それに次男の場合は、病室の外へ出ることも許されなかったので、長男は次男と会うことができませんでした。
次男を両親に任せて、私、旦那、長男は、買ってきたお弁当を面会所で食べることにしました。
(病室は飲食禁止なので、付き添いの人は病院の近所のスーパーやコンビニで買って、三食を面会所で食べなければなりませんでした。)
食べ終わった後、父親は翌日も仕事なので早く帰らなければならないということで、長男とは面会所でお別れです。
「いい子にしているんだよ・・・」
また涙が出てきました。
その時長男が何と言ったのかは覚えていませんが、長男なりに「何か」を察していたようで、その日はなかなか眠らず、夜中もグズッて起きてしまったそうです
両親が長男を連れて帰った後、旦那は少しだけ病室に残ってくれました。
小児病棟の消灯時間は早く、なんと19時
とても眠れません
面会時間は20時までですが、子供に付き添わないご家族は、子供を寝かしつけてから帰る人がほとんどで、普通に22時、23時までいました。
旦那は20時半頃に帰りました。
その後、隣のベットの子も寝ているので、私はともかく、次男を寝かすことにしました。
次男は寝つきの良い子で、今まで寝かしつけに苦労したことは数えるほどでした。
それは病院でも変わらず、入院中は毎日すんなりと寝てくれたので、とても助かりました。
問題は私です
ベットの長さはちょうど良いとはいえ、所詮ベビーベット、幅は狭いです
赤ん坊というのは、腕をダラんとして寝ないで、腕を曲げて寝たり、大の字になって寝るので、横に寝る私はどうしても狭くなってしまいます。
私はただの付き添い。
病人の次男にはラクな姿勢で寝かせてやりたい
そう思い、私は、横向きに寝たり、仰向けに寝たり、あらゆる姿勢を試して寝てみましたが、全くシックリ行かず、結局2〜3時間しか眠れませんでした
睡眠が取れないのは辛いけれど、この建物のどこかにK先生がいるはず
しかも、小児病棟の上の5Fは、産科と婦人科の病棟があります。
先生方は、エレベーターではなく、階段を使って移動していることも知っています。
「階段を使えばK先生に会えるかも」
私は次男の入院中、体調のいい時はエレベーターではなく、階段を使って移動していました。
「いつか先生に会えるはず」
それを励みに頑張ろう
そう思いました。
<続く> |
posted at 13:00
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辛かった次男の入院生活@ [2008年04月15日(火)] |
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3月26日〜31日まで入院していた次男の記録です。
「次男が入院するまで 〜 5日間に渡る入院生活 〜 退院まで」を、忘れないうちに残しておきたいと思います
最初に嘔吐があったのは、2月の下旬でした。
あまりミルクを吐かない次男が、大量に吐きました。
長男がの時は、二度ほど大量に吐いた記憶があります。
その時の吐き方と、次男の吐き方は、違っていました。
その時点で、「次男の吐き方は普通ではない」と感じていました。
が、何の知識もない私。
医師にどう説明すれば良いのかわからず、結局吐き気止めの坐薬をもらうことしかできませんでした。
入院する3日前の日曜日、1日4回飲むミルクのうち、3回吐いてしまった次男。
翌日の月曜日、様子を見て、嘔吐が続くようだったら火曜日に病院へ連れて行こうと決めました。
案の定、寝る前に吐いてしまいました。
そして火曜日、朝イチでいつもの総合病院へ連れて行きました
のO先生でした。
次男のお腹に聴診器をあてて、今度はお腹を触診。
「お腹も動いているみたいですので、多分、上のお子さんの『ロタウイルス』が移った可能性があります」
と言われ、またも吐き気止めの坐薬を処方されました。
(こんな坐薬で治るようには思えない・・・)
「母親の勘」でしょうか、そう思いました。
坐薬は3回分もらいました。
その日次男は2回吐いたので、その日のうちに坐薬を2回分使いました。
(これで坐薬が切れてもなおも吐くようだったら、翌日に夜間の救急にかかろう。)
そう思っていました。
翌日の朝方、珍しく次男が大泣きしました。
次男の嘔吐が心配でロクに眠っていない私は、大泣きしている次男の相手をするのがイヤで、次男を無視して布団をかぶっていました。
お隣さんに聞こえるくらいに次男が大泣きしているのに、大イビキをかいて寝ている旦那に腹が立ち、枕を旦那目がけて思いきり投げて旦那を起こし、次男を旦那に任せました。
次男は大量のをしていました。
下痢でした。
私はの処理を旦那に任せて、そのまま寝てしまいました。
その日は寝不足だったため、母親に朝から来てもらい、私は次男と寝ることにして、次男には念のため、最後の坐薬をやって寝かせました。
30分後、私がウトウトしていると、次男が咳き込みました。
ヤバイと思って起き上がると、次男が吐いていました。
(坐薬をやったのに何で吐くのやっぱりおかしいよ)
この時私は、tokoさんが仰っていた「誤診」を疑いました。
軽い朝食、洗顔を済ませた私は、急いで病院へ連絡しました。
小児科の外来へ電話を回してもらい、外来の看護師さんが出ました。
私 「昨日そちらへかかったのですが、吐き気止めの坐薬をやっても吐いてしまうんです。」
看護師 「お子さんはおいくつですか」
「7ヶ月です」
「7ヶ月・・・・・・」
看護師さんの、「ちょっと心配だわね」という雰囲気が、電話からも伝わってきました。
そして、正午までに病院へ来て欲しいと言われ、長男を母親に任せ、次男とタクシーで病院へ行きました。
病院へ着き、小児科の外来へ行くと、次男は「感染症の疑いがある」という理由で、他の患者から少し離れた場所で待つように言われました。
程なくして、次男の名前が呼ばれました。
先生は、長男が生まれた直後に小児科入院を余儀なくされた時の主治医ののO先生でした。
前日ののO先生の時と同様、次男のお腹に聴診器をあてて、今度はお腹を触診。
「触った感じではお腹は動いていると思います。念のためレントゲンを撮りましょう。お腹が動いていなかったら入院になりますが、たぶん大丈夫でしょう。レントゲンを撮った後、点滴を打ちましょう。」
ようやく一歩進んだ治療をしてもらうことができました。
点滴を打てば次男は治る、そう思いました。
ところが、レントゲンを撮った後、小児科へ戻り、先生に呼ばれて診察室へ入った途端、
「お母さんダメだお腹(腸)が動いてないや入院だ」
えぇっ入院
予想もしていなかったことだったので、絶句してしまいました。
「入院と言っても3〜4日くらいです。中には1週間ほど入院してしまう子もいますが・・・」
長くて1週間か・・・。
「私が付き添いで泊まることはできますか」
「多分大丈夫だと思います」
次男はお母さん子なので、私がいないと泣いてしまうんです。
どうしたら良いのかわからなかったけれども、とりあえず付き添いたかった。
その後、病室の準備などがあるので少し待合室で待っていて欲しいというので、ベビーカーで寝ている次男と待つことにしました。
その間、母親に電話をかけました。
母親の声を聞いた途端、我慢していた涙が溢れてきました。
「、入院だって」
「えぇっ」
母親はビックリしていました。
そして、泣いている私に、
「泣かないで大丈夫だから。お母さんがしっかりしないとダメだからね」
と言ってくれました。
そして、泣いている私の代わりに、母親が旦那に連絡をしてくれることになり、同時に父親にも連絡をしてくれました。
そして次男が退院するまで、長男を預かると言ってくれました。
旦那は半休を取り、家には寄らずにそのまま病院へ来てくれることになりました。
父親は半休は取れなかったので、2時間年休を取ってくれました。
旦那を待っている間、看護師さんから入院の説明がありました。
「お母さん、入院と聞いてビックリしたでしょう」
と看護師さんに言われて、また涙が出てきてしまいました。
説明が終わり、少し待った後、小児病棟の受付の人が迎えに来てくれました。
と同時に、タイミング良く旦那が到着しました。
旦那も加わり、みんなで小児病棟へ向かいました。
その日から、短いようで長かった入院生活が始まりました。
<続く> |
posted at 12:30
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復活!!そして・・・。 [2008年04月10日(木)] |
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ご無沙汰しております
まず、先月のK先生の記事にコメントを下さった方、大変遅くなって申し訳ありませんでした
お返事を書かせていただきましたので、宜しかったらご覧下さい
(こちらからどーぞ → 「K先生に伝えたいこと。」)
次男の退院から約1週間後、看病疲れが旦那と共に出てしまい、旦那と2人揃って熱を出してしまいました
ですが、日曜日には熱が下がり、火曜日にようやく元の生活に戻れました
これからボチボチと、次男の入院中の記事を書いて行こうと思います
今後もマイペースな更新となりますが、どうか宜しくお願い致します
昨日は、長らく実家でお世話になっていた長男が帰って参りました
また、いつものにぎやかな生活に戻りました
次男は、お蔭様ですっかり元気になりました
先週木曜日、退院後の診察がありました
もう何も心配いらないと言われ、やっと苦しみから開放されました
離乳食、外出、予防接種もOKが出ました
木曜日といえば、K先生の産科外来の日
あ、ちなみにK先生、転勤じゃありませんでしたぁ〜
次男の予約が10時だったので、先生に会えるはずはありません
でも、外来担当表の木曜日の欄だけでも見て元気をもらおう、と思い、先生の名前を探しました。
ところが・・・、
先生、水曜日の担当だった先生と入れ替わっていたんです
ということは、先生の担当は今年度から水曜日・・・
なんでぇ〜
私が木曜日ばっかり現れるから、私を避けるために水曜日になったのでしょうか
でも、それだけのために曜日担当まで変えるとは思えないし、そんなに精神的に弱かったら医者なんて勤まらないと思うし・・・
曜日が変わったのは他の理由であって欲しい
先生、「違う」と言ってぇー
気を取り直しましょう
もう1つご報告があります。
それは・・・、
|
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posted at 07:52
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