ひとつ、クラスがあがって新しい友達が増えた。
将ちゃんはその頃から情緒不安定どころではなく
「パニック」するようになった。
私は日に日に増す将ちゃんの動きについていけず
休みの日も保育所を利用していた。
毎日の連絡欄には同じことが書かれている。
「今日は2階に行くだけでパニックになりました」
「席が違うと大泣きしました」
「今日もパニックでした」・・・・・etc.
読むのイヤになりませんか?
なぜ私もそこで保育士さんに言わなかったのか。
当時まだ25歳・・・人間がちっさかったの。
よう言えなかったのですけどね。
保育参加・・・一緒に遊びましょうって日も将ちゃんは
グズグズだった。
当然だ。いつもと違うんだもの。
ご飯あたりに爆発し、パニックしていた。
私は教室の外に将ちゃんを連れ出し、なだめていた記憶がある。
悲しい気持ちで。
なぜ?
今日はお母さんがいるんだよ。
お母さんが側にいるのに なんで機嫌悪いの?
ナンデ ナンデ ナンデ・・・・・・・・・・
そしてお腹も大きくなった7月。
明日は休みだ、久しぶりに
掃除しよう。
のんびり、ちょっとできるかな。
そう思って迎えに行くと 担任の先生が厳しい口調で
「ねえ、どうして自分の休みに保育所連れて来るんですか」
私はびっくりして何も言わなかった。
「もうすぐお兄ちゃんになるし、お母さんとのふれあいが
大切だと思うんです。パニックも治まらないし。」
それって、暗に私のせいって言ってるんだよね・・・?
「わかりました。休みの日には連れてこないようにします」
こうして私の週に1度の休みもつぶれた。
おうちで赤ちゃん見てるお母さんたちはだから本当にすごいと
思う。
接客してる時によく思った。
その先生からは多分嫌われていたんだろう。
「13時に仕事終ってるのにどうしてお迎えが16時なんですか」
「残業してたので・・・・」
「16時までじゃないですよね。
いつも通り15時半には来てください」とピシャリ。
帰るのが遅かったから、ちょっと伸ばしたのもダメなの?
その頃の将ちゃんは後追い星人で
将ちゃんがいないうちに家事をしないと何も進まない状況だったの。
だから先生にいちいちそういわれる度に傷ついた。
そんなこんなの秋、あーちゃん
誕生!
将ちゃんとびっちり向き合わなくても良くなった私は
少しゆとりを持った。
でも将ちゃんのパニックや問題行動はどんどん増えて行っていた。