9月17日 手術後
視界がぐんにゃりと歪んだ、そのあとの
はっきりした記憶は病室のベッドでした。手術は2〜3時間と言われていましたが一時間半程で終わったそうです。ベッドサイドに仲良しグループが送ってくれた美しいお花が届いていてとても励まされました。
それ以前、おそらくリ
カバリールームで
『もう終わったんだよ〜』『大丈夫だよ〜』
と声をかけてもらったのをおぼろげに覚えていますが、まるで五里霧中。
ドラマでよく見る、看護師さんたちが「一二三!」と声をかけ合ってシーツごと患者をベッドに移すあの作業、内心わくわくしてたんですが、残念ながら全く意識ありませんでした。。。
結局、麻酔から意識が戻ったと言っても常にうつらうつらした状態がこの日中続きました。パパが電話で無事手術が終わった報告を家族にしていたり、執刀したW先生と話したりしているのを
はっきり聞き取る理性をどこかに保ちながらも、目もろくに開けられずにうとうとする、という不思議な状態でした。食事が出来るようになるまではとのことで、術前に刺した点滴で栄養が送られていました。
手術中、呼吸を確保する管をのどに通されていたそうで、少し落ち着いてからは強烈な喉の痛みで飲み込む動作が非常に辛かったです。口内の術創洗浄の為にマウスウォッシュが処方されました。夜ご飯には
チキンスープをオーダー、味もよくわからずに飲み干しました。
9月18日 術後一日目
やっとすっきり目が覚めました。左側の口内とほっぺ、そして唇が腫れてとっても面白い顔に。両方のほっぺを見比べたら別人みたい。舌が腫れ上がり麻痺している為にうまく話すことはできません。食事はプリンやスープや
おかゆを少しずつ丸呑み。喉の痛みは痛み止めで抑えられました。午後には栄養の点滴が外れ(針は刺したまま)、抗生物質を投与する以外の時間は点滴チューブから解放されて晴れ晴れしました。夕方、パパが広州へ帰宅。ここからひとりぼっちの入院生活となりました。
良く眠れる上に翌日には残らないと聞いたので寝る前にスリーピングピルを処方してもらいました。人生初の睡眠薬でただでさえドキドキしてるのに、看護婦さんが薬を飲むなり私のベッドの柵を上げ、夜中トイレに行く際は決して一人で行かず必ずナースコールを押すように、と転落転倒事故対策を施され、かえって緊張してしばらく目が冴えると言う矛盾。でもその後は数時間
ぐっすり眠れました〜。
9月19日 術後二日目
朝に痛み止めの錠剤服用。このころになるともうすたすたと歩き回れるように。一人部屋でYouTube(中国国内では見れないのでこんなときにがっつり見るのです!)や時間つぶしの為に持参した折り紙三昧。食欲は相変わらずなく、三食ともスープ
おかゆプリンのいずれか。夜になるにつれだんだんムカムカしてきて眠れずに七転八倒、深夜に吐き気止めを投与してもらいました。この薬が夢のように効いて、体がふわ〜んと楽になりやっと眠れました。らりほ〜
9月20日 術後三日目
早朝、抗生物質投与の際に点滴の針が刺さっている手の甲部分に少し痛みがあると言ったところ、すんなり点滴の針を抜いてくれました。恐がりの私、針が体に刺さっていることに耐えられず、昨日から散々頼んでいたのでとってもうれしくなりました。折角針が抜けたので、シャワーに入ってすっきりさっぱりしました。
翌日退院する気満々のわたしは、今日から痛み止めをとりませんでした。結局、一日中痛みを感じることはありませんでした。
お昼間、一人ぼっちで入院している私を、同じアパートの香港人の友達がお見舞いに来てくれました。口を手術するので話が出来るか分からないからお見舞いは要らないと公言していたのですが、まる二日孤独に過ごしていたのが意外にも堪えていて、彼女の来訪がうれしかった〜。一時間程世間話。腫れて麻痺した舌でも意外と話せるようになっていることを発見。夜は広州の家族とスカイプ。久しぶりに見る子供たちに目を細め、思わず一人しょぼしょぼしちゃったのは内緒です。
9月21日 術後四日目
朝からルンルンで荷造り。W先生が保険会社に手配をして23日まで入院出来るように取りはからってくれていたのですが、『今日広州帰ります!』と宣言。ここにあと2日もいるなんて絶対無理!ヒマ過ぎ、寂しすぎで発狂します。
家族はいつ迎えにくるのか、と尋ねられ、「一人で帰ります!」と答えて絶句されました。でも実際なんとかなりましたよ〜。タクシーで駅まで行ったら出入国の手続があるけど2時間電車に乗るだけ、一番の試練は初めてのシャバでの食事。駅のレストランにて、すこしでも食べやすい物としてスープ麺を頼んだところ、これが香港式の麺でコシの強いこと強いこと!箸で三本の麺をくるくる巻き取ってモグモグ食べる、という箸の使えないガイジンみたいなアホな食べ方で、丼三割食べるのに小一時間。。。アゴ痛っ
つづく