Neko

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こころのかさぶた [2007年04月01日(日)]

こどものころ、傷跡にできたかさぶたを治りきらないうちに剥いでしまったことはないだろうか。もうすこし我慢すれば、傷が完全にふさがるのにかさぶたをめくったために、再び出血し、またかさぶたができる。なかなか傷が治らない、こんな経験はだれにでもあったと思う。

わたしたちはこころにできたかさぶたも、また剥いでしまうことがあるのではないだろうか。

わたしは感情の記憶というものについてつぎのようなイメージを持っている。

まず、山奥にある深い、深い湖を想像してほしい。
ひとつひとつの記憶は色のついたビー玉だと思ってほしい。
明るい色、暗い色、大きさも米粒のように小さいものからこぶし大の大きいものまで、さまざまなビー玉がある。

わたしたちがいろいろと体験をし、それについて感情が揺れるたびにひとつビー玉が湖の底に沈んでいく。

そんなふうに考えてほしい。

ビー玉は古いものほど底に、新しいものほど上に沈んでいるはずだ。

いやなことがあったとき、それがこころに残す傷跡が大きければ、大きいほど暗い色の大きなビー玉となって沈んでいく。

逆に楽しいことがあったとき、それが楽しければ楽しいほど、明るい色の大きなビー玉に姿を変えて、沈んでいく。

いやなことがあっても、そのあと楽しい経験をたくさんすれば、その暗いビー玉を明るい色で覆い尽くすことができる。

にもかかわらず、わたしたちはそのいやなことを思い悩み、わざわざ底から掘り返し、ビー玉たちの一番上に載せることがある。

偉大な芸術家であるならば、真っ暗闇の大きなビー玉を光り輝くダイヤモンドに変える術を持っているかもしれない。でも、わたしたち普通の人間にはそんなこと不可能だ。

たしかに明るい色しかないビー玉層はたいくつかもしれない、でも暗い色だけのビー玉の塊はまったく味気ない。

暗い色のビー玉をなくすことはできない。でも、明るい色のビー玉で隠すことはできるはずだ。

もうかさぶたをはがすのはやめよう。はがしつづけても、いつかは傷も治ってしまう。だったら、かさぶたはそのままにしていて、ちがうことをはじめればいいのではないか。短い人生、無駄にできる時間は案外少ない。