痴漢の話 [2007年04月28日(土)]
先日、おともだちのココさんのブログに痴漢の記事が書かれていました。その記事のコメントに、わたしも痴漢の被害に遭ったことを記したところ、悪友の女王様さんからはやくそのことについて記事をアップするように催促されてしまいました。
そこで、本日そのことについて書こうと思います。
それは、たぶん高校一年生のときのことだったと思います。
当時、わたしは国電(注:そのころ山手線・中央線・京浜東北線・総武線はそう呼ばれていました)を使って、通学していました。高校からの帰り道、いつものように国電に乗り込みました。まだ帰宅ラッシュの時間にはなっていなかったため、満席だったものの、さほど混雑はしていませんでした。
わたしはドアの側のてすりに寄りかかり、ドアのガラス越しにぼんやりと外を眺めることにしました。ちなみに、わたし側のドアはわたしのおりる駅までずっと開かないドアでした。
途中の駅から、なんだかお尻から太腿にかけて、もぞもぞ感じはじめました。どうやらうしろのひとの下半身が当たっているようです。そんなに混んでいない車内なので、不思議に思いましたが、あまり気に留めませんでした。そのもぞもぞは、わたしが下車するまでずっと続いていました。
反対側のドアから下りるため、からだを反転させると、そこには七三分けで黒ぶち眼鏡をかけた小柄な冴えない感じの初老のサラリーマンがいました。そして、いまでもはっきりとわたしの耳にこびりつくおぞましいことばを発したのです。
「いやぁ〜ん」
なんだこのジジイ、といぶかしく思いながら、ホームにおりました。
その当時は、今のように性に関する情報が氾濫しておらず、同性愛者の存在も社会的なタブーとして、公に語られることがあまりなかった時代でした。わたしもそうしたかたたちの存在は知っていましたが、あくまでも耳学問でしかありませんでした。
翌日の学校で、わたしはともだちにそのできごとを話しました。そしてはじめて、その行為の意味を知りました。ただちにその痴漢にたいする怒りが沸々と湧いてきました。こんど見つけたら、ぶん殴ってやろうと思いましたが、その痴漢と二度と遭遇することはありませんでした。
女性のかたがたの被害に比べ、わたしの被害など微々たるものです。しかし、痴漢という破廉恥極まりない卑劣な犯罪を憎むこころはおなじです。
痴漢はぜったいに許せません
そこで、本日そのことについて書こうと思います。
それは、たぶん高校一年生のときのことだったと思います。
当時、わたしは国電(注:そのころ山手線・中央線・京浜東北線・総武線はそう呼ばれていました)を使って、通学していました。高校からの帰り道、いつものように国電に乗り込みました。まだ帰宅ラッシュの時間にはなっていなかったため、満席だったものの、さほど混雑はしていませんでした。
わたしはドアの側のてすりに寄りかかり、ドアのガラス越しにぼんやりと外を眺めることにしました。ちなみに、わたし側のドアはわたしのおりる駅までずっと開かないドアでした。
途中の駅から、なんだかお尻から太腿にかけて、もぞもぞ感じはじめました。どうやらうしろのひとの下半身が当たっているようです。そんなに混んでいない車内なので、不思議に思いましたが、あまり気に留めませんでした。そのもぞもぞは、わたしが下車するまでずっと続いていました。
反対側のドアから下りるため、からだを反転させると、そこには七三分けで黒ぶち眼鏡をかけた小柄な冴えない感じの初老のサラリーマンがいました。そして、いまでもはっきりとわたしの耳にこびりつくおぞましいことばを発したのです。
「いやぁ〜ん」
なんだこのジジイ、といぶかしく思いながら、ホームにおりました。
その当時は、今のように性に関する情報が氾濫しておらず、同性愛者の存在も社会的なタブーとして、公に語られることがあまりなかった時代でした。わたしもそうしたかたたちの存在は知っていましたが、あくまでも耳学問でしかありませんでした。
翌日の学校で、わたしはともだちにそのできごとを話しました。そしてはじめて、その行為の意味を知りました。ただちにその痴漢にたいする怒りが沸々と湧いてきました。こんど見つけたら、ぶん殴ってやろうと思いましたが、その痴漢と二度と遭遇することはありませんでした。
女性のかたがたの被害に比べ、わたしの被害など微々たるものです。しかし、痴漢という破廉恥極まりない卑劣な犯罪を憎むこころはおなじです。
痴漢はぜったいに許せません