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悠久の美とマーオリ [2007年02月04日(日)]

きょうは、午後から東京国立博物館にでかけた。


開催中の、《悠久の美〜中国国家博物館名品展》と《ニュージーランド国立博物館 テ・パパ・トンガレワ名品展 マーオリ 楽園の神々》、《特集陳列 インドの細密画》を見るためだ。

最初に《悠久の美》会場を見たのだが、とにかくびっくりした

そこには古代の名品の品々が並んでいるのだか、現代の視点で見ても制作するのに難しそうなものばかりが陳列されていた。

紀元前4,500年から4,000年(とてもアバウト)につくられた彩陶瓶は、そんな昔のものとは思えないくらい、つややかできれいなものであった。紀元前19世紀から11世紀ごろに盛んにつくられた青銅器の数々は、細密な模様彫刻が施され、虎や水牛をデザインに取り入れたとても複雑な形をしていた。わたしのような不器用な人間には、ぜったいつくれないような精巧な品々を3,000年も、4,000年も昔につくったいた古代の中国文明のすごさには驚かされた。

次に向かったのは、《マーオリ》展だ。
《悠久の美》展とは打って変わって、木や石でつくられたマーオリ人たちのさまざまな装身具や人物像などが展示されていた。素朴なものかもしれないが、そこには神々がまさしくいまも息づいている感じがした。パータカという倉庫の入り口の部分が展示されていたのだが、壁板のひとつひとつにたくさんの顔の彫刻がなされ、眼の部分には貝殻で作ったキラキラ光る眼がはめ込まれていた。無数の目の力で悪鬼を追い払うために丁寧につくられたものであろう。

《インドの細密画》の展示はそれほど多くなかったが、これが水彩画かと思えるような厚みのある、びっしりと描き込まれた絵だった。

《悠久の美》展と《マーオリ》展を見て感じたのは、中国文明とマーオリ文化の『火』に対する態度の違いだ。中国文明は明らかに『火』をつかい発展してきた文明だ。陶器を焼くのも、青銅器をつくるのも、『火』を完全にコントロールしてこそできたことだ。そこでは、『火』は神であるというより、人間の下僕のように扱われているように感じた。
たいして、《マーオリ》展で展示されていた品々からは、いっさい『火』を感じることができなかった。戦いに使うこん棒も、木製、石製、動物の骨製、木を削る刀も石製、人物像などはもちろん木製、すべて火を使わずにできるものばかりだった。太平洋の大海原を征服し、『水』の神をあがめていた彼らにとって、『火』を用いることは『水』の神への裏切りなのかもしれない。